悪友の揶揄い
スチュアート視点です。
前作「偽装恋人のはずが、腹黒王太子に捕まりました」のエピソードにも触れていますが、読まなくても大丈夫です。
スチュアートがゲストルームに入ったとき、そこはもうすでにもぬけの殻になっていた。
母とレイチェルに辞職の挨拶をして、アイリスは屋敷を出ていったのだという。
レイチェルに涙ながらの抗議を受けて、慌ててアイリスの部屋を訪れると、テーブルの上に彼女の置手紙が残っていた。
中身はスチュアートへの感謝が綴られていただけ。
出ていく理由については、何も記されていなかった。
真っ先に浮かんだのは、あの夜彼女にキスを迫ってしまったことだ。
計画的だったわけではない。彼女を口説くつもりはあっても、強引にモノにしようと思っていたわけではない。
あんな婚約破棄のあとだ。
男に対して懐疑的になるのは当然。心の傷が癒えるのをそばで待つつもりだった。
だから、あれはほんの悪戯心。ちょっと揶揄ってみたかっただけだ。
膝に座らせたら、取り澄ました彼女が焦って表情をころころ変えるから。
それがあまりに可愛くて。
愛しくて……男心が疼いた。
顔を近づけたら、唇の代わりにに焼き菓子を入れ込まれてしまったけれど。
あのときのアイリスは、怯えでも嫌悪でもなく見えた。 だが、それは私の都合のいい勝手な解釈だったのだろうか。
アイリスが私のことを苦手にしていたことは知っていた。
そんな男に迫られて、本気で嫌なら気持ちを押し隠すはずがない。
だが、彼女はどうしたらいいのかわからない様子で顔を真っ赤にしていた。
あのとき、彼女も自分のことを憎からず思ってくれていると、思ったのは私の勘違いだったのか。
レイチェルは姉のように慕っていたアイリスがいなくなり、悲嘆に暮れている。
だが、歳の離れた妹に、逃げられたのはキスを迫ったせいかもしれない、なんて言えない。
妹に泣きつかれ、「彼女に直接話をしに行くと」返事をしたはいいものの。
やれ隣国の王子の外遊だの、やれ関税トラブルだの、早急の対応が必要な案件に阻まれた。まだ自分は宰相補佐という立場であるものの、王宮は問題の山積みに右往左往している。
若輩ものの自分たちも駆りだされることになり、未だウィンスレット家を訪ねることが叶わない。
「どうしてこうなる」
気づけば、頭を掻いて独り言ちていた。
向かいに座っているミハイルがこらえきれず吹き出す。
彼も一緒に執務室にこもりながら、書類作業に追われているが、スチュアートの様子に耐えられなくなったらしい。
からからと笑い声をあげている。
「大事に囲っていたはずなのに、逃げられちゃったもんなぁ。カナリアちゃんに」
その揶揄するような口ぶりに、スチュアートは思わず眉根を寄せた。
あれこれと仕事が立て込み、王太子であるレオポルドのみならずその側近であるスチュアートとミハイルも王宮に缶詰めになっていた。
その間だ。アイリスがモンタギュー家を出て行ったのは。
母もレイチェルも、彼女を説得したが家庭教師を辞めたいという彼女の意思は変わらなかったという。荷物を取りに、一時帰宅した際、初めてことの顛末を聞いたが、どうしてもすぐ動くことは叶わなかった。
外遊してくる他国の王族の受け入れ、護衛の確保などやることは山積みだ。隣国が絡むとなると、適当に流すわけにはいかない。国際問題にでもなれば、両国が緊迫状態になることも大げさではない。
その状態で公務そっちのけなど、もってのほか。誰もが寝食すらも満足に取れていない状況だ。
私用に費やす時間などあるはずもなかった。
それがこんなに長引くとは。
アイリスを追いかけたくとも山積みの公務に足止めされている。
いきなり自分のそばから逃げ出した理由を彼女に直接問いただしたいのに。
その苛立ちは、そのまま職務に反映された。いつも以上にスピーディ、かつ厳しいチェックに担当議員たちは震え上がっていた。
それを見守り、もとい観察していたミハイルは、ついに限界に来て吹き出したというわけだ。
「なんでもそつなくこなすスチュアートが、女のことで下手踏むなんてね」
ミハイルはさもおかしくてたまらない、と言った様子で資料を振り分けている。
その様子にスチュアートはますます眉間に皺をよせた。
「うるさい」
「くくく。じっくり口説こうとして囲ってたのに、まさか逃げられるとはな。爪が甘かったんじゃないか?」
レオポルドまで会話に加わってくる。
まるで自分は違うとでも言いたげだ。
自分は目をつけた女性に自分が惚れてる自覚もなかったくせによく言う。
公然プロポーズで相手を逃げられないようにした結果、手に入れられただけだろうに。
正直夜会で見ていたこっちは、強引なやり口に頭を抱えたものだ。
正直「お前に言われたくない」と言ってやりたい。
いや、後で言う。
まずは、目の前の仕事を片づけることだ。それができなければアイリスに会いに行くこともできない。
そんなこっちの必死さを知ってか知らずか、こいつらの会話は続いた。
「口説くって、まさか惚れた女相手に仏頂面で正論ばっかり聞かせていたんじゃないよね」
「それで監禁されたら恐怖だな」
「そら逃げるわ」
調子づいてゲラゲラ笑うミハイルとレオポルド。
悪友二人の揶揄いが実に腹立たしい。こっちには遊んでいる暇も余裕もないというのに。
「やかましい。無駄口たたいていないでさっさと仕事をしろ」
「やだ、怒られちゃった~」
「スチュアートくん、こわーい」
ますます面白がる二人に、スチュアートはさらに青筋をたてた。
散々笑っていたレオポルドは、涙を浮かべて眦を拭いながら、ようやく呼吸を整え始める。
そして、声音を変えてスチュアートに視線をやった。
「とはいえ、急いだほうがいいんじゃないか?」
「あん?」
わかりきっていることを指摘され、スチュアートの声はますます低くなる。
「お前、侯爵令息らしからぬ顔つきだぞ」
「うるさい。だいたいお前が隣国の外遊を引き受けたりするから、こんなことになるんだろう」
「仕方ないじゃないか。外交も王太子の仕事なんだよ」
「それにしても時期ってものがあるだろう。お前半年後に自分の結婚式もあるんだぞ。おかげでやることが山積みだ」
そう、半年後にはレオポルドの結婚式が控えている。もちろんそれも諸外国の要人の出席があるため、その対応も必要になってくる。
そもそも王族の結婚は婚約から二年ほど要することもおかしくないというのに、レオポルドの我が儘で半年という殺人スケジュールでことが進んでいる。
そこへ隣国の王族が外遊に来ることが決定したのだから、国中がてんてこ舞いになるのは当然だ。
そのせいでアイリスが実家に帰ることを止めることができなかった。
自分の傍から離すつもりなんてなかったのに。
王太子を遠慮なく詰ることができるのは、ここに自分たち三人しかいないからだ。
他の議員がいない状況では、ただの幼馴染三人組に戻る。
レオポルドはニヤニヤと口角を上げた。
「いいのか? 僕にそんなこと言って」
「レオに軽口きくなんて今に始まったことじゃないだろう」
そう、いつものことだ。
対外的には王太子としてレオポルドを尊重し、仕えている。が、三人だけになったら別だ。
そんなことは昔から。それがなんだと言うんだ。
ただでさえ機嫌の悪いスチュアートは、そのもったいぶった言い方に苛立った。
その反応すら楽しむように、レオポルドは続ける。
「お前、僕の妻になるひとは誰だと思ってる? お前が大事に囲ってたカナリア。どうやら他の男の巣に行くようだぞ」
「は?」
「住み込みで男爵家の家庭教師になるそうだ」
スチュアートは何を言われたのか、最初わからなかった。ただ瞠目するだけで、印を捺す手は止まったまま。
母国語で言われているはずのレオポルドの言っている言葉が理解できない。
いや、理解したくなかった。
レオポルドの婚約者であるロゼッタ嬢は、アイリスの学友だ。王立学園の頃からの友人である彼女なら、アイリスから話を聞いていてもおかしくない。だが、それにしても、男爵家に行くってなんのことだ。
しかも住み込み?
他の男の住む家に?
アイリスが?
情報が一度に入り込んだことで、スチュアートの頭はバグを起こしそうだ。
何がどうしてそうなってる。
混乱したまま、石像のように固まるスチュアートに、今度はミハイルが付け足した。
「そりゃ大変だ。その家の主人が好色でないといいな」
「――っ」
ミハイルのその無遠慮な言葉は、スチュアートの導火線に火をつけるのに時間がかからなかった。
スチュアートが咄嗟に立ちあがると、デスク上に重ねられていた書類の束が消える。
それらはいつの間にか、ミハイルの手につかまれている。彼はそのままスチュアートの顔を見ることなく、ひらひらと書類をはためかせた。
「この借りは高くつくぞ~」
「すまない、あとは頼む」
スチュアートは部屋を飛びだした。




