サイレン
ノッポの影は、ユラユラと元来た道を戻ってタラップを降りると、発電所の扉に向かってまっすぐ歩いて行った。
ユウキとリュッ君は、ノッポの影の歩いて行くその後ろに数メートル離れて付いて行く。
扉に向かって行くかのように歩いて行く影だったが、途中で左に曲がったかと思うと、そのまま施設扉脇に設えられた作務所のようなところに向かってノッタリノッタリ歩いて行った。
そこはガラスで仕切られた小さな事務所のような場所で、幾つかのオフィス用机が置かれた簡易なスペースであった。仕切り戸はすでに無くなり、机の上は乱雑に荒らされ、打ち捨てられたようなモニターが並んでいるだけだ。上の管理棟で見たように、既に使われなくなって何年も経っているように見える、うっすら埃をかぶったあのOA機器は、今は動きそうに見えなかった。
ひっそりと影に隠れたそのスペースに、歩を進めて行くノッポの影。
ユウキがその後ろをついていってると、ノッポの影が向かっている先のモニターが、一瞬ジリッと画面を乱した後、ブーンと唸りを上げて明かりを点けた。あっ!と驚き思わず歩みを止めるユウキ。二人がじっとして、ノッポの影とその事務所スペースの様子を見つめていると、ノッポの影がスペースの仕切り戸を越えて、明かりの着いたモニターの前に近付いていった。
ノッポの影が、モニターの置いてある机の前に立って、じっとモニターのほうを見つめている。影が見つめる先には、キーボードとマウスが置いてあったが、先ほどとは打って変わって、それらを使って何かする様子はうかがえず、ノッポの影はじっとモニターの前にたたずんでいるのみだった。そんな様子を不思議そうにユウキとリュッ君がじっと後ろから伺っていた。
モニターの前に立っているノッポの影が、不意に、ユウキ達の方を振り向いた。
「!」
図らずも対峙する形になるユウキとリュッ君。まるで目と目があったかのように、ノッポの影とユウキ達が向い合わせて固まっている。しばらく両者は、じっと見つめ合うようにお互いに向き合っていたが、リュッ君を抱えて固まっていたユウキが、ジリッ…っと、一歩後退した。そんなユウキをじっと見つめているノッポの影が、
ホッホホ。
と妙な声を上げると、ユウキを手招きするような仕草をした。そして、光の付いたモニターを指して、 ホッホとさらに妙な鳴き声を上げた。
その仕草を認めるも、ユウキは固まったまま動けない。
そんなユウキに向って、ノッポの影はもう一度、ユウキ達を手招きして、ホッホホ、といいながら、明かりの着いた画面と、マウスとキーボードを指差すような仕草をした。
それを見ていたリュッ君が、ユウキに向かって、
「ありゃ、手伝ってくれって言ってるな、もう…」
と呆れたように言った。
それを聞いたユウキが「え?」と声を漏らして、姿勢を直す。
そんなユウキを見つめるノッポの影は、三たび、ユウキを手招きをした後、モニター類を指差して、ホッホホ、と声を上げた。
ユウキは少し躊躇したが、じっと見つめる影をみとめて、仕方なく、ノッポの影が立つモニターのある場所まで向かって恐る恐る歩き始めた。
すると、ノッポの影は、うれしそうに、ホッホホ、 ホッホホ、と声を上げ、ステップを踏むかのように左右に揺れた。
ユウキが事務所内に入り、モニターの光が付いている机の場所までやって来ると、影はじっとして、ユウキに道を譲るかのように脇に寄り、その場所でユラユラと立っていた。しばらく警戒しながら、机の前に立って影の様子をみるユウキだったが、どうやら、何かするような仕草は見せず、先程と変わらず、ユラユラと机の近くに立って、ユウキ達をじっと見つめている。
そんな様子のノッポの影を不思議そうな目で見つめるユウキ。すると、ノッポの影が、ホッホ、と言って、机の上にあるマウスを指差した。
その後、モニター画面を指差して、ホッホーホウ、と声を漏らして画面上を手でなぞった。
画面を見ると、 バックスクリーンに今、ユウキ達がいるダムの写真が貼ってあった。その上に覆い被さるように、インターフェイス画面が重なって、メニュータグが並んでいる。タグの大部分はバグってグラフィックが崩れてしまっており、文字化けを起こして判別がつかなくなっていたが、その中に一つだけ、”放水警報”のタグだけは、形を崩さず画面の中に残っていた。
ユウキとリュッ君がそれを見ていると、ノッポの影が、念押しとばかりに、”放水警報”タグを指した後、ホッホホと言ってマウスをグリグリ動かすような仕草をくりかえした。
その様子をむすっとした顔で見つめるリュッ君が、ややあきれたかのように、
「ふむん、ユウキ、どうやら、それが”サイレンを鳴らせ”のようだな」と言った。その言葉を受けて、ユウキが
「この丸いので選べばいいのかな?」
と言って、ユウキがマウスを持ち上げてまじまじと見つめる。
「画面のカーソルを、そのタグの上でクリックすればいいのかな?」とリュッ君が言うと、ユウキが「カーソル?くりっく?」と聞き返した。リュッ君は、ユウキに向って、
「ユウキが持っているまるいのが”マウス”で、マウスについているスイッチを押すことを“クリック”って言うんだ。んで、画面の中に矢印があるだろ?そいつが“カーソル“だ、その”マウス“で、画面内の矢印を動かす事が出来るんだな」と応えた。ユウキはマウスを持って「ふーん…」と目を丸くして見つめている。
リュッ君は、モニターを見ると、「まあ、わかりやすく“放水警報”タグが現れているからな、そいつにカーソルを合わせてクリックすればサイレンが鳴るのかな?ユウキ、ちょっとやってみろ」とうながした。
すると、後ろで聞いていたノッポの影がそれに応えるように、ホッホホ、と声を漏らして頷いた。それを聞いてリュッ君は、「こいつもやれっていっているな…」と苦笑いをして言った。そんなリュッ君と、ゆらゆらしている影を見てユウキが、
「わかった!」
と応えると、マウスを握って滑らして、画面内カーソルがどう動くか確認した。
矢印が動いたのを確認すると、ユウキは”放水警報”のタグの上に矢印が重なるように移動させると、ちょっとぎこちなく、カチカチとマウスのボタンを押した。
すると、文字化けを起こした警告文が現れ、”Yes””No”の文字が二つ出てくる。それを見たリュッ君が、
「左だよ、ユウキ」
とユウキを促した。
リュッ君の言ったとおり、左のタグを選んで、再びカチカチっとボタンを押す。
すると、“ユーザーID”と“パスワード”の入力用ダイアログが現れた。
「あれ?何だろう、これ?」
とユウキは言うが早いか、カチカチとOKのボタンを押してしまう。すると、画面上に、
『ご入力のIDとパスワードは正しくありません。』とのエラーメッセージが出た。
「なにも起こらないよ?」
とユウキが首をかしげる。
「そりゃそうだ、ここの職員さんの権限がないと、こんなもん発行できないわな…。うーん」
「サイレン鳴らない?」
しばらくリュッ君がうーんと唸るが、そういえば、管理棟の所長室で、英数字がメモられた紙切れを見つけたのを思い出した。
「ユウキ、ちょっと俺のポケットの中から、所長室で見つけた紙切れを出してくれ」
言われたユウキが、リュッ君の脇のポケットから折りたたんでしまわれていた紙を取り出して広げた。
「ふむふむ、この文字列と8ケタの数字がそうなのかな?よしよし、じゃあ、こいつを入力してみようか。ユウキ」
「入力?」
目を丸くしてユウキがリュッ君に聞き返す。リュッ君は、はたと気がついて天を仰いだ。
そうだった、こいつはまだ、漢字も読めない小さなガキんちょだった・・・。
後ろでノッポの影は、ホッホホッホと、一定のリズムで軽快に声を上げている。
「よしユウキ、いまから読み上げる文字を、目の前のキーボードから探して、一つ一つ押していくんだ。えーと…、最初は“K”だな」
と言って、リュッ君はキーボードから“K”の場所を探した。
「ユウキ!キーボードの真ん中にはボタンの列が四列あるだろう?その三列目の右から6個目のボタンを…(以下略)」
IDとパスワードの打ち込みに半時間近く格闘するユウキとリュッ君。先ほどから何度エラーの文字が出てきただろうか?ユウキはそれでも、リュッ君の読み上げる文字を、人差し指を使って、真剣に、一文字一文字丹精こめて打ち込んでいる。
その間、ノッポの影は、ホッホホ、ホッホホ、と右へ左へふらふらと揺れて、二人の悪戦苦闘する様を、飽きもせず見つめていた。
リュッ君は、そんなノッポの影が視界に入るたび、なんだかいらいら、もやもやとした感情がこみ上げてきたが、努めて冷静さを失わないよう、ユウキに何度も文字と文字列の場所を伝えて、打ち込みを繰り返させた。そして、IDの文字列を埋めパスワードの八文字を黒い●で何度も埋めていった。
「よし、ユウキ、そこでエンターだ」
「うん」
今度こそエラーが出ませんように。と心の中で願うリュッ君。後ろでは、ノッポの影が相変わらずホッホホ、ホッホホ、と躍っている。そして、作業を繰り返すことで、打ち込む必要のある文字列とキーボードを暗記し始めたユウキは、リュッ君の言葉を受けて、迷わずエンターを押す。
すると、読み込みバーが点滅し、「30秒後、放水警報を発令します」との警告文が出てきた後、カウントダウンが始まった。
「やったー!」
飛び上がって喜ぶユウキ。リュッ君は、「ふーい…通ったか…」とこぼしてユウキのお腹に抱えられてぐったりしていた。ホッとした様子で、モニターのカウントダウンダウンを見つめるユウキとリュッ君。
その様子を見たノッポの影は、ホホッ…、と泣き声を上げて踵を返すと、ユウキ達がいる事務所の出口に向かって歩き始めた。
しばらくして、傍らにノッポの影が見当たらないことにユウキが気がつくと、部屋から出て行ったノッポの影が、扉に向かって歩いて行くのが見えた。
ノッポの影が歩いていく先には、発電所の入り口の明かりと、その明かりを背に立つ、もう一体のノッポの影がいるのが見えた。
ユウキ達が驚き見ていると、先程までユウキ達の近くにいた影が、扉近くにいる影に、片手を上げて声をかけるような仕草をした。そして、まるでお互いに言葉を交わすように、向かい合ってうなずきあったりしていたかと思うと、そのまま連れ立って、発電施設の扉の光さす方向へ歩いて行く。そして、その様子を見ていたユウキが、アッ、と驚いた。
ノッポの影達は、扉から差す光に触れると、その部分から黒いチリとなって消えていった。
その様子を呆然と見つめるユウキ。
そんなユウキ達の傍らで、モニタ上のカウントダウンの表示が0を指した。
すると、ダムの上、天端の向こう、管理棟から低くたれ込めるようなサイレンの音が聞こえてきた。
断続的にいびつな音響を山間周辺に響かせ流れるその音は、不吉な和音を大きく奏でて、ダム周辺の森に、川に、湖に、低く重く響きわたって広がっていった。




