キャットウォーク
シリンダーが最大まで縮まって、ラジアルゲートが開き切ると、ダムの放水が一層激しくなっていった。ゲートの開口部から外の光が差し込んで、制御室内を明るく照らし出した。
「ギャアアオオオオ!」
水が流れる轟音にまぎれて響く“蜘蛛影”の鳴き声を背に、ユウキは全力でゲート脇の点検用通路に向かって走って行った。そして、その先の扉の内鍵を開いて、勢い良く外に飛び出した。
「うわあ!」
扉の向こうの通路は、すぐに曲がり角だった。危うく欄干の向こう側に飛び出しそうになるユウキの目の前には、ほぼ垂直に切り立ったコンクリートの壁がはるか下方まで続いていた。下から舞い上がる風にあおられ、ユウキは慌てて後ろに転がり、そのまま尻餅をついた。金網で作られた細い通路の足場は、格子状に素通しで、ユウキのお尻の下は数十メートル下方に続くダムの垂直面が丸見えになっている。
金網の向こう側を見たユウキの手足から、さっと血の気が失せていく。
ガアン!
そんなユウキの後方から、大きな何かがぶつかる音が響いてきた。
「逃げろお!ユウキィ!」
背中に背負われたリュッ君が大声を上げた。振り返ると、先ほどフロアーに上がってきた“蜘蛛影”が、ユウキ達に向って猛スピードで迫って来ていた。ユウキは慌てて立ち上がり、ダムの斜面に沿って伸びる通路を走り出した。そこに触手の一撃が横殴りに飛び出してきた。
ガキイン!
間一髪、ユウキの頭上を通り過ぎて、ダムの壁面に突き刺さる。その衝撃にバランスを失って通路に倒れこんだユウキが、振り返って再び尻餅を付いた。“蜘蛛影”の触手が壁から離れると、まるでユウキを探すように、あちこち方向を変えて動き回った。触手の先に当たった欄干がひしゃげ、突き刺さったコンクリがえぐれて破片が飛び散っていく。
「ユウキ!下がれ!下がれ!」
ガタン!
大きく通路が傾いた。恐怖に顔を引きつらせたユウキは通路にしがみ付いた。そして、制御室の扉から飛び出て暴れている触手から逃れるように、必死で後退していく。
「ギョオオオアアアア!」
くぐもった“蜘蛛影”叫び声が響き。日の光に溶けていくかのように、粒子を撒き散らしていた触手が、目の前でむちゃくちゃに暴れ、点検用通路の欄干やパイプを破壊していく。
「くそう…、日の光には弱いはずなのに!ユウキ!早く離れろ!」
固定するビスが弾き飛ばされ、通路が、がくんと下がったかと思うと、ギシギシギシ…と軋みを上げて、ダムの壁からねじれて離れていった。
「うわわわわわ!」
ユウキのいる足場も傾き、通路全体が垂れ下がるかのように、下に落ちていく。慌てたユウキは手を伸ばして金網を掴むが、そのまま通路は振り子のように下で激しく揺り返し、ユウキの体を大きく振り回した。必死で金網を掴んでいたユウキの手が、反動の強さに耐え切れず離れていく。
そして、空中に放り出されたユウキとリュッ君が、くるくるとダム壁面に沿って落下していった。
木の葉のように落ちていくユウキ。その背中でリュッ君が息を大きく吸い込んだ。そして、風船のように膨れ上がると、そのまま地上に向って一気にその空気を吹き出した。
フウウウウーーー!
リュッ君が噴出した空気に押され、再び空へ舞い戻って行くユウキが、ダムの提体に戻るように飛んで行った。リュッ君の逆噴射に押されて飛んでいくユウキの目の前に、先ほど崩れたものとはまた別の点検用通路が勢いよく迫って来る。
「うわああああー!」
このままだと激突してしまう!
慌てふためくユウキの背中で、息を全て吐き出したリュッ君が身をねじって反動を付けた。
「フンッ!」
体ごとくるりと反転するユウキ。入れ替わりにリュッ君が前を向いて、目の前に迫ってくる通路をにらみつけた。そして、スウッ!と再び空気を一気に吸い込んで、バン!っと、大きく膨れ上がった。
ボフン!
ユウキは背中から落ちると、少し跳ね上がって、膨れ上がったリュッ君の体に沈み込んだ。背中のリュッ君は、ユウキを何度かバウンドさせて揺さぶると、しゅるしゅるしゅる…っと、空気を抜いて元の大きさに戻っていった。ユウキは慌てて起き上がると、自分に潰されるように小さくなっていくリュッ君を背中から降ろして、その体を自分の方に向けた。
「リュッ君!リュッ君!」
「いててて…、やっぱりいてえんだなあ…。ちきしょうめ…」
見ると、リュッ君の顔が、くしゃくしゃに、しかめっ面を浮かべていた。心配そうに見つめるユウキが「顔が赤いよ!大丈夫?」と声を掛けると、やや苦笑いのような表情を浮かべて、「ああ、大丈夫だ!」とリュッ君が応えた。
「さて、ここも安全じゃあねえ、サッサとこのダムから離れねえとな…ユウキ!ダムの上か下、どちらか外に抜ける道を探そう!」
ユウキも周りを見回して、ここがどういう場所か確かめる。
ザアアアアアア…
轟音をとどろかせて、頭上の洪水吐きから、大量の水飛沫が滝のように流れていく。水飛沫を吐き出すゲートは、先ほどユウキが開けたラジアルゲートだ。見上げるユウキがいるこの点検用通路は、丁度、水飛沫を中心に凹んだ外壁に沿った場所に備え付けられていた。雨のように水滴が舞い上がる放水路を中心に、流れ落ちる水飛沫の裏側に備え付けられたフロアーに繋がっている。
ユウキはリュッ君をお腹に抱え直して立ち上がり、フロアーの反対側、ダムの外側に向かって駆け出した。
通路のヘリの欄干から身を乗り出すと。先ほどの通路とは違い、今ユウキのいる通路は途切れてしまっていて、その先は切り立ったダムの壁面が続くだけだった。下を見ると、先ほどのゲートの数十メートル下に来たとはいえ、まだ、ダムのふもとまでは相当な高さがある。ここから壁面に沿って移動することは出来そうにない。
「くそう…、外から移動することは出来ねえか…」
ユウキもリュッ君もその顔に、悔しそうな表情を浮かべて、ただただ、目の前に広がる眺望を見つめるしかなかった。
「仕方がねえ!奥のフロアーに行って、他の通路を探そう」
リュッ君がユウキに提案する。うなずくユウキ、しかし、その顔には恐怖の表情が浮かぶ。仕方がない、ダムの提体内には、あの巨大な“蜘蛛影”がまだいるかもしれない。先ほど、大量に日の光を浴びて、リュッ君は「やったか?」と思ったが、ダメージを食らいながらも、あいつはまだ動き回っていた。油断をすることは出来ない。ユウキとリュッ君は緊張した面持ちで流れ落ちる大量の水飛沫の脇を通り過ぎ、その奥のフロアーに向った。
奥のフロアーは、ダムの洪水吐きを中心にへこんだ形で広がっており、左右対称のつくりになっているようだ。ユウキ達が着地した通路と同様のものが反対側にも付いているが、残念ながら、その先も、どこかに通じているわけでは無かった。そして、フロアーの中央の、ダムの壁面には、鉄製の頑丈そうな扉がしつらえてあった。それ以外には階段も通路も無く、ここから出るには、その扉からダムの中を通るしかなさそうだった。
「ユウキ。俺の中から鍵束を取り出すんだ」
リュッ君は、かぱっ、とその口を開けてユウキをうながす。ユウキがリュッ君の中から鍵束を取り出すと、隔壁扉に恐る恐る近付いて行った。鍵束から鍵を一本選び出し、鍵を差し込もうと構えると、
ガン!
と、扉の内側から強く叩く衝撃音が響いてきた。驚き飛びのくユウキ。立て続けに二回、三回と打撃音が続く。
この扉の向こうにあいつがいる!
リュッ君をぎゅうっと握り締めて、じりじり後退していくユウキ。お腹のリュッ君の顔にも、驚愕の表情が浮かび上がる。
先ほどのゲート操作室の時と同じだ。このままだと、この扉も破られてしまう。
ガン!ガン!ガン!
目の前で激しく揺れる扉。後退するユウキの背中にフロアーの手すりが当たる。手すりに阻まれたユウキとリュッ君は、後ろに滝のように流れ落ちる水飛沫と轟音を背中に感じながら、目の前で激しく叩かれ揺れる、隔壁扉から目を離すことが出来なかった。
中からの打撃音がどんどん激しく、強くなっていく。そして、一際強い打撃音がフロアーに響くと、鉄製の扉が、まるで飴か何かのようにひしゃげて、大きくボコン!と盛り上がった。




