第三話『能力と金儲けについて』
目を覚ましたのは、布一枚では誤魔化せない寒さだったから。表面温度は冷蔵庫のハムぐらいになっていた。口内が粘着質になっていて、きっと鼾をかいていたのだろう。
窓の外は薄らと明るく、太陽が山の向こう側にあることが予想される。
「うー!!ッあぁ…」
決して変なことをしている訳ではなく、ただ身体を伸ばしただけだ。固まった筋肉の解放。
相部屋している方々に目を向けると、2人はまだ眠っているようだ。都合がいい。まだ起きないうちに能力について試してみよう。
例えば、食べ物。これがイメージして具現化できるのであれば、大幅に生存率が上がること間違いない。最初は無難に、塩むすびにしよう。
「…米。」
どこからイメージすればいいだろう?塩をつけた手で三角形に握られた、あの状態をイメージしてみるか?目を閉じ、脳内にコンビニの塩むすびをイメージする。自分の手のひらに…それがある。
「…うーん。」
目は開けてないが、手のひらに重さを感じない。それで具現化されていないのが分かる。手に取れていないから分かる。
もっとリアルに、詳細なイメージを。あれの温度や重さをしっかり。コンビニの電子レンジで温めたら大体長く持っても火傷はしない程度の温度で、手に持った重さは手首が5度曲がるぐらい。米粒一つ一つは温められた澱粉により手にひっつきやすい程度の粘り気で、しかし潰れているわけではない。そして塩が米の水分と温度に溶け、おむすびをコーティングするように馴染んでいる。香りは唯一無二の新米のみずみずしくて仄かな甘さが鼻腔を優しく刺激するのだ。ヨダレが口内で分泌されてきた。
目を開くと、手のひらにそれがあった。湯気が少しだけ立っていて、イメージ通りの香りがする。俺は、それを大きな一口で食らう。
「塩むすびだ。」
紛れもない、塩むすび。米の甘みと塩っ気の原点にして頂点とも言えるハーモニーに、思わずスタンディングオベーションをしたくなる。食事中だから立たないけど。
まるで3日間何も食べていないハイエナのように、無心で貪り尽くす。気付いた頃には見る影もなく、手に引っ付いてた米粒達一粒一粒を愛くるしく思いながらキスするように食べた。
「ご馳走様でした。」
これが俺の能力か。しっかりとお腹に溜まった満足感が、具現化の証明をしていた。
さて、問題はこれをどのように使うかだ。もしこの能力で世界の貨幣を作れたら、一生働かなくていいはずだ。ホームレスであれば俺を追跡することも難しいだろうから。
ポケットから受付嬢に貰った支援金を取り出す。銀貨と銅貨、それぞれ見比べる。銀貨の直径は100円玉程度で、日本の硬貨よりも気持ち厚め。人差し指と親指で摘むと冷たさがあるが、徐々に熱が伝わり30秒程度で体温と同じぐらいになる。模様は誰かの横顔で、裏には英語と謎の言語で『Shangri-La』と書かれている。
「舐めてみるか。」
舌を出し、その上に乗っける。意外にも、金属イオン独特の苦くてしょっぱい味はせず、金気臭さがなかった。これは、100円玉とは違う素材だ。
そうなってくると、『科学世界』にはない他二つの世界特有の物質である可能性が出てきた。そうなると、銅貨ももしかすると…舌に転がしてみた。
銀貨同様、金属イオンの要素は見つけられなかった。つまり、銀貨も銅貨も生成不可能だ。残念な気持ちになりながら、小さな円盤を吐き出した。
「偽造は無理…」
仕方がない、働くか。
働くとなると商人ギルド?しかし、あの辛気臭い場所にはいたくないな。商人と貴族の取引の場面を思い出す。あれを堂々と見せることのできる程度には、当たり前になっている。それなのに、商人ギルドには幅広い年齢層の商人がごった返していた。あれを見て、商人ギルドに入りたいなどと思う人間などいない。なのに、その人間の溢れ様だ。
それだけビッグドリームなのか、冒険者や他のギルドで働けなくなった者共の末路なのか。だが、商人ギルドに行くぐらいなら冒険者ギルドで身を危険に晒した方が、少なくとも俺はそっちの方がマシだと思った。
「…体を動かすか。」
なんだか脳みそに血液が回っていないような、なんとなくボーッとしたような意識を自覚した。
寝起きだから?それとも、能力を使ったから?多分後者な気がする。寝起きでも、塩むすびを鮮明にイメージできる程度には脳は起きていたはずだったのだから。
そうなると、塩むすび程度のエネルギー補給で間に合うのだろうか?能力でエネルギーを消費して、そのエネルギーで作られた食物を摂取する。イタチごっこにならないだろうか。この能力の詳しい原理も知りたいところだ。
◇
部屋を出て階段を降りると、そこには宿主が台所で調理をしていた。階段の軋む音で人の存在に気付いてはいるだろうが、一瞥もくれず料理を続けていた。
「そこに座ってな。もうすぐできる。」
言う通りに従い、適当なテーブルに着く。フライパンの熱されて弾ける油と水分の音、メイラード反応により香り立つそれは恐らく玉ねぎなのだろう。そこに水を加え、煮込み始める。どうやら、オニオンスープを作っているのだろう。
「アンタ、転生者かい?」
「え?あ、はい。」
煮込むだけになった宿主は、フライパンにこびりついた玉ねぎの旨味をこそげ落としながら話しかけてきた。
返ってきた言葉に、宿主は軽いため息をついていた気がする。
「仕事は決まったかい?」
「いや、まだ。」
「そう…」
フライパンの玉ねぎ達を大きな鍋に移した。そこに水分を追加した。無音がこの部屋を包んでいる。
宿主は何のためにそんな確認をしたのだろうか。無音が怖くて話しかけてくるというような感じの人ではないような気もするが。
「商人ギルドは見たかい?」
「見ましたよ。」
「酷いもんだろ?貴族とのコネを作るために自分の体を売るのは当たり前だし、上もそれを経験してるからそれが当たり前になっている。あれ、ほとんどが冒険者ギルドで夢を見て、現実に打ちひしがれた転生者だよ。」
やはり、先程の考察は正しかったようだ。『科学世界』でもなかった話ではないが、いざそれを目の当たりにできるぐらい、自分の身近で起こると、形容しがたい不安を感じる。
「しかし、なんでそれを俺に?ギルドがここの宿を案内したってことは、ギルドとこの宿は繋がっているんでしょう?そんな印象の悪くなるようなことを言ってもいいんです?」
「なかなか鋭いね、アンタ。でも、こんな宿だ。ギルド側はなんにも力を入れていないよ。つまりは、アタシに対する待遇も別に良い訳じゃない。何の恩も繋がりも、ないに等しいよ。」
何の感情も伴っていない、淡々とした口調と表情でスープに塩と胡椒を入れて味を整えていた。
「それに、アンタは今までの転生者に比べて昨日のスープを美味しそうに食べていたね。」
「まぁ、事実美味しかったですし。」
「大体は、あれを食べる生活から早く脱却したくて冒険者ギルドに急ぐのがセオリーなんだけどね。」
初めて宿主は困ったように笑う。そういう魂胆もあり、ギルドは転生者への支援に力を入れていないのかもしれない。単純な、転生者の数の話では無いのかも。もしそうなら、なかなか嫌らしい。益々、ギルドというものに所属したくなくなる。
「大変かもだけど、自営業をしてもいいかもしれないね。」
「自営業。」
「路肩で自分の作った物を売るんだ。上手くいけば、商人ギルドを逆に使ってやって貴族に売ることだってできる。」
そのためには、それ相応の物を作り出せる技術も必要だろう。小説を書いては世に出して売っていたが、一つを除いて全てつまらない物語だった。らしい。そんなつもりはないのだが。
なら何を売るというのだ。小説以外に、俺は何が…?
「まぁ、猶予はあるさ。夜になると不安になりやすい。今晩もまだ無職なら一杯だけ奢ってやってもいい。この宿の正面の酒屋で作られた安い蒸留酒だけどね。」
表情を見て、宿主はそんな気を遣った言葉をかけてくれた。安酒か…ウィスキー好きとしては蒸留酒があるのは嬉しいが、果たしてどれほどのものなのだろうか?純粋な好奇心として気になるところではある。
「待てよ…?」
ウィスキー、そういえば科学世界では嗜好品として大衆に好まれていた。そのうちの一人が俺だ。俺のイメージは大好きなウィスキーを鮮明にイメージできるのではないだろうか?
もしできるとしたら、それを生成できたとしたら、それを売るというのも手ではなかろうか?
「どうしたんだい?」
目の前にオニオンスープと硬いパンが置かれた。顔をあげると宿主が不思議そうに眉を顰めていた。
「金稼ぎについて考えてました。」
「ふん、根詰めすぎるんじゃないよ。」
そう言い、ヅカヅカと忙しなく台所へ戻っていく。こういう人情っぽいコミュニケーションは小説の中だけだと思っていたが、存外異世界も悪くないと思った。
スプーンで掬った琥珀色のスープは、湯気と共に優しさの香りが鼻腔をくすぐった。
◇
部屋に戻っても、相部屋の二人は夢の中にいた。なら、思いついたことをやるしかない。
目を閉じて、俺を魅了したアルコールを思い出す。真っ先に思いついたウィスキーは、日本初のモルトウィスキー製造所で作られた至高の一瓶。モルトの澱粉が糖になり、酵母が混ざり発酵させたものを蒸留し、樽に長い年月をかけてゆっくりと熟成させる、あのウィスキーだ。
ネットではフルーツのような香りという記載があるが、そうは思わない。いや分からないでもないが、俺は何にも言い換えられない独特で芳醇な、気の置けない女友達の偶に見せる艶かしい笑みを思い出させるような、そんな甘い香りだった。
口の中に流し込み、ゆっくり舌で転がして見るとその香りは強まる。そして、アルコールの舌を焼く感覚もあるが、それは滑らかに浸透していくような刺激。その奥に潜むコクのある上品な甘さ。
「…できた。」
目を開くと、その一瓶が置いてあった。朝の陽が射し宝石のように反射する最高の酒が、そこにはあったのだ。
手に取ると、ずっしりと重い。液体の重さだ。俺はそれを開け香ってみると、イメージ通りで鼻の粘膜から脳みそが情報を受け取るまでの全てのシナプスが喜び震えている。
このウィスキーはなかなか手に入るものではなかった。売っているという情報が手に入った瞬間に完売しているのだと確信できるほど、それは俺の中で希少な存在だった。後にも先にも、過去に飲んだ一瓶だけだと、そう思っていた───
「飲んでみるか…?」
手が震えている。俺はグラスと氷をイメージし、生成する。形は少しおかしくなったが、そんなことはどうでもいい。これを、早く飲みたい!
少量を注ぐ。キラキラと氷の間を伝う、その流動の過程が美しい。
「…よし。」
思わず、固唾を飲む。そして、ゆっくりと口元に近付け、口に含む。
甘い香りが、脳みそを辿り、脊髄まで満たす。その感覚に、神経がゾクゾクと震える。いつの間にか、胃は熱を帯びていた。もっと楽しめたのに、飲み込んでしまった。
俺は瓶の蓋を閉める。
「完璧だ。あの時飲んだ、あの味だ。」
この能力を願った時の俺は、やはり間違いなく天才だった。イマジナリー称賛なんかではない、俺が俺に拍手を捧げる。そして抱擁し、お前のしたことは異世界にとってとてつもなく大きな一歩となるのだと伝えてあげたかった。
「…さて。」
次は、これをどう売るか。正直、異世界二日目の人間が商売をするのは無理だ。あらゆる相場を知らなさすぎる。
この安宿の食事付きが銀貨1枚銅貨2枚。それ以外の物の値段を知らない。ましてや、税金というものがこの世界にあるのかないのかすら、全く知らないのだ。脱税の容疑でお縄につく未来など容易く想像できる。
つまり、この世界を知り尽くした協力者が必要になる。しかし、能力のことを隠しながら協力してもらうことは、果たして可能だろうか?
無理だ。いや、正確には可能だとしても、後が大変だ。バレた時のリスクは計り知れない。無から有を生む人間なんて、利用されるに決まっている。こちらが手綱を握るための手段が必要だ。
「…一人、その条件に持っていける人間がいるじゃないか。」
気付いてしまった、俺にとって都合のいい存在を。いやしかし、考え直せ。
その人間とは深い関係性を持った訳でもないし、どういった人間性かも分からない。短絡的に俺を利用するかもしれないし、裏切って目先の金に踊り狂う馬鹿かもしれない。
慎重さが足りない。どれもこれも、俺の想像上の都合よくことが進んだ場合の話だ。そんなの、ほぼ確証もないような希望的観測の賭けだ。
「…へへ。」
だからこそ、帰ってくる報酬は高いよな?賭けたら賭けた分だけ、倍どころか100倍になって返ってくる。そんなぶっ壊れた盤面に、ゾクゾクしない人間がいるだろうか?
気付けば、俺は外に向かって歩き出していた。男部屋を出て、階段を降りる。途中で朝食を食べているマリアに声をかけられた気がするが、ただ俺の鼓膜が振動しただけだった。
玄関を出れば、天気も雲ひとつない青い空が広がっている。目線の先には禿げたおっさんが酒瓶が大量に詰められた箱を運んでいた。
「おい、オッサン。」
酒屋の男は目をこちらに向けると、ニタニタと笑う俺の姿を捉えた。その様子に、怪訝な表情を見せる。
「どうした?朝から酒でも買いに来たか?」
口角が下がっている。当たり前だ。昨日転生したばかりの男が気持ち悪い笑顔で話しかけてきたのだから、何か悪い話を持ちかけられるのではないかと思うだろう。
安心してほしい。アンタは条件を作るための過程に過ぎないのだから。




