表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/40

仮説

 翌朝。

 研究室に入ると、すでにルーファスはいた。

 机の上は整えられ、紙も器具も昨日と同じ配置で並んでいる。

「遅い」

 短くそれだけを言う。

 昨日の夜のことなど、欠片も感じさせない。

 やがて扉が開いた。

 入ってきたのはレオンだった。

 空気がわずかに張り詰める。

「報告を」

 簡潔な一言に、ルーファスがすぐ書類を差し出す。

 レオンはそれに目を落とし、ページをめくる。

 一度止まり、まためくる。

 その時間は短かい。

 だが——すべてを見ているようだった。

「……悪くない」

 それだけを告げる。

「ルーファス。原因の特定を」

「私は、回復薬を開発する」

 短い指示に、ルーファスの背筋がわずかに伸びる。

 レオンは顔を上げ、今度はアイリスに視線を向けた。

「体調はどうですか」

 声音は穏やかだった。

「……問題、ないです」

「それは良かった」

 わずかに微笑む。

 次の瞬間、レオンの手が伸びた。

 アイリスの髪に触れる。

 黒い髪を、指先で軽くすくう。

 触れられた瞬間、肩がわずかに強張る。

 冷たい指先が、確かめるように動いた。

「少し、貰っても?」

 返事を待たずに、レオンは髪を一房手に取る。

 懐から取り出した小さな鋏が、かすかに光った。

 ためらいなく刃を当て、静かに切る。

 わずかな音とともに、髪が切り分けられた。

 レオンはそれを整え、そのまま手の中に収める。

「……引き続き、観察を」

 それだけ言い残し、部屋を出ていった。

 静けさが戻る。

 ルーファスは、しばらく動かなかった。

 やがて、ゆっくりと視線を上げる。

 まっすぐに、アイリスを見る。

「……髪」

 ぽつりと、言う。

「その色。この国じゃ、ほとんど見ない」

 アイリスは何も言えなかった。

「昨日、家族構成聞いたよね」

 淡々と続ける。だが、その声にはわずかな圧があった。

「父親と二人暮らしで、母親は幼少時に死亡」

 一度、言葉を区切る。

「どこの人?」

 その問いに、息が詰まる。

 逃げ場はない。視線も逸らせなかった。

「父はこの国の人。母は……東の方の人」

 ルーファスの目が、わずかに揺れる。

「……やっぱり」

 小さく、呟く。

 それは納得であり、同時に——何かが繋がった音でもあった。

「……だからか」

 その言葉の意味を、アイリスはすぐには理解できなかった。

 ただ、その視線が昨日とは違うことだけははっきり分かる。

測るようで、探るようで、さらに奥を覗き込もうとする目。

「……東の方、ね」

 ぽつりと呟き、ゆっくり息を吐いく。

「この病気は、王都でも、村でも例外なく広がってる」

 机の紙に視線を落としたまま続ける。

「年齢も体格も生活も関係ない。共通してるのは——“女性”ってことだけ」

 指先で紙を軽く叩く。

「でも、あんたは生き残った」

 一度、視線を落とす。

 紙の端をなぞるよう、押さえながら言う。

「外から来た血」

 その言葉は静かだった。

「この国は、ほとんど同じ系統の人間しかいない」

「違う系統の血を持ってるあんたは——」

 一度、言葉を切る。

「影響を受けにくい可能性がある」

 少し間を置き、続ける。

「あるいは、乗り越えられる条件を持ってるかもしれない」

 静けさが落ちる。

「……それって」

 アイリスがかすかに声を出す。

「私が生き残ったのは、母さんの血のおかげってこと?」

 ルーファスは眉をわずかに寄せた。

「それだけじゃない」

 すぐに否定する。

「血が混ざってる人間は少ないけど、ゼロではない」

 机の上の紙をめくり、別の記録に目を走らせる。

「発症してる。でも、全滅してる」

 小さく舌打ちをした。

「……足りない」

「何かが、もうひとつ」

 その声には、わずかな苛立ちが滲んでいた。

 アイリスに視線を向ける。 

「……少なくとも。無関係じゃない」

 しばらくの沈黙。

 そして、ほんの一瞬。

 ルーファスの目が変わった。

 “対象”ではなく、“意味を持つ存在”を見る目へ。

 視線はアイリスに向けられたまま、何かを計算するように細められている。

 やがて、小さく息を吐いた。

「まだただの憶測だから、いくつか、追加で調べる必要がある」

 視線はそのまま。低く言う。

「……協力してもらうよ」


 ルーファスは机の上の紙を引き寄せ、新しい頁を開くと、迷いなく書き始めた。

 発症時の詳細な経過。回復直前の状態。発疹の変化や色、範囲。

「それと——」

 一瞬、手が止まる。

「……血液」


 机の脇には、ルーファスが追加で持ち込んだ筒状の容器がいくつも並べられていた。

 それを見て、アイリスは思わず息を呑む。

「……こんなに?」

「一度に少量しか取れないから、その分刺す回数は多くなる」

 淡々とした答える。

「……あの」

 アイリスが、少しためらいながら言う。

「私、本当に……役に立つの?」

 ルーファスの手が止まる。

 ゆっくりと顔を上げた。

「さっきも言ったでしょ。無関係じゃない」

 まっすぐな目だった。

「理由がある。それが分かれば——他の人も助かるかもしれない」

 一瞬だけ視線が逸れる。

「だから、調べる」

 命令ではない、ただの事実のような言い方だった。

 アイリスは小さく頷く。

「……わかった」



 血を抜かれ、測られ、問われる。

 アイリスは何も言わず、ただ応じた。

 痛みも、顔に出さない。

 ルーファスはそれを横目で見ていた。

 文句も言わない。拒まない。

 ただ、受け入れるだけだ。

 ——よく耐えている。

 そう思いながらも、手は止めない。

 記録を取り、器具を動かし、次の手順へ進む。


 やがて一通り終わり、ルーファスは机に向かった。

 紙に視線を落とし、ペンを走らせる。

 ふと手が止まり、眉間を指で押さえる。

 短く息を吐き、すぐに書き始める。

 思考を逃さないように、ひたすら書き続ける。

「……あの」

 不意に、声がした。

 顔を上げると、アイリスがこちらを見ている。

「目、疲れてない?」

 あまりにも自然な調子だった。

 ルーファスは一瞬だけ言葉に詰まる。

「……別に」

 短く返す。

「そう」

 アイリスはそれ以上は何も言わない。

 再び、記録に戻る。

 ——人よりも、自分の心配をした方がいいだろう。

 とんだお人よしだ。

 そう思う。

 しかし、その言葉はなぜか頭に残った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ