オオモノは真っすぐな思いに微笑みかける
帰り際、駅ナカのカフェで冨塚と3人で話した。
こりゃうちのボス顔負けだなとノートパソコンを打ちながら話す冨塚に、ゴメンゴメンと2人で謝った。
冨塚もこの街出身で、ITに憧れて東京に就職した。
やり手だから東北支社に主任で転勤、営業テコ入れで来たわけだった。
「大人になって自分の街を眺めると、こんなに東京にやられてるとは」
と冨塚は言った。
「僕も東京人になっちゃったけど、アンドーチェーンに来たら子供の頃に戻るね。」
小泉はありがとうと言って席を外した。専務に呼ばれたらしい。それにしても気になるのは
「君のボスと久しぶりに仕事がしたい」
の専務の言葉だ。なんか心当たりがあるか?と聞いたら「いや、さっぱり」と返す。もうすぐ新幹線が来るからと会計しようとしていたら、冨塚がメールを見てまた震えた。
「さっきの名刺を写メして報告書いたんだけどさ。」
息をのんで
「もちろん最高のアンテナとソーラーでやるから社長室に来いだってさ。」
スジコ先生のサイン会とトークショーは翌月に開催された。その間は大忙しだ。
時代遅れと言われて久しい新聞折込みチラシにサイン会の広告だけを載せた。有名なキャラクターをみっちりぎゅうぎゅうに詰め込んだ、まるでアートポスターみたいなチラシだ。
スジコ先生いわく使用料なんていらない、これで町が元気になるならそれでいいらしい。東京で企業がまともにやったら何億取られるだろうか?
そのチラシをSNSっていうやつに誰かが載せた。そしたら九州から問合せの電話が来て、東京からも電話が来て、この街では新聞記事になり、地元ワイドショーのネタになり、サイン会をやるレトロデパートビルの本屋はサイン会で販売するスジコ全集の予約が止まらない。
サイン会当日、いつもの格好で駅に折り立つスジコ先生は8人の付き人を従えてアンドーチェーンの正面入口から入ってきた。
サイン会に並ぶファンはフェスのようにスジコ先生を囲み、マイケルジャクソンのコンサートのように沸き立った。この騒ぎはここだけではない。
小泉が街中の喫茶店に声をかけ、冨塚の携帯会社が無料キャンペーンで大きめのモニタとWi-Fiを配り、ちゃっかり契約させて、トークショーの生中継を見れるようにしていた。
スジコ先生の生中継は、あちこちの喫茶店で、お店の手作りポスターで宣伝され、昭和な喫茶店は年齢問わず沸き立っていた。
僕はスマホをカメラにしてWi-Fiにつなぎ、トークショーを撮影、中継していた。
本屋が一生懸命作った復元トキワ荘の一室。その中に座ってMCに思い出を語るスジコ先生。
話はだんだん、盟友のイシノ氏の話になり、東京の子供たちには知られ始めた矢先、出来たばかりのアンドーチェーンでイシノ氏と仲間たちの原画展をやりたいと専務から誘われ、あれは悪書だと東京の大人から怒られている漫画家が、画家みたいに招待された感激は今も忘れないと。
この街の子供たちに愛されるきっかけは、アンドーチェーンだったんですよと言った。
歴史の真実は分からない。
たぶんどこか違うのだろうが、
思い出を検証する必要もない。
だってこの街が元気になったんだから。
ひとつ間に合わなかったことがある。ビルの屋上に日本最大級のアンテナを立てること、ビルをギラギラのソーラーで覆うことだ。生中継はあり合わせの電話回線をどうにかして乗り切った。
まあしょうがないと専務は言い、約束はまだ生きているよと小泉が言った。
アンドーチェーンはだんだん、
この街の話題の的になってきた。
テナントファッションビルとして生まれ変わって、
それはそれで人気だったアンドーチェーンではあるが、熱狂的なのは一部の女の子だったから、
「またアンドーチェーンに遊びに行ける。」と老若男女、特にパパやママが喜んでいたらしい。
次は何を仕掛けたらよいか?なんて小泉の7人の仲間が盛り上がり始めた。最初は及び腰だったのに。
僕も考えていた。SNSってやつを使ってアンドーチェーン自体が遊園地みたいに楽しくできないかと。
ただし専務はその盛り上がりには乗らなかった。小泉も乗らなかった。
「みんな思い出がぶり返しただけのお熱だよ。」
と言うわけだ。
小泉は僕を呼んで資料の山に連れて行った。もとの資料室は中学生の女の子のファッション撮影スタジオになったから、資料の山はアンドーチェーンの催事場フロアにある。そこはなぜか封印されていた。「ここは良くも悪くも思い出の場所なんだ。」と小泉は言った。
「専務は実はあだ名で、今はアンドーチェーンの重役でもなんでもないんだよ。」
僕はあっけに取られた。




