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触れたもの

 静けさは、まだ続いていた。

 ルーファスは紙から視線を上げる。

「確かめる」

 それだけだった。

 アイリスは何も言わず、頷く。


 研究室の奥。

 簡易の台に、布をかけられた遺体が横たわっていた。

 王都の墓守から回されたものだ。

 調査のため、一時的に引き取られている。

 死後、まだそれほど時間は経っていない。

 わずかに残る反応を確かめるためのものだった。

 机の端に、いくつかの包みが置かれている。

 見慣れない封蝋が押されていた。

 中には、乾いた花と小さな瓶。

 王都で使われている香りの材料だった。

 すでに揃えられている。


 ルーファスは器具を手に取る。

 白い花を一輪。

 遺体の手首に、そっと触れさせる。

 しばらく、何も起きない。

 ルーファスは視線を動かさない。

「……変化なし」

 淡々と記録する。

 次に、小さな瓶を取る。

 布に少量を染み込ませる。

 香りが、わずかに広がった。

 それを遺体の首元へ当て、皮膚に直接塗り込む。

 同じように時間が過ぎる。

 ——何も起きない。

「……反応なし」

 記録が続く。

 アイリスはその様子を見ていた。

「……何も、起きない」

 思わず、口に出る。

 ルーファスは答えない。

 ただ、ペンを走らせる。

「……時間を置く」

 短く言う。


 翌日。

 同じ場所。

 同じ遺体。

 ルーファスは布をめくる。

 手首に、変化があった。

 赤い斑点が、浮かび上がっている。

 首元にも、同じような発疹。

 ルーファスの目が細くなる。

「……遅れて出る」

 低く、呟く。

「接触後、時間差で発症する」

 記録を取りながら続ける。


 アイリスは息を止めていた。

 視線はそこに釘付けになる。

 花。

 腕輪。

 自分の手。

 記憶が、ゆっくりと繋がっていく。

「……私の、母の花」

 かすかに、声が落ちる。

 それが何を意味するのか、理解してしまう。

「それが……原因……?」

 ルーファスは顔を上げない。

「……可能性が、高い」

 ほんの一瞬、間を置いてから言う。

 それだけで十分だった。


 アイリスの視線が、ゆっくりと落ちる。

 自分の手を見る。

 あのとき編んでいたもの。

 差し出したもの。

 誰かの手に渡ったもの。

 胸の奥が、静かに沈む。


 ルーファスは記録を見返す。

 指先が紙の上をなぞる。

 繋がる。

 けれど——

 その手が止まる。

「……だが」

 小さく言う。

 視線が再び紙へ落ちる。

「説明がつかない」

 低い声。

「全身に出ている症例がある」

「接触だけでは、足りない」

 思考が、そこで引っかかる。

 繋がりかけたものが止まる。

 沈黙が落ちる。


 アイリスは何も言えなかった。

 胸の奥に沈んだものは、消えないままだった。

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