☆ 不要だ。消してしまえ
爵位と領地の返納を届けてから一ヶ月ほど過ぎた。
その間、領と帝都間の文のやり取りや、人員の行き来は慌ただしいものであったが、トルカナ・コンネルは帝都の邸から動かなかった。
危ない足取りで部屋の中を歩き、やつれた顔で窓から外を眺めては、肩を落とす毎日を繰り返している……ように見せかけている。
領内の事は妻に任せておけば何も心配は要らなかった。正直な所、一人で王国に戻って貰っても構わないと思っている。
コンネルが動かないのは、最悪の場合自らが人質となり得る為に、帝都でグズグズしていると見せる為でもあった。
事の流れからも、謁見の間での周囲の様子からも、国が宣戦布告を危惧しているのは明らかだった。
ここで自分が領地に急いで帰還すれば、辿り着く前に殺される事だろう。
そして…何もかもが有耶無耶になり、在りもしない罪を作り上げられて、その結果、忠義に固い部下たちが、要らぬ争いを起こして死んでしまう事になりかねない。
攻めるよりも逃げる事の方が難しいのは事実だな、と、コンネルは皮肉気に口を歪めた。
帝都で雇い入れた使用人は、正直な事情を話して別の職場へと移ってもらった。代わりに自領から、優秀な若手の使用人が入れ替わるように仕事に就いている。
やっと安心できる味方に囲まれて、一息ついた所でもあった。
厚いカーテンをきちんと閉めて、床に伏している証拠のように着込んでいるガウンを脱いでいく。
始めるのはトレーニングだ。いつ事が起こっても良いように、コンネルは鍛える事を続けている。
脱いだガウンには厚く布が縫い込まれていて、不摂生で身体が弛んだように見せることが出来るようにしてある。自領のメイドたちは実に策士であった。
しばらくして、ノックの音と共にベルノから声がかかる。一応ガウンを羽織ってから、コンネルは重く返事をした。
「何だ?」
「買取の件で呼んだ出入りの商人達ですが、二日後に全員揃ってこちらへ来ると連絡がございました」
「解った。……彼には?」
「既にお返事を頂きました。荷馬車も準備してございます」
「荷物は用意してやってくれ。きちんと選んでな」
「もちろんでございますとも」
「さて、平民相手では、買い叩かれるであろうなあ」
華美なものは必要ないという考えを代々貫いてきたため、古くはあるが派手なものは無いというのが、この屋敷の調度品であった。
コンネルにとっては、さほど思い入れも無いので、買い手が要らないと言うならそれで良いと思っている。正直、買取金額なぞどうだって良い事でしかないのだから。
「めぼしいものは広間に集めておいてやってくれ」
「すぐにやらせます」
ベルノが一礼して退室してすぐ、階下から掛け声と共に、ごとごとと重い音が響き始めた。
それを聞いてコンネルは微かに笑うと、ガウンを脱いでトレーニングを再開した。
二日後。
大量の荷馬車が、コンネル辺境伯の邸から道沿いにずらりと並ぶ。
御者や下男らしき者が、手持ち無沙汰に話し込んだり煙草に手を延ばしたりして暇そうに待っているという様相だ。
館の玄関ホールには、大きい商会と判る服装をした人間が六人、従者の数を入れたら三十人弱の人でいっぱいになっていた。
館の調度品や美術品を買いに来た商人たちは、主人が挨拶に来るのを待っているのだ。
その中に一人だけ場違いな、いかにも行商人という風情の人間が混ざっていた。
それを大店の主人たちは一瞥をくれて無視したが、一人だけ弾かれたように振り返り、その男の腕をつかんだ者が居た。
「お前…!ここで何をしているんだ?」
「え、あ。ベルハース兄さん」
腕を掴まれたのはコナリであった。
怖い顔をして自分を睨んでいるのは、三兄弟の末っ子である自分のすぐ上の兄、次兄のベルハースであった。
ベルハース・ノガールは、長男のジェイクと共に父に着いて、ノガール商会の経営の一端を担っている。
今日は他の大商会の歴々が顔を出すとの事で、父に勉強して来いと送り込まれてきたのだ。
ベルハースは目端の利くタイプであった。
今までも大きな失敗をした事など無く、商会にそれなりに利益を与えている。
今日も大商会のお歴々の不興を買う事無く、それなりに見栄えのする調度品を少しだけ買って、終わりにするつもりであった。
そんな、選ばれた商人しかいられない場所。
なのに何故、味噌っかすの弟が偉そうに同じ場所にいるんだ?
「何考えてるんだ?…誰でも良いという話ではあるが、お前みたいな行商人が来たって、ここで買える物なんてひとっつも無いぞ?馬鹿じゃないのか?」
家具や調度を買い取って欲しいと、辺境伯側から商業ギルドに話が来たのは半月前の事だ。
どんな商人でも構わない。適正価格で買い取ってくれれば良いとの話ではあった。
しかし、さすがに貴族の御屋敷ともなれば、取引金額上、扱える商人のランクも限られてくる。
「解ってるよ、そんな事は」
「だったら帰れ!…あんな女に引っかかるから、お前も常識を無くしたのか?」
ベルハースは、弟の妻を毛嫌いしていた。
孤児院出身の平民以下の人間だと決めつけているのだ。
それは上の兄も両親も同じで…その結果、コナリは自分で商会を立ち上げて独立することを決めて、ノガール商会から縁を切ったのだ。
「今は関係ないだろ、そんなこと!」
ぶん!と力強く腕を振りほどき、コナリは身構えた。
そんな弟に対し、ベルハースは怒りを隠さない。
「ここから消えろ、恥さらしが!」
ベルハースにとっては、そんな行動をした弟が恥ずかしく、許せない気持ちしか無くなっている。
怒りに任せて思わず掴みかかろうとしたとき、小気味いい手を打つ音が上から聞こえた。
「そこで何をもめている?」
はっと振り仰ぐと、ガウンを着た顔色の悪い男がホールの階段の上に立っていた。
力なくしおれたその身体つきにも関わらず、眼光だけでその場の人間を支配してしまう。
「…し、失礼いたしました」
「申し訳ございません」
よく声が出たなと、謝罪しながらベルハースは思っていた。それほどまでに体に受ける威圧感が凄かったのだ。
対して弟の普通の対応に苛立つ。この威圧感が分からないという鈍さが、ある意味気の毒にさえ思えた。
「そこの行商人は、金にならない物を運んでもらうために、事前にこちらから依頼したのだ」
「運ぶ?」
ベルハースが思わず呟く。
「使用人の使う食器、調理用の鉄器、着古したお仕着せ、使用済みのシーツなど、君らには価値が無いだろう?」
確かに。と頭を下げながらベルハースは思った。
こういう買取に来ると、ついでと言った感じで押し付けられて、結局はゴミにしかならないのが大半だ。
「左様でございますな、コンネル卿。深きご配慮に心から感謝いたします」
横からそう大声で言ったのは、帝都一番の大店のマクシミリアンであった。
「私も商売を始めた最初は、荷馬車ひとつで何でも運ぶことから始めましたからなあ…聞くともなしに聞いていたが、あんた、ノガール商会の三男坊か?」
不意にくるりと向けられた強い視線に、コナリは体を固くした。そして思い出したように頭を下げた。
「はい、コナリ・ノガールです。今はノガール商会から離れて、コナリ商会を経営しております」
「なるほどなあ…そうか…まあ、頑張りなされ」
「ありがとうございます」
深く頭を下げるコナリに、かっかっかっと笑う老人の大きな声が小気味よく、ホールの空気が見る間に和んでいく。
それを見計らったように、ベルノとメイド二人が進み出てきた。
「…皆さま、お待たせいたしました。遅くなりまして申し訳ございません。御覧になって頂くお品物は、まとめて置いてございますので、ご案内いたします」
ぞろぞろと案内についていく一番後ろを、この中ではまだ新参者のベルハースは黙ってついていく。
すれ違いざまにコナリに近づき、
「さっさと消えろ、恥さらし」
馬鹿にした口調で言い放ち、思い切り蔑んだ視線を向けて、奥の部屋へと消えて行った。
コナリは…その背中を見つめながら、親と兄弟とは一切関わらない事にしようと改めて思った。
あの価値観はこの先ずっと、変わる事は無いだろう。
自分の家族は妻と子供二人だ。それで良い。
思い切るように背中を向けて、既に用意されている荷馬車へ向かった。
「すみません、遅くなりました」
「いや、大丈夫だ」
馬を繋いでいた男が笑って手を振る。
「え、これは凄い……こんなに凄い馬を、お借りしても宜しいんですか?」
繋がれている馬は二頭だが、普通の馬より一回り大きくて足も太い。
陶器や金属が多くかさばる物も積んでいくため、強い馬が必要だろうと用意したと言われれば、コナリにいう事など何も無かった。
そして、ここの下男を一人借りて行く事になっている。
兄には言わなかったが、行く先はいくつかの孤児院であった。古い食器とは言え使いようはあるし、古いリネンはそのままでも、針子を目指す子供たちの練習にも利用できる。
途中、連れて行く下男に荷下ろしを手伝ってもらい、目的地に着いたら荷馬車を彼に返すのだ。
借り物とは言え、幌が付いた馬車はコナリにとっても有難いものだった。雨を心配することが減り、いざとなれば寝る事も出来るからだ。
商人の目線で荷馬車に積まれた荷物が崩れないか確認し、同行するという下男を呼んで貰って、荷物の隅に座るように指示をする。
「荷崩れに気を付けて下さいね」
下男が頷き、中から幌を閉めると、コナリは御者席に座った。
時間に余裕はあったが、今はあの兄からすぐにでも離れたい。
見送る使用人たちに頭を下げて、コナリは馬車を動かし始めた。
それぞれの商人が引き連れてきた荷馬車の間を、すり抜けるようにゆっくりと進む。
背中から金属と陶器の跳ねる音が聞こえて、ますます緊張してしまう。
やがてゴトリと車輪が門扉の金具を超えて、石畳の敷き詰められた広い道に出ると、やっとコナリは息をする事を思い出していた。
「はいよ!」
手綱を打ち付けて馬を軽く走らせる。帝都内の石畳を行く間は振動が少ないので、早く移動しても怖くない。
西の街門を抜けても、しばらくはこのまま走れる。
石畳が途切れると帝都の管理外。つまり貴族の管理する領に入った印でもあった。
馬の脚を緩め、のんびりと進んでいく。
きちんと責任を持って預かった荷物だ。大切に運ばなければ。
神殿の管理する孤児院の場所を、西方へ向かう道すがら訊ねては訪問し、寄付としての食器や布を適正量だけ置くことを繰り返して先へ進んでいく。
何カ所かの街を巡るうちに荷物は少しづつ減り、男二人が横になれる空きも出来てきて、その日は宿の無い小さな村落の中心で、馬車で宿泊することとなった。
小さな焚火で沸かした温かいお茶を、手伝いの連れに手渡すと、コナリはやっとほっとした笑顔を浮かべる事が出来ていた。




