研究所の扉
王都の中心にそびえる城は、遠くから見たときよりもさらに大きく、近づくほどに冷たさだけが増していくようだった。
高い天井と磨き上げられた床に、足音がやけに響く。
アイリスは案内されるまま進んだ。
重い扉が開き、玉座の間が現れる。
その中央に立つ男を見て、アイリスは一瞬息を呑んだ。
若い。想像していたよりも、ずっと若い王だった。
——アルファード。
整った顔立ちだが、その表情には疲労が色濃く滲んでいる。目の下には影が落ち、長く眠っていないことが一目でわかった。
それでも、その背筋はまっすぐだった。
「……顔を上げよ」
低く、よく通る声。
アイリスはゆっくりと顔を上げる。
視線が合う。その目は鋭く、しかしどこか焦りを含んでいた。
「そなたが……回復した娘か」
「……はい」
声が少しだけ震える。
王はしばらく黙って、アイリスを見つめた。
値踏みするように。
「王都では、状況はさらに深刻だ」
静かに言う。
「王妃も……病に倒れている」
一瞬だけ言葉が揺れたが、すぐに抑え込まれる。
「時間がない」
その一言に、すべてが込められていた。
「そなたには、病の解明に協力してもらう」
王は少し間を空けて続ける。
「これは王命である」
逃げ場のない言葉に、アイリスはぎゅっと手を握る。
「……はい」
「……指揮はこの者に任せる」
王が視線を向けると、影の奥から、ゆっくりと一人の男が歩み出る。
靴音だけが、静かに響いた。
その顔を見て、アイリスの呼吸がわずかに止まる。
見覚えのある顔だった。
男は、ほんのわずかに目を細める。再会を確かめるように。
「王立研究所の責任者を務めております。レオン・イムハム・ディルクスと申します。」
玉座の間を出ると、扉が重い音を立てて閉じた。
途端に、張り詰めていた空気がわずかに緩む。
長い廊下には人の気配が少なく、足音だけが静かに響いていた。
しばらく無言のまま歩く。
やがて、隣を歩く男が口を開いた。
「……お久しぶりです、アイリスさん」
その声に、アイリスはわずかに顔を上げる。
「……レオンさん」
あのときと同じ、穏やかな声色だった。
「まさか、こういう形で再会するとは思いませんでした」
「……私も、です」
小さく答えながら、胸の奥にわずかな安堵が広がる。
王都に来てからずっと感じていた、言いようのない緊張。
それが少しだけほどけた気がした。
「長旅でお疲れでしょう」
レオンは視線を前に向けたまま言う。
「こちらに着いてすぐに謁見とは……落ち着く間もなかったはずです」
「……少し、緊張しました」
「でしょうね」
わずかに口元が緩む。
「無理もありません」
その言葉は静かで、押しつけがましさはない。
けれど、確かに気遣っているのが伝わってくる。
「……あの」
ためらいながら口を開く。
「レオンさんが……研究所の方だったんですね」
言ってから、少しだけ間が空く。
「しかも……その、責任者だなんて」
レオンは一瞬だけ視線をこちらに向け、すぐに前へ戻した。
「ええ。現在は、その任を預かっています」
淡々とした答え。
「……そんな立場の方だとは、思っていませんでした」
「肩書きほど大したものではありません」
軽く返す。
「人手が足りないだけです」
その言い方は、どこか事実を述べているだけのようで、誇る様子はない。
「……そうなんですね」
それ以上は聞けなかった。
やがて廊下の奥に、大きな扉が見えてくる。
城のものとは違い、装飾は少なく、機能的な造りだった。
「こちらです」
レオンが足を止める。
扉が開かれると、ひんやりとした空気が流れ出てきた。
中に足を踏み入れた瞬間、わずかに鼻をつく匂い。
薬品と、消毒の匂い。
「王立研究所です」
レオンが静かに告げる。
「ここで患者の観察と治療を行っています」
広い空間に、書物、薬品、器具が整然と並んでいた。
無駄のない配置。行き届いた管理。
王都の中枢にあるにふさわしい場所だった。
——だが。
その奥に、目が止まる。
寝かされた女性たち。
苦しむ者。動かない者。
ここでも同じ光景が広がっていた。
胸の奥が、きゅっと縮む。
足が止まる。
「——立ち止まらないで」
背後から鋭い声が飛ぶ。
振り返ると、赤毛の少年が立っていた。
年は自分とそう変わらないはずなのに、その目つきは妙に冷めている。整った顔立ちだが、どこか棘のある印象だった。
「ここ、見物する場所じゃないんだけど」
腕を組み、わずかに顎を上げる。
「……すみません」
思わず謝ると、少年は鼻で笑った。
「謝るくらいなら、さっさと動いて。時間、無駄にされると困る」
レオンが軽く視線を向ける。
「ルーファス」
短く名前を呼ぶ。
それだけで空気がわずかに変わった。
少年——ルーファスは一瞬だけ言葉を止める。
「……わかってます」
小さく応じるが、その声音には抑え込んだ何かが混じっていた。
「部下のルーファスです」
「彼が、貴方の身の回りを担当します」
レオンは穏やかに言う。
「何かあれば、遠慮なく頼ってください」
「……はい」
アイリスは頷く。
「では、後は任せます」
レオンはルーファスに視線を向ける。
「分かりました」
即答だった。
だがその視線は、一瞬だけアイリスへ向けられる。
値踏みするような、鋭い目。
「ついてきて」
ぶっきらぼうに言い、踵を返す。
「部屋、用意してあるから」
歩き出しながら、ルーファスは続けた。
「最低限の世話しかしないから」
「自分のことは、自分でやって」
わずかな間を置いて、
「……足を引っ張らないで」
その言葉が、アイリスの胸に静かに刺さった。




