実行
報告は短かった。
失敗。それだけだった。
レオンは紙を閉じる。
わずかな沈黙のあと、静かに息を吐いた。
「……そうか」
サイラスは逃げた。
計画に遅れは出る。
だが、問題ではない。
女性だけでなく、男性にも作用する花と香油はすでに完成している。
治療薬も、あと一歩のところまで来ていた。
レオンは報告書を燭台の火にかざす。
紙はすぐに燃え、形を失っていく。
灰だけが残った。
扉が叩かれる。
「入れ」
短く告げる。
扉が開き、ルーファスが入ってきた。
手には資料がある。
「報告です」
静かな声だった。
資料が机に置かれる。
「アイリスの経過をまとめました」
レオンは視線を落とす。
内容は単純だった。
症状の推移、回復の過程、数値。
それだけだ。
ルーファスの視線が、一瞬だけ動く。
ごくわずかな変化。
他の者なら見逃すほどのもの。
だが、レオンには分かる。
以前は純粋だった。
理解と敬意、そしてわずかな劣等感。
今は違う。
抑えられているが、消えてはいない。
疑い。
レオンの指先が、ほんのわずかに止まる。
「……これだけか」
淡々と問う。
「はい」
短い返答。
それ以上はない。
沈黙が落ちる。
レオンは資料を閉じた。
「分かった」
それだけを返す。
ルーファスは一礼し、部屋を出ていく。
扉が閉まり、静寂が戻る。
レオンは机の上の資料を見下ろす。
当たり障りのない内容。
——勘付いたか。
可能性は高い。
計画を早める必要があった。
レオンは立ち上がる。
迷いなく部屋を出た。
廊下は静かで、向かう先は決まっている。
父のもとだ。
実家の扉を開ける。
室内には女がいた。
身なりは整っているが、空気は崩れている。
終わった後だと、すぐに分かる。
病に冒されていない女は珍しい。
衣服も装飾も質が良い。
値も張るはずだ。
そこまでして女を抱くのか。
レオンは何も言わず、ただ見ていた。
父はソファに座り、グラスを傾けながら顔を上げる。
「……珍しいな。帰ってくるとは思わなかった」
視線が女へ向き、それからレオンへ戻る。
「どうした」
軽い調子だった。
レオンは懐から金を取り出し、女に差し出す。
「今日はもうお引き取りください」
静かに言う。
女は一瞬だけ父を見る。
父は肩をすくめる。
「……まあ、いい」
女は金を受け取り、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
レオンは懐から瓶を取り出す。
「誕生日が近いと聞きました。贈り物です」
机の上に置く。
父はそれを見て笑う。
「……お前が? らしくないな」
レオンは答えない。
「開けてみてください」
静かに促す。
父は少し迷い、やがて瓶を手に取る。
蓋を開ける。
香りが広がる。
「……悪くない」
軽く笑い、首元に付けた。
レオンは黙って見ている。
父はグラスを持ち直し、レオンを見る。
「で? 用はそれだけじゃないだろ」
レオンはわずかに間を置く。
「……母様は、どのような方だったのですか」
父の動きが、一瞬止まる。
それから笑った。
「今さらそれか」
肩を揺らしながら続ける。
「たいした女じゃない。金もない、身分もない」
一度言葉を切る。
口元が歪む。
「……都合のいい女だ」
さらに続ける。
「珍しい肌をしていたからな。それだけだ」
軽く息を吐く。
「……使い心地も、悪くなかったがな」
レオンは何も言わない。
ただ、それを聞いている。
そのとき。
父の手が止まった。
呼吸が乱れる。
眉が寄る。
「……なんだ」
指先が震える。
「……おい、これ……」
声が崩れる。
レオンは動かない。
ただ、見ている。
父の体が揺れる。
立ち上がろうとして、崩れ落ちた。
床に倒れる音が、静かに響く。
そのまま動かなくなる。
レオンは一歩も動かない。
時間を測るように、反応を観察する。
誤差はない。
視線を落とす。
——人を恨んではいけない。
母の言葉が、一瞬よぎる。
だが、すぐに消えた。
レオンは静かに目を上げる。
実験は成功だ。
そう結論づけると、レオンは踵を返した。




