☆ 予想外と予定外
「…保護した時、リオリーヌ様はかなりお疲れでしたし、足に少しお怪我をされていましたが、お元気でした」
腰を下ろしているのはふかふかのソファ、出された菓子も茶器も茶葉も高級品だと解るそれ。
そしてローテーブルを挟んだ向かい側には、辺境伯ご本人が鎮座しているという、緊張極まりない状況の中、コナリはあの日の出来事を何とか話すことが出来ていた。
「それで、あの、本当に……綱渡りのような、危険な計画で申し訳ありませんでした」
コナリは深く頭を下げる。
関わる人間は少なく、後日繋がりを知られない方が良いと、計画を練った騎士の兄さんが提案し、こちらも賛成したのだ。
やれることもやった。助けることも出来た。
けれど、だから良いという問題でも無いだろうと思うのだ。
「…いや、ありがとう。それでも実行してくれて、本当にありがとう。知らせを受けながら動かなかったこちらの非だ。どう礼を伝えたら良いか、見当もつかない」
トルカナ・コンネルは同じように頭を下げた。
膝の上で握られた拳が、小刻みに震えている。
「君たちが…娘のために動いてくれなければ、私は今頃ろくでもない方向に進んでいたと思うよ」
「…私は、リオリーヌ様にお返しをしたかっただけです」
コナリの横に座って話を聞いていたクルニが、微笑んだ。
「皆、そうです。リオリーヌ様が居なかったら、ここに来る事さえ出来なかったのですから」
「……そうか」
トルカナは微かに笑った。
「実のところ……私は孤児院の子供たちに教育を施したところで、大して変わらないと思っていたのだよ。まさかあの子が自分のドレスやアクセサリーを売ってまで、講師を集めるとは思わなくてね」
やがてその講師の伝手から、リオリーヌの考え方を認めた様々な人達が、教師として子供たちの前へ立つことになって行ったのだ。
子供たちへの教育も義務ではなく、本気で学びたいと思う者たちだけに教える事にする。
そのうち文字や計算、マナーや言葉遣いや所作を憶えたものが、自分たちの置かれた立場を認識していく事になった。
そして自らに新しく開かれた未来を見据え、大きく才能を開かせる者が出てきたのだ。
「今の私、すごく幸せなんです」
「……私もだよ、クルニ嬢。あの時、強引に止めさせなくて良かった」
トルカナは改めて思った。
リオリーヌは、良き種を撒いたのだと。それがこの希望に繋がっているのだと。
そして、今回のような事が無かったとしても、娘に何かがあれば、必ず彼らは動いてくれただろうと。
「…本当に良うございました…」
傍らに控えていた家令のベルノが目頭を押さえながら呟いた。
「…あの、コナリさん」
横からクルニがおずおずと聞いた来た。
「ゼントに入国って、そんなに簡単にできるんですか?」
「あー…その、帝国からの報せで拘束される可能性を考えて、申し訳ないのですが、我が家の家庭教師として入国させて貰いました」
さっくり説明するコナリに、トルカナは低く笑った。
「…良く通ったな」
「あの国はある意味、海と森に囲まれて他国からの侵攻がやりにくい分、他国の物資を運ぶ平民には割と緩いんですよ…身元の保証人が居て、入国金を割り増しで支払えば、身分証の発行は出来ますし…。身分証なんかは、来る途中に魔獣に襲われそうになって、怖くて鞄ごと投げてしまった事にして…」
そのために、別の旅行鞄を用意して、それらしく街道近くに捨ててきたと説明すると、全員が納得した顔をした。
コナリは女性二人の存在を一気に誤魔化す計画をし、実行してきたのだ。
「なるほど」
くくくっとトルカナは笑った。
商人としては甘い考えの人間だと侮っていた部分の在った相手を、少しばかり見直していた。
同じような時期に同じ森で、魔獣に襲われた女性が複数いるとなれば、捜索の情報はかなり混乱すると予想される。
やがてそれが全くの別人だと認識されれば…そのうちの一人はもう、手遅れだと分かれば…残った一人は大手を振って動けるのだ。
考え着くことは出来るだろうが、それを実行した彼に感心した。
「それで今は、ゼント国発行の身分証で、ペギーと言う名前の家庭教師として…うちの双子に教育して頂いております」
「そうか」
今度は教える立場かと笑いかけたトルカナに、コナリは緊張した顔を見せた。
「それで…失礼ですがコンネル様は、いつ頃領地へお戻りですか?」
その問いに、辺境伯と家令は揃って苦い顔をする。
「動けないのだよ、正直な所」
貴族相手と、持っている戦力との駆け引き、そして領地に居る妻や使用人を始めとする領民の為に時間稼ぎをしている一方、領地に帰り着く前に、消されるのは確実だろうとトルカナは笑った。
「私を誘い出して、売っても構わんよ」
くっと見つめる貴族…いや、歴戦の戦士の視線に、コナリは屈しなかった。
「それは自分自身への裏切りです。一生の汚点になります」
何のためにここまで事態を動かして来たのか分からなくなる。今回の協力者全員に殺されたって文句は言えない。
「ですが、コンネル様が私を信用しきれないのも解ります…私は妻に頼まれて関わっただけですし…でも、あと一つだけお伝えしたいことがあるので……」
コナリは大陸地図を用意してもらうと、ゼント国から令嬢の辿る場所を指を滑らせつつ示し、最後にある一点を指さした。
そこは帝国から北に位置する王国の、そのまた北の端にある小さな町だった。
「ここで?」
「はい。ここが王国の最初の街になります。それまでは帝国の街や村に寄りながら行くので、時間は掛かりますが旅程そのものは楽な方だと思います」
「…なるほど。子連れならそれもありだな」
「なので、予定通りなら三か月後に、ここでご令嬢とお会いになれます。ご令嬢の身柄を信頼できる方に預けるまでが、この計画です。本当なら私もご令嬢に同道して、クルニさんに手紙を送るつもりでしたが…少々お節介が過ぎた気もしますが、口頭で直接お伝え出来て良かったです」
そう言うとコナリは深く礼をした。
そのまま立ち上がりかけるのを、トルカナは慌てて制した。
「ああ、待て待て、今のは私が悪かった」
「しかし、この先の話は私が関わっては宜しくない部分では」
「君自身はどうするつもりかと思ってね」
王国との国境のコンネル領は、今混乱の極みになりつつあるだろう。
トルカナ・コンネルが領主として居るままだったら、国境越えも変わらないものだったろうが、王国側の対応を掴んでいない今、予想が出来ない。
「君を帝国から出す事は出来るだろうが、王国側の関の情報が無いのだ。我が妻は元は王国貴族故保護して貰えるだろうが、不甲斐ない夫もわからなくてね。まあそのうち、帝国から出ることも出来なくなりそうだが」
「………」
コンネルの意図を汲み、コナリは天を仰いだ。
「計画を立てた時、コンネル様が辺境伯をお辞めになるという予想は、さすがに出来ませんでしたから…はあ」
最初は商売をしながら王国との国境を抜け、妻子を迎えに行くつもりだったのが、さりげなく無理だと伝えられている。
計画の変更をしなければならないのはいいが、問題は目の前の歴戦の戦士だ。
お前が考えている変更した計画に自分も乗せろと、さり気なく圧を掛けてきているのだ。
二度手間にならなかったのは良い事ではあったが、それ以上の厄介ごとが目の前にぶら下げられた格好だ。
父子二人の亡命に手を貸すことになるなどと、誰があの時思うだろうか。
「…クルニ嬢、この先は聞かない方が良いと思うのだが」
コナリは隣に座る女性を気遣った。
元貴族の亡命計画をこれから相談するのだ。
知らない方が良いだろうと思って声を掛けたものの、とうの女性はあっけらかんと答えた。
「あ、私も王国に行きます。それなら良いでしょう?お城にはまだ勤務していませんし…それに…働く意味が消えてしまったような気がしていたので丁度好いかも」
辺境伯領が無くなってしまった今、自分と同じ境遇の子は居なくなるだろうと思っている事を話す。
後輩を受け入れて、色々と教えたいと思っていた事が消えてしまった事も。
「王国でやり直すのも、自分が子供たちに教えるのも有りかと思うので。……何より、帝国に居たくないんです」
強く言う最後の言葉に、聞いていた全員が小さく頷く。
「それで…コナリさん。この町へ向かえば良いのでしょう?ここから王国を目指せばいいのですよね?」
クルニが躊躇いもなく指をさした場所に、コナリは眉を寄せた。
それを見たトルカナと家令のベルノは、顔を見合わせた後、低く笑った。
「クルニ嬢は、さすがに特待生だっただけはあるな。それならば妻と…妻の実家の侯爵家に向けて紹介状を書こう」
「わ!ありがとうございます!」
思わぬ申し出にクルニは立ち上がって頭を下げた。
やがて渡された紹介状を貰って、クルニは邸を先に出る。
「…気をつけてな」
「はい!向こうでお会いできるのを楽しみにしています」
その背中を見送り、残った男たちはちらりと顔を見合わせ…新たに煎れられた紅茶の香りの中、謀の相談を始めるのであった。




