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小説 足利義輝 鳳凰の刀 1536-1565  作者: 山田 誠一


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第二章:少年将軍、父親を捨てる


天文十五年(1546年)の冬は、畿内をとりまく山々を例年になく白く染め上げていた。

この年、足利将軍家はまたもや京都を追われ、近江の坂本に拠点を移していた。

父・義晴の政治的混迷は極達に達しており、もはや京都の細川晴元や三好の軍勢と渡り合う気力すら、その細い身体から削ぎ落とされつつあった。


十二月二十日。

坂本にある、およそ御所とは名ばかりの、寒風が吹き抜ける寺院の一室で、前代未聞の儀式が行われようとしていた。

「菊幢丸、これへ」

父・義晴の声は、かつての威厳を失い、かすかに震えていた。

このとき、菊幢丸はわずか十一歳。


義晴はこの日、十一歳の我が子に、第十三代征夷大将軍の職を譲ることを決したのである。


(なぜ、これほど若くして)

京の公家たちは、この報を聞いて一様に眉をひそめた。

まだ物事の善悪もつかぬ童子に、天下の棟梁たる職を譲るなど、足利家の破れかぶれの狂言ではないか、と。

しかし、義晴の計算は、彼なりの悲壮な現実主義に基づいていた。

自分という存在は、すでに垢がつきすぎている。

細川や三好との政治的交渉で行き詰まり、これ以上は一歩も動けない。

ならば、一切の汚れのない十一歳の少年に将軍の看板を挿げ替え、大名たちに「これでもまだ、足利を足蹴にするか」と、最後の揺さぶりをかけるしかなかった。


儀式は、実にあわれなものであった。

本来ならば、京都の室町御所で、諸国の守護大名が数百人も平伏する中で行われるべき将軍宣下である。

それが、近江の鄙びた寺の、煤けた畳の上で行われている。

立ち会う大名など、ただの一人もいない。

いるのは、主家と運命を共にする数人の奉公衆と、京から渋々ついてきた数人の公家だけであった。


十一歳の義輝は、自身の身体よりもはるかに大きな、烏帽子と直衣を身にまとっていた。

征夷大将軍、という重すぎる金色の神輿が、その小さな肩に乗せられた瞬間であった。


「義藤(義輝)、今日よりお前が天下の主である。いかなることがあっても、他人に侮られるな」

父の言葉に、十一歳の少年は、ただ静かに頭を垂れた。

しかし、その直衣の袖の中で、義輝の小さな拳は、白くなるほどに握り締められていた。


(天下の主、か)

少年は、自嘲の混じった冷めた目で、寺の庭に積もる雪を見ていた。

門の外を一歩出れば、自分たちをいつでも捕らえて首を刎ねようとする三好の野武士どもが、目を血走らせてうろついている。

そんな「天下の主」が、世界のどこにいるというのか。

彼は、父が用意した「将軍」という名の壮大な嘘を、その初日から完全に突き放して見つめていた。



将軍になったとはいえ、逃亡生活が終わるわけではない。

翌天文十六年(1547年)、戦火が近江の坂本にまで及ぶと、義晴・義輝父子は、さらに山深い「朽木谷」へと逃げ延びた。

現在の滋賀県高島市にある朽木は、四方を険しい山に囲まれ、中央を安曇川あどがわの清流が流れる、まさに天然の要害である。

ここを領する守護代・朽木元綱は、足利家に忠誠を尽くす数少ない武将であった。

この朽木谷での数年間が、義輝という人間の「肉体」と「精神」を決定づけることになる。


「公方様、京の三好様より、和睦の条件が届きました。されど、その内容は……」

近臣たちが、届いた書状を前にして、毎日のように溜息をついている。

書状には、将軍の権限をさらに削り、三好の傀儡となることを強いる文言が並んでいた。

父・義晴はそれを見て、寝所に籠り、持病の激痛に耐えながら呻いている。


義輝は、その部屋にはいなかった。

彼は、御所の裏手にある安曇川の河原にいた。

「ふんっ!」

十一歳から十四歳へと成長していく義輝の身体は、驚くべき速度で頑強になっていった。

彼は高貴な身分でありながら、朽木谷の領民の子供たちに混じり、川に飛び込んで魚を突き、泥にまみれて山を駆け巡った。

近臣の進藤貞治あたりが「公方様、そのような卑しき真似は……」と血相を変えて止めに来たが、義輝はそれを無視した。


彼にとって、山を駆けること、川の激流に抗うこと、そして何より、朽木の若侍たちと木刀を合わせることだけが、「自分が生きている」という唯一の実感であった。

「京の大名どもが、手紙の文面一つで右往左往している間に、俺の足腰はこれほどに強くなる」

義輝は、自身の長い腕を見つめながら、密かに笑った。


彼は気づいていた。

戦国という時代は、綺麗事の衣服をすべて剥ぎ取れば、最後は「剥き出しの力(実力)」だけが残る世界なのだ。

父・義晴は、その衣服(権威)をどう着飾るかばかりを考えて破滅しかけている。

ならば自分は、衣服の中にある「肉体そのもの」を、誰も傷つけられぬ鋼に変えてみせる。

この頃の義輝の眼光は、すでに公方のそれではなく、獲物を狙う若い狼のそれになっていた。



天文十九年(1550年)五月。

義輝が十四歳のとき、最大の転機が訪れる。

父・足利義晴が、近江の穴太あのうにおいて、波乱に満ちた生涯を閉じたのである。享年四十。


死の間際、義晴は義輝の枕元に親より、その逞しくなった我が子の腕を、骨が軋むほどの力で掴んだ。

「京都へ……、必ず、京都へ帰るのだ。足利の旗を、もう一度、室町に……」

それが、中世の権威を信じ、それに裏切られ続けた男の、最後の呪詛のような遺言であった。


父が冷たくなったとき、義輝は涙を流さなかった。

ただ、父の遺体の横に座り、その遺品である一振りの太刀を、静かに引き抜いた。

刀身が、近江の薄暗い光を反射して、怪しく光る。


(父上、私は京都へ帰ります。されど、あなたのやり方では帰らない)

十四歳の新将軍は、心の中で父の魂に決別を告げた。

手紙を書き、大名に頭を下げ、神輿として担がれることで得る京都など、何の価値もない。

自分が京都へ帰るときは、この手紙の紙切れをすべて叩き斬るほどの「圧倒的な個の力」を持って帰る。


その決意を裏付けるかのように、この年、近江の義輝のもとに、一人の老人が現れる。

白髪交じりの無造作な髭を蓄え、眼光だけが若者のように鋭いその男は、名を「塚原卜伝」といった。

鹿島新当流の開祖にして、生涯数百回の真剣勝負で一度も不覚を取ったことがないという、生ける伝説(剣聖)である。


「お初にお目にかかります、公方様。いや――」

卜伝は、十四歳の義輝の前に平伏したが、その直後、顔を上げて義輝の身体を凝視した。

卜伝の目が、驚愕に見開かれる。


衣服の上からでもわかる、異常なまでに発達した肩の筋肉、長い腕、そして何より、自分を値踏みするような、底知れぬ冷徹な眼差し。

「……まことに、奇妙な公方様にお会いした。そのお身体、将軍のそれではございませぬ。一振りの、極上の業物(刀)のようだ」

卜伝の言葉に、十四歳の義輝は、不敵な笑みを浮かべた。

「卜伝とやら。俺に、その『業物』の振るい方を教えよ」


戦国大名たちが領土を広げるための合戦に明け暮れる中、日本の歴史の頂点に立つはずの将軍が、一人の剣客の前に、一門下生として跪いた。

室町幕府という斜陽の帝国の中で、最も危険で、最も美しい「剣」の修行が、いまここに始まったのである。


(第二章・了)

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