スチュアートの独白
アイリスに自分が向けている感情の正体に気づいた時、彼女はすでに婚約者持ちだった。
つまり失恋だ。
柄にもなくへこんで、書類整理のミスを繰り返したため、レオとミハイルには生温かい視線を送られることになった。
だが仕方ない。ここで横恋慕などしてアイリスを困らせるようなことはしたくなかった。
彼女は真面目で貞淑だ。
王立学園と名がついていても、実態は結婚相手や愛人を探す場にしている貴族も少なくない。そんな浮ついた空気が周囲にあっても、彼女はいつも婚約者のエリオットだけを見ていた。
それが彼女の好ましいところだ。
悔しいが自分の出る幕はない。
彼女の幸せを遠くから祈るしかない、と腹を括った頃。
彼女の婚約者、エリオット・マーシャルに女の影があると気づいたのは、今から数か月前のことだ。
エリオットは派手な身なりではない。どちらかというと地味で目立たないタイプだ。そんな男が華やかで男好きのするイザベラ・フランクリンを横に連れて歩く姿を数度見かけることが増えた。
あまりに二人の雰囲気に釣りあいが取れず、初めは委員活動で一緒だから、見かけることが多いのかと思っていた。
しかし、疑惑が確信に変わったのは医務室で二人の声を立ち聞きしたときだ。
医師が不在であるのをいいことに、エリオットとイザベラは密会をしているようだった。
荒い息遣いとリップ音に混ざり、耳障りな二人の会話が耳に届いた。
「ねえ、相手は気づいてないの?」
「ん? 相手って?」
「言わせないでよ、アイリス・ウィンスレット! エリオットの婚約者でしょ、一応」
わざわざ一音ずつ句切って、ことさら強調するイザベラ。
それに対し、エリオットは吐き捨てるように嗤う。
「一応ね。本当に形だけだよ。つんと取り澄まして、可愛げがないんだ。全然触らせてくれないし」
「かわいそうなエリオット。ホント、男心のわからない女よね。私なら好きなひとに触ってもらいたいわ」
「ああ、イザベラ。キミみたいな素直で可愛い女に、もっと早く会いたかった」
「私たち、会うのが遅すぎたわ」
「いや、遅くなんてない。もう、僕はイザベラなしじゃいられないんだ」
ベッドが軋むたび、イザベラの悩まし気な息がもれる。
「どうせ、アイリスは真面目なだけの女だからね。男女のことなんて、わかるはずがない」
「やだぁ、それって女としては残念すぎっ」
二人の下品な笑い声と息遣い。
それを聞いているだけで吐き気がした。
正直アイリスを陰で蔑ろにするあの男に腸が煮えくり返っていた。
しかし、同時にあの男がアイリスを手放せば、彼女を口説くチャンスができるという仄暗い希望も芽生えた。
あんな浮ついた男には彼女を任せられない。
もし、ここで浮気を思いとどまったとしても、どうせまた同じことを繰り返すだろう。
一度婚姻してしまえば、貴族の離婚は容易ではない。
よっぽど暴力にまみれた結婚生活なら王立裁判所も動くが、正直不倫では難しい。
ほとんどの場合、王立裁判で夫婦生活の頻度など赤裸々な内情を晒したあげく、添い遂げなさいと結論づけられることが多い。
だから別れるなら、この婚約期間がチャンスだ。
そのため、アイリスには悪いが、そのまま彼らを泳がせておくことにした。
だんだん彼らは人目を忍ばずに逢瀬を重ねるようになっていく。エリオットが貢いでいるのか、イザベラの身なりはますます派手になっていった。
そうなればアイリスも気づかないはずがない。
見て見ぬふりを決め込んでいる彼女を見かけると、さすがのスチュアートも心が痛んだ。
友人の前では憂いを隠し、作り笑顔を張り付けている。
そんな健気さを見かけるたび、抱きしめたくなった。
しかし、ここで自分がアイリスに迫れば計画が水の泡だ。彼女はあくまでも浮気された被害者であり、自身も当てつけのように他の男に走ったと思われてはならない。
そして迎えたのが、あの運命の夜会だ。
エリオットたちはやはり人々が集まりだしたあたりから、二人でイチャつき出していた。
厚顔無恥なりに、公式の場では遠慮していたようだが、その夜は違った。
「ねえ、ようやく今晩あの女と別れてくれるんでしょう?」
「ああ、そのつもりだよ。これでようやく僕たち一緒にいられる」
「嬉しい。これで私たちやっと堂々とできるわね。ね、皆の前で言ってくれるんでしょう?」
「え? あー……うん。やっぱり皆の前で言った方がいい?」
「だって、私ずっと今まで日陰ものだったのよ? 愛してるのはアイリスじゃなくてイザベラなんだって、皆の前で言ってほしいの」
「うーん、わ、わかったよ」
彼らは、観衆の前で公開婚約破棄をするつもりらしい。マウントを取りたい浅ましい女の考えそうなことだ。自分は選ばれた女なのだと誇示したいのだろう。
エリオットは強く出られないのか、曖昧な返事で濁した。
なんと情けない男であることか。
愛人の言いなりだ。
このままではアイリスは夜会で晒しものだ。
私はアイリスが欲しいのであって、いたずらに傷つけたいわけではない。
それに、彼女がフリーになることを知らしめたくない。
他の男に奪われないよう牽制しておきたかった。
だから、あの男に声をかけたのだ。
「失礼。さしでがましいと思いましたが、大事な話は人前を避けてした方が……あなたの男として株が上がると思いますよ」
「え?」
廊下でエリオットが一人でいるところを見はからって声をかけた。
突然スチュアートに声をかけられ、エリオットはあからさまに困惑していた。
当然か。今まで業務での関りは皆無なのだから。
「すみません、イザベラ嬢と親密な様子を見てしまいまして」
そう声をひそめると、エリオットは目を見開いた。自分たちの計画を知られたと思ったのだろう。明らかに焦っていた。
小心者の男らしい。
それと、とスチュアートは続ける。
「今夜は王太子殿下の婚約者お披露目の会でもあります。なにとぞご配慮いただけますよう、お願い申し上げます」
側近のスチュアートが近づいて来る、自然な理由を見せた。
その上、エリオットがイザベラのお願いを聞かずに済む言い訳も用意してやった。
いいとこどりして自尊心を満たそうとする器の男だ。矢面に立つことなど、できれば避けたいことだろう。
学生時代からここまで愛人関係を続けてきたのも、もしかしたら婚約破棄をアイリスから言い出して欲しい、と思っていたのではないかと勘繰りたくなる。
いずれにせよ、小さい男だ。
「そ、そうですね。ぼ、私も紳士として王太子殿下に祝福申し上げます」
「それでは、そのようにお願いいたします」
目を細めて通り過ぎる際、スチュアートは蔑む視線を向けた。
ホッとした様子の暗愚な男にはわからなかったようだが。
馬鹿が。
何が紳士だ。
ひとりの女性を大事にできない男が、体裁だけ取り繕うな。
そう言いたかったが、呑み込んだ。
この男がアイリスを手放してくれれば、そのときこそ彼女を護る好機だ。
我ながら浅ましいが、それが正直な気持ちだった。
自分は理性的な人間だと思っていたが、案外直情的らしい。
人払いをしたあとは、控室の脇であの男の別れ話が終わるのを待った。
涙ぐんでいるアイリスに、もう二度とそんな顔はさせまい、と誓う。
この先彼女の手を取るのは自分だとばかりに、スチュアートは彼女をエスコートを申し込んだ。




