開放
「ぎひいいいいいい!」
”蜘蛛影”が奇怪な鳴き声をあげて体を捻ると、おもむろにシリンダーに取り付き、ザカザカと上へ這い上がって行った。そして、その天辺で赤く光っている警告ランプにのしかかった。
バリン!
警告ランプが割れて破片が飛び散っていく。まるで怒り狂ったかのように無茶苦茶にランプに食らいつき、粉々に破壊していく”蜘蛛影”。赤く光る回転灯がぐるぐる回りながら垂れ下がったところに、長い手足でそれを突き刺し、バリバリと砕いて飲み込んでいった。金具が飛び散り、コードが引きずり出され、台座がひん曲がって下に落ち、ゲートから放出されていく大量の水飛沫に紛れて、遥かふもとの河川に向かって流され消えていく。
警告ランプを破壊した”蜘蛛影”が、対岸に設置された別の警告ランプの方に顔を向けた。「グルるるる…」と喉を鳴らすように低く唸ると、ゲートのヘリを伝ってそちらへ渡り、先ほどと同じように警告ランプを無茶苦茶に食いあらして破壊していった。
それ見てリュッ君も声を失う。幸い、ユウキは固く目をつぶったまま、ゲートを開けるために必死でハンドルを漕いでいる。
「ユ…、ユウキ!ラストスパートだ!もう少しでゲートが全開になるぞ!頑張れえ!」
リュッ君がユウキに向かって声を絞り出す。ユウキがその声を聞くと、ハンドルを上下する動きを早めていった。ユウキの息がはね上がり、心臓の鼓動がドンドン早くなっていく。
バキイイン!
”蜘蛛影”はゲートの脇にあった、最後の警告ランプにむしゃぶりついて破壊すると、
「ぎひいい!」と鳴いて上体を反らし、ユウキ達のいるフロアーにその顔を向けた。
張り出したコンクリートのフロアー、ダム湖の水が大量に流れている放流路の向こう側で、ゆっくり向きを変える”蜘蛛影”。どうやら、自分たちを視界に捉えたらしい…。リュッ君が確信すると、そんなリュッ君の考えをあざ笑うかのように、”蜘蛛影”の二つの光が、ニタッ、と細まった。そして、体を低くかがめて後退すると、おもむろに助走して大きく跳ね上がり、水飛沫の上を飛び越えて対岸のフロアーに取り付いた。
コンクリートの壁をえぐって引っかかったその巨体がぐんっ、と下がっていく。すぐ下を流れる水が飛沫を舞い上げて、蜘蛛影の身体を濡らす。自身の大きな身体を長い手足を使ってゆっくりと引き上げると、壁をよじ登ってフロアーの上に這い上がって行った。フロアー上で体勢を整え、フロアーのヘリから距離を置くように下がって行く。
あと一つ越えると、ユウキたちがいるフロアーに到達する。
「お、おい、本当に間に合うのかよ…」
リュッ君が、前に立っているノッポの影に向かって思わず呟く。ノッポの影は相変わらず蜘蛛影の方に向いたままリュッ君達に背を向けている。リュッ君には、ゲートが上がっていくスピードが忌々しいほどゆっくりに感じられた。
せり上がっていくゲート脇で、”蜘蛛影”がコンクリートのフロアーのヘリ一杯まで下がると、身体をかがめて、長い後ろ足でコンクリの地面を引っ掻いて蹴り上げた。手足を小刻みに動かして助走を付け、ユウキとリュッ君達がいるフロアーに向かって駆け出した。
大きく弧を描いて飛び上がった”蜘蛛影”が、壁面に長い手足を引っ掛けて取り付く。ガリガリと壁面を削って取り付いた蜘蛛影は、ゆっくりと上方を見上げた。するとそこには、ユウキ達を案内したノッポの影が、蜘蛛影を見下ろして立っていた。
「ホッホウ」
「げげげげげげ」
奇声を上げてノッポの影を見つめる”蜘蛛影”。壁面に触手を鋭く突き刺し、一歩一歩登っていくと、手すりの向こうから見下ろしているノッポの影に向かって、触手の一本をゆっくりと伸ばした。
すると、ノッポの身体がゆらりと揺れて、ひらりと風に流されるように下に落ちて行った。放流路に向かって落ちていくノッポの影を捕まえようと、身体をひねって手を伸ばす”蜘蛛影”がバランスを崩した。上体が反り上がり、長い足の一つが、ひらひら落ちて行くノッポの影を追いかけ、下方へと落ちていく。そのまま”蜘蛛影”はノッポの影の体を長い触手で貫くと、串刺しにしたノッポの影を空中に高々と上げて、そのままぶらりと身体を揺らして壁面に留まった。”蜘蛛影”のすぐ真下で水飛沫が激しく唸る。
ガアアアアア!
轟音を轟かせ、せり上がっていくラジアルゲートの隙間が広がっていく。外から差し込む太陽の光が、ゲート操作室に差し込んでくると、壁面にぶら下がった”蜘蛛影”の身体を入射光が射抜いていった。太陽の光はノッポの影も飲み込んでいくと、身体を貫かれたノッポの影がサラサラと光の中に溶けていった。
ゴオオオオン!
「ギニャアアアアアア!」
ゲートが上がりきる轟音が室内に響いた。”蜘蛛影”の奇声も高々と上がり、太陽の光を浴びた”蜘蛛影”の身体から、シュウシュウと、黒い粒子が千切れて溶けていく。黒い粒子を拡散させながら、壁に取り付いている”蜘蛛影”が苦しそうに悶えて、身をよじり、不快な声を操作室内一杯に響かせていた。
「ユウキ!やったぞ!ゲートが開ききった!」
リュッ君が喜び、声を上げた。ユウキがハンドルから手を離して尻餅をつくと、激しくはあはあ、と息を上げた。 暫くして、フロアーの先に目を向けると、リュッ君が飛び上がりながらユウキに叫んでいる。
「ユウキ!その先に、ダムの外に通じる通路がある!急げ!早くここから脱出するんだ!」
ユウキが見つめるリュッ君の後ろから、耳障りな叫び声が上がっている。ユウキは顔を恐怖に引きつらせて立ち上がると、急ぎリュッ君を拾い上げて、後ろに背負った。
そして、ユウキが駆け出そうとしたその時「ギャアアアアオオオオ」と大きな悲鳴が後ろから響いて来た。刹那、巨大な黒い長い足がフロアーのヘリから鎌首をもたげて高く舞い上がると、ゴオオっと、風をきって振り下ろされた。
ガキイイン!
ユウキ達のいるすぐ近くに突き刺さる黒い触手。驚きバランスを崩したユウキが尻餅をついた。後方を見るユウキ達の目の前、欄干の向こうから、黒い巨大な粒子の塊が現れた。シュウシュウと音を立てて、不快な唸り声をあげたドス黒い塊が、表面の粒子が拡散させながら、手すりの向こう側からせり上がってくる。前面には二つのギラギラとした光が瞬き、尻餅をついたユウキ達を捉えてじっと見つめていた。
「うわああっ!」
ユウキは慌てて立ち上がり、ダムの外に繋がる通路に向かって全力で駆け出した。フロアーを横切って、その先の扉を越えていく。
金属がたたきつけられ、ひん曲がっていく音、コンクリートがえぐれる音を背に受けて、ユウキは細い点検用通路を伝って、ゲート操作室から必死で逃げ出して行った。




