殺したのは魔法じゃない
最も怪しかったイリスへの疑いが揺らぎ始める一方で、遺書と消えた研究帳から新たな矛盾が浮かび上がります。
そして、エルドの死を成立させた仕組みが、ようやく形を見せ始めます。
王立魔法監査局から返事が来たのは、翌日の朝だった。
「予約は本物」
王都警備隊本部の廊下を歩きながら、セラが一枚の書類をアレンへ渡した。
アレンは受け取る。
エルド・バーレン。
午前九時。
監査官二名との面会。
申請日は、死亡する三日前。
「内容は?」
「そこまでは記録されてない。ただし、エルド本人からの申し込みだったことは確認できた」
「自殺する三日前に、監査局へ自分で予約した」
「それだけなら矛盾とは言い切れない」
「分かってます」
アレンは書類を返した。
人は、死ぬ前に必ず身辺整理をするわけではない。
翌日の約束を残したまま命を絶つ人間もいるだろう。
一つの行動だけで、死者の心を決めつけることはできない。
ただ。
遺書には、研究に疲れたとあった。
ヴィクターは言った。
エルドなら最後まで研究を諦めなかった。
イリスは言った。
明日には全部はっきりする、とエルドから聞いた。
そして本人は、王立魔法監査局との面会を入れていた。
一つずつなら、どれも決定的ではない。
けれど並べると。
遺書だけが、少しずつ他のものから浮き始めていた。
「それと」
セラが別の紙を差し出す。
「ガレス・オルデンは、ひとまず後回し」
「アリバイですか」
「事件当日は昼から南門外の商談宿。夕食から深夜まで、商人組合の人間が十二人一緒だった」
「抜け出した可能性は?」
「ないとは言わない。でも、研究院の薬品庫には入れない。魔脈触媒についても、細かい性質までは知らなかったという証言が複数取れた」
「動機はある」
「研究中止で相当な損失が出る。でも今ある材料だけなら、優先順位は下がる」
「イリスさんは?」
セラが歩みを止めた。
「それをこれから確かめる」
イリス・フェーンの研究室は、前に入った会議室とは比べものにならないほど散らかっていた。
紙。
本。
魔石。
書きかけの術式。
机の上には三つのカップ。
窓際には枯れかけた鉢植え。
そして、その中央にイリス本人がいた。
「また?」
顔を見るなり言った。
「警備隊って暇なんですか」
「忙しいから早く答えて」
セラが椅子を引く。
アレンもその隣へ座った。
イリスは露骨に嫌そうな顔をした。
「今度は何です?」
セラは監査局の予約票を机へ置いた。
「エルド氏が監査局へ何を話す予定だったか、本当に知らない?」
イリスの視線が紙へ落ちる。
「知りません」
「あなたの研究についてだと思っていた」
「はい」
「どうして?」
「先生と揉めたから」
「それだけ?」
イリスはしばらく黙った。
そのあと、机の引き出しを開ける。
中から、丸められた紙の束を取り出した。
「これ」
セラが受け取る。
広げる。
アレンは横から覗いた。
術式の図面。
数字。
そして、右上に書かれた研究者名。
イリス・フェーン。
「あなたの名前ですね」
アレンが言う。
「当たり前でしょ。私の研究なんだから」
「でもエルドさんが責任者名義を自分に変えたと」
「変えました」
イリスは別の紙を出す。
こちらには、
主任研究者 エルド・バーレン。
そう書かれている。
「このせいで揉めた」
「じゃあ最初の紙は?」
「昨日、先生の机から見つかったものです」
セラの目が鋭くなる。
「昨日?」
「警備隊に許可を取って、研究室の資料を整理したとき」
「初めて見た?」
「はい」
セラが二枚を並べる。
古いもの。
新しいもの。
新しいほうにはイリスの名前。
さらに下。
小さく、
《責任者変更申請》
と書かれている。
「これは?」
「先生が監査局へ提出する予定だったみたいです」
イリスが口元を歪めた。
笑っているわけではない。
「私に戻す申請」
アレンは紙を見る。
「研究を盗ったわけじゃなかった」
「結果だけ見ればね」
「説明はされなかった?」
「されてません」
即答だった。
「最後まで」
イリスは椅子へ深く座る。
「私、先生に散々言いましたよ」
研究を返せ。
理由を説明しろ。
勝手なことをするな。
そのうち研究室ごと燃やしてやる。
言った。
全部。
「なのに」
イリスは自分の名前が書かれた申請書を見る。
「何で最初から言わないんだって話ですよ」
セラが聞く。
「エルド氏が責任者名義を一時的に自分へ変えた理由は?」
「そこまでは分かりません」
「推測でも」
イリスは少し迷った。
「安全審査かもしれない」
アレンが顔を上げる。
「安全審査?」
「私の術式、出力が高いんです。若手名義のままだと実験許可が下りにくい」
「だから一度、自分の名義へ?」
「たぶん」
「それなら説明すればいい」
アレンが言うと、イリスがため息をついた。
「だから、あの人はそういう人だったんです」
「そういう人?」
「説明しない」
イリスは机の端に転がっていたペンを指先で動かした。
「自分が正しいと思ったら、途中の説明を飛ばすんです。終わってから分かればいいって」
少しだけ黙る。
「……腹立つでしょう」
「かなり」
セラが答えた。
イリスが初めて少し笑った。
でも、その笑顔はすぐに消えた。
「だから私は、先生を嫌ってた」
視線を紙へ落とす。
「でも」
声が小さくなる。
「死んでほしかったわけじゃない」
部屋を出たあと、セラはしばらく何も言わなかった。
アレンも黙って歩く。
階段を一つ下りたところで、セラが口を開いた。
「イリスの動機が薄くなった」
「完全には消えてません」
「そうね。本人名義に戻すことを知らなかったなら、事件当時は恨んでたことになる」
「魔脈触媒にも触れられる」
「アリバイもない」
それでも。
事件は少しだけ、イリスから離れた。
「次は遺書」
セラが言った。
「筆跡鑑定の途中報告が来てる」
王都警備隊本部。
鑑定室の机には、遺書の写しと、エルドが過去に書いた研究書類が何十枚も並べられていた。
担当の鑑定官は、目の下に濃い隈のある男だった。
「似てる」
開口一番、それだった。
「本人の字に?」
セラが聞く。
「かなりな」
男は遺書を指す。
「癖も合ってる。文字の傾きも、払いも、筆圧の見た目も」
「じゃあ本物?」
「最後まで聞け」
鑑定官が虫眼鏡を置く。
「似すぎてる」
アレンが遺書を見る。
「似すぎている?」
「ここ」
男が二か所を指す。
どちらにも同じ文字がある。
研。
「重ねてみろ」
薄い透過紙が渡される。
アレンは片方の文字をもう片方へ重ねた。
ほとんど一致する。
「……同じですね」
「線の曲がりも、止めの位置も、微妙な震え方までな」
「本人ならあり得ない?」
「絶対とは言わん」
鑑定官は腕を組む。
「だが人間は同じ字を二度書いても、完全には同じにならない」
セラが別の文字を見る。
「他にも?」
「六か所。全部同じ傾向だ」
アレンは遺書を見る。
筆跡は本人に似ている。
なのに、同じ文字だけが不自然なほど同じ。
「写した?」
アレンが言った。
鑑定官が頷く。
「可能性はある」
「一文字ずつ?」
「元になる文章から必要な文字を拾えばできる」
セラが立ち上がる。
「研究院には大量にエルド氏の筆跡資料がある」
「それだけじゃない」
鑑定官が言う。
「魔法研究院なら透写板があるだろ」
アレンは聞き返す。
「透写板?」
「図面を複写するときに使う。板の下から光を当てて、上に置いた紙へ線を写す」
セラはもう扉へ向かっていた。
「行くわよ」
「今?」
「明日にしたら透写板が逃げる?」
「逃げませんね」
「なら今日でいいでしょ」
理屈が逆な気もした。
それでもアレンはついていった。
研究院の製図室には、十二台の透写板があった。
大きな机に埋め込まれた、半透明の板。
魔石灯を下から点けると、置いた紙の線が透けて見える。
管理担当の老人が帳簿を持ってくる。
「誰でも使えるんですか?」
セラが尋ねる。
「研究員ならな」
「使用記録は?」
「通常は取らん。研究図面を写すたび記録なんぞしてたら、それだけで日が暮れる」
セラの顔が曇る。
「ただ」
老人が続けた。
「先週、三番だけ調整に出した」
「三番?」
「光量がおかしくてな。昨日の朝に戻した」
「誰が?」
「主任のローヴェル先生が自分で」
アレンとセラが同時に老人を見る。
「ヴィクターさんが?」
「ああ。製図室の前で会ったから覚えとる」
セラが聞く。
「何時ごろ?」
「朝七時前だったかな」
エルドが発見された朝。
ヴィクターが自宅へ向かったのは、そのあと。
「何か持っていました?」
老人は首を捻る。
「紙の束くらいは持っとったかもしれんが……そんなもの、研究員ならみんな持っとる」
決定的ではない。
ヴィクターが透写板を使った証拠にもならない。
けれど。
遺書が写された可能性。
そして事件当日の朝、透写板に触れていたヴィクター。
また一つ。
小さな点が増えた。
「セラさん」
アレンが小声で呼ぶ。
「分かってる」
彼女も同じ方向を見ていた。
「まだ足りない」
研究院を出ようとしたところで、一人の警備隊員が走ってきた。
「ヴァイス捜査官!」
セラが振り返る。
「どうしたの」
「焼却炉から出ました」
「何が?」
隊員は息を整えながら、小さな証拠袋を差し出した。
中には、黒く焼け焦げた革の切れ端が入っている。
アレンは息を止めた。
黒い革。
机から消えたもの。
「研究帳?」
セラが言う。
「まだ断定できません。ただ、焼却炉の灰から革表紙と紙片が複数」
「いつ捨てられたかは?」
「焼却担当によれば、昨日の昼以降に入れられたものだろうと」
エルドの死後。
アレンは証拠袋を見る。
「紙は読めるんですか」
「一部なら」
警備隊員が別の袋を出した。
焦げた紙片。
文字の大半は黒く潰れている。
ただ、数字がいくつか残っていた。
試験値。
安全基準。
その横に、赤いインク。
《修正前》
さらに下。
二文字。
V.R.
「V.R.」
アレンが読む。
セラは何も言わない。
ヴィクター・ローヴェル。
同じ頭文字。
もちろん、それだけで本人を指すとは限らない。
研究上の記号かもしれない。
別人かもしれない。
それでも。
点が増える。
透写板。
焼却された黒革。
V.R.
「ヴィクターさんに話を聞きましょう」
アレンが言った。
セラが頷く。
ヴィクター・ローヴェルは、自分の研究室にいた。
窓際の机で書類を読んでいる。
警備隊員が入っても、慌てる様子はない。
「また何か?」
柔らかく尋ねる。
セラが向かいへ座る。
アレンはその隣。
「確認したいことがあります」
「どうぞ」
「エルド氏の遺書について」
一瞬。
ヴィクターの指が止まった。
本当に一瞬だった。
「遺書?」
「ええ」
「何か問題が?」
「筆跡が偽造された可能性が出ています」
ヴィクターは眉を寄せた。
「そんな」
「何か心当たりは?」
「ありません」
「エルド氏の筆跡資料へ触れられる人間は多い?」
「研究院なら、いくらでも」
「透写板は?」
「当然使えます」
「昨日の朝、三番の透写板を製図室へ戻したそうですね」
ヴィクターが少し考えた。
「ああ。そうでした」
「何に使いました?」
「研究図面です」
「どの研究?」
「資料を確認すれば分かります」
落ち着いている。
質問に詰まらない。
「エルド氏が亡くなる前日、監査局へ面会予約を入れていたことは?」
「知りませんでした」
「イリス・フェーン氏の責任者名義を戻そうとしていたことは?」
今度は少し長く黙った。
「それも」
「研究データの安全性について、エルド氏と意見が対立していた?」
ヴィクターの目がセラへ向く。
「誰からそんな話を?」
「質問しているのはこちらです」
静かな声だった。
ヴィクターは背もたれへ体を預ける。
「研究者同士です。意見の違いくらいあります」
「安全試験の数値についても?」
「何を疑っているんです」
初めて声に硬さが混じった。
アレンはヴィクターの机を見る。
几帳面だった。
紙は端を揃えて積まれている。
ペンも並行。
薬品瓶もラベルが正面を向いている。
「アレンさん」
ヴィクターが彼を見る。
「あなたも私を疑っているんですか?」
「まだ分かりません」
「相変わらず慎重ですね」
「分からないので」
ヴィクターは苦笑した。
「エルドは自分で死を選んだんです」
セラの目が動いた。
「そう思います?」
「遺書にもそう書いてあったのでしょう」
「内容をご存じなんですね」
沈黙。
ほんの数秒。
でも今までで、一番長かった。
ヴィクターはゆっくり瞬きをする。
「……リディアさんから聞いたと思います」
セラは表情を変えない。
「いつ?」
「事件のあとです」
「リディアさんは、あなたに遺書の内容を話していないと言っています」
ヴィクターの口が止まる。
「警備隊から……」
「こちらも内容は伝えていません」
部屋が静かになった。
窓の外から、研究院の鐘が聞こえる。
アレンはヴィクターを見る。
第一発見者。
彼は警備隊へ、机には触れていないと証言していた。
遺書は封がされた状態で見つかった。
宛名はリディア。
なら。
中身を知る方法がない。
少なくとも。
彼の証言が本当なら。
「ヴィクターさん」
アレンが言った。
「あなたは、遺書を読んだんですか」
「……読んでいません」
「それなら」
アレンはそこで止めた。
セラが代わりに続ける。
「どうして内容を知っているんでしょうね」
ヴィクターは答えなかった。
それでも、まだ足りない。
疑わしい。
しかし疑わしいだけ。
警備隊本部へ戻ったのは、日が沈んだあとだった。
アレンはエルドの書斎から運ばれた品を机へ並べていた。
カップ。
薬草茶。
遺書。
万年筆。
銀時計。
割れた魔石。
セラは壁にもたれ、腕を組んでいる。
「何してるの」
「順番を作ってます」
「何の」
「エルドさんが死んだ夜の」
アレンはカップを見る。
エルドは帰宅した。
茶を飲んだ。
体内へ魔脈触媒が入った。
その時点では死なない。
茶が冷める。
いつもの癖。
魔法で温め直す。
そして魔力暴走。
床へ倒れる。
「もしイリスさんが犯人なら」
アレンが言う。
「事件当夜に研究院から触媒を持ち出して、エルドさんの家へ行く必要がある」
「そうね」
「でも、死亡推定時刻まで研究院にいた」
「十二分まで」
「不可能ではありません」
「走ればね」
「でも不自然です」
アレンは薬草茶の缶を見る。
「犯人は、死ぬ直前に何かをする必要がなかった」
セラは黙って聞いている。
「もっと前に仕込めた」
魔脈触媒を茶へ入れる。
そのあと帰る。
別の場所へ行く。
何時間後でもいい。
エルドが魔法を使えば。
そこで終わる。
「ヴィクターには、死亡時刻のアリバイがある」
セラが言った。
「王宮にいた」
「でも」
アレンはカップを指す。
「この殺し方なら、それはアリバイにならない」
セラが机から体を離す。
「ヴィクターが前もって触媒を入れた?」
「可能性です」
「いつ」
アレンは黙った。
そこはまだ分からない。
証拠もない。
だから断定しない。
ただ。
犯人が必要としたものは見えてきた。
魔脈触媒。
エルドの茶の習慣。
冷めれば必ず魔法を使うという知識。
そして。
事故死に見せかける理由。
「セラさん」
「何」
アレンは焦げた床の写真を見る。
魔力暴走。
誰が見ても、エルド自身の魔法だった。
それは間違っていない。
だからこそ、警備隊も事故だと思った。
犯人は直接魔法を撃っていない。
呪いをかけてもいない。
エルド自身の魔法が、エルドを殺した。
でも。
「僕たち、最初から一つ間違えてたのかもしれません」
「何を?」
「魔法で殺されたと思ってた」
アレンはカップを手に取らず、その横を指で示した。
「違う」
セラの目が細くなる。
アレンは言った。
「殺したのは魔法じゃない」
冷めた茶。
いつもの癖。
仕込まれた触媒。
そして、犯人のいない部屋。
「犯人は、エルドさんに魔法を使わせたんです」
お読みいただきありがとうございます。
偽造された可能性のある遺書。
焼却された黒革の研究帳。
そして、遺書の内容を知っていたヴィクター。
次話はいよいよ第一事件の解決編です。
エルド・バーレンは、なぜ殺されたのか。
ヴィクターは、どうやって完璧なアリバイを作ったのか。
これまで置いてきた伏線を、すべて回収します。




