☆ 意識の格差
結婚式での主役二人…皇子ラクアスと聖女ハルミナの纏う衣装は、行き過ぎるかと思われるほどに豪奢なものであった。
新郎の衣装は真っ白なシルクに白いブレードを美しく這わせ、タッセルや勲章で華やかに飾られている。
新婦のドレスも共布のシルクに、手の込んだレースと数え切れぬ宝石と真珠がふんだんにあしらわれた物だ。ベールも全てレースで作られ、ドレスの裾と同じくらいの長さがあった。
時間が無かった分、金にものを言わせたと分かる出来栄えである。
けれど、行われたその結婚式は、とても簡素なものだった。
主だった参列者もおらず、新郎新婦の周囲は神殿に仕える神官たちだけが囲んでいるという異様なものであった。
決まり通りに誓いの言葉を述べて、大神官に祝福される。
深く一礼をして御前を辞した二人は、ゆっくりと開かれていく神殿の大扉を潜った。
途端に、爆発したような歓声が広がった。
「おめでとうございます!」
「お幸せに!」
「皇子様、聖女様、おめでとうございます!」
たくさんの白い花びらが空に舞う。
祝いの言葉が風に乗って届く。
明るい笑顔が惜しみなく向けられている。
それを見てやっと、ハルミナは肩から力を抜くことが出来た。
…外、だ…外に、出た…
婚約の一件を聞いたあの日から、自分が自分でないまま、周囲の勢いに呑まれていると解っていたからだ。
けれど逃げ出すことも出来ず、未来に備えることも出来ず、死んだような目で周囲を見ている事しか出来なかったのだ。
「ハルミナ」
ラクアスの囁きに、ゆっくりと振り返る。
「夢が叶った。やっと」
「ラクアス様…」
外に出られず、誰にも何も伝えられないまま、修行と祈りだけの辛い日々を思い出してしまって、ハルミナは込み上げるものを堪えられなかった。
みっともなく唇が震えて、浮かぶ涙を止められない。
…もう嫌だ。あの怖さはもう二度と味わいたくは無い。無実の人を陥れた罪悪感の重さはもう要らない…
「お互い…辛かったな」
「………は、い…」
そう答えはしたものの、見ている景色は全く違うとハルミナは気付いていた。
男にとって辛かったのは、愛する女に…、ずっと会えなかった事。
自分にとって辛かったのは、犯した罪の償いと、未来の生死。
目の前の男は、きっと未来を見ていない。己に都合の良い事しか考えていない。
事実、久し振りに顔を合わせて直ぐに辺境伯令嬢の事を尋ねたら、物凄く不機嫌になった。
生きていらしたのでしょう?と確信が欲しくて聞いた言葉に、
「別に罰も無く、こうして婚姻のお許しも出たのだから良いでは無いか。あんな女の事より、君のドレスを…聖女に相応しいものにしなければ、皇子として恰好が付かないからね」
と、返された。
…ああ、この人は…私がいつか不要になった時、きっと同じように答えるのだろうな…
それが解っていても、今は横に立つしか無い自分が悔しくて、ハルミナは涙を流すのだ。
待って、待って、待ち続けた今日。これでやっと神殿からは出ることが出来た。この先、自分は何時逃げ出せるのだろう。
力強く抱き締められた途端、津波のように押し寄せる祝福の声。
目の前で祝ってくれるたくさんの人々は、知らないでいられる幸せに浸って、踊らされている事にも気付いていない。
そしてその踊りのリーダーは間違いなく自分たちで、そしてその後ろには、自分たちを押し上げた誰かの意志が存在しているのだと、今のハルミナは確信している。
人々の笑顔を見回しながら、薄笑いを浮かべながら…なぜこんな事になったのかと、何度目かの詮無い自問が浮かんでは消えていった。
原因は、隣に立つ男。そして自分の愚かさと浅はかさ。
今は隣に立つ男しか頼れない息苦しさ。
「泣かなくて良いよ、ハルミナ。もう大丈夫だから」
耳元で囁かれたその言葉に、思わず笑みが零れた。
そんなはず、無いのに。この男は。この男は。
改めて思う。
憧れていた、夢見てもいた結婚式だというのに、どうしてこうも自分は絶望と諦めに塗りつぶされているのだろうと。
大丈夫だという、全く重みを感じないその言葉を、解っていても否定も肯定も出来ず、今はただ寄り添う事しか出来ない。
神殿前に用意されたのは、特別仕立ての華やかな馬車であった。前後を護るのは帝国騎士団の精鋭と聞いている。
御付きに案内されるまま、主役の二人はそれに乗り、帝都の大通りをくるりと一周してお披露目のパレードをするのだ。
馬車に乗り、周囲に優雅に手を振るラクアスは、それはもういい笑顔であった。それを横目で眺めつつ、ハルミナはただただ重い気分にしかならない。けれど仕方なくそれを押し隠すと、薄い笑顔を浮かべて小さく手を振った。
知らないままで居たかったと思った。
あのパーティーの時の、怖いものなんて何もなかった自分のままだったら、きっと嘘の無い笑顔で、大きく手を振って歓呼に応えていただろう。
怖い。怖い。
この嘘としか思えない時間が怖い。
一時望んでいた未来ではあったが、叶えられてはいけない未来だと今は解っている。
そして。
この国の一端を担うはずの皇子の、あまりにも在り得ない態度が。
その底抜けに明るい笑顔と楽しそうな笑い声が。
ハルミナの思いなど誰も知らないまま街を一周した馬車は、やがて新居として用意された離宮に到着した。
精神が疲れ切っていたハルミナは少し休めると思ったものの、そこで終わりでは無いと知らされて、愕然とした。
皇帝の命令で、これからすぐ、帝国の大きな領主を訪ねる旅に出るというのだ。
「なぜ、こんな急に」
神殿から出ることなく今日を迎えたハルミナには、式後の詳細は何も知らされてはいなかった。
ただでさえ、皇族や貴族が列席しない結婚式という異様なものだったのだ。だからこそ皇帝陛下へのご挨拶や、貴族に紹介されるような場が設けられていると思っていたのに。
「煩わしいことを後でまとめてすれば良いだけだろう? 直ぐに新婚旅行なんて、良い前例を作る事になるかもだぞ?」
ただそう言って笑うラクアスに、ハルミナは目を伏せる。
「疲れて…おりますのに」
「済まないな。これが君と結婚する条件だったんだ。馬車の中で寝て行けばいいだろう?」
頬にキスをして、話は終わったと言うようにラクアスはその場を離れていく。
ハルミナは、ラクアスの唇が触れたその場所を指先で拭い、侍女に呼ばれるまま着替えに入った。
式を挙げてすぐ、まるで帝都から追い出すようなやり方に、不安しか感じない。おまけにラクアスの国内視察を兼ねての行程と聞いて、嫌な予感が膨れ上がった。
「殿下、出発の用意は整っております」
近侍候補から近侍へと出世した二人が、胸を張って迎えに来る。彼らも別の馬車で同行するのだ。
旅程の護衛には、パレードに付いてくれた帝国騎士団の精鋭が、そのまま任務に当たってくれるという。儀式用の装束を着替えて、既にそろって待っていると報告がなされた。
「わかった。では行こうかハルミナ」
戸惑いを表に出す間もなく、ハルミナは微かに笑ってラクアスの手を取るしかない。
「あ、あの、行程はどうなっておりますの?」
これからどんな貴族に会うのか、期間はどれくらいになるのか、全く知らない不安がそう質問させる。
けれど手を取った男は、さあ?と首をかしげた。
「同行する城の文官が決める事だから」
開きかけた唇を引き結んで、ハルミナはその手を握り返した。
胸の奥底で、過去の自分に呪詛を吐きながら。




