フリードリヒ
「…アラン様、いらっしゃいませんねえ」
ロートリング邸の居間でお茶を注ぎながら奈々恵がつぶやく。
フリードリヒはお茶を一口含み、外に目を向ける。天気の良い明るい日だ。アランが居れば中庭の芝生の上で寝転がって日向ぼっこをするだろうにと思う。
街に入ったと宿から連絡を寄越したので、それからすぐに来るのだろうとピザやコーヒーを用意し、言っていたパソコン類も持って行けるようにと準備して待っているが一向に来る気配がない。
そう言えば、元気そうに振る舞ってはいたが、少し様子がおかしかった。何かあったのか。また何か悩んでいるのだろうか。
わからぬままにただ待つだけなのは辛いものだとフリードリヒは思った。
「まあ、思うように来られるわけでは無いようだしな。または何かシロと話し込んでいるのかもしれん」
「左様でございますねえ。あちらは夜の様でしたから、来る前にとお風呂に入っていらっしゃるのかもしれませんしね」
「そうだな。時差もあるのだろうし…まあ、急くこともなかろう」
そう言って、もう一口お茶を飲もうとした時にセバスが慌てて入って来た。
「旦那様、シロウから映像が入っております」
「シロから?」
「はい、つい今しがた映像が届きました。録画ではございません。5分程したら話を始めると言う事ですので、こちらにお持ちしました。」
そう言いながらセバスがパソコンをテーブルに置いて音量を上げる。
画面には沈んだ様子で時間が経つのを待っている史朗が写っている。アランが送ってきた宿の部屋とは違う場所にいるようだ。少し暗いのではっきりは見えないが、高価そうな調度品が史朗の後ろに写っている。そして、史朗の前には上品なカップがあり湯気をたてている。
ちらりと画面の脇を見て史朗が口を開く。
「…えーと、5分経ったので話します。と言っても、何から話していいかわからないんですけど、まずアランは無事です。それは大丈夫です。あの、ただちょっとしばらくは連絡が取れません。でも、とにかく大丈夫ですから安心して下さい」
そう言うと少し黙ってから、ゆっくりと考えながら史朗が話し始める。
「本当にどこから話したら良いのかわからなくて、あんまり要領を得ないかも知れませんが…早く連絡しなければと思って撮っています。
俺達はエルフの里を出てから街に入りました。アランは癒しの泉で禊をしてから、あ、俺がそっちに裸で行ってしまった時ですが、その節は大変失礼しました。裸ですみませんでした。
それで、あの時言ったかどうか覚えてないですが、俺より前にアランも癒しの泉で禊をしていたんです。
禊の後、あいつちょっと色合いが変わったと言うか、髪が金髪じゃなくてキラキラしたダイアモンドみたいになっちゃって、目の色も紫だけじゃなくてサファイアみたいな深い青が入って、すごく、あの…すごく綺麗になってしまって。
ものすごく目立つので、そのままで街に行くのはダメだろうと言うことで、マスクとゴーグルと帽子で素顔を隠して街に入ったんです。
で、より街に馴染むようにとこっちの服を買って、それで少し観光してから神殿で紹介された宿にチェックインしたんですが…、そこで…あの…」
史朗が下を向いたまま口ごもる。言葉を選んでいるのか、しばらく考えてから目線をカメラに向けて話を意を決したように続ける。
「すみません、俺、まとまらなくて。思いつくままに言います。俺は今、アランの実家にいます。アランのご両親と家…というか、城に来ています。
フリードリヒさん、アランは地球人じゃなくてこっちの世界の人間です。グラウギリス人です。子供の時に誘拐されて行方不明になっていた、こっちの世界の…公爵家の嫡男です。
…あの、すみません、俺、少し前から気付いてたのに黙っていました。アランはずっと気付いてなかったみたいなんだけど、俺はアランにも言っていませんでした。
俺は、俺は自分だけが地球人なのかと思って不安になって、言えなくて黙っていて、それで何というか…、エルフの里に入る前に、多分神様だと思うんですけど、アランと同じ顔をした人に夢の中で俺の中にある恐れを指摘されて。
…どうしたいかと問われて、俺は気付いたことに触れずにいたい。忘れてしまって、アランと俺が違う事に気づきたくないって言ったんです。
あいつの本当の家族がこっちにいるかもしれないって事より、一緒に地球に帰って地球で元通りになる事を、現実から目を逸らすことを望んでしまいました。
…それで、大事な事なのに、あいつが出自に関わる話題を出すと急に頭に霧がかかったみたいになって…何もわからなくなって…。
おかしいなとは思ったんですが、どうしてそうなるのかも忘れていました…。
本当に、本当に申し訳ありません。俺は一人で怖がってないでもっと早くに、ちゃんとアランにもフリードリヒさんにも気付いたことを伝えるべきでした」
頭を下げて黙ったまま史朗が肩を震わせる。
フリードリヒは言葉が出なかった。
アランが地球の者ではないだと?
確かに、不思議な光と共に現れた子供だった。不思議な光を灯す子供だった。奈々恵はアランの髪が眠っている間に光を放つと、そして美しい光があの子の周りを楽しげに飛び交うと言った。
普通の子ではないとは思っていた。だから今回の事も、妖精だの竜だの魔法だの、どこかではあの子なら有り得る事だと感じていた。そうだ。むしろ、あの子が実は地球の者ではないという事には納得がいく。
それでもあの子は時が来れば元気に帰って来ると思っていた。
だが、あちらの世界に家族がいるだと?公爵家の嫡男?何だそれは?それでは、私の孫であるはずのアランはもうこちらには戻らないのか。
育ちの良い子供だとは思っていた。捨てられたのではない。大切にされている子供だと思った。誘拐?行方不明?では、本来の家族のいる世界に元に戻ったあの子は、アランではなくなってしまうのか。
様子がおかしかったのはもう帰らないと思っていたからなのか。いや、違うぞ。あの子は「早く帰りたい」と言っていた。アランは帰って来たいと言っていたのだ。
アランはどこだ。何故画面の向こうにはシロしかいないのだ。しばらく連絡が取れないとはどういうことだ?
史朗が下を向いたまま話し始める。
「…すみません。アランは気付いてなかったと言いましたけど、というか、気付くのを避けてたのかも知れないです。
あいつは頭が良いのに俺が気付くことに気が付かないはずはない。癒しの泉で禊をした時に自分がアルランティアだとわかったと言いました。だから多分、街に入った時にもわかってたはずだ。でも俺が怖がって忘れる事にしていたからきっと話せなかったんだと思います。
…アランの本当の名前はアルランティアです。
俺達、街に入ってから神殿に行って、そこで絵を見たんです。この世界の歴史が天井画や壁画になっていて、そこに描かれている神様がアランにそっくりでした。俺が夢で話したのはその神様だと思います。アランもその時、夢の中で自分と話をしたと言っていました。
今アランの実家にいると言いましたが、アランのご先祖様がその神様らしいです。
ゴーグルとマスクで表情は見えなかったけど、神殿で絵を見たアランは多分わかったと思います。俺でもわかったし、その前に何度かアランは神様と話していたし。
宿で夕食を食べた後、俺がまだ飲んで騒いでいる時にアランは先に部屋に戻ったんです。俺が後から上がって来たら、あいつ何だか一人で喋ってて、神様と話してるのかと思ったらそうでもないみたいで…。
「帰れないと思うと怖い」って聞こえた。…自分がこっちの世界の人間なら、俺と一緒に地球に帰れないのかもしれないって、自分だけが帰れずこっちに残る事になるのが怖いって言ってた。でも、考えすぎないようにするんだって。大丈夫だって。
あいつが怖がっていると知って、俺がしっかりしないといけないと思って、そこで頭の中の靄が晴れて、それまで忘れていた事を全部思い出したんです。
それで話さなきゃと思ったんですけど、そしたらあいつ急にセバスさんに渡された女の子のリストをチェックするって言って。俺は部屋に入るタイミング逃しちゃって…。
あの、アリスさんとエイダ・グリーンに高得点を付けていました。アリスさんが96点でエイダ・グリーンが100点で、ブツブツ言いながらそんな事をして気を紛らわせているあいつが可笑しくて、俺はちょっとホッとしてしまって」
深く呼吸をして正面を向いて史朗は続ける。
「アランはこっちの世界の人間ですが、アランであることに変わりはないです。あいつがずっと帰る事を前提にして色々考えている事は変わらない。でも、多分だけど、自分の家族がこっちに居る事にも気付いて葛藤していると思います…。
あいつのご両親はとても素敵な方々です。でも、アランはまだご両親にちゃんと会ってないんです。
宿で…、アランと俺が話していた時に不思議な事があって、アランはご先祖様…と言っても神様じゃなくて、ええと、曾曾曾曾祖父であるらしい人達に連れられて精霊界に行っています。行っているというか連れて行かれました。こちらの時間で1〜2週間は戻らないらしいです。
地球に来ている間に忘れてしまった事や、何か欠けてしまっている事があって、それを補修する必要があるんだと…そんな事を言って連れて行かれました。
俺は…俺は精霊界には耐えられないらしくて一緒に行けなかった。「お前が死んだら坊主が泣くからな」って言ってたので、アランが悲しむようなことはしないはずです。必ず戻ってくるから大丈夫です。
それで、あの…、俺が宿の部屋に一人で戻された途端に暗殺者というか襲ってきた連中がいました。アランが子供の時に誘拐されたって言いましたけど、きっと同じ奴の手先だと思います」
「暗殺者だと?!」セバスが殺気立つ。
「しっ、静かに。まだ話は続いています」 奈々恵がセバスの手を握る。
フリードリヒが画面の向こうを睨むように見つめる。
「部屋に戻される前に、アランを精霊界に連れて行く2人…多分2人だと思います。光だけで姿が見えなかったんですが、会話をしていたので2人いたはずです。そのうちの一人が、俺が部屋に戻されてから10数える間もなく刺客が来るぞと教えてくれました。坊主を、つまりアランを狙った者達で3人来ると。殺さないように捕まえろと。決して殺さずに、その後にすぐアランの父親が来るから引き渡せと言われました。
俺は言われた通りに刺客を叩きのめしました。あの、こっちだと俺もアランもバカみたいに強いんです。有り得ない強さで、拳が空振りしたのに、刺客の一人の脚が刃物で切ったみたいに切断されちゃったりで…。
その時は俺も興奮していたしわけがわからなくて、感情もぐちゃぐちゃで、ただ言われたままに3人をやっつけて、今思うと殺さないでいられて良かったと思うんですが、あの…俺すごく怒ってたので、言われてなかったら、多分…皆殺しにしてたと思います」
「よく耐えた」
セバスが、届かぬと知りながらも史朗を褒める。
「殺してしまっては情報は得られないからな。殺るのは必要な情報を得てからでも良い」
そう言って危険な目をする。
奈々恵がそれを見てため息をつく。
史朗が続ける。
「俺が3人を動けなくしてすぐに、服屋さんで案内に付いてくれた人が駆け込んで来て。その人はバーティスと言って本当はアランのお父さんの部下で、実はずっと警護に付いてくれていた人で。
それからすぐに何人もの人が階段を駆け上がって来る足音がして、俺は危うくその人達を攻撃しそうになって。でも、バーティスが敵じゃないと教えてくれて、それがアランのお父さん達で。
アランの本当の名前はアルランティアだそうです。…あれ?さっき言った?ええと、それで、お父さんはディアネルさんです。
俺は興奮していて、殺気立ったままお父さんの公爵様の名前を呼び捨てにしたらしいです。後でバーティスに「冷や冷やしました」と言われました。でも、よく覚えてなくて…。
公爵の部下達がその暗殺者を捕まえて行ったみたいです。アランのお父さんはアランがその宿にいると知って迎えに来たんですが、騒ぎを聞きつけて来てみたらアランは居なくて部屋中が血だらけで…。
俺は、アランがご先祖に連れられて精霊界に行ったと伝えて、放心状態というか、座り込んで泣いたそうです。本当によく覚えてないんですけど。
アランというのはアルランティアかって言われて、ハッとして、それで顔を上げたら公爵がこっちを見ていて、その隣に…アランと、アランと同じ目の女の人がいて…俺…」
史朗は泣いて言葉が出ない。
フリードリヒは深く息を吐いた。
アランと同じ目の女性。それはアランの母親なのか。であれば、さぞかし美しい人なのだろう。あの子の親が健在であるのは良い事だ。あの子に会う為に駆けつけて来たのであれば、子を大切に思っているということだろう。それはとても良い事だ。あの子にとって幸せなことだ。
だが、この胸を締め付ける痛みは何だ。
大切に慈しみ育てて来たあの子が、私の孫ではなくなる事の痛みか。
いや、元より本当の孫ではないのだ。私が勝手に我が孫の身代わりにしてしまっただけだ。親元に、元の世界に帰るならば帰さねばならぬ。留めることは出来ない。
しかし、私はまた家族を失うのか。また愛しい者を奪われ一人取り残されるのか。
今度は何を間違えたのだ。何が足りなかったのだ。
いや、違う。今度は間違えては居ないはずだ。ただ、私の役目が終わったということだ。そうだ、与えられた私の役目は終わり、己が存在し続ける喜びが消える。それだけなのだ。
では、この痛みは何だ。これは悲しみか。怒りか。私はまだこのまま生きながらえるのか。私はどうあっても愛しい者達と共に生涯を過ごすことは叶わぬのか。
私は何故、あの子がそばで笑っているうちに、この人生を終わらせる事をしなかったのか。
「旦那様っ!?」
「旦那様っ!?誰か、早く医者を!!」
…そうだ。私はもっと早くに人生を閉じるべきだった。私は良くやった。だがもう良いだろう。私はもう用済みだ。妻や子供達の元に行くべきだ。そして謝罪をしよう。許されることはなかろうが、ちゃんと謝ろう。
私は間違えたが、それでも愛することは忘れずにいたと。愛していたのだと、今でも愛しているのだと伝えよう。
例え許される事はなくても、妻や子供達が今度は私などとは関わらず、安心して幸せに生きられる人生を得られるように神に頼みに行こう。
私は最後に美しい幸せな夢は見られたと、それだけで十分だったのだと。
そして全てを終わりにするのだ。
白い空間に落ちていくような感覚の中、不意に言葉が聞こえた。
「アランが」
アランが?
あの子がどうしたのだ?
なんだアラン、そこにいたのか。
どうした?何故そんな顔をしている。何か困っているのか?
大丈夫だ。爺ちゃんがいるから、そんな顔をするな。大丈夫だぞ。
セバス、アランが泣いているのだ。飴を持って来てくれ。口に放り込んでやるのだ。
「…セバス、飴を」
「旦那様!!」
なんだ、うるさい。
「いいから…、飴を…持って来い。アランが泣いておる」
そう言って目を開けると、視界がぼんやりとしている。
…目を開ける?何だ、私は目を閉じていたのか。
視界が段々はっきりとして来て、見慣れた主治医の顔が目に入る。
「フリードリヒ様、意識が戻られたか。良かった」
主治医が安堵したように笑顔になる。
何故、先生がここにいるのだ。アランがまた熱を出したのか?…いや、違うな。あの子は今この家にはいないのだ。
アランをこの家に迎えてから、よく熱を出す子供の為にと、敷地内に設けた医療施設に常駐している主治医。ここ数年は、年を取ったフリードリヒ自身の為にも様々な設備が整えられている。
時折、最先端の設備を求めて他の病院からの患者がヘリ等で運ばれてくることもある。邸内の者は誰でも無料で診療が受けられるようになっている。
この医師がいるということは、私は医院の方に来ているのか。
いや、ここは私の部屋のようだ。
「どうしたのだ…」
私の問いかけには答えずセバスが医師を見る。医師がセバスに頷いてから言う。
「フリードリヒ様は倒れられたのですよ。ほんの30分程ですが意識がありませんでした。ここがどこかわかりますか?」
「…私の部屋のようだが。30分だと?私は居間で報告を受けていたのではなかったのか?」
「それがお分かりになれば大丈夫ですね。なに、貧血ですよ。今は点滴中です。顔色も戻り脈拍も正常値ですが、起き上がらずにもう少しお休みになっていて下さい。一応、血液検査はしておきます。
フリードリヒ様はアラン様が海外で怪我したと聞いて倒れたと聞きました。ですが、アラン様も大した怪我ではないようですからご安心なさい。若い子はすぐに元気になりますよ。
それよりもフリードリヒ様が倒れてしまっては、アラン様が泣きますぞ」
そう言うと、もう大丈夫でしょう。あまり大騒ぎをすると返って調子を崩す方ですからとセバスに言い、奈々恵に点滴と投薬の指示をして「フリードリヒ様、ゆっくり休めば大丈夫ですよ。後で検査結果をお知らせしますからな」と言って退室して行った。
「私は倒れたのか…。誰か、アランがと言っただろう。何があった?」
「シロウが映像を送ってきたことは覚えておいでですか?」セバスが問う。
「…ああ、確か、そうだな、アランの両親の話をしていたな。母親の目がアランと同じだと。その前に宿に襲撃があってシロが倒したのだ。アランは、アランは精霊界に行ったと言っていたぞ」
「良かった。全部覚えておいでですね。アラン様のお母様の話が出た所で旦那様は倒れたのです。それからシロウは5分程話していましたが、既に通信は終了しています。医師が大丈夫だと言っておりましたが、続きをご覧になりますか?もう少しお休みになってからになさいますか?」
「見せてくれ」
「かしこまりました」
セバスがベッド用のテーブルをセットしパソコンを置いて動画の再生をする。
「アランが」と史朗が話し始める。
「アランが言っていました。すみません、話が前後してしまうんですが、俺が宿の廊下で入るタイミングを無くしてあいつの独り言を聞いていた時です。あいつ何かすごく自虐的に反省してて、自分はダメだって凹んでて、それで言ってたんです。
こんなダメで情けない自分でも、フリードリヒさんやセバスさんや奈々恵さん達は愛してくれてるんだって。
あいつの一番はフリードリヒさんで、それからセバスさんと奈々恵さんで、そしてロートリングの家の皆だって。自分が居て良いのはフリードリヒさんのそばだけな気がする。早く帰りたいって」
帰りたい。
そうだ。宿から送って来た動画の最後にも言っていた。早く帰りたいと。ここに帰って来たいと。あの子の家はここだから。
「…なので、あいつの実家はここにあるんですけど、でも、あいつの実家はフリードリヒさんの所でもあると思うんです。
1〜2週間で戻るということですから、戻ったら本人から報告が行きますから、だから安心して待っていて下さい。俺も正直落ち着かないんだけど、でも待ってますし、何かあったらこまめに連絡するようにします」
「アラン様はやはりうちの子である事に変わりはございませんね」
奈々恵がニコニコしながら言う。
「…そのようだな」
親が見つかったからといって、あの子を失うわけではない…か。焦り過ぎだな、とフリードリヒは自嘲する。
実際、時が来て史朗が地球に帰って来ても、アランは帰っては来られないかもしれない。現実的にはその可能性は高い。それでもアランがうちの子である事には変わりはないのだ。
もし一緒には暮らせないとしても、元気そうに映像を送ってくる事は忘れないだろう。時々光とともに現れて、ピザを一口かじっただけで帰って行くのかも知れないが、それでも多分会いには来るだろう。
そして、もしかしたらちゃんと帰って来て、以前と変わらない日々が戻って来るのかもしれない。
まだ、どうなるかは誰にもわからないのだ。
映像の中の史朗が続けて話す。
「それと、あの、謝ってばかりなんですけど、フリードリヒさん、すみません。アランがどんな所でどんな風に育ったのかを、さっきまでこっちのご両親に聞かれて話してました。
もう夜遅かったし、急いで話してしまって、テンパってた俺が上手く話せなくて、あと先方も地球の世界感が上手くイメージが出来なかったみたいで、微妙に誤解というか、認識の違いが生じているというかですね…。
俺がフリードリヒさんの事を地球の古い王家の祖の血筋の人で、でもその王家はもう無くなってて、普通の市民から一代で世界有数の財閥の総帥になったすごい人で、アランはそこで跡取りとしてとても可愛がられて育ったと言ったつもりだったんです、けど…。
こちらの世界観で変換されてしまってですね、…フリードリヒさんが高貴な血筋の英雄で、一代で古い王家を再興して皇帝となって、で、アランはその皇帝陛下の孫として育った皇太子…的な感じに理解された…っぽいです」
「何?」
「環境としてはあながち間違ってはいないでしょう」 と奈々恵がさらりと言う。何やら誇らしげだ。
更に史朗が続ける。
「いや確かに、世界有数の財閥という話の時に、フリードリヒさんは数多くの王の上に君臨する皇帝みたいな人ですよとは言いました。はい、言いました、俺が言いました。皆さん、概念としてそこだけ理解出来たのかもしれないなと…思います。
あと、確かにアランは王子様みたいだ、と…言いました。だって、そうですもんね。普通に身の回りに貴族とか大金持ちがいて、その中でも王子様のような位置ですよね?
それで、そばで聞いていた執事さんとか、行方不明になるまでアランの面倒を見ていた乳母だかメイドさんだかが大騒ぎになっちゃって…。当家の若君には相応しいお立場でお育ちになった。良かった!とか…。あの、どの世界であっても若様の高貴さは正しく通用なさる…とか、皆さん号泣で、何というか、奈々恵さんを思い出しました。
で、話の流れで、すごく良い環境で育ってるから大丈夫ですよと言うつもりで、あの…ここも城なんですけど、ロートリングの城よりはちょっと小さい館なんですね。それで、アランが育った城はこちらの城よりも大きいんですと。
その…それはそれは広大な土地を所有していて、アランは幼い頃から森で野営の仕方やサバイバルの方法も学んで来たとか、敷地内の門を入って城の玄関までは、馬車で走ったら半日くらいはかかるんじゃないかな?って…言いました」
画面の中の史朗の目が泳いでいる。
「…半日はかかるまい」
「まあ、車で40分程ですから、馬車であれば2〜3時間程度でしょうか」
「あら、良いではありませんか。当家の広大さがよくわかって頂けると思いますよ。アラン様が如何にのびのびとお育ちになったか伝わる事が重要です」
「奈々恵、お前何を急に当家とか言い出して…」
「とにかくそんな感じで、良い環境で大切に愛されて成長したと知って、皆さんとても安心して、フリードリヒさんに深く感謝をしているとの事です。
まだご両親も、俺も、色々あって混乱中ですが、後でお二人からのメッセージを撮る予定です。あの、ちょっとした認識のズレはあるとしても、大まかには伝わっていると、俺は思います…けど、どうでしょう?
とりあえず今日はこの辺で。明日から俺も加わって例の暗殺者の取り調べをするので、それもまた報告を入れます。何としても黒幕を突き止めて潰さないとならないと、公爵様と話しています。
それでは切ります」
通信終了。
フリードリヒが横になり枕に身を委ねる。
史朗からの報告が終わると同時に点滴が終わったようだ。慣れた手付きで奈々恵が点滴を外し処置をする。
「何とも言葉にし難いが、まずはアランが戻るのを待つしかないようだな」
「そのようですね」
「精霊界ですもの。楽しいことがいっぱいのはずですわ」
「そうだな」
「しかし旦那様、シロウの話の伝え方はどうなのでしょう。良いのでしょうか?」
「…うむ。如何に認識の違いがあるとしても、少々話が大きくなり過ぎではあるようだが、それもアランが戻れば訂正をするだろう。それよりも、あの子が親と会ってどう対応するか…私はそちらの方が心配ではあるな」
「大丈夫ですよ。のびのび育ったうちの子ですから」
「そうか。そうだな」
「暗殺者を送って来たという黒幕とやらが気になりますね。私が直接捜査を出来れば良いんだが、もどかしい…」
「うむ。セバスであれば黒幕も突き止め、証拠もあげられるであろうがな。…まあ、証拠などなくても潰せば良いだけだが、一方通行では何ともならん」
「アラン様が早くお戻りになって、こちらに来られれば良いのですが」
「そうだな。しかし、仕方がない。しばらくはシロからの報告を待つとしよう。…どれ、私は少し眠るとしよう。目が覚めたら呼ぶので、2人とも下がって良いぞ。心配をかけたな」
「いつでもお呼び下さいね」
「それでは失礼致します」
2人が部屋を出て、扉が閉まる。
一人になったフリードリヒは、枕元の写真を見て思う。
倒れたり絶望している場合ではないな。精霊界から戻って来たあの子が安心して両親と再会を出来るように、私は見守っていなければ。
恐らくこちらにも現れるだろう。戸惑って、どうしたら良いだろうと言うかもしれん。私は笑顔で迎えて支えになってやらねばならん。
悲観的な老人になっていては、大事な時に役に立てない。それこそ大失敗になってしまう所だった。
アランよ、こんなダメな爺ちゃんだが、一番だと言ってくれるお前がいるから、爺ちゃんも生きていようと思えるのだ。お前が私に居場所をくれているんだぞ。
フリードリヒは深く呼吸をして、そして目を閉じる。
妻や子供達に会いに行くのはもう少し先にしよう。自分の役目は終わったなどと拗ねて放棄するのではなく、要らぬと言われても納得の行くまで全うしてからで良かろう。
慌てることはない。もうしばらく後になっても、許されない事に変わりはない。
せめてあの子を悲しませないように、私にしか出来ぬ事をしよう。
まずは医師の言う通りに少し眠るのだ。先程の痛みとは違う、暖かい光を胸に感じながら。
私はあの子の一番なのだから。




