第三話
枕元を何かが歩く音がして目が覚めた。なんだかまた悪夢を見ていた気がする。じっとりと汗ばむ額を拭いながら時計を見ると朝の六時だった。どうしても同じ時間に起きてしまう。会社員時代の癖はもう直らないのかもしれないなあと思いながら、僕は布団からむくりと起き上がった。
「おお、起きたか。おはようさん」
声がした方を見ると、黒猫がこちらを見て座っていた。そうだ、昨日この喋る猫に出会って、不思議な体験をしたのだった。
「お、おはよう、黒又さん」
僕は猫に挨拶をするのに違和感を感じながら立ち上がると、顔を洗いに洗面所へと向かった。
洗面所で顔を洗い、寝間着からジャージに着替えていると、黒又さんのなんだか困っているような声がした。
「透〜! ちょっとこっちに来てくれ!」
なんだろう? と思って居間へと行くと、黒又さんが僕のパソコンの前でキーボードをいじっていた。
「おお、透! このパソコンのパスワードはなんだ?」
「ちょっと! これは仕事で使うパソコンだから触っちゃダメですよ!」
「なんじゃケチだのう。わしはちょっとインターネットがやりたいだけなのに」
インターネットとかやるのかこの猫は。俗な神様だな……。
「とにかく、このパソコンは使っちゃダメです!」
「ケチ〜」
怒られてふくれっ面になっている黒又さんへ、僕は昨晩から充電していたタブレットを渡した。
「これなら使っていいですよ」
「なんだこれは? 板じゃないか。いや、小さいテレビか?」
「これはタブレット端末といって、まあ小さいパソコンみたいなものですよ」
「虎徹が持っておったノートパソコンみたいなものか? でもキーボードもマウスも無いぞ?」
古い神様のくせにパソコンについて妙に詳しいな。おじいちゃんも新しいものが好きだったから、その影響を受けたのかもしれないな。
「タブレットの画面を触ってみてください」
黒又さんは恐る恐るタブレットの画面に手を触れた。すると、画面にパスワード入力画面が映った。
「なんじゃこりゃ? 触ると反応するのか?」
「そうです。パスワードは4989なので、画面の数字をタッチしていってください」
黒又さんが言われたとおりに画面をぷにぷにとタッチする。なんだか猫がタブレットをいじっているのがシュールでおかしかった。
「おお! 動いた! それにしてもパスワードが四苦八苦って、透は病んどるのう」
「余計なお世話です」
そうして僕は黒又さんにタブレットでのインターネットのやり方を教えた。古い神様なのに物覚えが良く、意外にもすぐにタブレットの使い方をマスターした。
「うおおお! すごい! 文明の利器だ! これが令和なのか!?」
「じゃあご飯作りますから食べましょうか」
タブレットに感動する猫を横目に、僕は朝食の準備を始めた。朝食は鮭と味噌汁の和食にした。鮭を二切れ焼いて、一つを黒又さんのためにお皿に入れてテーブルの横に置いてあげた。
「はい、冷めないうちに食べてください」
「わし猫舌だから、冷めないと食べれないぞ」
猫ってやっぱり猫舌なんだ……と思いながら、僕は準備した朝食を平らげた。
朝食を食べた後、僕は昨日運び込んだ荷物の整理を始めた。黒又さんは朝からずっとタブレットとにらめっこをしている。肉球を上手く使ってスイスイとタブレットをスワイプしているのがすごくかわいらしい。僕はその様子にほっこりしながら荷物を開けていった。
一通り荷物を整理し終わったのは昼前だった。僕は一息ついてから黒又さんに話しかけた。
「そろそろ昼ごはんにしましょうか。どこかに食べに行こうと思うんですけど、どうします?」
「そうだな、わしもずっとインターネットしてて疲れたし、着いていくとしよう」
「分かりました。着替えるのでちょっと待っててください」
僕はジャージから外出用の服へと着替えて玄関から外へ出た。黒又さんが後ろからトコトコと歩いてきて、僕の頭の上に飛び乗った。黒又さんは僕の頭の上に頭と手を乗せてぶら下がっているような姿勢になっている。重たくはないが、落ちないか不安だ。
うちの敷地から外へ出て道路を歩いていると、小さな男の子が二人で田んぼの横にある水路を覗き込んでいた。落ちたら危ないなと思い、声をかけておくことにした。
「何してるの? 落ちないように気をつけてね」
「あ、えっと、ザリガニを取りたいんだけど、上手くいかなくて……」
「ザリガニ?」
もしかしてザリガニ釣りをしているんだろうか? 懐かしいなあ、僕も昔はおじいちゃんと一緒に糸を垂らしていたものだ。
二人の手元を見てみると、棒切れに糸を結んだもので釣ろうとしているようだった。
「あー、それでも釣れるんだけど難しいんだよな。そうだ、ちょっと待ってて!」
僕は急いで家へと戻ると、冷蔵庫からちくわを持って戻ってきた。
「ちょっと糸を貸して」
僕は二人から糸を受け取ると、持ってきたちくわに結びつけた。
「これを使うと釣れやすいよ」
僕は作った仕掛けを水路の中に静かに沈めた。そうして垂らした糸を小刻みに上下させていると、グッと糸を引っ張られるような感触があった。
「きた!」
僕はゆっくりと糸を上へひっぱった。すると、ちくわをしっかりと挟み込んだザリガニが水面に現れた。
「よし釣れた!」
「おお、年の功だな」
頭の上から声が聞こえた。余計なお世話だ。
「子供に聞こえますよ」
「わしの声は透以外には聞こえんようにしとるから心配ないぞ」
そんなことができるのか。さすが神様だな。
「すげえ!」
「おじさんやるじゃん! 僕もやりたい!」
僕はザリガニをちくわから外して虫かごの中に入れてやると、仕掛けを背が高い方の子——お兄ちゃんだろうか? に手渡した。
「やり方教えて!」
「いいよ。まずは仕掛けをそっと水の中に入れるんだ。——そうそう。それから、糸を張ったまま、小さく糸を上下に動かして……」
「あ! なんか重くなったよ!」
「よし、そしたら糸をゆっくりと上げるんだ。ゆっくりだよ。ここで焦るとザリガニが逃げちゃうからね」
お兄ちゃんがゆっくりと糸を上げた。すると、ザリガニが水面からじわじわと顔を出した。
「出てきたよ!」
「よし! そこまできたら一気に上げるんだ」
「お兄ちゃんやったー!」
「よっしゃー! おじさんありがとう!」
釣り上げたザリガニを空に掲げて二人が満面の笑顔を見せた。その笑顔を見て、僕もつい笑顔になった。こうして古の技術を受け継いでいくのが歴史なのだ。
「おじさんって、きのう白崎のじいさんの家に来た人?」
「そうだよ。白崎のおじいさんの孫なんだ」
「へえ、そうなんだ! そういえば、僕のお父さんがおじさんに会いたいって言ってたよ」
「君のお父さんが? なんだろう」
「今から家に帰るから、一緒に行こうよ」
そう言うと二人が僕の手を引っ張って町の方へと向かった。
「ザリガニは茹でると美味いんだよな~」
頭の上からそんな声が聞こえた気がしたが、聞かなかったことにした。




