第37話 一からの、再び。
「ほら。しっかり歩きなぁ」
よたよた、と歩く俺に翡翠さんが背中を優しく叩いた。
いつの間にか寝ていた俺は、強引に起こされ。
どういうシステムかは分からないんだけど、何かよく分からないまんま。
アパートのトイレの中に押し込まれ。
三人がぎゅうぎゅう、と。
「あー……ひきこもりたい……」
おじさんが死んだ顔をしながらぼやいて。
涙目になっていたのが印象的だった。
項垂れ加減に、翡翠さんが何かを察したのか。
「あ~~愉しぃねぇ~~♪」
とても対象的に喜々とした表情をしている。
ただ、ここでも翡翠さんの様子も変わっていた。
まず、トレードマークだった鼻下ちょび髭がなくなっている、薄いあご髭も。
薄い色素で、白かった髪の毛も。
どうしてそうなったのかというくらいに。
真っ赤になっていた。
一番怖いのは。
死んだような、眠そうな目が、全開に開眼していることだった。
そして、紫のフレームの眼鏡をかけていて。
ぱっと見じゃあ翡翠さんだってことが分からない。
「あの。どうして、イメチェンしたんですか?」
「あぁ。もう少し、赤くしたほうが良かったと思うんだよねぇ。じゃないと、若く見られないからねぇ」
「……ぇ」
「眼鏡で目のしわは隠せるからいいんだけどねぇ。あ、この眼鏡は奥さんのよぉ」
「ぉ、おじさん。この状況が。本当に分かんないですけど」
すぅううう――……
翡翠さんが、徐にタバコに火を点けて吸った。
っふぅうう~~……
「兄さんは面が割れてるからな。他人に……《新人》を演じるには外見から変わらないといけない必要があったんだよ。オレは幽霊従業員だから身バレもないしーこのまんまでオケオケ♪」
このおじさんからの会話に。
何となく分かった。
あくまでも一般人になりきるって訳だ。
群青を――捨てたということだ。
ただ。
その結論は、翡翠さんにとってよかったのかもしれない。
特殊は体臭によって、群青の重荷から弟のおじさんに勝手に譲度してしまって、ある種の隠居生活だ。なのに、弟のおじさんが、まさかの隠居のヒキニート生活を始めてしまうって。
どんなに気持ちだったんだろうか。
どんな思いで群青でいたんだろう。
「あの……何歳って。設定なんですか、翡翠さん」
「翡翠じゃないよ。オイ――ボクは早乙女ミドリ。歳はねぇ」
「あ。おじさんも聞いてないや、オレにも関係あんな。歳」
「19歳だよぉう」
「「無理があるっっっっ‼」」
思いっきり、おじさんと俺の声が重なった。
それには翡翠さんも、むくれていた。
「冗談だよぉ。22歳」
何だか妥当に思えてしまい、俺とおじさんも頷いた。
ってことは、だ。
「おじさんは? 名前と歳」
「うん。おじさんは早乙女リュージで……歳は。二十歳じゃないとおかしいのかな」
「うぇ~~俺の年下デスカ~~」
「そう、なるねーおじさん、加齢臭とか大丈夫かなー?」
言い合う俺達を翡翠さんが、煙草を咥えたまま。
ほくそくんでいた。
「あぁ。恵比寿君。君は――牛男たくま君って名前みたいだよぉ」
翡翠さんが俺に何かを投げて寄越した。
俺も腕を伸ばしたんだけど受け取れなかったんだけど。
おじさんが掴み取った。
「これが従業員カード。失くすんじゃねぇぞ」
それを俺に手渡してくれた。
光の加減で虹色に光る丸い石と名札だった。
「あの。元々が《新人》である俺に偽名って、必要なんでしょうか?」




