真実 5
山の中に立てられた異質な建物。その化学工場では新薬の研究がされている。表向きはそういうことになっていたが、実際はヒトのクローン製造、臓器売買といった恐ろしいことが行われていた。
その日、美月はいつも通り車で送り届けられた。違うのはいつも付き添っている真田の運転ではなかったこと。
美月はこの工場が嫌いだった。ただ、真田が居たから我慢ができた。
心細い少女を大人は強引に手を引き、中へ連れ込む。
真っ直ぐ伸びる白い廊下。薬品の匂い、清潔な白、冷静な空気、それはどこか病院と似ていた。
いつも連れて行かれる部屋ではなく、応接室のような部屋へ連れて行かれる美月。
男は美月にソファーに座るよう指示した。
一度廊下に出た男。誰かと話しているが美月には内容が解らなかった。
部屋に戻ってきた男の手には缶ジュースが握られていた。そして当たり前のようにジュースは美月に手渡された。
「これを飲んで待っていなさい」
男の冷たい言葉に美月は怯えながら頷いた。
男がまた部屋を去る。今度は話し声はしなかった。
美月は言われた通り口の開いた缶ジュースを飲んだ。ひとくち、もうひとくち、ゆっくりジュースを飲んでいく。
ジュースを飲むごとに眠くなる。うとうとし始めた美月。
廊下の外では黒服の男が三人、ドアに耳をたて部屋の音を聴いていた。
「何してるんですか? 」
そこに現れたのは真田だった。
ガタンッ――。
床に何かが落ちる音がした。
三人の男たちが急いで部屋に入る。真田はそれを追った。
床にはジュースの缶が落ちている。そして美月はソファーの上で眠っていた。
その様子を見て、真田は男たちが美月にしたことに気付いた。
真田の気配に男の一人が慌てて美月を抱き上げる。
その美月に近づこうとする真田を残りの二人が必死に阻止してきた。
美月を連れた男は部屋を出ていく。真田は二人を振り払い廊下を駆け抜けていく男を追った。
逃げても逃げても追ってくる真田に対し体力が奪われていく男。
男はついに足をもつれさせ転倒する。真田はその隙に力ずくで美月を奪った。
「……もう、そのガキは必要ねーんだよ……健康なんだし……色々高く売れるだろ……」
しゃがんだまま息絶え絶えに言う男。
「この子はダメだ。ちゃんとした人間なんだ。そんなことしたら殺人になってしまう」
真田は美月を優しく抱きかかえている。
「お前、オレらの仲間だよな……何を今更……」
「今更じゃない、オレはずっとここが嫌で仕方なかった」
「だったら何で……? 」
「あの人には……」
真田が何か言おうとしたそのとき、真田と男を捜していた残りの二人が目の前に迫ってきた。
真田はとっさにスーツの内ポケットからある物を取り出した。
一瞬銃と勘違いした男たちが後退る。
注射器。真田はそれを手にしていた。
「お前、それ……」
針をむき出しにする真田。
「安心してください。あなたたちには刺しませんよ」
「どうする気だ? 」
真田はその質問には答えず、針を白くて柔らかな肌に刺した。
そう、針は美月に刺された。そして薬品が押し込まれる。
「それ何だよ。お前、何してるんだよ」
「何かあったとき、こうするって決めてました。染色体に異常をもたらす薬です」
打ち終わった注射器を床に捨てる真田。
「なんだと……」
「もうこの子は健康じゃない……。だから、売れない」
そう言い残し、美月を抱えた真田は三人の前から走り去った。
しばし呆然とする男たち。
「あいつ、適当なこと言いやがって……」
「どうする? 」
注射器を拾って男は叫んだ。
「追え! 深青園だ! 」
そしてそれから十五年が経ち、美月は陽太の家でその真実を覚えている範囲で語るのだった。
美月の話はやはり食事中に聴くものではなかった。
力も陽太も必然的に手の動きが止まっていた。
「意識がもうろうとしてたから、ハッキリ覚えてる訳じゃないけど」
卵サンドに手を伸ばす美月。
「もうろうって、変な薬打たれたんじゃないのか? 」力が問う。
「たぶんジュースに睡眠薬が入ってたんじゃないかな」陽太は推理する。
「私もそう思う。あの人たちは私の臓器を売るつもりだった」
「それを、お父さんが助けてくれたって訳か……」
頷く美月。
「そのお父さんって真田って人なんだろ。何者なんだ? 佐伯の組織の一員ってことは悪い奴に荷担してたってことだろ」
力は腕を組みながら謎を追究する。
「注射か……」陽太も首を傾げた。
「ノートの続きに何か書いてあるかもよ」
美月にそう言われ、三人はまず食事を済ますことに集中。
しかし、腹の皮が突っ張れば目の皮がたるむというのはまさしくその通りで、眠気に襲われた三人は昼寝休憩へ突入した。
力は横になったとたんガーガーとイビキをたてている。
美月は胎児のように丸まっていた。
その様子を見て陽太は懐かしさを感じた。そして夢をみた。深青園の頃の幸せな夢だった。
どうか、美月がこの先も幸せでいられますように。
そんな気持ちを込めて、陽太は再びノートをめくるのだった。
「……引っ越してすぐは真田くんが色々手配をしてくれた。役所関係のことだったり、家のことだったり。美月に会いたかったが口には出来なかった。もう少し落ち着いたら会えるかもしれない。真田くんには感謝してもしきれない。でも、そんな彼が何故あの組織にいたのか気になって聞いてみた。真田くんは話してくれた。彼は幼いときに親に虐待を受けていた。そんな彼を救い、育ててくれたのが佐伯だという。当時はまだ普通の外科医だったらしい。佐伯は元々再生医療に興味があり遺伝子などを研究していて、その延長線上でクローン開発発起人の一人になっていったという。妻の死後、人が変わってしまったようだ。妻のクローンを作るためには手段を選ばなかった。とっくに成人していた真田くんだったが自分を育ててくれた佐伯に恩義が有り、悪いことをしていると解っていても離れらなかったという。でも美月たち深青園の子供と自分が重なって見えて辛かったと話していた。
引っ越して一ヶ月が経った。何もしてないと時が進むのが早い。外にはほとんど出ていない。回覧を回すくらいの近所づきあいだ。組織の人間がまだ私たちを狙っているかもしれないので仕方ない。先日、真田くんが一人で結婚の報告に来てくれた。正直なところ美月に会えるかと期待したが叶わなかった。奥さんは美月を本当の娘のように愛してくれているらしい。そして真田くんから金が渡された。ご祝儀を渡すのは私たちの方だと突き返したが、私たちをこんなことにさせたのは自分たちのせいだからと泣いて訴えてくるので受け取らずにはいかなかった。事実、仕事をしてないので金には困っていた。真田くんは私たちが年金を貰うまで毎月通うと言ってくれた。その言葉に甘えてしまった私はダメな人間だろうか。青空を失い、美月も陽太も失った。毎月真田くんの顔が見られるのなら、そういうことにしておきたかった。ただ美月の様子だけ気になった。何らかの障害を持つ可能性という言葉が忘れられない。真田くんは問題はないと言っていた。美月には記憶の浄化が必要で、今は普通の家族として普通に生活することが大事なのだと。だから我々には会わせられないのだと言っていた。
陽太がどこかの家族に引き取られたらしい。陽太ならきっと上手くやっていける。幸せを遠くから願っている。
町内の盆踊りに行ってみた。子供たちを見るのは久しぶりだ。美月たちも大きくなったことだろう。
美月はもう私たちのことなど忘れてしまっただろうか。真田くんに聞きたいが聞くのも怖い。
今日は青空の命日。真田くんに頼んで墓まで連れていってもらった。墓に手を合わせ、私は青空に謝罪した。バカな親で申し訳なかったと。
青空、美月、陽太、力、私たちの大切な子供。
妻が手首を切った。幸い命には別状はなかった。ただ、ずっと子供たちの名前を呼んで泣いている。
ここへ来て何年経っただろう。深青園は今もあのまま残っているのだろうか。
もう、限界なのかもしれない。
このノートは佐伯に裏切られたときのために真実の記録として残しておくという趣旨で書き始めた。それがいつの間にか育児日記へと変わり、今、遺書へと変わろうとしている。青空を失ってから私はずっと孤独だった。妻も同じだ。深青園での出来事は今となっては幻でしかない。青空のクローンを作ろうとした私たちに天罰が下ったのだ。真田くんには感謝している。でも、もう生きていることが辛い。青空のそばへ行きたい。命を粗末にすることをどうか許してくれ。このノートは屋敷のどこかへ隠そうと思う。いつか誰かが見つけてくれれば嬉しい。家が取り壊されたらおしまいか。でも私はどこかで期待している。いつか、あの子たちが私たちを探してくれることを。
美月、陽太、力、ありがとう。お前たちの幸せを祈っている……」
ノートの最後には深青園の住所が書かれていた。
陽太はテーブルにそのページを開いて置く。しかし、それを覗くものはいなかった。
美月も力も俯いたまま涙を流していた。勿論、陽太自身も。
「なんだよ園長。オレの名前まで……なんで……」力が腕で涙を拭う。
「ホント、愛されてたんだなオレたち……会いたかったな」
陽太は立ち上がると窓のそばまで歩いていった。
唯一、美月だけが何も話すことなく涙を流し続けた。
窓の外はとっくに暗くなっていた。
「力くん、明日は仕事? 」
カーテンを閉めながら陽太が問う。
「ああ」
「悪かったね。休みの日に無理矢理付き合わせちゃって」
「そんなことないよ。こんな大事な……」
言葉に詰まった力は陽太に頭を下げた。
そんな中、突然美月が口を開いた。
「行って見よう。深青園」
ノートはいつの間にか美月の手のひらに移動していた。
「行くって、その住所の場所に……? 」陽太がゆっくり振り返る。
「うん。確かめたい」
「何を確かめるんだよ? 」力が詰め寄る。
「……桜の木の下。本当にクローンの残骸が埋まってるのか」
ごくりと唾を飲む陽太。一瞬、時が止まった。
「そんなこと調べてどうするんだよ。美月が苦しむだけだろ」
声が大きくなる力。陽太は心の中で力と同じことを叫んでいた。
「もし残骸があったら、このノートと一緒に警察に出す」
美月は誰の顔も見ないでノートだけを見つめていた。
「そんなことしたら、美月がマスコミの標的になるぞ。クローン人間って呼ばれるんだぞ」
「力くんっ」美月に攻め寄る力の肩を掴み阻止する陽太。
立ち上がった美月は珍しく声を張った。
「二人はいいの? こんな悲惨な出来事がなかったことになるんだよ。園長たちもお父さんも私たちを守ってくれたのに、何もしなくていいの? 」
美月の目には涙が浮かんでいた。
陽太だってノートの内容を知った今、それが現実なのか調べたいという思いはあった。しかし、美月のことを考えるとそれも出来ないような気持ちになっていた。
「まずは……みんな、座ろう」
陽太に促され静かに席に戻る三人。
「オレはただ美月が心配なだけで……」俯いたまま呟く力。
「わかるよ。オレも同じだから」
「私は平気だよ」
「美月の気持ちも解る。でも、これは簡単な事件じゃない。国が関わってくるようなことなんだ」
「それでも、このままじゃ……」
陽太はテーブルに置かれた美月の手を取った。
「慎重に行動するんだ。何かあったらオレや力くんの親も心配する。だから警察とかは後回しにして、まず、深青園があった場所に行ってみよう」
陽太はとてもゆっくりと、そして二人の目を繰り返し見ながらそう言った。
「まあ、行くだけだったらな」力が頷く。
「美月、それでいい? 」
握られた手を見ながら、美月は「うん」と頭を立てに振った。
それを見て力が優しく微笑む。陽太も安堵の表情を浮かべた。
「長野なら新幹線であっという間だな」
ポケットからスマートフォンを取り出して電車の時刻を調べる力。
「あー、オレは夜行バスがいいかな」
「何でわざわざバス? 時間かかるだろ」
「ほら、オレと美月って高速使って車でこっち来たわけだろ。だから、車で戻りたいなって。力くんは新幹線だろうから、新幹線でいいけど」
「なんだよ。オレだけハブるのか~」
「いや、一緒がいいなら……ねえ……」
ふいに問いかけられ、美月はクスクスと笑った。
「力くん、子供みたい」
美月の笑顔を見て、陽太はこの笑顔を守りたいと思った。園長たちや真田という美月の父が守ってきたように愛を持って、一生この笑顔を守りたいと思ったのと同時に美月への想いに気が付いた。
「じゃあ、またな。ちゃんと連絡よこせよ」
夕飯に卵かけご飯を三杯も食べて力は帰っていった。
深青園への旅はきちんと予定を立てて都合のいい日を見つけようということになった。
「さて、明日はちゃんと会社行かなきゃだな」
シャワーの後、ノンアルコール缶ビールを片手に次の日の支度をする陽太。
ドライヤーをしてもまだ若干髪が湿ったままの美月は紙パックのコーヒー牛乳を飲んでいた。
「ねえ、陽太くん」
「何? 」
「私って気持ち悪いかな? 」
「なんで? 」
「……お風呂の鏡見て思ったの。私と全く同じ顔で同じ身体で同じ細胞を持った人がこの世にいたんだよ。蝋人形でも似すぎてて気持ち悪いのとかあるのに、私は……クローンって……なんか、他人から見たら……」
言葉を振るわせながら喋る美月を見て、陽太の中にあった一本の線が切れた。
床に広がるノンアルコールビールと転がる缶、そしてコーヒー牛乳のパック。
陽太は美月を抱きしめていた。
それは今までの優しいハグではなく、肌と肌が濃密に触れあう力強いものだった。
「気持ち悪くない! 美月はひとりだよ……オレの好きな美月はお前だけだから」
高ぶる感情が溢れる瞬間。
「……陽太くん」
腕の中で涙を流す美月に陽太は強引に唇を重ねる。
美月は驚いて少し抵抗したが、いつの間にか彼に身を委ねていた。
同じベッドで過ごす長い夜。二人は昔の約束を思い出していた。
『わたし、大きくなったら陽太くんのお嫁さんになる』
『ぼくも、美月と結婚する! 』




