第二章:十一歳の征夷大将軍
一
天文十五年(1546年)の冬は、畿内をとりまく山々を例年になく白く染め上げていた。
この年、足利将軍家はまたもや京を追われ、近江の坂本に拠点を移していた。
父・義晴の政治的混迷は極達に達しており、もはや京の細川晴元や三好の軍勢と渡り合う気力すら、その細い身体から削ぎ落とされつつあった。
十二月二十日。
坂本にある、およそ御所とは名ばかりの、寒風が吹き抜ける寺院の一室で、前代未聞の儀式が行われようとしていた。
「菊幢丸、これへ」
父・義晴の声は、かつての威厳を失い、かすかに震えていた。
このとき、菊幢丸はわずか十一歳。
義晴はこの日、十一歳の我が子に、第十三代征夷大将軍の職を譲ることを決したのである。
(なぜ、これほど若くして)
京の公家たちは、この報を聞いて一様に眉をひそめた。
まだ物事の善悪もつかぬ童子に、天下の棟梁たる職を譲るなど、足利家の破れかぶれの狂言ではないか、と。
しかし、義晴の計算は、彼なりの悲壮な現実主義に基づいていた。
自分という存在は、すでに垢がつきすぎている。
細川や三好との政治的交渉で行き詰まり、これ以上は一歩も動けない。
ならば、一切の汚れのない十一歳の少年に将軍の看板を挿げ替え、大名たちに「これでもまだ、足利を足蹴にするか」と、最後の揺さぶりをかけるしかなかった。
儀式は、実にあわれなものであった。
本来ならば、京の室町御所で、諸国の守護大名が数百人も平伏する中で行われるべき将軍宣下である。
それが、近江の鄙びた寺の、煤けた畳の上で行われている。
立ち会う大名など、ただの一人もいない。
いるのは、主家と運命を共にする数人の奉公衆と、京から渋々ついてきた数人の公家だけであった。
十一歳の義輝は、自身の身体よりもはるかに大きな、烏帽子と直衣を身にまとっていた。
征夷大将軍、という重すぎる金色の神輿が、その小さな肩に乗せられた瞬間であった。
「義輝、今日よりお前が天下の主である。いかなることがあっても、他人に侮られるな」
父の言葉に、十一歳の少年は、ただ静かに頭を垂れた。
しかし、その直衣の袖の中で、義輝の小さな拳は、白くなるほどに握り締められていた。
(天下の主、か)
少年は、自嘲の混じった冷めた目で、寺の庭に積もる雪を見ていた。
門の外を一歩出れば、自分たちをいつでも捕らえて首を刎ねようとする三好の野武士どもが、目を血走らせてうろついている。
そんな「天下の主」が、世界のどこにいるというのか。
彼は、父が用意した「将軍」という名の壮大な嘘を、その初日から完全に突き放して見つめていた。
二
将軍になったとはいえ、逃亡生活が終わるわけではない。
翌天文十六年(1547年)、戦火が近江の坂本にまで及ぶと、義晴・義輝父子は、さらに山深い「朽木谷」へと逃げ延びた。
現在の滋賀県高島市にある朽木は、四方を険しい山に囲まれ、中央を安曇川の清流が流れる、まさに天然の要害である。
ここを領する守護代・朽木元綱は、足利家に忠誠を尽くす数少ない武将であった。
この朽木谷での数年間が、義輝という人間の「肉体」と「精神」を決定づけることになる。
「公方様、京の三好様より、和睦の条件が届きました。されど、その内容は……」
近臣たちが、届いた書状を前にして、毎日のように溜息をついている。
書状には、将軍の権限をさらに削り、三好の傀儡となることを強いる文言が並んでいた。
父・義晴はそれを見て、寝所に籠り、持病の激痛に耐えながら呻いている。
義輝は、その部屋にはいなかった。
彼は、御所の裏手にある安曇川の河原にいた。
「ふんっ!」
十一歳から十四歳へと成長していく義輝の身体は、驚くべき速度で頑強になっていった。
彼は高貴な身分でありながら、朽木谷の領民の子供たちに混じり、川に飛び込んで魚を突き、泥にまみれて山を駆け巡った。
家臣である細川藤高が「公方様、そのような卑しき真似は……」と血相を変えて止めに来たが、義輝はそれを無視した。
彼にとって、山を駆けること、川の激流に抗うこと、そして何より、朽木の若侍たちと木刀を合わせることだけが、「自分が生きている」という唯一の実感であった。
「藤!」
彼は気の合う家臣の細川藤高をこう呼んだ。
「見てくれ藤!俺の足利はこれほどに強くなったぞ!」
義輝は、自身の逞しく太くなった足のふくらはぎをなでながら、嬉しそうに笑った。
彼は気づいていた。
戦国という時代は、綺麗事の衣服をすべて剥ぎ取れば、最後は「剥き出しの力(実力)」だけが残る世界なのだ。
父・義晴は、その衣服(権威)をどう着飾るかばかりを考えて破滅しかけている。
ならば自分は、衣服の中にある「肉体そのもの」を、誰も傷つけられぬ鋼に変えてみせる。
この頃の義輝の眼光は、すでに公方のそれではなく、獲物を狙う若い狼のそれになっていた。
三
天文十九年(1550年)五月。
義輝が十四歳のとき、最大の転機が訪れる。
父・足利義晴が、近江の穴太において、波乱に満ちた生涯を閉じたのである。
享年四十。
死の間際、義晴は義輝の枕元に親より、その逞しくなった我が子の腕を、骨が軋むほどの力で掴んだ。
「京へ……、必ず、京へ帰るのだ。足利の旗を、もう一度、京に……」
それが、中世の権威を信じ、それに裏切られ続けた男の、最後の呪詛のような遺言であった。
父が冷たくなったとき、義輝は涙を流さなかった。ただ、父の遺体の横に座り、その遺品である一振りの太刀を、静かに引き抜いた。刀身が、近江の薄暗い光を反射して、怪しく光る。
(父上、俺は京へ帰ります。されど、あなたのやり方では帰らない。手紙の紙切れをすべて叩き斬るほどの、圧倒的な個の力を持って帰る)
その決意を天が聞き届けたかのように、父の葬儀が明けて間もないある日、新将軍・義輝のもとに一人の旅の老人が現れた。
白髪交じりの無造作な髭を蓄え、麻の衣服はあちこちが擦り切れている。しかし、その背筋は一本の研ぎ澄まされた槍のように真っ直ぐに伸び、眼光だけが若者のように鋭い。
男の名は、塚原卜伝。鹿島新当流の開祖にして、生涯数百回の真剣勝負で一度も不覚を取ったことがないという、生ける伝説(剣聖)であった。
「……何、塚原卜伝が?」
主殿に現れた高名な剣豪の名を聞き、十四歳の義輝は驚きに目を見開いた。天下にその名を知られる剣聖が、なぜこのような近江の山奥の、落ちぶれた将軍家を訪ねてきたのか。
卜伝は義輝の前に来ると、慇懃に平伏し、懐から一通の書状を取り出した。
「お初にお目にかかります、公方様。これなるは……亡き大御所(義晴)様が生前、私に宛てて送られた書状にございます」
「父上が、卜伝に……?」
義輝が訝しげに受け取り、墨の跡を追う。そこには、病に侵されつつあった父の、驚くべき執念と、我が子への不器用な親心が綴られていた。
『我が子義輝は、足利の未来を担う有望なる麒麟児なり。どうか彼をあらゆる敵を打ち砕く武の達人に。どうか我が子の師となってくだされ』
「父上……」
書状を握り締める義輝の胸に、熱いものが込み上げた。政治の場では無力で、裏切られ続けた父であったが、その遺志は決して折れてはいなかった。
自分が河原で木刀を振るう姿を見てくれていたのだ。
これからの将軍に必要なのは権威ではなく、「剥き出しの武の力」である。
その思いをその鍛錬を父は見ていてくれていたのだ。
義輝は書状を見つめ、亡き父の不器用で、しかし誰よりも深い親の情愛に、胸の奥で深く深く感謝した。
一方、卜伝は平伏を解き、ゆっくりと顔を上げた。
(大御所様も、我が子が可愛さのあまり『有望な麒麟児』などと買い被られたものよ。公家育ちの若君が、修行に耐えられるはずが――)
そう思いながら、卜伝が何気なく顔を上げ、十四歳の義輝の身体を凝視した瞬間、老剣聖の目が驚愕にカッと見開かれた。
衣服の上からでもはっきりとわかる、異常なまでに発達した背筋と肩の筋肉。幾度も木刀を握り潰してきたであろう、固く引き締まった長い腕。そこにあったのは鋼のような肉体の骨格であった。何より、その眼光は相手の喉笛を噛みちぎろうとする、野生の若き狼のそれであった。
(……これは、まことに驚いた。大御所様の言葉は、誇張どころか控えめであったか)
卜伝の身体に、戦慄にも似た武者震いが走った。
「そのお身体、生まれながらにして戦場を駆けるために鍛え上げられた、一振りの、極上の業物(刀)のようだ」
卜伝の言葉に、義輝は不敵な笑みを浮かべ、膝を進めた。
「卜伝。俺はなんとしても強くなりたい。細川の軍勢を、三好の軍勢を、この世の理不尽を、すべて一刀のもとに叩き斬る力が欲しい。どんな過酷な修行でもしてみせる。頼む卜伝。俺をどこまでも強くしてくれ」
覚悟を迫る少年の眼光に、卜伝は静かに微笑んだ。
「よろしゅうございます、上様。されど、我が流派は、己の命の重みをすべて鉄に乗せる作業にございます。その覚悟がおありか」
「俺はもう覚悟の中で生きてる」
義輝は、父の遺品である太刀の柄を強く握り締めた。
「この肉体を鉄に変え、その鉄を俺の意志のままに動かしてみせる。卜伝、俺にすべてを叩き込んでくれ」
室町幕府という斜陽の帝国の中で、最も危険で、最も美しい「剣」の修行が、いまここに始まったのである。
(第二章・了)
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