真実 2
村田邸から深川夫妻が住んでいた家まで五十メートルもなかった。
坂道を少し上ると広い空き地の隅に二階建ての家がポツンと建っていた。青い屋根が特徴的なその家に古いという印象は受けない。普通に何処にでもある家だ。
「庭の草は私が刈ってるんですよ。部屋もホコリがたまらないように定期的に掃除してます」
陽太は納得といった感じで頷いた。
「売りに出してはいるんですがね、事故物件となると厳しくてですね」
「そうですよね」
「すみません、こんな話。でも、あれからずっとそのままで、まるであなたたちを待っていたかのようですな」
陽太と重彦は微笑み会った。
「どうぞ、お二人だけでゆっくり見てやってください」
帰るときには声をかけてと言い残し、重彦は来た道を戻っていった。
「入ろうか? 」
玄関の戸に触れる陽太。勿論表札はない。
「園長のお化けに会えるかもね」
二人は笑いながら横開きのドアを開けた。
ガラガラと音を立てるドア。玄関はコンクリートがむき出しになっていた。
二つ並んだスリッパは重彦が用意した物だ。
玄関マットのない玄関に足を踏み入れる二人。そこからまっすぐ伸びる廊下は外からの光を反射して艶やかに光っている。ずっと人が住んでいない家だとは思えないくらいキレイだった。
「深青園に似てるね」美月が言った。
長い廊下を縁側にして庭が広がっていた深青園。そして、今目の前にある長い廊下と庭に出られる大きな窓。
「確かに、似てるな」
そんな廊下を隔てた反対側が六畳の居間になっていた。襖が開けっ放しなので自然と中に目が入る。
家の中の物は全て持って行かれたと聞いていたが、大きな家具は残っていた。
テーブルが部屋の真ん中にドンと置かれ、茶タンスが壁のすみに静かに身を済ましている。中に入っている物はなさそうだ。
陽太は本当は近くに行って見たかった。ただ、この部屋で園長夫妻が亡くなったことを考えると足がすくんで入れなかった。天井を見上げることなんて絶対に無理だ。
「なんで死んじゃったんだろう? 」
陽太が隣を見ると、美月が天井を見つめていた。
「さあ……何でだろう……」
美月はスリッパを脱いで茶タンスに駆け寄った。
怖がっていると思われたくない陽太もゆっくり美月のそばへ行く。
茶タンスの引き出しや扉を開けて中身をチェックする美月。
「何にもないだろ? 」
「うん。でも、なにか手がかりがあるかもしれないから」
「だったら、他の部屋も探そう」
懸命な美月に陽太は少し弱音を吐いた。
台所には冷蔵庫と食器棚がそのままにされていた。勿論美月は中を確かめる。シンクの下の収納もしっかり目を通していた。
「なんか、変な感じだよな。ここで園長たちが暮らしていたなんて」
現実を見ている美月の横で非現実的な陽太が哀愁に包まれていた。
「陽太くん、なにか感じるの? 」
「いや、ついこの間まで深青園のことなんて忘れて生活してたのに、今美月とこんな所にいるのが不思議だなって思ってさ」
美月の手がとまる。
「私も、また陽太くんに会えるなんて思ってなかった」
「ああ、そういえば気になってたんだけど、いつから公園にいたの? 」
美月は冷蔵庫に頭を突っ込んだ。
「……一年前くらい」恥ずかしそうに言う。
「そんなに前から! 」
「最初はアパートの廊下から見てたの。一歩進むのに勇気がなくて……」
「それであんな少しずつ? 」
陽太は一直線上に美月が一メートルずつ向かって来ていた映像が頭に浮かんだ。
「あれは……何でかな? あの頃は自閉症的な行動が頻繁に起きて、青い物に執着したり……」
「だからあのポータブル……」
「陽太くんだって気付くまで時間掛かってたの」
ゆっくり冷蔵庫から頭を出す美月。
「でも、気付いてくれて良かった」
「ホントに? こんなに迷惑掛けてるのに」
「うん」とだけ言って微笑む陽太。迷惑を掛けられてるなんて思ったことはなかった。何にもない日常に美月がいることで陽太は救われていたのだ。
誰かのために一生懸命になることは幸せなことだと知った。
二人は風呂やトイレまでしっかりとチェックする。
十五年も経つのに古い気がしないのは重彦が丁寧に掃除をしていた証拠だ。
「あとは二階だな」
「うん」
傾斜のゆるい階段には手すりが備え付けてある。陽太は階段を上りながら老いた二人を想像した。しかし浮かんでくるのは深青園にいたころの姿ばかりである。
「園長先生たち、ここ上ってたのかな? 」
美月も似たようなことを考えていたのだろう。
「下には寝室らしき部屋はなかったから、二階で寝てたんじゃないかな」
一階は居間の他に小さな和室があるだけだった。
「深青園のときは居間で寝たりしたよね」
「夏はあそこが一番風通りが良かったからな」
二階の廊下には小さな窓がひとつしかなかった。なので少し薄暗い。
部屋のドアは二つあり、デザインが洋室であることを感じさせた。
先に手前の部屋に入る二人。そこにはものがなにもなく、フローリングの床が広がっているだけだった。
備え付けのクローゼットを開ける美月。
「なんにもないや……」
美月のがっかりした声を聞きながら、陽太は壁紙を見て回る。
「この部屋の物は片付けられたみたいだな。壁紙が日で焼けてる場所とそうじゃない場所がある」
「物が置かれてたってこと? 」
陽太は頷いた。
「それが何を意味するかは全く解らないけど」とため息をつく。
そして二人は隣の部屋へ移動した。
その部屋は夫婦の寝室だったらしく、ダブルベッドがそのまま残されていた。
何を思ったのか、急にマットレスへダイブする美月。少しホコリが舞った。
「美月……どうしたんだ? 」
しばらくして顔からゆっくりと起き上がる美月。
「無臭」
「え? 」
「園長先生たちの匂い、残ってない」
「園長の匂いなんて覚えてるのか? 」
「覚えてないから、嗅いだら何か思い出すかと思ったの」
家の匂い。他人の家を訪問すると感じるあの異質な匂いがこの家にはなかった。
「やっぱり、人が住んでないと匂いも消えるのかな」と陽太がセンチメンタルになっている間に、美月は一人でマットレスを持ち上げようとしていた。
「陽太くん、手伝って~」
慌てて手を貸す陽太。
「これ、ひっくり返すのか? 」
「うん。何か挟まっているかもしれないし~」
二人は力を合わせて重いマットレスをひっくり返して床に落とした。
さすがに重彦もここまでは手入れをしていなかったようで、むせるほどのホコリが飛び散った。
思わず口を手で覆う二人。
「み、美月……何かあったか? 」
美月はホコリを払いのけながらベッド本体の上に乗り、三百六十度見回した。
頭の部分にある小さな引き出しもチェックする。
陽太は床からベッドの下を覗く。
「何もなーい……」美月の悲痛な声が響いた。
やはり何かの手がかりなんて残っていないのか……。
ここに来て収穫出来たのは、深青園の園長夫妻が自殺したという情報のみになってしまった。
「美月、帰ろう……」
陽太は服に付いたホコリを払いながらため息をついた。
二人はマットレスを元の位置に戻す。
「面影なんて何もないけど、この家に来られてよかったよ」
「……うん」
何かを諦めたかのように寂しく呟く陽太の声につられてトーンダウンする美月の声。
互いの服に付いたホコリを払い合って、二人は部屋を出ようとした。
ドアノブを握った陽太がドアを引くとギギギーっとドアが音を立てる。
何の疑問も持たずに部屋を出ようとする陽太。
しかし、美月は気付いた。
「陽太くん、ここ見て」
美月は陽太を引き留め、内側のドアの足下にある装飾を指さした。
「どうかしたのか? 」
「この飾りの所、なんか少し浮いてる気がする」
二人はしゃがみ込み、その部分を手で触ってみた。
「ホントだ。少しぶ厚い部分がある」
「何かあるよ」
美月は装飾の一部に爪を引っかけてカタカタと動かした。
「おい美月、そんなことしたら……」
そんなことをしたら、ドア装飾の下部が開きビニールに包まれた何かが姿を現した。
「何だろう」
美月はゆっくりとそのビニールを取り出すと、ホコリと木くずにまみれたビニールの表面を手で払う。
「ノートだよ」
「ノート? 」
美月はビニールの中から丁寧にノートを取り出した。
青く、日に焼けたノートが美月の手のひらで息を吹き返したように見えた。
「青空、再生計画」呟く陽太。
そのノートの表紙に太いマジックペンでそう書かれていたのだ。
「園長のノートかな? 」
美月はその場に座り込み、色褪せたそのノートを開いた。
美月に寄り添い、ノートを覗き込む陽太。
B5サイズのそのノートは黒いペンで書いた細かい文字で埋め尽くされていた。
「美月、一ページ目見せて」
陽太はノートを美月から受け取ると、もう一度表紙に戻した。
青空、再生計画という文字を見つめた後、その表紙をめくる。
「……あいつらに裏切られるかもしれない。そのときのために、真実をここに記しておく」
陽太は一行目をそのまま読んだ。
「そう書いてあるの? 」美月が首を傾げる。
「ああ」
「続きは? 」
「私たちは青空を愛していた……」そこだけ読み上げると陽太は途中から黙読し始めた。
「陽太くん? 」
ふいに美月の手を握る陽太。その手は少し震えている。
「美月、このノートは家に持って帰ってゆっくり読んだ方がいい」
「長いから? 」
「それだけじゃない。園長たちや深青園について書いてある」
陽太の表情はとても強ばっていた。
「じゃあ、帰ろう」小さく呟く美月。
そのノートに書かれている内容が喜ばしいことではないと察した美月は、陽太の手を強く引いた。
「下の階に置いてきたカバンにエコバッグが入ってるから、それに入れて持って帰ろう」
「そうだな」
二人はドアを元通りにし、部屋を後にした。
やっと手に入れた深青園の情報を大事に抱きしめ、二人は何事もなかったように重彦の家へと戻った。
「ありがとうございました」
玄関先で重彦にあの家の鍵を返す陽太。隣にいる美月の荷物が増えていることには気付いていないようだった。
「本当にもうお帰りになるの? お夕飯も食べていかれたらよいのに」貴恵が言う。
「お気持ちは嬉しいんですが、明日仕事があるので」
「そう。でしたら、また遊びにいらしてね」
貴恵は優しい目で二人を見ると、そばに置いてあった紙袋を差し出した。
「お総菜の残りなんだけど、よかったら食べて」
にっこり微笑む貴恵に陽太は「ありがとうございます! 」と大きな声で遠慮なく頭を下げた。
「私からはこれくらいしか差し上げられませんが」と重彦が差し出したのは深川夫妻が乗っている町内会報の一ページだった。
「いいんですか? 」
「私たちにとっては、ただの紙切れですから」
「ありがとうございます……」
重彦の温かさが伝わって、陽太は深々とお辞儀をした。そして美月も陽太をまねた。
重彦は言った。
「お嬢さん、あなたのお父上が例えあなたに隠し事をしていたとしても、それはきっと家族を守るための隠し事だったとおもいますよ。父とはそういうものです。これからも忘れないで愛し続けてください」
少し間を置いて、美月はコクリと頷いた。
「本当にありがとうございました」
村田夫妻の人を思う心に胸が熱くなる陽太。何度も何度も感謝の言葉を並べても足りないくらいだと感じていた。そして陽太の気持ちが氷のように固まっていた美月の心を溶かしていくのだ。
バス停に向かう道、夫妻は姿が見えなくなるまで手を振っていてくれた。




