何かの気配
ドオオオオオ…
足元で勢い良く放出される大量の水しぶきに圧倒されるユウキとリュッ君。ユウキが欄干から身を乗り出して、下方に弧を描く白い巨大な水飛沫を目で追っている。リュッ君もユウキのお腹からその様子を見つめていた。
地上からどのくらいの高さがあるのだろう…。見つめていると地上へと吸い込まれそうな気分になっていく。そんなことを考えながらリュッ君は、ダムの放水を見つめるユウキの方を目を移すと、エヘンエヘンと、喉を鳴らした。
「ようし、これで第一関門突破だな!ユウキ。次は③の部屋に行ってもう一つの水門も開けよう」
声をかけてきたリュッ君の方を向くと、ユウキは欄干から後ろに跳ねてフロアーにもどって、「うん」と応えた。
「ホッホウ!」
ユウキとリュッ君が声のする方向を向くと、ノッポの影が、フロアーの端をわたった欄干の向こう側、通路扉の脇に立って、手招きをしている。
ユウキとリュッ君はお互いに目配せすると、うなずきあって、ノッポの影が立っている通路脇に向って走って行った。
切り立ったコンクリートの壁を、大量の水しぶきが舞い上がっていく。ユウキ達が通路に入って消えていくと、そのふもとから、ゴオオン!と大きな振動が伝わってきた。
「うわっ!」
ユウキが衝撃に足を取られて前につんのめって倒れそうになると、ばふん!とリュッ君が膨らみ、ユウキを包み込んでバウンドさせた、転がったユウキがそのまま尻餅をついて、欄干にしがみ付いた。吸い込んだ息を吐いて元の大きさに戻ったリュッ君が、あたりを見回す。
「な!なんだ?地震か?」
揺れにゆられたノッポの影も、S字にバネのように身をくねらせてバランスを立て直すと、辺りを見回して様子を見るような仕草をした。
欄干にしがみついたユウキが不安そうに周りを見回す。
「今のなんだろう?リュッ君…?」
「…ううむ」
答えに困るリュッ君の表情が少しだけ曇った。
「ホッホウ」
揺れが収まると、ノッポの影がユウキ達に声を掛けてきびすを返し、通路をまっすぐ歩いていった。
「ユウキ。とりあえず、今はあいつについていこう。どうやらいろいろ手伝ってくれるみたいだしな」
「うん!」
ユウキは返事をすると、気を取り直して、前を歩くノッポの影の後ろを付いていった。
細く続く通路をしばらく歩いて行くと、二人は再び監査廊に戻ってきた。目の前には、まるで二人が来るのを待っていたかのように、点検用ゴンドラが停車している。ノッポの影がその脇に身を寄せると、ユウキ達を座席に誘導するように腕を振った。
うながされるように、二人が上がりこんで席に着くと、ノッポの影が、登り通路の先、監査廊の奥を指し示した。するとゴンドラのヘッドライトに灯が灯り、次いで車体がガクンと揺れる。そして、そのままゆっくり監査廊のレールに沿って走り出した。
通路をゆっくり登っていくモノレール。ユウキが後ろを振り向くと、先ほどのノッポの影が、ゴンドラを見守ったまま、ゆらゆらと揺れて立っていた。
薄暗い監査廊を進んでいくゴンドラの周りには、あいかわらずひんやりとした空気が漂っていたが、先ほどと違うのは、分厚いコンクリートの壁を越えて、地鳴りのように、水が流れる振動が二人に伝わって来ることだ。低く唸る微振動を感じながら、ユウキが不安な表情を浮かべて聞いた。
「リュッ君…、さっきのおっきい揺れ、何かな?」
「うーん…地震かと思ったが、どうだろうな…」
監査廊の行き止まりがヘッドライトで照らされて見えてくると、ゴトゴトと音を立てて巻き取られるワイヤーシリンダーの回転速度が落ちていき、二人を乗せたゴンドラが、プシューと音を立ててゆっくりと止まった。
ゴンドラが止まると、その脇には、またあのノッポの影が、「ホッホウ」と言って、二人を出迎えた。ユウキがゴンドラから降りてくるのを確認すると、ノッポの影はきびすを返して、ゆっくり監査廊脇から続く廊下をまっすぐ歩いていった。
「どうやら、③の部屋まで案内してくれるみたいだな」
「じゃあ、次の部屋で水を流したら…」
「ああ、ダム湖の水位が下がって、☆が顔を出してくれるかもしれないな…」
ゴオオオン!
再び、ダムの下のほうから、鈍く響く音が振動として伝わり、二人のいる廊下を揺らした。
「まただ…、なんだろう?」
「ううむ、なんだろうな」
リュッ君が、顔をしかめていぶかしむ。
ダムの下のほうで、何かがぶつかるような音が断続的に響いてきている。何だろう?リュッ君は考える。このダムも、遊園地や神社のように、もう人の管理の手になさそうな施設なのだとしたら、そもそも、建物全体が老朽化した廃墟なのだとしたら…急にバルブを開けたりして、水を流したりしたものだから、実は建物全体に変な負荷でもかかっているのだろうか…、もしそうだとしたら…。
「リュッ君。リュッ君」
ユウキの呼びかける声に、ハッとなるリュッ君。
「ねえねえ、付いたみたいだよ」
「ホッホウ」
「あ、ああ…」
その声に生返事をして、顔を上げるリュッ君。黒いノッポの影が、ゆらゆらと扉の脇に立っている。ユウキ達が扉を開けるのを待っているかのようだ。扉は、大きな 取っ手が付いた、これまた頑丈そうな隔壁扉だった。そして、その扉の前には、黒く、鈍いつやをはなった鉄製のプレートがしつらえられていた。表面はやや凹凸のへこみが目立ち、そこに書かれている説明文らしきものは、削れていたり擦れていたりして、一見して何が書いてあるのか解らない。リュッ君がそのプレートをじっと見つめていると、脇に立っていたノッポの影が、「ホッホウ」と言って、二人に声を掛けた。
「フムン、ここだな。ユウキ、中に入るぞ」
リュッ君が見つめるプレートに書かれた説明書きで、かろうじて読み取れる部分には、このように書いてあった。
『非常用洪水吐き ゲート操作室 高圧ラジアルゲート 2門』
ユウキが隔壁扉に近付き、 取っ手に手を掛けると。
ゴオオン!
再び激しくなにかがぶつかる音が響いてきた。驚くユウキとリュッ君。そして、立て続けにゴン!ゴオン!と、激しく何かが暴れるているような音が、後ろの監査廊を通じて、下のほうから連続して聞こえてきた。
「な!なんだ?」
廊下全体に響き渡る轟音と揺れを感じながら、周りを見渡すユウキとリュッ君。
ガン!バアアン!
ガランガランガラン…、
ダムの下のほうから、金属的な何かが破壊され、細かな部品が撒き散らされるような音が聞こえてきたか思うと、揺れと轟音は一旦収まり、監査廊内部のくぐもった地鳴りのような音が、ユウキ達の周りを静かに満たしていった。
突然のことに驚いたユウキとリュッ君は身体を強張らせて耳を澄ましている。脇のノッポの影もやや身体の揺れを小さくして、まるであたりを伺っているようだ。
どこかで水漏れでもしているのだろうか、水滴が滴り落ちる音がやけに大きく聞こえる。
声を殺して固まっている一同。リュッ君がゆっくりと深呼吸をすると、
「…ユウキ、その扉の中へ早く入れ…」
とボソッと言った。
「え?」
と聞き返すユウキ。すると、監査廊の続く下のほうから、
ザザザザザザ!
と狭い通路の壁に何かをこすり付けるような異音が下から伝わってきた。その音は、監査廊を、上へ上へと近付いて来ている。
「ユウキ!早く中に入るんだ!」
リュッ君の声に慌てて、隔壁扉の取手に手を掛けるユウキ。
すると、その扉の取手が一瞬、ザワッ!と細かい黒い粒子となって歪んだように見えた。「あっ…」となって、一瞬手を離してしまうユウキ。
「ユウキ!」
再びリュッ君の声が聞こえる。再び 取っ手を見ると、それは頑丈な鉄の取手だった。
ざわざわと不快な音が、廊下の奥から迫ってきている。それはまるで、ザラザラとした大きな何かが、その廊下一杯に満たされ、這って登って来ているかのような音だった。
ユウキが、 取っ手に手を掛け、思い切り体重を乗せて鉄製の扉を開いていく。体ひとつ分だけ隙間が開くと、ユウキたちはその中に慌てて入っていった。ユウキに続いてゆらゆらと入ってくるノッポの影が、完全に中に入ったのを確認すると、ユウキは扉の裏側に回って、再び体重を乗せて扉を閉めていく。
ガコオオン!
「ユウキ、扉にあるハンドルを回せ!」
リュッ君に言われて、慌て、ハンドルに手を掛けると、時計回しに回転させて扉の鍵を閉めていった。そしてユウキは硬く目をつむって息を殺し、扉を押さえつけた。
ザワザワザワザワ…
監査廊を登ってきた巨大な何かは、不快な音を隔壁の向こうに響かせながら、扉の前を通り過ぎて行った。
ユウキは扉を押さえて、その不快な音が扉の前を通り過ぎるのをじっと固まって聞いていた。




