2期待と違った
初めて我が家にカレンがやって来た。午後だった。馬車は粗末だった。荷物もトランク一つだった。カレンは一人で馬車に乗ってやって来た。
彼女は御者に手を取られゆっくり馬車から降りて来た。
地面に降り立つとぐらりと身体が傾いだ。
「危ない!」
アルベルトが思わず前身して手を伸ばした。
「ありがとうございます」
そう言ったカレンの声は小さかった。
髪はふんわりとカールした栗色だった。瞳は淡いブルー。ちいさな唇に華奢な身体。背も小さかった。着ていたワンピースは色あせはしていないものの少し小さいのか胸元がはち切れそうで袖も短かった。
カレンは物腰の柔らかい口調で言った。
「アルベルト・ハルドン男爵様。奥様。この度はご親切なお申し出に感謝しています。両親を亡くして行く宛のない私に優しくして頂きます事感謝しています。何もかも初めてで至らない事もあるかと思いますがどうかよろしくお願いします」
深く頭を下げるカレンに夫のアルベルトは駆け寄った。
「いいんだ。君も大変だったろう?こんな所だが遠慮は要らない。まずはゆっくり休んでそしてこれからの事を考えればいいから、さあ、疲れたろう?中に入って」
「はい、ありがとうございます。ハルドン男爵様」
「そんな。君とは親子というより兄弟くらいしか年も変わらないんだ。俺のことはアルベルトと呼べばいいから」
「いいえ、そういうわけには参りません。旦那様、私の事はカレンとお呼び下さい」
「ああ、カレン」
夫は耳まで赤くしていた。その視線はカレンの胸元に向けられている。
頭を上げたカレンの視線がディアナを視界に入れた。その途端ふっと笑みを浮かべた。
ディアナの胸の中にモヤモヤしたどす黒いものが湧いた。
「さあ、どうぞカレンさん。あなたには一階の客間を用意したんです。気に入って頂けるといいんですけど」
こんな小娘をいちいち相手にするなんて馬鹿げている。ディアナはそう言い聞かせて先に立って部屋に案内する。
ふと後ろを振り返ればアルベルトがカレンの荷物を持っている。
「あなた、荷物はダンが運びますから、後の事は任せて仕事に戻って下さい。ダン荷物を」
ダンが慌ててカレンの荷物を持つ。
「すみません、旦那様が先に荷物を持たれて」
「ええ、わかってるわ」
ディアナは困った顔のダンに優しく言う。
「ああ、そうだな。ダンに任せよう。では、カレン今日はゆっくり休んでくれ」
「はい、私ったら。申し訳ありません。旦那様に荷物を持たせるなんて」
カレンは頭を下げた。
「いいんだ。じゃあ夕食の時にでも」
アルベルトが髪を掻きむしって慌ただしく去って行った。
カレンがこちらに向き直ってピンと来た。カレンのワンピースは前にボタンが付いている。今そのボタンは三個ほど開いていた。前に屈めば胸元がチラリと見えるほどに。
この娘、夫を誘惑する気なのかも知れない。そんな考えが浮かんだ。
「奥様、本当に申し訳ありません。私何でもするつもりです。ここに置いて頂けるだけで凄く幸せだと思っているんです」
「ええ、ここを我が家がと思って遠慮なく過ごして下さい。ですが、あなたもいつかは独り立ちしなくてはなりません。そのつもりで頑張って下さい。その応援は惜しみませんから」
「ありがとうございます」
カレンを客間に案内した。
「家具は新たに用意する事は難しかったのですが、寝具やカーテンは若い女性向けにと明るい色を用意しました。何か足りない物があれば言って下さいね」
「そんな、私のために感謝します」
「では、後でお茶をお持ちしましょう。どうかごゆっくり」
ダンが荷物を運びいれると出ていった。
ディアナはもう一度部屋を見た。
絨毯は昨年取り替えたばかりで寝具は仕立ての良い年代物だった。寝具は真新しい物で若い女性という事でディアナが使っていた机や椅子を譲りディアナは亡くなった義理母が使っていたものに変えた。
何もかも新しい物を揃えてあげたい所だがこちらの都合もあった。父が亡くなり色々物入りが多かった事もあるがモリス家への立替に新たに作った工房の支払いもあった。
そうして部屋を後にした。
カレンにお茶を二度持って行ったとルナから報告があった。
ダンとルナは中年の夫婦で通いで屋敷にやって来る。若いときからこの屋敷で働いていて子供はもうひとり立ちしているので何かあった時などには無理も言える。
我が家には侍女はおらず執事兼使用人のダンとメイド仕事をするルナだけがいて、夕食の支度がすむと二人は自分の家に帰る。
なので、カレンが夕食に現れた時にはアルベルトとディアナだけだった。
夕食の時間が過ぎた。
しばらくしてカレンがダイニングに現れた。
私たちが席についているのを見てカレンが驚いた顔をした。
「あっ、お待たせしました。時刻は聞いていたのですが呼ばれなかったのでどうしようかと迷ってしまって」
「まあ、ごめんなさい。カレンさん我が家には侍女はいないの。ルナはメイドで夕食の支度はするけど夕食前には帰るの。だから呼ばなくても時間になったらダイニングにいらしてね」
「はい、ロートンでも侍女はいなくてご飯は私一人で食べていたので、でも、こちらではそうではないのかと、いえ、もちろんこうして部屋を頂き食事を頂けるだけで私は幸せです」
「カレン。すまない。我が家もしがない男爵家なものであまりたいしたもてなしは出来ないが」
アルベルトが申し訳なさそうな顔をする。
「旦那様、とんでもありません。私ったら余計な事を言ってしまって」
カレンは顔を俯け身体を震わせた。
「さあ、食事にしよう。今日は君を迎えたからとルナが張り切ってくれてね」
テーブルの上には鴨のローストや温野菜のサラダ。カボチヤのスープなどが並んでいる。
「まあ、凄いご馳走ですわ」
カレンは嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「まあ、毎日というわけには行かないがゆっくり食べてくれ」
アルベルトは少し威張ったように背筋を伸ばすとコホンと咳払いをした。
かなり嬉しそうだ。
カレンは嬉しそうにさっそく切り分けられた鴨のロースト肉を皿に入れると頬張った。
「まあ、おいしぃ」
「ああ、ルナは料理も上手だからな」
「ルナさんってお茶を持ってきていただいた方かしら?」
ディアナはついでに説明を始めた。
「ええ、カレンさんも今日が初めてでしたからルナがお茶を持って行きましたが明日からはお好きな時にご自分で用意して下さいね。私も主人も工房があるので昼間はあまり家の事に気を使えないの。ルナも仕事があるのでお茶くらいは自分で」
「まあ、お茶を自分で?」
「ディアナ。カレンはまだ来たばかりだ。それくらいルナにやらせたらいいじゃないか。お茶の一杯や二杯。なぁカレンさん」
「まあ、旦那様はやっぱりお優しいんですね」
カレンがほんの少し首をかしげる。
アルベルトは鼻の下を長くして照れている。
「ですが、カレンさんはご病気でもないんですよね?」
「はい、私は病気ではありません」
「でしたらお茶くらいは自分で煎れてもらえませんか?ルナはあなたが来たので掃除も洗濯も増えるんです。だったらそれくらいは」
「まあまあ、細かい事はまた明日からゆっくり決めたらいいだろう?なぁ、せっかくの料理が冷めてしまうぞ。ほら、ディアナも食べろ」
カレンに向けられていた顔がディアナの方に向く。
ディアナもせっかくの料理をまずくはしたくはない。
「まあ、ではまた明日にでも。さあ、カレンさんも召し上がって」
ディアナは社交辞令でそう言った。
「はい、奥様」
そう言うとカレンはまた一切れ鴨のロースト肉を口に入れた。そうやってひとしきり料理を堪能した。
食事ももう終わり。ディアナは三人分のお茶の用意を始めるために席を立った。何しろこの家には3人しかいない。誰かがやらなければならないからだ。
ディアナがポットにお茶を煎れてダイニングの前の扉に立つとカレンがアルベルトに話をしていた声が聞こえた。
「旦那様、実は奥様がもう、私を追い出す期日を決めておられますの?私、今日こちらに伺ったばかりですのに‥それにお部屋の家具はすべて使い古しばかりでやっぱり私ここに来るべきではなかったのでしょうか?」
カレンは瞳に薄っすらと涙を浮かべている。
「そんなはずはない。ディアナは君を迎える準備をしていたはずだ。寝具やカーテンも買って‥何か気に入らない事があれば言ってくれ。君を追い出そうなどと思ってなどいない」
「でも、あの部屋は日当たりも悪そうで何だかかび臭くて‥期待外れでしたから‥あっ、すみません。置いていただけるだけで感謝しなくてはならないのに。私ったらこんな事‥でも、旦那様が優しいからつい」
「何だカレン。君が来たのは午後だっただろう。心配ない。あの部屋は日当たりはいいはずだ。かび臭かったのもしばらく使っていなかったせいだ。明日にでも窓をしっかり開けて換気をすれば大丈夫だよ」
「そうでしたか。申し訳ありません。私、何も知らずに失礼な事を」
ディアナはほっとした。アルベルトが自分を庇ってくれた気がした。
「さあ、お茶でもいかが。作り置きしているクッキーも一緒にどうかしら?」
ディアナは機嫌よい声で言った。持って来たのはアルベルトが好きなチョコクッキーだ。
「ディアナ、これは俺の好物じゃないか。カレンさん、ディアナが作るチョコクッキーは絶品なんだ」
アルベルトはすぐにチョコクッキーを頬張った。カレンは気まずそうに席を立った。
「申し訳ありません。お料理が美味しくってもうお腹いっぱいです。私は先に休ませていただきます。おやすみなさい」
「「ええ、おやすみなさい」」
「そうだ。カレンさん。朝食は8時ですから」
「えっ?ああ、はい、わかりました」
カレンは一度驚いた顔をしたがそう言ってダイニングを後にした。
こうして一日目は終わった。




