踊り子の叫び声
「イヤァアァァーーッ」
口の開いた扉の向こうから、聞いたことのない不快音が漏れ聞こえた。
絶え間なく続き、一拍置いてまた響く。その繰り返し。
ゴドナーはまるで、何も聞こえていないかのように、顔色一つ変えず扉をくぐった。
獣の断末魔を思わせる絶叫に戦慄していると、ゴドナーに胸ぐらを掴まれ、扉の中へと引きずりこまれた。
蹌踉めくように研究棟に踏み入ると、背後でゆっくりと閉まる重い扉に、唯一の退路が遮断された。
扉が閉まり切ると、叫び声はさらに反響し、より重厚な不協和音となって脳内を掻きむしる。
ようやくこちらへ振り向いたゴドナー。
ニヤリとした笑みを浮かべるのと同時に、銀色の鎖を鈍い風切り音と共に投げつけられた。
「リストレインパルス・コントロール」
「っんぐ!?」
これ、前に博士が使ってたやつかッ!?
「なにを、やめてくださ――」
「黙れッ!」
ゴツゴツとした手で口を塞がれ、勢いそのままに壁へと打ち付けられた。
「つべこべ言わずに着いて来い……」
光のない瞳が迫ると、左胸に何かが触れた。
耳に入ってくるのは、荒れた呼吸と静かな呼吸が一つずつ。
そして、僕の心臓を狙う、ゴドナーが握った冷たい銃の装填音。
「返事はどうした? 黙って着いて来い」
「……はい」
身体が言う事を聞かない。まるで他人の足が付いているかのように、ゆっくりとゴドナーの方へ右足が運ばれて行った。
「これは先日のお詫びだ。私も少々手荒過ぎたと思ってな。我々の最終決戦兵器、神殺しについて特別授業をしてやる」
「――ッ!?」
片目の視線だけをこちらへよこしたゴドナーの口角がニヤリと吊り上がった。
恐ろしいほどの悪寒が爪先から脳髄へと駆け上がり、必死に立ち止まって首を横に振ったが、再び胸ぐらを掴まれ、奥へ奥へと導かれる。
「小僧。戦争において最も犠牲が少ない方法を知っているか?」
こちらを一瞥もしない。
声色には不気味な優しさを被せている。
「いやだ、離して。……もう、やめて……ください」
「そう、君は頭が良いなぁ。アストピアでのさばる精霊の主が死ねば、精霊に寄生された君たちアストピアの人間を救済できるのだ」
「違う、違う違う違うっ!!」
「そうなのだ、精霊共は間違っているよなぁ。君たちに力を与えているように感じるが実際は違う。奴らは人間を精霊術に依存させ、人々の進化を妨げている。それはあってはならない事だろう? 人に与えられた無限大にも等しい進化の可能性を、あの寄生虫共が邪魔しているのだ。全ては、精霊自身の、私利私欲の為に」
――ダメだ。狂ってる。こいつは人じゃない。一刻も早く逃げ出さないと。
しかし、脳裏に響き渡る絶望の足音に、僕の心が、少しずつ軋みだした。
「このっ、離せぇ!!」
「アストピアの人々を救う為、あの少女は自ら生け贄となることを望んだのだ。その身に巣食う精霊に、自身の肉体、精神を傷付けながらも抗い続け、ついに害虫を殺せる唯一の希望となってくれた。君も彼女と仲が良いのならば、必死に戦う姿を共に讃えようではないか」
「ふざけるなっ! そんな狂気が生み出した世界なんて絶対に間違ってる。そんな方法で世界や人間が救われるはずがないッ!!」
「そうかそうか。君も精霊が間違っていると思うか。やはり私の目に狂いはなかった。君は生まれ変わった世界でもきっと生きていける。精霊の時代は終焉を迎え、我々人間が築き上げる、真の人間の時代が訪れる。我が神、創造主のお告げ通りにな……」
「離せぇ!!」
必死にもがいた。必死に叫んだ。必死に否定した。
そうだ、今の僕は一人じゃない。
この身体の中にも、ちゃんと精霊がいてくれてるんだ。
一瞬でいい、身体を動かせるだけでいい。ほんの少しでいい。
力を貸して欲しいんだ……。
お願いだよ……。
「……やめて。やめてよ、いやだ、もう十分だ……。」
しかし、僕を地獄へ引きずっていくこの悪魔の手を、振りほどくことは出来なかった。
僕はまた、何もできないのか? 騎士でもなんでもない、この白衣の男相手に……。
――なんだったんだろう。あんなにしんどかった白虎隊での訓練は。
自分を信じて積み重ねてきた小さな努力は。
薄っすら希望にすら感じた白い光は……。
実験の時には見えていた、僕に宿っていた精霊の力かもしれない白い光も、今は一切現れない。
……精霊は、人に加護をもたらしてくれる存在じゃなかったのか? どうして、助けてくれないんだ。
こんなにもぐちゃぐちゃな心で願っているのに。
……僕が呪われているから?
……じゃあ、なんで呪われた時に、助けてくれなかったんだよ……。
そうだ、きっと記憶のない頃からもずっとそうだったんだ。
僕の中にいるのは、すごい精霊だって言ってたけど、僕が大したことなかったから。
精霊にすら必要とされない無能だったから。
「……オリジン、助けて」
呟く言葉も、しきりにこだまする悲鳴に溶けてしまった。
なんだ、やっぱり僕は結局一人ぼっちだったんだ。
今までの無能な僕と、なんにも変わってない。
……いっそのこと――。
「所長、お疲れ様です。結果は上々ですよ。浸食率九割です。もうじき完成かと」
「ご苦労、観測を続けろ」
部屋の奥には、白衣を纏った大勢の男女がいた。
こんなに悲痛な叫び声にも動じることなく、無数のガラス板に映された数字ばかりを眺めている。
ある者は談笑しながら、さも楽器の演奏でも聴いているかの様に。和気藹々と。
「おかしいよ。……こんなの狂ってる」
戸惑うことなく奥の扉に数字を打ち込むゴドナーや、研究員の異常さを見せ付けられている様だった。
「さぁ、お待ちかねだ。特別だぞ」
正直、もう察しが付いていた。
この先に、何が待っているのか。
ゴドナーが、何を見せたがったのか。
だからこそ、見たくなかったんだ。
だからこそ、必死に頭の中にあった選択肢を隠していた。
こんな気が狂いそうな叫び声を、あの子の口から聞きたいなんて、死んでも望まない。
恐怖と拒絶反応から、体の震えが激しくなる。今こうして立っているのもやっとの状態だ。
でも、このまま気を失う事が出来たら、どれだけ楽だっただろう。
扉の先で待っていた真っ白な部屋。
部屋の少し奥に、分厚いガラス壁で分断された個室があった。
――そしてその中に、あの子がいた。
「イヤァアァァーーッ!!」
両手を天井から垂れた鎖に繋がれ、足元には真っ赤な水溜り。
苦痛から逃げようと悶え打つ少女を囲む小さな足跡。
「ウソだ……。もう、やめてよ……」
心が、完全にへし折られた。
あの時の笑顔が、言葉が、仕草が、吐息が、鼓動が、気持ちが。
……全てが、叩き壊されていく。
何も考えられず、異常なまでに悶え苦しむ彼女を、只々傍観する事しか出来ない。
ここにいる気の狂った、ゴドナーや研究員と同じように。
「……いいかクソガキ。何を企んでいるのか知らんが、もう手遅れだ。ここまで精霊暴走が進めば、自我など壊れきったも同然だ。正直貴様らのやっていることは鬱陶しい。邪魔をするな。アストピアの行末は既に、この俺が握っている」
おそらく、博士の動きにも気付いていたのだろう。少なくとも、僕への牽制には十分すぎる見せしめだった。
声の出し方すら忘れ、目の前で壊されていく少女を眺めた。
「――ッ……ック……」
彼女がピタリと止まった。
突然音を失った部屋に、不気味な耳鳴りだけが駆け巡る。
静寂な時間が続き、少しずつ意識がはっきりと戻ってくると、形を無くした心から、涙と言う名の血が溢れ出す。
同情でも憐れみでもない。
純粋な恐怖だけが、心から溢れ落ちた。
「……ケタ。……ミ……。」
囁くような声が聞こえて彼女の方を見ると、首からぶら下がっただけの頭が僕を眺めていた。
記憶に残る明るい表情はなく、目には光さえ見当たらない。
生々しい赤色で静かに呼吸している血を湛えた口。
動悸がするほど綺麗だった黒髪は乱れ、その奥にある仄暗く血走った瞳は、ぶれる事なく僕の姿を捉えていた。
刹那、視界を塞ぐほど大きな破断音が響いた。
両手を天井に拘束していた鎖を引き千切り、少女はガラス壁に張り付いた。
ジロリと瞳を見開き、血に染まった口がニッコリと微笑む。
「ミィツケタ……。アハ、アハハハ……、アァ……、ウァァァァァァァァ」
僕の意識を断ち切るには十分過ぎた。
気を失いその場に倒れこむと、高らかなゴドナーの笑い声が部屋中に響いた。




