未知 1
たかが二日休んだだけなのに何故だか職場が懐かしく感じる。
昼食に菓子パンをかじって、マットの上で大の字になる陽太。
倉庫の隅にひとりなので気兼ねなく目を閉じて休める。――はずだった。
「まだ具合悪いの? 」
心配そうな声に目を覚ます陽太。飛び込んできたのは佳保の姿だった。
「午前中ずっとだるそうだったけど、大丈夫? 」
「ああ……はい……」と起き上がる陽太。
ただの寝不足だなんて死んでも言えなかった。
「そっか。ならいいんだけど」
そう言い残して去って行く佳保の背中が寂しく見えて、陽太は「浅沼さん! 」と彼女を呼び止めた。
「……少し、話を……ああ、隣、どうぞ」
片言の日本語に思わず笑みを浮かべる佳保は「それでは、おじゃまします」と陽太と少し距離を置いてマットに座った。
「この間は失礼しました。冷たいこと言ってしまって」
「いいのよ。あれは私が悪いんだから。勝手に好きになって、勝手に色々知りたくなっちゃって、ホントごめんなさい」
陽太はどんな言葉を返せばいいか解らなくなった。ただ、もやもやした何かに縛られているようで気持ちが悪かった。
「安心して、もうプライベートなことは聞かないから」
無理矢理作った笑顔が陽太の胸に刺さった。
愛の告白を受けたにも関わらず、嘘をつき、冷たく突き放して謝罪までさせる。
陽太は自分が自分で許せなくなった。美月を守るためなら何をしてもいい訳じゃないことに今更気付く。
「浅沼さん、オレね……オレ、自分の本当の親知らないんです」
「えっ? 」
「養護施設で育ったから。美月も同じ施設で育って、六歳のときに離ればなれになったんだけど、今年の夏に例の公園で偶然再会して……」
佳保は呼吸を止めて目を見開いた。
「その、美月の今の親が美月に暴行してること知って、オレ、あいつを家に住ませることにしたんです。オレが勝手に美月を連れ出したんですけど……。だから、服とかもなくて浅沼さんにお願いして……」
「ごめんなさい! 」
佳保は大きな声でそう言い、マットの上で陽太に土下座した。
「や、やめてくださいよっ! 」佳保の肩を必死に起そうとする陽太。
「私、何にも知らなかったのに色々疑ったりして……」
起き上がった彼女は口を手でふさいで涙をこぼしていた。
「オレが嘘ついていたのが悪かったんです。ちゃんと本当のこと説明してなかったから」
「でも、知られたくない過去があるって言ってたじゃない。なのに、私が無理に……」
佳保はしばらく泣いていた。陽太も無理に声は掛けなかった。
傷付けたいわけじゃないのに、傷付けてしまう。優しさだったはずの嘘で何人の人を苦しませたのか、陽太は考えていた。佳保が初めて家に来たとき、とっさに従兄弟を装った美月。きっと美月も苦しんだに違いない。もう、嘘は嫌だと思った陽太は自ら語り始めた。
「でも、美月のことを愛しているのは事実です。愛っていったら重いかもしれないけど、美月はたいせつな存在なんです。再会したときは、そうでもなかったけど、一緒に暮らしていくうちに好きになっていました。だから、浅沼さんの気持ちは嬉しいけど……ごめんなさい」
佳保はゆっくり顔を上げて首を振った。
「私はいいの。周防くんの気持ちが聞けて良かった」
そして腕で涙をぬぐう佳保。
「これからも、いい先輩でいてくれますか? 」
陽太はそっと手を差し出した。
「うん。寿退職するまでわね」
優しく手を握る佳保。
「寿退職か~」
「周防くんが後悔するほど美人になってイケメンのお金持ちと結婚してやるわ」
笑いながら握手を交わす二人だった。
気持ちが楽になった陽太は仕事を終えると真っ直ぐ愛する美月の待つ自宅に帰った。
幸せとはこういうことかと実感しながらインターホンを押す。
「ただいま」
その一言で鍵のかかっていたドアが開いた。
「おかえりなさい」エプロン姿の美月が笑顔で出迎えた。
数ヶ月前までは目を合わせることも難しかったのに、今では深青園にいたときと同じような明るい笑顔で話しかけてくれる美月。ずっと、こんな生活が続けばいいと思う陽太だった。
「今日はね色々したんだよ」
「色々? 」
「たくさん洗濯して、大掃除もして、美容院のお兄さんにも謝りに行ったの」
「美容院……? ああ、あの時の」
「私、失礼なことしちゃったから。ついでに毛先も整えてもらった」
「もう平気なの? 」美月の髪を触りながら問う陽太。
「こんな言い方だと他人事みたいだけど、あの時はハサミが怖かったんだと思う。刃物を見るとあの工場で見たことが蘇ってパニックになって自我を失っていた気がする。だからリストカットとか気付かないうちにしちゃってて」
「もう、それは治ったの? 」
「解らない。でも、今は刃物を見ても普通でいられるよ」
美月は笑った。
「やっぱ、真実を知るって大事だったんだな……」
キレイに片付けられた部屋を見て回っていた陽太。髪の毛一本落ちてないほど完璧に掃除されていた。
物も整頓されており生活感のないモデルハウスのようだ。開けっ放しの和室にはノートの入ったトートバッグ以外、物が一つもなかった。
「あれ、美月の荷物は? 」
「段ボールに入れて押し入れにしまったの。なんかみっともないから」
「そっか、収納なかったもんな。今度タンスとか見に行こうか、通販でもいいし」
「うん。ありがとう」
素敵な新婚生活が始まるような会話だ。
しかし、美月が次に放った言葉は意外なものだった。
「陽太くん……」
「何? 」
「お母さんに会いに行っちゃダメかな? 」
美月には母親がいない。つまり、このお母さんと呼ばれる人物はあのアパートで美月をおもちゃにしていた男と一緒に暮らしていた女のことだ。
陽太の頭を派手な服と赤いハイヒールが横切る。
「どうして急に? 」優しく問いかける陽太。
「あのノート、お母さんにも見せてあげたいの。お父さんのことが書いてあるから」
美月は真剣な眼差しで陽太の服を掴んだ。
「お母さんは、美月の……あの、本当のこと知っているのか? 」
「解らない。でも知られてもいい。お母さんはずっとお父さんを愛していたから、知らないなら教えてあげたい」
美月の思いの強さがその手から陽太に伝わっていた。
「美月は大丈夫なの? 」
「私は平気。変な目で見られても構わない」
「どうして? 」
「私には陽太くんがいるから。陽太くんがいれば何も怖くないよ」
熱くなる陽太の胸。涙さえ浮かんでくる。返す言葉が見つからず、目の前にある美月の額に口づけた。
「じゃあ、今から行くか」
「今から? 」それには驚きを見せる美月。
「思い立ったが吉日って言うじゃん。考えが変わらないうちにさ」
「でも、お母さん居るかな? 」
「この時間ならまだ間に合うと思うよ」と陽太は時計を見た。
美月は陽太が何故そんなことを知っているのか疑問に思った。
「……あの男もいるかもしれないけど、どうする? 」
一番に心配すべきはそれであった。あの日以来、二人はあの場所を訪れていない。
「大丈夫。あの頃とは違うから」
それがどういう意味なのかは解らなかったが、美月は力強い目つきでそう語った。
「じゃあ、急ごう」
陽太は財布とスマートフォンをつなぎのポケットに入れ鍵を握った。美月はあらかじめ用意してあったように見えるトートバッグを肩からさげた。
玄関でスニーカーを履いた陽太はふと部屋を振り返る。
「どうしたの? 」先に出ていた美月が尋ねた。
「いや、ずいぶんキレイに片付けたなと思って……」
二人が外に出ると、ドアがパタンと小さな音で閉じた。それは、なんだかとても寂しい音色だった。
日が長くなったなと思いながら歩く道。二人は手を繋いでいたが会話はあまりなかった。互いの緊張が手を通して伝わってくる。
アパートまではあっという間だった。
通い続けた公園を懐かしく感じる。こんな都会外れの小さな公園で美月と再会したことは、もはや偶然ではなく運命だったに違いない。陽太は思った。
何もない公園から見上げる古いアパート。ここから美月を連れ出したことが昨日のことのように思える。
美月も特別な何かを見るような眼差しでアパートを見上げていた。
「行こうか。時間もないし」
「うん」
陽太は美月の背中を優しく押す。
カンカンと音が鳴る錆びた階段を一歩一歩出来るだけゆっくり上った。
部屋まではあと少し。唇を噛みしめ、気合いを入れ直す二人。握っていた手は汗をかいていた。
「取りあえず、部屋の前まで行ってみよう。そこで立ち聞きして、美月のお母さんの声がしたら外から声をかけてみよう」
陽太の案に頷く美月。
二人はまたゆっくりと歩みを進め、ついにあの部屋の前までやってきた。
初めてここに来たときを思い出す陽太。あの日もこんな風に身を隠しながら緊張していた。
同じ部屋、同じ木製のドア、ただ一つだけ違うところがあった。
曇りガラスの窓は閉じられていた。季節が変わったのだから当然といえるのだが、陽太は少しがっかり
した。
あの日と同じように窓の下にしゃがみ込んで様子をうかがう。陽太はそっとドアに耳をあてた。
「どう? 」小声で尋ねる美月。しばらくして陽太は首を横に振った。
部屋から声は聞こえない。だが、部屋に人が居ないとも限らない。ひとりでいるなら会話をする必要がないからだ。二人居たとしても会話をしていなければ何も聞こえない。そんな当たり前のことに今更気付いた陽太は深いため息をついた。
そんな陽太の姿を見て、美月はある案を思いついた。
「陽太くん、スマホ貸して」囁く美月。
「何で? 」
「お母さんに電話してみる。番号覚えてるから」
「そうなのか……? 」陽太は思わず大きな声を出しそうになり、慌てて口をふさいだ。
だったら最初からアポを取ってくれればよかったのにと思ったが、それどころじゃなかったであろう美月の気持ちを考えて口には出さなかった。
手渡したスマートフォンの電話機能で数字を打ち込む美月。そして指の動きが止まる。
部屋の中から音楽が聞こえた。
見開いた目を合わせる二人。
「はい……」
その声は部屋の中と陽太のスマートフォンの両方から聞こえた。
「……お……かあさん……? 」美月はスマートフォンを耳にあてる。
「……美月? 」
陽太は再度ドアに耳をあてる。
「今、家にいるの? あの人はそこにいる? 」
「……家にいるわよ。あいつはいないけど。それよりあんた……」
美月は母の話を最後まで聞かず、陽太にスマートフォンを返して立ち上がった。そしてドアノブに手を掛ける。
「美月っ」陽太がドアの前から避けると、彼女はいきなりドアを全開にした。
部屋の中にいた女性は驚きを隠せない状態で立ち尽くしていた。
陽太が以前見たケバケバしいメイクはしておらず、すっぴんで髪を一本に束ね、薄ピンクのスエットを着た女性は目の前に現れた美月を見て戸惑っていた。
「おか……さん……。あのね……」美月も動揺している。
「美月……あんた、今まで……」
「あのね、今までね……」
「美月、取りあえず中に入って順番にゆっくり話そう」陽太は美月の背中を支えるように部屋に入れた。
「ダメ! 」
美月の母とされる女性は急に大声を出した。
それに驚く二人。
「何で? 」美月がそう言ったときだった。陽太は背中に強い衝撃を受けた。
誰かに蹴られている。部屋の中に倒され、四つん這いになりながら振り返る陽太。
そこには、忘れもしないあの男の姿があった。
「会いたかったよ兄ちゃん」男は手に持っていたコンビニ袋を投げ捨て、陽太に襲いかかってくる。
なんとか立ち上がり逃げる陽太。「美月、逃げろ! 」と声を上げるが、美月は男の前に立ちふさがり「やめて! 」と声を荒げた。
「なんだお前、生きてたのか。よくもオレに恥かかせやがって……」鋭い目つきの男は美月を片手で思い切り跳ね飛ばす。
「キャー! 」
美月は飛ばされた勢いのまま母にぶつかり、二人は共に転倒。
「みづきー! 」
男は美月に気を取られている陽太の腕を取り、その身体を自らに引き寄せると、息を荒げて首に手をかけた。
「うっ……」
男の両手が細い陽太の首を締め上げる。
「このくそガキがぁ……」
不気味ににやりと笑う男。
「殺してやる! 」
「やめて! 」
男と美月の母の声が重なったその瞬間、美月は立ち上がり、「うわああああああ! 」と叫びながら全力で男に体当たりをした。
反動で跳ね返る美月。解放される崩れ落ちる陽太。
そして男は机につまずき、大きく旋回しながら仰向けで倒れた。
一瞬にして静まり返る室内。
母が呆然と座り込んでいる目の前で起き上がる美月。直ぐさま陽太の元に駆け寄る。
「陽太くん……」
ハアハアと首の付け根を手で押さえながら呼吸をする陽太。命に別状はなかった。
男は倒れたまま動かない。不思議に思った美月はそっと男の元へ近づいた。
「キャー! 」
美月はそう叫んで腰を抜かすように座り込んだ。
「どうした……」陽太も美月のそばへ行く。
その光景に絶句した――。
「なに? 」二人の異常な反応を見て、美月の母も男の姿を覗き込んだ。
男の後頭部の下にはガラス製の灰皿が置かれていた。そして、そこには血で水たまりが出来ている。男は口からも血を流し、目は見開いたままだった。
陽太は恐る恐る男の口元に耳を近づける。
「……息、してない」
美月はそれを聞いて口を手で覆った。
ただただ動揺するだけの二人。
「逃げなさい」
ハッキリとした口調で美月の母は言った。
「お母さん……でも……」
「いいから、逃げなさい」
「救急車……」
「何度言ったら解るの。早く逃げなさい」
「正当防衛だし……」
「早く逃げろ! 」母は叫んだ。
目に薄ら涙を浮かべて一瞬美月を抱きしめると、そのまま玄関の方へ押し出す。
陽太は床のトートバッグを拾い、美月の手を握りしめた。木のドアは開けっ放し。それは、まさにあのときと同じだった。裸の美月を奪い去ったあの夏の日。陽太はそれを思い出しながら、あのときのように美月の手を引いて部屋を出た。
駆け下りる階段、遠ざかるアパート。
「お母さんが……お母さんが、捕まっちゃうよ」
美月は泣きながら走った。
「あれは事故だ。捕まらないよ」
そんな会話をしながら二人はしばらく走った。
足がもつれて何度も転びそうになる。
アパートも公園も全く見えなくなった路地裏に二人は座り込んだ。
「ど……」息が上がって上手く喋れない美月。陽太は優しく背中をさする。
何度も何度も深呼吸をした。
「どうしよう、お母さん」美月は真っ青な顔をして言った。
「警察に行くしかないな。……現場の状況で複数人いたことは解るし。ドアが開いてたから、声を聞いていた人もいると思う」
額の汗を拭いながらも冷静に喋る陽太。
「私たちが警察で本当のこと言えばいいんだよね」
「そうなんだけど……」陽太は頭を抱えた。
「だって、黙ってたっていずれバレちゃうんでしょ。だったら早いほうが……」
「それだと美月のお母さんがオレたちを逃がした意味がなくなる」
「逃がした意味? 」
陽太は美月の顔を切なそうに見つめた。
「警察に行ったら全部話さなきゃなくなる。オレたちの関係とか。そうすれば美月に戸籍がないことや深青園でのことまで知られてしまうんだ」
ゾッとして鳥肌が立つ美月。持っていたトートバッグをギュッと抱きしめた。
「でも、警察には行かなきゃならない。美月のお母さんを助けないと」
「どうするの? 」
「深青園に行こう――」
陽太の言葉に目を大きくする美月。溜まっていた涙がポロっと零れて地面に落ちた。
「警察に行って色々調べられる前に、あのカプセルがあるか確かめる」
「カプセルって……残骸? 」
「うん。美月は見てなくていい。オレが一人で掘る」
「力くんは? 」
「彼はこの事件に関係ないから巻き込めないよ」
陽太はトートバッグを指さした。
「証拠はここにもある。警察にも説明しやすい。美月の人権だって、きっと守れるよ」
温もりのある優しい声に美月は「うん」と頷いた。
「家に帰ってる時間はないな。このまま行こう」時計を見て陽太は立ち上がった。
陽太に手を引かれ、美月も立ち上がる。
二人は大通りまで出ると、すぐにタクシーを見つけて乗り込んだ。
そして迷わずこう言った。
「東京駅まで、急いでください」




