フーチング
管理棟の探索を終えて、ユウキとリュッ君が裏扉から出てきた。その他の部屋は軽く回って見たものの、めぼしいものを見つけることは出来なかった。
「せめて、スコップかナイフくらい出てくればなあ」
道具部屋は見つけたものの、そこの中身はあらかた持ち出されているか、子供が持ち運ぶには大きくて重いものばかりだった。つり道具も期待したが、都合よくは見つからなかった。
仕方がない、クーラーボックスと水筒さえ荷物だというのに、リュッ君の中に入りきらない道具を持たせる余裕は、こんな幼子にはない。
そんなことを考えながらリュッ君は肩を落としたが、ユウキはあまり気にした様子も見せず、所長室で手に入れた鍵束を取り出して、裏口の扉に合いそうな鍵を探していた。一本一本差し込んでいくと、数本目に差し込んだ鍵がすっぽりはまった。ユウキはひねって鍵をかけると、きちんと扉が閉まっているかどうかを確認した。
裏扉が開かないことを確かめると、ユウキは、スロープを下りて、ダムのあるほうへ歩いていった。管理棟に背を向けて、ずんずん歩きながら“さくせんしれいしょ”をリュッ君の目の前に開いていく。
“さくせんしれいしょ”の書いてあることを信じるなら、一旦、ダム湖の反対側であるダム提体の裏側、切り立ったコンクリートのはるか下にある施設に行って、電源を入れなければならないらしい。下の施設は、発電所か何かなのだろうか?ダムのことには詳しくはないリュッ君にとっては、何もかも解らない事だらけなので、今は“さくせんしれいしょ”に書いてある手順を信じるしかなかった。こんな子供の落書きみたいな紙ペラなのに…。リュッ君は口には出さないが、ややうんざりした表情浮かべた。
「まずは行く先を確認しようか?」
ダムに向かって歩くユウキに声をかける。
「さて、下に下りる方法だが」言いながら、ダムの天辺の通路である天端のへりに到着した二人が、手すりから身をやや乗り出して、下にある施設を除きこんだ。
「高いねー」
「高いな…」
垂直に切り立ったダムのコンクリートの壁を、そのはるか下方まで目を凝らす二人。河川に繋がっていく窪んだコンクリートの、凹型の張り出しの脇に、鉄筋の四角い施設が立っている。
「あそこだな、さて、どう降りるか…」
リュッ君は思案しながら“さくせんしれいしょ”を確認する。
“しれいしょ”に描かれた①の施設に行くには、中の通路『監査廊』をたどって下に下りる方法と、脇にある外階段『フーチング』を辿って下りる方法の二通り考えられた。
ダムの中央と両脇に、ダムの天端から張り出した施設が建てられていて、そのドアがダムの提体の中に張り巡らされた『監査廊』の入り口であるらしい。
この“しれいしょ”を見る限り、二人が「水門」を開けるために行かなければ行けない施設は、監査廊の通じている先、提体の中の、上部と中腹部分にある水門の操作室のようだ。順番から行くと、電源を復活させた後、ダムの中に侵入して、操作 室で水門を開けないといけないのか…。と、リュッ君は頭の中で考えた。
なら、おのずと、どちらを辿って下に下りたほうがいいかは決まってくるかな?
「よしユウキ、ダムの脇にある『フーチング』から行こう」
「フーチング?」
ユウキがリュッ君に聞き返す。
「”しれいしょ”に書いてある。ダムの両脇にある長い階段のことだよ」
とリュッ君は返事して、ダムの端にある長い長い外階段を目でさした。
「今はあまり暗い場所に入りたくはないからな、とりあえず、外の明るいところから①の施設に向って、①の条件をクリアしたら、次はダムの中を攻めよう」
「う、うん…そうだね」
“しれいしょ”の中身にそって動けば結局はダムの提体の中を通らなければならない。そのことはユウキにもわかったので、ユウキの返事は、どうしても気の進まないものになってしまった。
ユウキとリュッ君は一度、下にある①の施設に目を移して、どちらの階段から行くのがいいのか確認した。今のところ、二人から見て①の施設は右側に位置していたが、一応、河川の先には橋が渡っていたので、どちらから降りても施設には行けそうだった。
「まあ、素直に右側の階段から行くか」
とリュッ君にうながされたので、ユウキは右側のフーチングへと足を向けた。リュッ君は、そのユウキの足を止めるかのように、
「ああ、ユウキ、クーラーボックスはここに置いておこう。荷物になるからな。“しれいしょ”の条件を満たした後、どうせダムの上に戻ってくることになる」
リュッ君は“落書き地図”の内容を思い出しながら言った。
たしか、ダム湖の向こうにロープウェイが描かれていた。次の☆マークに向うためにはそちらのルートをたどることになるのだろう。リュッ君はちらとダム湖の向こうに眼を向けた。ここからでは見えないが、ダム湖の周辺にめぐらされた道路が、地図で指し示された方面に伸びて消えていっていた。
「ユウキ。“落書き地図”を出してくれ」
「う、うん」
ユウキはリュッ君の中から落書き地図を取り出して確認した。
「腕時計を使って方角を確認してみよう」
ユウキが、腕時計を外して手のひらに上に乗せると、リュッ君の目の前に指し示す。見ると、時計は11時10分くらいを差していた。
「なんだ、もうお昼じゃねーか」と少し苦笑いをするリュッ君。ユウキは体の方向を律儀に太陽に向けて、短針と十二の数字が指し示す方角を確認する。
「地図に書いてあるロープウェイのある方角はわかるか?」
ユウキが指差し確認をしながら、方角を確認すると、
「あっち?北と西の間?」
と答えた。ユウキが指し示したのは、ダム湖の脇の道路が、稜線に隠されていく先であった。リュッ君はうなずき。
「うんうん、コツを掴んできたな!ここの☆をゲットしたら、次の目的地はあっちだから、ちゃんと憶えておこう」
「うん!」と、返事をしたユウキは腕時計を再び腕に戻した。クーラーボックスを施設扉の脇に置いておくと、向かいにあるフーチングに歩いていった。
遠目には、フーチングのどこかが崩れていたり、道がふさがっていたりしている様子はうかがえなかった。しかし、階段脇から生えてきている木々の枝葉や雑草が背高く生い茂り、通路部分にまで侵食して、その行く手を阻んでいるかのように見えた。階段の傾斜は、思っていたよりも急勾配で、油断していると、下まで転がっていきそうだ。ユウキは手すりを持ちながら一歩一歩、慎重に降りていった。
昼の太陽の光が高い位置からユウキ達を照り付けている。
「うーん、意外と時間が進むのは早いもんだな」
フーチングを下るユウキ達。視界に大きく入ってくるコンクリートの壁は、大きく落ち窪んだ渓谷をさえぎるかのようにそびえ立ち、その巨大さを改めてユウキ達に感じさせた。
ユウキ達か進む階段のはるか先、はるか下方にある施設は、いまだミニチュアのように小さく見える。
「ねえ、リュッ君」
「なんだ?」
「今から行くところって、何をするところなのかな?」
「どうも発電施設のようだな。しかし、こんな廃墟同然で電気がつくのかな?」
周りを見回すリュッ君。高い鉄塔が四方に立てられ、いたるところから網の目上に送電網が繋がっている。ダムの提体にも電気が行く仕掛けなのだろうか?ふーんとハナで唸ってリュッ君がつぶやく。
「まあ、常識で考えても仕方がないか?」
「スイッチとかいれるの?」
「行って見ないとわからねえけど、判りやすいといいな」
と言って、リュッ君はちょっと自嘲気味に笑った。
「あとは、まあ、今は日の光が届かないところにはあまり行きたくはねえがな…」
「あいつらが、いるから?」
ユウキの脳裏に、昨日遊園地で見た、あの黒い影達の姿がよぎる。
「それも、行って見ないと、わからねえ…」
「…いたら、いやだね…」
リュッ君の背中に、ユウキの鼓動が早くなるのが伝わってくる。
「そうだな、だから、手際よくやらねえとな…、ああ、そうか、もしかしたら」
リュッ君がおどけた調子で言った。
「ユウキの射撃の腕が試されるのかもしれんなあ」
「僕、ぜんぜん当たらない…」
ユウキがしょげた様子で答える。
「降りたら少しは練習しとくか?何かの役に立つかもしれない。もしかしたら晩飯をそれで捕まえろ、ってことかもな」
「何を捕まえるの?」
「うーん、リスとかウサギとか?いのししとか鹿とかでかいのは無理だしなあ。いや、やっぱりさすがに無理だろなあ。パチンコ程度で倒せる食べれる食材って、なんなんだ?」
リュッ君はひとりごちながら思案を重ねていると、
「ええーウサギはかわいそうだよ」
とユウキがリュッ君に訴えかけた。そんなユウキの言葉に、しばしリュッ君は沈黙して、その後、慇懃にこう答えた。
「いいか、ユウキ、この世には二種類の動物しかいねえ。わかるか?」
リュッ君の言葉に首を横に振るユウキ。そんなユウキに向ってリュッ君は言った。
「それはな、食える動物と、食えない動物だ。食えない動物は絶対食っちゃいけない。どんなにお腹が減ってもだ。逆に食える動物は、背に腹は変えられない時にはこれを食う。わかるか」
リュッ君の言葉にしばし、うーんとしばし考えるユウキ。
「でも、リスもウサギもかわいいし」
「ユウキ、お前、肉はすきか?」
「うん、ステーキとかやきにくとか」
「ユウキ、リスもウサギも、牛や豚と同じくらいうまいぞ。歯ごたえもやわらかくて、こりこりしている。野生になればなおさらだぜ…」
ごくりとのどを鳴らすユウキ。
「でも、ウサギもリスもかわいいけど…かわいいけど…ぼく!スリングショットの練習もする」
と言って、ズボン脇に忍ばせているスリングショットに手を伸ばして確認するユウキ。そんなユウキの様子に「ああ、下に下りたら少し練習するか」と言って笑うリュッ君。ユウキはうなずくと、また階段を降り始めた。
リュッ君はユウキのお腹に抱えられながらダムから伸びる河川の先に目を向ける。
どの角度から見ても、民家一つ、田畑一つ見えない。
リュッ君は少しため息をついて、なんとなくこの世界が、俺が知っている現実の世界ではないのではないか?と思い始めていた。そもそも、
「…俺もこんななりだしな…」
と、自嘲気味に頭の中でつぶやいて、誰かに助けを求めることが可能なのかどうか、改めて考えて見る。この世界にユウキみたいな“人間”は他にいるのだろうか?というか、自分はなんでリュックサックなんだ?理不尽で冗談みたいな状況にうんざりするリュッ君。
そもそもここには、
「…廃墟しかねえ…」
こんな馬鹿でかい、ダムのような公共の建物が、管理もされない廃墟になっているなんてことがありえるのか?
リュッ君には判らない。もしあったとしても、河川の先に人里がある場合、このような施設が放置されていることすら大災害を引き起こしかねないのに、非常用の連絡施設の一つも見当たらないとか、「…ありえねえよ…」リュッ君が頭の中でつぶやいた。
リュッ君は、遊園地に光が灯って急に動き始めたことを思い出した。影のような客やスタッフが溢れ、イルミネーションが瞬き、園内の遊具が動き、いびつな音楽が流れていた。
じゃあ、スイッチをいれれば…ここも…。
「ねえねえ、リュッ君」
ユウキが呼びかける。リュッ君が「どうした?」と応答すると。
「次いくところで、電気をつけたあとに、サイレンを鳴らせって書いてあるよね。あれって何でかなあ?」
「ああ、サイレンか…。あれは…」
そうだ、ここが人がいない別世界だとして…。
「ダムのサイレンは、これから放水が始まるぞ、っていう合図だ。ダム湖の水が一斉にダムから放水されると、川にながれる水の量が増えるだろう?」
誰もいない世界だとして、ここでのサイレンは誰に知らせるんだ?
「突然水の量が増えるんだ。川の下流に人がいたら、とても危険だろ?だからサイレンを鳴らして知らせるんだよ。今からダム湖の水が流れ込んで、川の水を増えますよ。危険ですよ、ってな」
これから、ダム湖の水を抜いて、湖の底の☆を手に入れますよ、って誰に知らせるんだ?
「山の上の河川は、だいたい全部下流の町に繋がっているからな。下手に放水すると、洪水などの災害を起こしてしまう。だから…」
だから、ダムの水なんか勝手に抜いちゃいけないんだ。
リュッ君は最後の言葉を飲み込んで、もう一度前を見た。山の稜線と緑はどこまでも続いている。それをとどめる人の気配は何も感じられなかった。




