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休講ポップコーン





 平日、夕方五時の近づく、海辺のショッピングモール四階。いつもどおりならこんな時間に、こんなところに来ることはない。いつもどおりなら学校にいて、講義の真っ最中なのだ。興味があるから履修していて、いちおう欠かさず出ている授業。今日は、教授の急用とかで臨時休講になったので。用も深刻じゃなさそうなので。それを伝えるメールを見ると、湊斗みなとはくるっときびすを返し、学校を出て市バスに乗った。

 これからバイトも予定もないし、バスを降りたらスーパーに寄り、切れかけているめんつゆを買って帰って寝ようとしていたけれど。ふと思いついて、乗り過ごしした。座って窓の外を眺めて、ちょっと歩いてここへ来た。大型商業施設上階に組み込まれている映画館。チケット購入を済ませた湊斗は、ふわふわとする解放感を味わいながら見回した。

 平日だからか、人は少なめ。広くてつるつるしている床に、落ちる照明は夕日色。壁にかけられた大きなポスター、背もたれのない平らなソファ。宣伝を流し続けるテレビに、いっぱいのポップコーンの匂い。手軽な異世界みたいな空気を、さりげなく醸し出している。この世界観の核なのか、ポップコーンは徹底していてエレベーターでも薄く香った。塩ではなくてキャラメルなのは、そちらの匂いが強いからだろう。

 強いキャラメルや、塩やコーラなど、飲食物を売っている店はコンセッションと呼ばれるらしい。最近どこかで知ったこと。帽子をかぶった店員の人がストローを補充しているうしろで、でかいポップコーン製造マシンがやたら光って、目立って見える。中では立派な雪山、もしくは入道雲がたえず成長。弾ける音も聞こえてきそうで、スクリーン前にお供します、と呼びかけられる気がしてしまう。

 でも、今日はひとりだし急に来たのだし、たぶんそれほど欲しくもないのでお供がなくてもいいだろう。あるとうれしいのは間違いないが、なくてもよいなら買わなくてよい。あれはなかなか贅沢品だし、それに映画に集中しすぎて、たいてい余してしまうのである。湊斗はぐるぐる考えたあと、マシンからふいと顔をそらした。

 鑑賞準備はできたけれども、早すぎて開場もしていない。席につけるのはまだ先なので、コンセッションの正面にあるソファに座って待つことにする。三つ横並びの平たいソファに、先客はちょうどいなかった。けれども、湊斗は端っこに掛けた。そしてとりあえずスマホを出して、なんとなくいろいろ眺めていると。反対の端に、だれか座った。

 ほぼ反射的に顔を向けると、シンプルな装いの女性だ。まっすぐな髪をひとつに束ねて、肩にトートバックをかけている。たぶん、同じような学生だろう。その人を、じっと見つめかけ、急いでスマホに視線を戻す。無意識だったけれど、見すぎた。淡いベージュのニットの袖が、視界の隅をちらりとよぎる。

 湊斗は、ちょっと座り直した。急に落ち着かなくなってきた。たぶん同じような学生、じゃない。しっかり学生で、同じ学校だ。いつもどおりなら今頃は、同じ教室で同じ教授から同じ講義を受けている人。いつも前のほうの席にいて、背筋がすんなり伸びている人。ほかの教室でも見ることがあり、同学年とだけ知っている。話も、挨拶もしたことがなく、だから名前もわからない人だ。湊斗は見ると気がつくけれど、自分が認知されているかは知らない。おそらくされていない。

 湊斗はわけもなく頭を掻いた。休講で、時間が空いたから、映画を見ることにしたのだろうか。なにを見にきているのだろうか。まさか同じではないだろう、今から見るのは古い洋画だ。ほかにも人気のアニメとか、話題の名作も上映している。そっちのほうがいいんじゃないか。憶測を掘り下げそうになり、湊斗は慌ててストップをかけた。反対側に座るその人に、こちらを気にする様子はない。トートバッグからスマホを取り出し、眺め始めているらしい。

 きっと認知もされてないのに、ひとりで勝手にそわそわするなど、滑稽なうえに気味わるい。声をかけられても困るだろうし、かけるつもりも毛頭ないし。移動しようかと考えながら、現在時刻を確認してみる。開場するまで、あともう少し。まだ案内はされてないけど、行ったら入れてくれないかなぁと顔をあげると、正面に見えた。やたら光って、目立つマシンだ。中の雪山か入道雲が、ぱちぱちしながら呼びかけてくる。スクリーン前にお供しようか? 

 湊斗は、迷わず起立した。マシン擁するコンセッションへ、お供を求めて急行である。もうすぐ開場もするだろうから、見事お供を手に入れたあとは席へ直行すればいい。それなら、そわそわしなくても済む。踏み出しかけたときだった。

「────あの」

 突然声が聞こえて、湊斗はびくりと横を向く。端に座っていた人が、なぜか立ちあがって、こちらを見ている。思わず、あ、と声がこぼれる。けれども、それよりあとが出なくて、すっかり動きを止めてしまった。ただ、そこに立つ人を見つめた。

 夕やけみたいな照明のもと、大きく、丸くなった目の中。はじめて、映り込んでいる。いや、はじめてじゃないかもしれない。その人は、思ったよりやわらかな、親しげな笑いかたをしたので。

「今日、休講に、なりましたね──?」

 確かめるように、そう言った。少し照れくさそうにしていて、それでもやっぱり背筋が伸びて。まっすぐ身体ごと向けられて、湊斗は、脳までフリーズした。すごく、ぱっとしない返答をした。

「あっ……、はい、そうですね……?」

「ですよね、いらっしゃるなって、でも声かけたら迷惑だって────あっ、勝手に、知り合いみたいに、すみません──」

「いや、とんでもないです」

 こちらも知ってましたから、だいじょうぶとかなんとか湊斗は言った。ぼやっとしたままだったので、本当はどう言ったかわからない。それでも伝え終えたとき、目の前の人が、肩の力をふわりと抜いたような気がした。控えめながらも、訊いてきた。

「もしかして、二番スクリーンですか? リバイバル上映の、期間限定の」

「え、二番スクリーンですか……?」

「はい、同じですか?」

「同じです……」

「すごい」

「ほんと、すごい、ですね……」

「あと、ポップコーンも食べようかなって」

「……俺も」

「迷ったけど」

「迷ってました……」

 けっこう贅沢ですもんね、集中してたら食べられないし。楽しげな様子を見ていると、固まった身体がほぐれ始める。はじめて、会話ができている。今から同じ映画を見るし、同じようなことを考えていた。じわじわ、耳からうなじのあたりが熱くなってきて目を伏せる。

「でも……、あったらうれしいですよね」

「特別感が増すんですよね」

「持って帰って食べるのも、余韻食べてる感じで好きです……」

 うっかり、そんなことを口走り、湊斗ははっと目をあげた。すると、向き合っているその人は、すぐに大きくうなずいて。

「そっかだからか、一緒です!」

 ふと、キャラメルが濃く香る。湊斗は思わず顔をそらした。スクリーンとか、ポップコーンとか、ちょっと言い交わしただけなのに。勝手にさまよう、視線の先で、まぶしいマシンもこっち見ている。熱い雪山か入道雲の、頂上がぽんと、弾けては飛ぶ。





 おわり……

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