追憶 5
それから半月が過ぎ、季節は秋になった。
深青園の情報は見つからないが、美月は最近すごく落ち着いている。陽太との暮らしに慣れたせいだろうか。少しの距離ならひとりで外出することもある。
いつもの曲をポータブルオーディオで聴きながら買い物をしたりしている。
しかし、あのアパートからそんなに離れてもいないため、陽太は気を付けるように言っていた。
「あの公園、行かないの? 」
陽太が休憩室で昼食をとっていると佳保が突然話しかけてきた。
「公園? なんでですか? 」
佳保は陽太の斜め前のイスに座った。
「ずっと通ってたじゃない。真夏にまで通ってたから、涼しくなったらまた通うのかと思ってた」
佳保の言葉はどこか角があった。視線も合わせることはない。
「あー、もういいんです。面倒だし」
お気に入りだったあの公園。本当はまた通いたいが、そこで例の男と鉢合わせになる訳にはいかない。
「もういいんだ。そりゃ用事が済めばもういいわよね」
「あの、どうしたんですか? 」
佳保の攻撃的な発言に割り箸を持つ手が止まった。
「……美月ちゃんて、料理とかはしないの? 」
陽太のコンビニ弁当を覗きながら話す佳保。
「……しないみたいですよ」
「でも、お買い物はするのね」
唾を飲む陽太。背中に冷や汗をかく。
警戒するべき人間は例の男だけではなかった。
「遊びに来たときに……買い物、頼んだり……」
「嘘つかないで! 」
佳保の声は部屋にこだました。
パートのおばちゃんと昼食時間が異なった日だったのが幸いで、部屋には二人の他に誰も居なかった。
「ごめんなさい……。大きな声出して」俯く佳保。
「いえ……」
「見かけちゃったの。あのスーパー、私も行くから。三回くらいかな? 向こうは気付いてないみたいだった」
「そうですか……」
何から話せばいいのか、陽太の頭は真っ白になってしまった。
「従兄弟じゃないんでしょ? 荷物全部忘れて家出って冷静に考えると有り得ないし」
「……はい……ごめんなさい……」
「別に謝って欲しいわけじゃないの。ただ、嘘をつかれたことが悲しかっただけ」
佳保は若干鼻水まじりの声でそう言った。
「……そう、ですよね。……でも、何から話していいかとか解らなくて」
陽太は佳保の顔を見られずに弁当の中を見つめていた。
「あの公園で知り合ったんでしょ? 」
「それは違います! 」大きな声と共に立ち上がってしまう陽太。
佳保は驚いて目を見開き、普段とは違う陽太に震えた。
「すみません……。あの公園では……再会しただけなんです」
「再会? 」
そっとイスに座る陽太。パイプイスのゴムがギシギシ音を立てる。
「美月とは昔からの知り合いで、公園で偶然会って、あいつ困ってたから……それで……」
「昔って、学校の同級生とか? 」
「いや、もっと前で」
「幼稚園? 」
陽太は何も話せなくなって固まった。
「あ、いつか話してた無戸籍とかと関係あるの? 」
「これ以上は、話せません」
そう言って陽太は再び弁当を食べ始めた。
「何で? 私、色々協力して……」
協力してあげたのにと言いたかった佳保だったが、恩着せがましく感じたので言葉を飲んだ。
「浅沼さんには感謝しています。でも、誰にだって知られたくない過去とかあるでしょ」
目も合わさず、冷たく聞こえる陽太の言葉に佳保の目から一筋の涙が零れた。
「……そうだよね。ごめんね」慌てて涙をぬぐう佳保。
陽太は見ないふりをして、聞こえないふりをしていた。
そして自分を責めた。仕事のことだけではなく、プライベートなことに誠実に付き合ってくれた人を突き放して煙たがっている現状に胸が痛んだ。
しかし、施設時代のことはどうしても話せなかった。恥ずかしいからではなく、本当の家族として何もない自分を受け入れてくれた両親と弟、周防家のために。
手の付けない弁当箱を手提げに戻して、佳保は席を離れた。
「……周防くん」
ビクッとする陽太。
「私、周防くんのこと好きだったんだよ」
それは何となく気付いていた。
「でも無理ね。美月ちゃんにはかなわないわ」
「美月とは別に……」
「もう、どうでもいいよ」
陽太の言葉はかき消され、佳保は足早に部屋を出て行った。
ひとり残された陽太。
机を拳で思い切り殴った。
午後の作業で普段通りに接してくる佳保の笑顔を思い出しながら陽太は複雑な心境で家までの道をゆっくり歩いていた。
一時は美月のことを佳保に相談しようと考えていた。でも、それは施設のことを隠したままでなんて都合が良すぎた考えだ。施設のことを隠したまま相談することなど無理に決まっていたのだ。
自分勝手で周りを振り回し、そして人を傷付ける。陽太は自己嫌悪で気持ちがいっぱいだった。
人助けなんて、自分には無理だったんだと、これまでの全てを反省した。力の言うとおり、美月のことは国や警察へ相談するべきだと考えていた。
そんなとき、一本のメールが陽太のスマートフォンに届く。送信元は自分のパソコンからだった。
「美月……」
実は陽太は美月にパソコンの操作を教えていた。いつも音楽ばかりで暇そうだったので、自分が仕事で留守の間でも深青園を調べられるようにしていたのだ。美月は飲み込みが早く、あっという間に操作を覚えてしまった。
メールを開く陽太。
そこに書いてあった文章に目を丸くした。
さっきまでの落ち込みが嘘のように心が晴れた。
『深青園の情報がみつかったよ。深川夫妻のことを知っている人がいた』
陽太の鼓動が高まった。
そして家までの残りの道をダッシュした。
佳保への罪悪感を胸の奥へしまってひたすら走った。
握りしめたスマートフォンが手と指に跡を残す頃、ようやくたどり着いた自宅。ドアを開けると玄関で美月が立っていた。手にはコップ一杯の水。
「おかえりなさい。やっぱり走ってきたんだね」
陽太はコップを受け取りややぬるめの水を一気飲みした。
「ありがとう」
靴を脱いで、真っ直ぐ自室のパソコンに直行する陽太。それを追いかけるように美月も付いていった。
部屋の電気は付けず、机の電気スタンドの灯りだけでやや薄暗い。
「ここだよ」と画面を指さす美月。
大型掲示板に投稿した書き込みに対する返信だった。
深呼吸してマウスを握りクリックする。
書き込みは今日の日付だった。
『はじめまして。お探しの方かどうかは解りませんが、昔近所に深川洋三さん、民子さん夫婦が暮らしていました。六十代くらいのご夫婦だったと思います。場所は千葉県です。深青園という施設については知りません。深川さんは祖父が管理する一戸建ての家に住んでいました。私は当時小学生だったので詳しくは覚えていないのですが、祖父は大家だったので何か知っていると思います。よかったらメールアドレスを教えてください。祖父の連絡先をお教えします。』
陽太は間髪入れずメールアドレスを送信した。
「簡単に教えちゃって大丈夫なの? 」
心配そうに画面を見つめる美月。
「サブアドだから問題ないよ」
すぐに返事が来る訳がない。しかし二人はパソコンの前から離れることが出来なかった。
「お腹すいた? 」尋ねる陽太。
「さっき、お菓子食べたから大丈夫」
美月はベッドに腰掛けイヤホンを装着した。
その呑気な姿に陽太は思わず微笑む。そして佳保のことを思い出しながら目線をパソコンに移した。
カチッ、カチッと何度もメールボックスを確認する。
そう簡単に来るはずはない。陽太がノンアルコール缶ビールを取りに行こうと思ったそのとき、一通のメールがメールボックスに舞い込んだ。
「来た! 」思わず声を上げる陽太。
陽太の興奮した様子を見て、美月はイヤホンを外す。
「メール? 」
「ああ」
メールを開く。そこには村田重彦という名前と固定電話の電話番号が記載されていた。
そして『祖父には話を通してあります』と追記されていた。
「これが本物だったら優しい人に出会えたね」
美月がパソコンを覗いた。
「うん」
陽太は直ぐさま机の上のスマートフォンを手にした。
「今掛けるの? 」
「まだ八時前だし。祖父ってことは年齢もいってるだろうから忘れられないうちにね」
何とも失礼な話にふ~んと呟いた美月はまたベッドに腰掛けた。
メールに書かれた電話番号をスマートフォンに入力して発信ボタンを押す陽太。
スピーカーにして美月と一緒に聞くか迷ったが、結局は話しやすいようにスマートフォンを自分の耳に当てた。
発信音が長く続く。デマだったのだろうか? 不安になる陽太。
するとプツッと音がして『はい、村田です』と年配の女性が出た。
「あ、あの、村田重彦さんのお宅でしょうか? 私、周防陽太と申します。えっと……お孫さんから……」
『ああ~、さっきの。お父さん、もう掛かってきましたよ。ええ、みっちゃんが言ってた人』
電話の奥で会話する女性。会話の相手が重彦さんで、みっちゃんという人が孫なのだろう。
『今、変わりますね』
「はい」
『もしもし』
「夜分遅く申し訳ありません。周防陽太と申します」
美月はそばにあったクッションをギュッと抱きしめた。
薄暗い中、棒立ちになり微動だにせず会話する陽太。時折何かをメモしたり、パソコンで地図を見ている。
美月はただ黙って陽太の背中を見ていた。
ほとんどの「はい」の繰り返しだった陽太の返答。
その繰り返しが子守歌になったのか美月はいつの間にか眠ってしまっていた。
窓の外が真っ暗になり、月が部屋を照らす。
もこもこのブランケットにくるまり、甘い匂いに導かれる。
「陽太くん……」
「美月……美月? 」
ゆっくりと目を開く美月。目の前には陽太の顔が合った。
驚いたように飛び起きる美月にベッド脇でしゃがんでいた陽太は尻餅をついた。
「ど……、どうした? 」
「あれ? 私……」
「寝てたからお越しにきた。ご飯だよ」
陽太はそう言って部屋を出て行った。
「ご飯……」
目をこすりながらリビングへ向かう美月。
テーブルの上にはレトルトのカレーの皿が置かれていた。
キッチンからスプーンを持ってきた陽太と一瞬目が合う美月。
陽太はテーブルにスプーンを置いて座った。
「美月、座って。食べる前に話すことがあるんだ」
美月はゆっくりと座布団のうえに座った。
「あのね……」
陽太はいつになく真面目な表情を浮かべていた。
「さっきの電話で、深川洋三さん、民子さん夫婦の家を管理していた人に聞いたんだ。その人の話では、深川夫妻は既に亡くなっている」
「亡くなっている? 」繰り返す美月。「園長先生たち、死んじゃったの? 」
美月が慌てないことに驚きながら、陽太は話しを続けた。
「まだ園長先生たちって決まった訳じゃない。同姓同名の夫婦の可能性もある」
「別の人かもしれないんだ」
「うん。その夫婦が千葉の家に越してきたのが十五年前くらいなんだって。仕事はしていない感じだったって言ってた。深青園のことを聞いてみたけど、やっぱり知らないって」
「どうして亡くなったんだろう? 」
膝を抱えながら呟く美月。
「それは聞いていないから、明日直接聞くことにした。家も空き家のままだっていうから見せてもらえる」
「明日? 」
大きく頷く陽太。
「明日は仕事でしょ! 」
「仮病を使って休むよ。有給消化してないし」
冷静に淡々と話す陽太に驚く美月。
「力くんにも一緒に行くか連絡入れたんだけど、仕事が抜けられないみたい」
「陽太くんは? 陽太くんはいいの? 私のために……」
「別に美月のためだけじゃないよ。早く終わらせたいんだ、深青園に振り回されることを」
美月は俯いてキュッと身体を縮める。
「一緒に行こう。美月」
陽太の温かな手が美月の頭をポンポンと優しく叩く。
美月は陽太の手を掴み、その手を握りながら何度も頷いた。
「さ、飯にしよう。カレー冷めちゃうぞ」
「うん」
美月の食べたカレーはいつもよりしょっぱい涙の味がした。




