☆ 嘘だと思いたい
ラクアスとハルミナを乗せた馬車は、仰々しいほどの護衛に守られて帝国の主なる貴族の領地を巡っていた。
その旅程は順調とは言えず、計画は名ばかりであった。
ラクアスの気まぐれで、各領地での滞在日数が狂っていく。その上天候にも恵まれず、否応なくズルズルと延び始めていた。
縮められる事など決して無い予定や行程。その管理をしているのは、共に行動している文官数名であった。
当初の計画から大きくずれていく事となったそれを、やがてその日の朝、現場の護衛指揮官と相談してから決めるという流れが、普通になって行った。
予定の意味が無くなったそんな中で、向かう先への先触れや金銭の出納、物資の調達を担っていた文官の彼らだったが、毎日ただ黙々と仕事をこなしていく。
護衛の指揮官もラクアスに苦言を呈することなく、唯々諾々と従うのみであった。
そんな中、早く旅を終えて帰りたいと願っていたのがハルミナだった。
神殿から出ることが少なかったハルミナには、長期の馬車の旅は拷問に等しかったからだ。
慣れない馬車の揺れで酔うし、身体を保とうと力が入ってしまうのか、ガチガチに凝り固まってしまうのが辛い。
ラクアスには近侍が付いていたが、驚いたことに、ハルミナには出発した時から誰も付けられていなかった。細かく世話を焼いてくれる女官や侍女の類が一人もいない事に、出発日の夜になって初めて知らされたのだ。
護衛の騎士や文官もその事に何も言わず、ハルミナ自身がそういう使用人の存在に気付いていなかったという事もあって、大きな貴族の邸にでも到着しない限り、身支度は悲惨なものであった。
その上、休憩と称して辿り着く場所場所で、ハルミナには仕事が課せられていた。
まだ会得したばかりの浄化という術にも関わらず、それを立ち寄った土地に施すように、命令が下されていたのだ。
身支度もままならないヨレヨレの姿のままで、耕作地の全てに行き渡るまで、何度も浄化を施さなければ休ませても貰えない。
その間ラクアスは、用意された宿や邸で寛いでいた。
ハルミナが戻れば、小休止だけで馬車の旅の再開となる。
全く寛げないまま、乗りたくも無い馬車に揺られ、降りてもまた聖女としての祝福を繰り返し……ハルミナの心と身体に疲労が蓄積していくのは直ぐの事であった。
「……聖女と言うのは、人を救う立場なんだから、もう少し丈夫でいてくれないと困るな」
狭い馬車の中で、休息を求めて何とか身を横たえるハルミナに、ラクアスはそう言ってのけた。
出発するときに馬車の中で寝たらいいと言ったのに。
「え、でも……」
「……文句か?君は聖女だろうが。その仕事をきちんとしてくれないと、僕の立場が無いじゃないか」
「!……」
零れかけた涙が引っ込みそうになるくらいの驚きと怒りの感情が、ハルミナの中に生まれた。
それではあなたは皇子として、これまでに訪問した先で、どんな仕事をきちんとしてきたと言うのか言ってみろと言いたかった。
そしてずっと持っていた違和感…食い違う意見や、見ている出来事の捉え方からの不安…その正体にはっきりと気付いた。
…この人はハルミナという私が好きなんじゃない。聖女が必要だっただけだ…
田舎へ行きたくはないために、難癖をつけて辺境伯令嬢を捨て、自分の立場を守り、自分に箔をつけるために、聖女という存在を欲していたのだと解ってしまったのだ。
……本当にバカだ、バカだったんだ…私は…
結婚式の後から、この男の見栄の為に力を…まさに使い潰されている。
今も、たくさんの人の為にはなっているかもしれない。けれど、こんな個人の見栄の為だけに、使い潰されかけている自分に思わず拳を握りしめる。
ハルミナは怒りの力を借りて、重たい身体をゆっくりと起こしていった。ラクアスはそれを眺めているだけで、手を貸してくれる素振りさえ無い。
そうしながら改めて、逃げなければと決意する。
けれど、どこへ?とも思う。
戦が有ろうと無かろうと、結局は他人に使い潰されていく自分に行き着くしか無いのだろうかと…ハルミナは唇の端を微かに上げた。
「殿下、あそこが今夜の宿泊地です」
馬車の外からの近侍の声に、ラクアスが馬車の窓から顔を出す。
目の前に、街を囲んでいるであろう高い石壁が、ぐんぐんと迫って来ていた。
かなり大きな街らしく、端が見えない程遠くまで続いている。
「おお、すごいな。どこの領だ」
「文官からの報せでは、王家直轄の領主邸の防護壁だそうです。代行官吏が持て成してくれるでしょう」
話す間にも一行は石壁までたどり着き、城塞とも言えるその高さと大きさに目を見張る。
帝都も石壁に囲われてはいるが、ここまでの高さは無かった。
「帝都もこれぐらいにするべきだな。安心感が違う」
「全く持ってその通りですな!」
ラクアスと騎士たちが感心して話す中、閉められた大きな扉の前に立つ兵士と指揮官がやり取りを続けている。
やがて、開門!と大きく叫ぶ声がした。
ひどくきしむ音と共に、鉄の大きな扉が上へと開かれる。その機構と迫力に、見ていた全員が目を奪われていた。
重厚な鉄扉が開き切り、馬車が二台並んで通れる広い通路が目の前に現れると、一行はその中へと軽快に足を踏み入れて行った。
しかし、門の外で一台の馬車が動き出さないまま止まっていた。
「おい、早く行かないか」
最後尾の騎士が先を急かすと、文官の一人が困ったように馬車から降りた。
「…あの、体調を…崩してしまって…」
そのまま地面に蹲ってしまっては、回復の兆しが見えるまでどうしようもない。
「どうした?何かあったか?」
一行の様子に全体の指揮官が気付いたのか、様子を見に戻ってきた。
「申し訳ありません、酔いが酷いみたいで」
側についている文官が、道に蹲る者にそっと水を渡しながら指揮官に向けて謝った。
「…疲れも出る頃だからな……仕方がない。責任者として私が後で同行するので、お前はその旨連絡を頼む」
困ったように立っていた最後尾の騎士に指揮官は指図した。
「了解しました」
「…頼む。……と、いかん忘れておったわ!」
指揮官ははっとすると、傍に控えていた文官に指先を向ける。指図を受けた文官は、馬車に積んだ箱の中から、かなり分厚い封書を取り出して騎士に差し出した。
「……これを副指揮官に間違いなく渡してくれないか。早く持参せねばならない重要書類だ。今はお前にしか頼めない。…やってくれるか」
「も、勿論であります!」
騎士は緊張の中にも誇らしげな笑顔で、それを押し頂くように受け取った。
「大変な役目を担わせて申し訳ないな」
「いえ、大丈夫です!」
「それを済ませたら、先に休んでていい。私の迎えよりも、殿下の警護を頼むと皆に伝えてくれ」
「了解いたしました!」
騎士は綺麗な敬礼をすると素早く馬に跨り、誇らしそうに領内へと馬を走らせていった。




