第十二話 森を押し出された魔獣
「こっちへ! 作業台を空けます!」
エレナの声に合わせて、負傷した冒険者が家の中へ運び込まれた。男は三十代ほどの重装戦士で、左肩から脇腹にかけて革と金属を組み合わせた鎧が大きく裂けている。傷口から流れた血が服を赤黒く染めていた。
リリスもすぐ後を追い、《鑑定》で状態を確認する。
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《状態》
重度裂傷
出血
軽度打撲
生命危険度:低〜中
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(深いけど、今すぐ命に関わるほどじゃない)
それでも放置していい傷ではない。
「傷を洗います。少し痛みますよ」
「頼む……」
エレナが鎧を外し始める横で、リリスは《飲料水生成》で清潔な水を作った。傷の周囲についた泥や血を丁寧に流し、それから手を翳す。
「《ヒール》」
淡い光が掌から広がり、裂けた皮膚を包み込んでいく。
完全に塞ぐほどの力はないが、出血は目に見えて弱くなった。
「……回復魔法まで使えるんですか?」
「まだ初級ですけど」
「十分です。この状態なら処置できます」
エレナは手早く止血薬を塗り、清潔な布を巻いていく。
リリスも先ほど持ってきた配送用の薬品から《初級回復薬》を一本取り出そうとしたが、そこで手を止めた。
「あ、これ依頼品だった」
「もう受領済みですから使って構いません。むしろ、そのための補充です」
「じゃあ一本使います」
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《初級回復薬》×1
使用
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男に飲ませると、青ざめていた顔に少しずつ血色が戻った。
「……助かった」
「無理に動かないでくださいね」
「ああ」
ひとまず危険は去った。
だがリリスが気になっているのは、傷そのものだけではなかった。
鎧の裂け方。
三本。
ほぼ平行に走った深い傷。
(剣でも牙でもない……爪?)
横では、もう二人の冒険者が水を受け取りながら息を整えている。一人は片手剣を持つ青年、もう一人は小柄な女性斥候だった。
ベルク村長が低い声で尋ねる。
「一体、何にやられた?」
剣士が答えるまで、少し時間がかかった。
「正確には分からない。見えたのは一瞬だった」
「一瞬?」
「ああ。森の中で大きな足跡を見つけて、追うかどうか相談してたんだ。その直後、茂みの向こうから何かが飛び出してきた」
斥候の女性も頷く。
「灰色だったと思う。ものすごく大きかった。熊より大きい。でも熊じゃない」
「形は?」
「四足。前脚が異様に太くて……爪が長かった」
リリスは負傷した男の鎧へ目を向ける。
三本の裂け目。
「この傷も、その爪ですか?」
「そうだ。前脚を振っただけでガルドが吹き飛ばされた」
どうやら負傷した戦士の名前はガルドというらしい。
「盾で受けたんだぞ」
剣士が苦い顔をする。
「それなのに盾ごと持っていかれた」
「盾ごと……」
「直撃してたら死んでた」
F級のゴブリンとは明らかに違う。
リリスは壊れた装備へ近づいた。
「少し見てもいいですか?」
「構わない」
鎧の裂け目に、灰色の毛のようなものが一本引っ掛かっている。
「これ……」
指先で摘み取る。
太い。
普通の獣毛より硬く、針金に近い感触だった。
《鑑定》。
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《剛爪獣の硬毛》
品質:普通
分類:魔獣素材
高い耐久性を持つ大型魔獣の体毛。
該当候補:
《剛爪獣グラウル》
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「……グラウル?」
名前を口にすると、ベルクが眉を寄せた。
「聞いたことがないな」
冒険者たちも同じ反応だった。
リリスはそのまま《魔物知識》を意識する。
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《剛爪獣グラウル》
分類:魔獣種
推定ランク:D
全長:約4〜5m
特徴:
黒灰色の硬毛
発達した前脚
三本の大型爪
高い縄張り意識
突進・爪撃を主とする
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「D級……」
ロイが小さく呟く。
「それって強いの?」
「ロイ」
エレナがすぐ制したが、リリスは少し考えてから答えた。
「少なくとも、今の私が一人で探しに行っていい相手じゃないかな」
「リリス姉ちゃんでも?」
「私はまだF級だからね」
昨日ゴブリンを何体倒したかは関係ない。
F級とD級。
二段階違う。
しかも相手は大型魔獣だ。
剣士が驚いたようにリリスを見る。
「待て。あんたF級なのか?」
「昨日登録したばかりなので」
「昨日?」
「はい」
「……その弓でゴブリン九体倒したって聞いたんだが」
「弓と魔法と剣です」
「そういう問題か?」
何故か呆れられた。
ベルクが咳払いする。
「それより、そのグラウルという魔物が森にいるのは確かなのか?」
「この毛が本当にその個体のものなら、可能性はかなり高いと思います」
断定はしない。
実物を見たわけではないからだ。
ただ、三本爪の傷、巨大な四足獣、灰色の体毛。それらは《鑑定》で示された特徴と一致している。
斥候の女性が思い出したように口を開いた。
「そういえば、足跡の近くに木が何本も倒れてた」
「倒されていた?」
「折れてた。太い木が、根元じゃなく途中から」
リリスは表示された情報を見直す。
全長四〜五メートル。
発達した前脚。
高い縄張り意識。
「グラウルが通った跡かもしれませんね」
「だが」
ベルクは森の方を見た。
「そんな魔物が何故、急にここへ?」
誰もすぐには答えられなかった。
◇◇◇
しばらくしてガルドが落ち着くと、調査隊が見つけた情報を改めて整理することになった。
リリスが紙を広げ、昨日自分が作った西方林の簡易地図へ書き足していく。
「ゴブリンを見つけたのが、この辺りです」
「俺たちが大きな足跡を見つけたのはここだ」
剣士が指差す。
リリスたちが昨日歩いた範囲より、かなり森の奥。しかし深部と呼ぶほどではない。
「グラウルを見たのは?」
「足跡から少し北へ行ったところだ」
「……だとすると」
地図上へ印をつける。
グラウル。
その外側にゴブリン。
さらに外側にはフェルナ村と街道。
位置関係が見えてきた。
「グラウルが縄張りを広げて、ゴブリンが押し出された?」
エレナが尋ねる。
「その可能性はありそうです」
グラウルが森を移動した結果、元々そこにいたゴブリンたちが浅層へ逃げ出した。
それなら昨日から続いている状況には説明がつく。
ただし、一つ疑問が残る。
「でも、グラウルはどうしてそこへ移動したんでしょう」
「え?」
「縄張りを持つ魔物なら、普通は理由もなく住処を変えないんじゃないかなって」
《魔物知識》Lv1の補助程度なので絶対ではない。それでも、高い縄張り意識を持つ魔獣が突然移動するなら、何かきっかけがあった可能性はある。
餌。
繁殖。
環境変化。
あるいは。
「グラウルも、何かに追われた?」
剣士が口にした。
部屋が少し静かになった。
「……可能性の話です」
リリスはすぐ付け加える。
必要以上に不安を煽るつもりはない。
「単純に餌を求めて移動しただけかもしれませんし、今の情報だけじゃ分かりません」
「そうだな」
ベルクも頷く。
「まず王都へ知らせるべきだ」
「俺たちもそうするつもりだった」
剣士が答える。
「ガルドが歩けない以上、一度村で休んでから王都へ戻る」
「それなら」
リリスは考える。
「私が先に報告してきます」
「リリスさん?」
「もともと配送依頼が終わったら王都へ戻る予定だったので。毛も持っていけば、ギルドで確認できると思います」
「なら頼めるか」
「はい」
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《剛爪獣の硬毛》×1
取得
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冒険者の鎧に付着していた物なので、本人の許可を得て証拠品として預かる。
これなら、口頭だけより話が早い。
◇◇◇
「でも、今から王都へ戻るんですか?」
エレナが窓の外を見た。
まだ日没には時間があるが、午後もかなり進んでいる。
「普通に歩けば間に合うと思います」
「森の近くを通りますよ」
「街道から外れません。《索敵》も使います」
「……無茶しないでくださいね」
「しません」
「昨日も森でゴブリン九体と戦った人が言っても、あまり説得力がないですね」
「それは向こうから来たので……」
「今日も一体倒してますよね?」
「……そうでした」
完全に負けた。
横でロイが笑っている。
「母ちゃん強いだろ?」
「なんでロイが得意そうなの」
エレナも思わず笑った。
緊張していた空気が、ほんの少しだけ和らぐ。
「そうだ」
リリスは昨日作った小瓶を思い出した。
「ガルドさん、傷が痛むならこれ使えるかもしれません」
取り出したのは《初級複合治療薬》。
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《初級複合治療薬》×1
使用
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「フェルナ草と銀葉草で作った薬です。痛みと炎症を少し抑えられます」
「いいんですか?」
「試作品なので、むしろ効果を確認したいです」
「……錬金術師らしい理由ですね」
エレナが苦笑する。
ガルドが薬を飲み、しばらく待つ。
「どうです?」
「……痛みが引いてきた」
腕を動かそうとしたので、エレナに即座に止められた。
「動かさない!」
「す、すまん」
「効いたからって治ったわけじゃありません」
「はい……」
大柄な冒険者が薬師に叱られて小さくなる。
リリスは思わず笑いそうになった。
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《錬金術》
新規実用記録:
《初級複合治療薬》
実地使用確認
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「こんなのも記録されるんだ」
作るだけではなく、実際に使われた結果まで経験になるらしい。
錬金術は思っていた以上に奥が深い。
◇◇◇
フェルナ村を出る前、リリスは村の周囲をもう一度確認した。
《索敵》。
反応なし。
《気配察知》。
小動物や村人の反応だけ。
少なくとも今すぐ村を襲おうとしている魔物はいない。
「リリス姉ちゃん!」
入口まで見送りに来たロイが手を振る。
「またな!」
「うん。またね」
「次はいつ来る?」
「分からないけど、そんなに遠くないと思う」
今の状況なら、嫌でも西方林へ来る機会はありそうだ。
「ロイは森に入らないでね」
「分かってるって」
「本当に?」
「母ちゃんと同じこと言うなよ!」
「大事だからね」
「……はい」
やっぱり母親には敵わないらしい。
リリスは笑って手を振り返し、王都へ続く街道へ出た。
◇◇◇
帰路では、《自動収集》も起動しておく。
危険への警戒は必要だが、だからといって採取をやめる理由はない。
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《自動収集》Lv10
ON
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街道を進むうちに、いくつかの素材が回収されていく。
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《緑癒草》×20
《フェルナ草》×10
《野甘苺》×10
《青露草》×10
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「今日もちゃんと増えてる」
さらに少し進んだところで、新しい通知が入った。
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新規素材
《鉄葉草》×10
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「また知らないの」
思わず足が止まる。
こんな状況でも、新素材には弱い。
《鑑定》。
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《鉄葉草》
品質:普通
分類:薬草/強化素材
硬質な葉を持つ多年草。
微量の鉄分と土属性魔力を蓄積する。
主用途:
外傷薬
皮膚強化薬
防具用錬金素材
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「防具用……」
その単語に惹かれる。
薬だけではなく、装備にも利用できるらしい。
「これも試したいな」
フェルナ草。
朝露花。
そして鉄葉草。
作ってみたい物が着実に増えていく。
とはいえ今日は、まずギルドへの報告が先だった。
◇◇◇
王都へ戻った頃には、日がかなり傾いていた。
リリスは寄り道せず冒険者ギルドへ向かい、受付へ《剛爪獣の硬毛》を提出する。
「西方林の調査隊が大型魔獣に襲われました」
「調査隊が?」
受付職員の顔色が変わった。
「負傷者が一名。今はフェルナ村で治療を受けています。これが襲った魔物に付着していたと思われる毛です」
職員が証拠品を専用の鑑定具へ置く。
淡い光が広がり、しばらくして文字が浮かび上がった。
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鑑定結果:
《剛爪獣グラウルの硬毛》
該当魔物:
《剛爪獣グラウル》
危険度:
D級相当
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「グラウル……!」
受付職員の声が少し大きくなった。
近くにいた職員も振り返る。
「知ってるんですか?」
「ええ。ただ、西方林で確認される魔物ではありません」
「やっぱり?」
「本来の生息域は、もっと北西にある深い森林地帯です。少なくとも王都西方林での公式討伐記録は、ここ十年以上ありません」
「じゃあ、移動してきたんですね」
「その可能性が高いです」
受付職員はすぐに奥へ人を呼んだ。
地図が広げられる。
グラウルが現れた地点。
ゴブリンの出現位置。
フェルナ村。
王都へ続く街道。
リリスが昨日から見てきた異変が、一枚の地図へ集められていく。
「依頼内容を変更します」
受付職員が言った。
「《王都西方林・異常調査》は一時停止。グラウルの生息位置が確定するまで、通常冒険者による深部への進入を禁止します」
「討伐隊を出すんですか?」
「まずB級冒険者を含む偵察隊を編成します。D級魔物一体なら通常はC級の複数人でも対応可能ですが、問題は何故そこにいるのか分からない点です」
「……ですよね」
リリスも同じことが気になっている。
グラウルが原因なのか。
それとも、グラウルも別の原因によって動かされたのか。
受付職員が新しい依頼票を用意する。
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《緊急情報》
王都西方林にて
《剛爪獣グラウル》
出現を確認
危険度:
D級相当
西方林深部への立入を
一時制限
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「リリスさん」
「はい?」
「改めてお願いします。絶対に一人で探しに行かないでくださいね」
「……行きませんよ」
「少し間がありましたけど」
「気になってはいるので」
「でしょうね」
完全に見抜かれていた。
でも、本当に行くつもりはない。
今の自分では早すぎる。
リリスは掲示された警告を見上げた。
昨日まで名前すら知らなかったフェルナ村。
そのすぐ近くの森で起きている異変。
ゴブリンを外へ追いやった大型魔獣、《剛爪獣グラウル》。
そして、そのグラウルが本来の生息地を離れた理由。
「……何が起きてるんだろう」
五百年後の《リリンズヘイム》。
知らない素材だけではない。
知らない魔物。
知らない変化。
知らない事件。
そのすべてが、少しずつリリスの目の前に現れ始めていた。




