第二話
猫が喋った? いや、まさかそんなはずはない。僕は部屋の中をキョロキョロと見回したが、そこには誰も居ない。気のせいか……? と思っていると、同じ声が聞こえた。
「なんだ、わしの声が聞こえんのか? お前が次のお役目かと聴いておるんだ」
声がした方を見ると、そこにはやはり誰も居ない。いや、猫がいる。もしかしてこの町の猫は喋るのか? そんなまさか……。
「えっと、お役目ってなんですか?」
僕は猫を見ながら問いかけに返答してみた。
「なんだ、聞こえとるじゃないか。お役目のこと、虎徹から聴いておらんのか?」
虎徹とはおじいちゃんの名前だ。おじいちゃんのことを知っているのか?
僕が目を丸くして驚いていると、猫は立ち上がってぐっと伸びをした後、僕の方へと歩いてきた。
僕はなんとなく気圧されて思わず一歩後ずさった。
「なーにをビビっとるんだ。もしかして、わしのことも聴いておらんのか?」
猫が僕の眼の前に来ると、僕の顔を見上げてまた喋りかけてきた。
猫が喋っているという事実に腰が抜けそうになったが、なんとか踏み留まった。
「えっと、おじいちゃんからは何も聴いてない……です。突然亡くなってしまったので……」
「そうか。まあ急だったからな。だが仕方ないとはいえ、面倒くさいのう」
猫はもう一度欠伸をすると、前足をペロペロと舐めて顔を洗い始めた。かわいい。
「お前、名前はなんというんだ?」
「え? えっと、白崎透……って言います……」
「透か。わしは本来名前は無いんだが、虎徹はわしのことを黒又と呼んでいたな。透もそう呼ぶといい」
「は、はい、分かりました」
なんだかやたら渋くてかっこいい声だな……。とても猫とは思えない。僕は黒又さんをもう一度よく見てみた。やはり、どう見ても猫だった。真っ黒で艷やかな毛並みだが、お腹のところだけ真っ白だった。
「お、そういえば、確かこんな時のために虎徹が納屋に何か遺しておったな」
黒又さんは思い出したかのように顔を上げると縁側へと歩いて行き、そこからぴょんと跳んで庭へと降りた。
「何をぼーっとしとるんだ。透もこっちに来い!」
僕は黒又さんの呼びかけを聞いて我に返り、黒又さんの後を追いかけた。でも、僕はまだ夢を見てるんじゃないかと半信半疑だった。
裸足で庭に降りるのは躊躇われたので、僕は玄関から急いで靴を持って来て庭へと降りた。庭の先へと向かうと、黒又さんが納屋の前で座っていた。
「おう、納屋の扉を開いてくれ」
「な、なんか偉そうだなあ」
文句を言いながら、僕は言われるがままに納屋の引き戸を開けた。黒又さんは納屋の中に入ると、そこに置いてあった小さな金庫の上へと跳び乗った。
「ほれ、この鍵でこいつを開けてみろ」
黒又さんはどこから取り出したのか、口に小さな鍵を咥えてこちらへ投げてよこした。猫の言うことを聞いているのがなんだか変な気分だったが、とりあえず今は従っておこう。
僕はその鍵を拾うと、金庫の鍵穴へと差し込んだ。緊張しながら鍵を回すと、少し引っ掛かりを感じたがなんとか開くことができた。
金庫の中には手紙が入っていた。僕は手紙を開いて中を検めた。手紙は手書きの文字でしたためてあった。
「おじいちゃんの文字だ」
豪快な性格には似合わない綺麗な文字を書く人だったので、その字は僕の記憶にしっかり残っていた。
おじいちゃんからもらった年賀状や誕生日プレゼントについていた手紙を思い出して、懐かしさで涙が零れそうになった。
手紙の内容は、お役目というものについての説明だった。
黒又さんが神様であること、黒又さんが死者の魂を天へと送る使命があること、お役目とはその使命のお手伝いをすること、白崎家は代々お役目を務めていること、そんなことが手紙には書かれていた。
「どうだ? お役目のこと、分かったか?」
「黒又さんは神様だって……全然信じられない……」
「なんじゃい、まだ信じられんのか? そろそろ現実を受け入れろ!」
そういうと黒又さんはぷんすかと怒った。そう言われても、現実離れしすぎていて中々受け入れられない。
「それで、僕は何かやるんでしょうか?」
「今から御霊送りをやるから、それを手伝え」
「ミタマオクリ?」
「そうだ。今から、虎徹の魂を天に送るのだ」
「おじいちゃんの魂を?」
「ああ。新しいお役目の最初の仕事は、先代のお役目の御霊送りをすることなのだ」
おじいちゃんの魂はまだこの世に残っているということだろうか。まだあまり信じられないのだが、そうだとしたら早くおじいちゃんを安らかに眠らせてあげたい、僕はそう思った。
「ぼ、僕は何かやればいいんですか?」
「まずはそこにある薪と護摩木持って来い」
僕はとりあえず黒又さんの言う通りにやってみようと思い、納屋の中へと入った。
納屋の奥は少しカビ臭くて薄暗く、中に何があるかよく見えなかったので、僕はスマホを使って納屋の中を照らした。納屋の奥には僕の背の高さ程の棚があり、そこにたくさんの木の棒と平べったい板のようなものがたくさん置いてあった。これが薪と護摩木だろうか? 僕はその2つを脇に抱えて納屋の外へと出た。
「これですか?」
「それだそれだ。じゃあまずは薪を燃やして焚き火を作ってくれ」
僕はまず、家の中から持ってきたマッチで新聞紙を燃やし、その火を持っていた薪に移した。パチパチと乾いた音を立てて薪に火がつくと、僕はその薪を組んで焚き火にした。白いもくもくとした煙が空へと立ち上っている。
「うむ、いいぞ。じゃあ次は護摩木に虎徹の名前を書いてくれ。本当は墨と筆がいいんだが、筆ペンとかいうのがどこかにあるからそれで書くといい」
仏壇のところに筆ペンがあったのを思い出して、それを使って僕は護摩木に「白崎虎徹」と大きく書いた。
「最後にそれを焚き火に焚べるのだ」
僕はおじいちゃんの名前を書いた護摩木を焚き火の中へそっと差し込んだ。護摩木に火がうつり、少しずつ黒くなっていく。
「ここからはわしの仕事だな」
そういうと黒又さんは目を閉じた。すると、黒又さんの体がぼうっと青白く光り出した。光はだんだんと強くなっていき、その光に誘われたように、一筋の煙のようなものが黒又さんの周りをぐるぐると渦を巻くように集まってきた。しばらくすると、煙が黒又さんの頭上に集まって人の形をとり始めた。
「え……? お、おじいちゃん……?」
ぼんやりとした輪郭だったが、その煙は間違いなくおじいちゃんの形をしていた。おじいちゃんは僕の方へゆっくり近づいてきた。
おじいちゃんは僕の目の前に来ると、にかっと豪快な笑顔を見せた。おじいちゃんがしていたいつもの笑顔。僕は懐かしさと寂しさで胸がぎゅっと締め付けられた。
(あとはたのんだぞ)
声は聞こえなかったが、おじいちゃんはそう言ったように見えた。
「おじいちゃん!」
僕はおじいちゃんに向かって手を伸ばした。すると、おじいちゃんはまた煙へと戻り、焚き火の煙と一緒に陽が暮れて茜色になり始めた空へと昇っていった。
おじいちゃんのお葬式の時、僕は突然の出来事を受け入れられずにちゃんとお別れを言うことができなかった。今度はちゃんと、お別れを言わなければ。僕は涙を堪えて空に向かって叫んだ。
「おじいちゃん! ありがとう! さようなら!」
「虎徹、お疲れさん。空でゆっくり休んでくれ」
黒又さんが煙の行先を見上げて呟いた。僕もおじいちゃんの昇っていった夕焼け空を見上げていた。ずっとずっと見上げていた。
おじいちゃんを見送った後、僕は縁側に座って空を見上げていた。太陽が沈み、空は赤色と紺色のグラデーションを作り始めていた。涼しい風が僕の頭を撫でるようにそよぐ。雲一つ無い空に一際輝いている金星が見える。おじいちゃんはあそこまで昇っていったのだろうか……と僕はぼんやりと考えていた。
「どうだった? 初めての御霊送りは」
黒又さんがいつの間にか隣に座って僕を見上げていた。まんまるでキラキラと黄金色に輝く目が僕をまっすぐに見つめている。
「御霊送りってなんなんですか?」
僕は黒又さんに尋ねた。
「御霊送りは、現世で死んだ魂をあるべき場所へと送り届ける儀式だ」
「僕はちゃんと役目を果たせていたんでしょうか?」
「初めてにしては良かったんじゃないか? たまに厄介な魂もいるが、わしの言うとおりにすれば問題はない」
僕はもう一度空を見上げて、なんとなく空に手をかざしてみた。僕のこの手でおじいちゃんを空へと還してあげられたのだろうか。まだ実感が湧かない。
「まあ、これからゆっくり慣れていけばいい」
黒又さんの優しげな声が耳に心地良かった。
心が疲れて逃げてきた僕に、おじいちゃんと同じ役目を果たせるのだろうか? そう考えながら空を見上げていると、最後のおじいちゃんの顔が思い出された。
「……おじいちゃんにもお願いされたもんな」
あの笑顔を思い出して、なんとなくやってみようと思えた。
そして自分にやれることができたのが少し嬉しくも感じた。この使命を果たしながら、この場所にゆっくりと慣れていこう。僕はそう思った。
「そんなことより腹減ったぞ。メシ作ってくれ」
「ええ……ごはんも僕が用意するの……?」
「肉がいい!」
「もう……肉なんてあったかなあ?」
「魚でもいいぞ!」
黒又さんとそんな話をしながら、僕たちは家の中へと入って行った。
こうして不思議な事だらけのスローライフ一日目が終わりを告げた。




