たいへんなときこそ軽はずみを忘れるな
フリーペーパーを作ることになった。
編集長は僕、ペンネームは鷹凡天丸にしといた。
能ある鷹は凡人に徹して街を観察せよ、と
この街の戦国武将の子供時代の名前の組合せである。
そうと決まったら取材である。
毎日1人で繁華街のカフェや飲み屋に通って周りの会話を聞いていた。
震災で東京から色んな会社が復興支援で来ていたビジネスマンが笑顔で騒いでいた。どこからか復興支援金が出ているのかもしれない。復興特需と言うらしい。町は助かるのかもしれないが、人の不幸をネタにしてる気がして、僕はどこかムカついていた。
この街の個性派を紹介する。
そんなフリーペーパーにしようと決まった。
表紙はとんでもない所で撮影しよう。
1000部しか作らないが、
回し読みしたいくらいの内容を。
だったら飲み屋で聞いたいい話を
物語みたいに書いてしまえ、
読んだ人の中で何かが始まるような話。
デザインは全盛期のアンドーチェーンの広告レイアウトを参考にしてどこか懐かしく。
そうしてプロト版は、この街のみんなが見飽きているいつもの目抜き通りで「何かをやりたい女性」を撮影して、Macで加工しまくって知らない町にしてやったのだ。
「この街は遊園地」というキャッチコピーを添えて。
フリーペーパーはお店を始める友人が知りたいを頼って小さく置かせてもらった。
反応は分からないほど静かなものだったが、
ある日、編集部仲間がが興奮して
「あのライブハウスのゼッピが屋根登って表紙撮影して良いってさ!」
変わった場所で、うちを撮ってくれ。
ミュージシャンっていう個性派とふだんから触れ合っているライブ会場だから理解があったらしい。
アンドーチェーンのファッションスタジオで出会ったカメラマンを連れて第2号の撮影をした。
いきなりゼッピの屋根にモデルとカメラマンが登場してあの看板の前でポーズをとる。
下を歩く人たちが立ち止まり始めた。小さな出来事だけど、そんなことやってるテレビ局も雜誌もこの街にはいなかった。
それを見たラクタン野球場が
「うちのピッチャーマウンドとベンチの監督席で撮らないか?」と誘ってくれた。
断わる理由はない。
気が変わらないうちに撮影を進めた。
震災は本当に大変な出来事。
町なかは一見変わりはないが、アオキ通の交差点の時計は14時43分で止まったままだし、アーケードのぎゅうぎゅうに挟まれた古いお店は隣りのお店に寄りかかっている。
街なかにいると見えないけど、たった4キロ先では津波が全部さらって更地にしていった。
そんな現実を乗り越えたい気持ちが街からにじんでいた。
この街の古き良き時代のレトロ写真を集めている印刷屋の主人の話が人づてに聞こえてきた。
更地になってしまった海側の写真を集めている、震災前日までのここ20年の風景を。
21年前から先はすでに集めきったということか。
その主人とは会えない感じになってしまった。
希望する写真展は叶えられなかったし、僕は専務に追い出されたし、会わす顔がないと僕が一方的に思っていた。
ラクタン球場が表紙の号が出たら、次はプロで始まったばかりのバスケチームから「選手と絡んで撮影」の打診が来た。
町を元気にしたいコンセプトが理解され、協力したいノリが広がり始めたのかもしれない。
8ページしかないペラペラなフリーペーパー、
しかも軽はずみに
「街の面白さを架空で書いて、リアルにある個性派なお店紹介」。
真面目な街では見たことがないやつだ。
いや、1回だけあったかもしれない。
資料室で見たアンドーチェーンの中だけで配っていたド派手なフリーペーパーだ。
もうすぐ6号が出たあたりで、
フリーペーパーの編集内容を変えたいと発行人の言い出しっぺが切り出した。
お店を経営するということは、物件を紹介してくれた人やその大家さん、取引先やお客、ビジネスパートナーではないけど交流仲間ができる。
新しく道を開く彼のまわりから
「うそだらけのフリーペーパーは問題じゃないのか?」と言われたらしい。
「いや、あれは町を元気にするために物語として架空で書いたんだよ、登場人物の名前やプロフィールが創作なのはプライバシーを守るためだから。」
と言っても理解されない。まわりはこう言った。
「それよりも私たちのビジネス交流を紹介する、経済人応援フリーペーパーにしないか」と。
うかない顔をしてる編集部の顔を見ながら
「そっちの方がいいじゃん、周りが参加費払ってくれて講演会や交流会で売ればいいもん」
とジャストアイデアを話し
「ネタ切れする前の面白いうちにバトンタッチ賛成!僕は卒業。」
と僕がひとりで押しきった。
その方が彼も未練なく前に進めると思ったから。




