最終話 少年漫画っぽい
俺の声があまりにもでかかったせいか、ぴたりと笑い声が止まった。鎮まりかえる教室。みんな驚いているようだった。白波さんもそれは同じで、目を見開き俺を見上げている。
だが、俺の怒りはこんな一言で治まらなかった。
「人が一生懸命作ったものを笑って楽しいかよ?」
そうだ、漫画って言うのは簡単に描けるもんじゃない。単純に時間だけで言っても膨大な時間がかかるし、内容だってめちゃくちゃ考えて作る。ただ、描くだけ以上の熱意がどんな漫画にも込められている。白波さんは……笑って馬鹿にされるようなことは何一つしていない。絵が下手だろうと、その努力は称えられるべきものだ。
そう思った時、ふと何かが引っかかった。
「いや、一生懸命作ったって、これがか? 絵、下手すぎだろ!」
赤嶺がそう言うと、また周りの男子たちが笑った。
「確かにまだ白波さんの絵はそれほど上手くない。でも、そんなのは練習でなんとかなるし、中身はめちゃくちゃ面白い! ちゃんと読んでもねーくせに、笑うな」
「は? 絵が下手だったら読む気も失せるだろ」
「じゃあお前は見た目だけで判断するクズってことだな」
赤嶺に言ったセリフだったが、昨日自分が言われたセリフでもあった。
「お前、いい加減にしろよ」
「絵は努力次第で上手くなる。だけど、中身はそうじゃない。面白さっていうのは練習だけじゃ補えない才能が必要なんだ。その才能っていうのはただ何も考えずに生きてきたような……自分を諦めてるやつには手に入れられないものだ。ちゃんと真剣に人生に向き合って生きてきている人間だけが手にすることができる」
自分で言っていて気づいた。これは脳のバグが起きる前の俺のことだ。人生に絶望し、諦めて投げやりに生きていた。挙句の果てには何の努力もせずに自殺をはかった。あの時、周りの人間が醜く見えていたが……それならせめて自分だけも改善できないかと努力のひとつでもすればよかったんだ。周りを自分の力だけで変えようとするのは難しいかもしれないが、自分だけは自分の力で変えることができる。
それなのに、俺はまた「クズ」という枠に収まって自分を諦めようとしていた。確かに俺は外見だけで人を判断するクズだった。だが、そこでクズだって認めて何もせずにいるのは、ただ人生から逃げているだけだ。
外見だけ見て中身を見ようとしないのは……今の赤嶺みたいなもんだ。絵が下手だからという理由で中身を読もうとしない。漫画と人間は似ているのかもしれない。
もし俺が「絵が苦手だから」という理由で漫画を選り好みしていたら、いくつかのめちゃくちゃ面白い漫画に出会うことはできなかっただろう。そんなのは絶対嫌だ。しかし、それは読む側の意見でもある。描く側の意見でいうと「絵が下手だけど、内容で判断してくれ」なんていうのは、おこがましいものだと分かる。
絵だって、読む人が見やすい絵が描けるように、できる限り努力すべきものだと思う。
それは人間も同じスタンスでいいのかもしれない。見た目だけで相手を判断せず、中身も知る。だが、だからといって自分は見た目に対する努力を怠らない。そう考えると、昨日から考えていたもやもやとしたものが急にスッと晴れた気がした。大丈夫だ、漫画に対するスタンスでいいならそんな難しいものじゃない。だって俺はそれが出来てたんだから。
もやもやが晴れたおかげか、さっきまでの怒りも少しだけ収まって冷静さを取り戻す。
今は、こうやって怒ってクラスの注目を集めるより、白波さんの漫画を取り返す方が優先だ。
俺はスタスタと歩き、赤嶺のグループの方へと向かった。
「とにかく、これは返してもらうぞ」
赤嶺が手にしていた白波さんの漫画を奪うと、赤嶺は「そんなん興味ねえから、さっさと持ってけよ」と言った。興味ねえって言葉も若干苛つくが、今はとにかく白波さん優先で。白波さんの方を見ると、ほっとしたような表情になっていて、これでよかったんだと俺もほっとする。
だが、事態はそれだけで終わらなかった。
突然、シンとした教室に泣き声が聞こえ始めた。このパターン、知ってるぞ。
「……ど、どうして泉くん、そんなに怒ってるの?」
やっぱり……。高石さんが泣いていた。
「あ、あたしそんなに悪いことしたかな? ただ、ほんとに澪ちゃんの漫画がすごいなって思ったから、みんなに見せたかっただけで……」
ぽろぽろと大粒の涙が高石さんの頬に溢れていく。高石さんが泣く姿って、なんだろ……心が締め付けられるというか。いじめられている小動物って感じ。
多分、それはみんな同じで一気にクラスの雰囲気が高石さんの味方になっていくのが分かる。
「男なのに女子泣かすとかないわー」
「確かにあんなに怒鳴らなくてもいいよね」
「かわいそー」
高石さんの泣き声と共に教室のあちこちからそんな言葉が聞こえ始めた。やっぱり、ラスボスは高石さんなんだな……。こんな風に泣かれるのに比べたら赤嶺はラスボス前の雑魚敵に過ぎない。
しかし、ラスボスの倒し方……全然分からんぞ。妹はちゃんと考えたら答えが出ると言っていたけど、今のところ全く答えは浮かんでこない。
「ねえ、泉くん……私、悪いことした?」
目に涙をいっぱい溜めて尋ねる高石さん。いや、悪いことしただろ……。今回の件だけでなく、白波さんに対して色々嫌がらせしてきたはずだ。
「人を傷つけるようなことをするのは悪いことだろ」
「あ、あたしそんなつもりじゃなかったの。澪ちゃんが傷つくって思わなかったから……」
そんなつもりじゃなかったって、絶対悪意あったと思うけどな。
「少なくても嫌がらせのDMは傷つくと分かってやってたんだろ?」
「DM……? あたし、そんなことしてな――」
「いい加減にしてよッ!」
高石さんが否定しようとした瞬間、今までずっと黙っていた白波さんが声をあげた。
「澪ちゃん……?」
「なんで、こんなことばっかりするの? もうほんとにうんざりなの! あたしの何が気に食わないの? 泉まで巻き込まないで!」
我慢していた糸が切れたように、白波さんが叫んだ。
「こんなことばっかりって……? あたし澪ちゃんのこと好きだよ? すごく可愛いし」
「しらばっくれないで! そうやって表では愛想よくしてくるのに、裏ではあたしの悪口ばっかり言ってるでしょ? そういうところが嫌なの! インスタで嫌がらせのDM送ってきたのって、高石さんでしょ!?」
「あたし、そんなことしてない! 澪ちゃんの被害妄想だよ」
「うそ! 高石さんにしか言ってないこと、DMに書いてあったもん! 高石さんしか知らないこと、犯人も知ってたんだよ? 高石さんしかありえない!」
――ついに、言った! 白波さんが高石さんを犯人だと突き止めた証拠! それをクラス中が聞いてるなかで言うことが出来た。これで高石さんの悪事がクラス中に知れ渡ったことになる。
だが、ラスボスはそんな簡単に倒せるものではなかった。
「あたしそんなの知らない。澪ちゃんの勘違いだと思うよ?」
高石さんは余裕たっぷりにそう言いのけた。あっさりと白波さんの伝家の宝刀が折られてしまう。ここからは白波さんがどれだけ言い張っても結局証拠らしい証拠はないわけで、水掛け論となる。
それに――、クラスの雰囲気が変わったわけでもない。俺は寅野さんの言葉を思い出していた。やはり、寅野さんの予想通りクラスの人間は高石さんが白波さんに嫌がらせのDMを送っていたということは薄々分かっているんだ。
だから今さらそこを指摘しても白波さんがクラスで孤立している現状が変えられるわけではない。
白波さんの攻撃が敵に効果がないと分かった今、やっぱり仲間である俺がラスボスを倒さなければならない。とにかく、考えろ。妹はちゃんと組み立てて考えれば『白波さんを救う』という課題は達成できると言っていた。
まず、白波さんがクラスから孤立した原因。色々あると思うが、分かっていることのひとつは女子たちからの嫉妬が原因だ。高石さんの白波さんに対する悪意も、これに分類していいと思う。逆に言えば、この嫉妬さえなんとかしてしまえばいいと言うことだ。しかし、どうしても分からないこともある。女子たちが嫉妬するほど、男子が白波さんに好感を抱いていたのに、なぜ男子たちは高石さんの味方をしたんだ? 普通に考えたら、好感を持っている方の女子の味方をするよな。高石さんが犯人って薄々分かっているなら、余計に。だから、男子たちは普通の状況じゃなかったってわけだが、普通の状況じゃないってなんだよ。
ああ、だめだ。考えすぎて、頭がぼーっとしてきた。サウナの中にいる時のような、暑さで頭の回転が鈍くなる感覚、あれに近い。
その時、ふと俺の頭の中にあの時のサウナの光景が浮かんだ。何かそれが重要なことのような? サウナの中で木下から大事なことを聞いたような……。
なんだっけ。なんかそれがすごい重要なヒントになる気がする。
あの時、熱いのもあってイマイチ木下の言葉を理解できていなかったが。
俺は順番にあのサウナの中でした会話を思い出していた。なんだ? 何が引っかかるんだ? 最初木下が俺に対して「おもしれーやつ」って少女漫画っぽく笑ったんだよな。あれか? いや、絶対違うな。それで、なんか高石さんの話になって。そうだ、高石さんの話になったんだった。木下が高石さんから一日10通くらいLINEが来るって言ってて……、それでクラスのやつらのほとんどにLINEしてるみたいな話になり、最後には……高石さんは陽キャグループのほとんどに手を出してるって言ってた。
その言葉を思い出した瞬間、俺の頭の中で全てが繋がった気がした。
そうか! 手を出してるって――妹の『必殺技はいつも同じ』ってそういうことか! だとすれば、確かに白波さんを救えるかもしれない。俺は勝利を掴むための突破口を見つけた気がした。
「なるほど……高石さん、いつも『ママとパパ帰ってくるの遅くて、寂しいから一緒に居てくれない?』って言って男子を誘ってるんだな」
教室が静かだったせいで、俺の言葉が響いた。突然の俺の発言に、クラス中の視線が刺さる。
「……え?」
高石さんが心底驚いたような顔でこちらを見た。
「いや、だから、いつもそうやって誘ってるんだろ? それで、男子たちは高石さんの味方してたってわけか」
「い、泉くん、なに言ってるの?」
口では否定しているが高石さんは明らかに動揺していた。顔からサーっと血の気が引いていくのが分かる。
そして、俺たちのこのやりとりを聞いていた女子たちが、何やら急にざわめき始めた。
「え、そういうこと?」
「まじで……? なんかおかしいと思ってたんだよね」
「さすがにないわ」
やっぱり女子たちは、高石さんが男子たちとどういう関係にあったかは知らなかったみたいだな。男子たちというか、正確には赤嶺含む陽キャグループだと思うけど、ここは拡大して発言させていただいた。
この騒動の原因である女子たちの白波さんに対する嫉妬。これはもうどうしようもない。だから、それを解決するためには嫉妬の方向を変えてやるのが一番良い。
だが、それでも――。
「泉くん! 嘘つかないで! あたし、そんなこと言ってない」
そう、こうやって本人に否定されてしまえば、また水掛け論となる。しかし、白波さんの時とは違って俺の言葉には信憑性があるはずだ。なぜなら……。
「あはははは! やっぱ泉おもしれーわ」
今まで黙っていた木下が声をあげて笑い出した。
「そういうこと言うのって男同士ではタブーなんだけどな。おいしい思いできなくなるし。でも俺も泉のやり方に賛成だわ」
「……木下」
「俺も高石に同じようなこと言われた。もちろん断ったけど。他にも身に覚えのあるやつ、いるんじゃねーの?」
そうだ。木下の言う通り、目に見える証拠がなくても、みんなが同じ経験をしていれば俺が嘘をついていないという証拠になる。妹の言っていた『必殺技はいつも同じ』っていうのはこういうことだったんだと思う。別に俺に必殺技を作れって意味じゃなかったんだな、危なかった。高石さんの誘い文句はいつも同じで、それを必殺技と喩えたんだろう。確かに、誘い文句とかって結局成功率の高いものに収束されていくもんなのかもしれない。同じ必殺技を使いすぎた高石さんは、それゆえにギリギリの危ない橋を渡っていたってことか。周りにバレた瞬間、その必殺技はもう2度と使えなくなるんだから。
木下の言葉に続いて「実は俺も言われたわ、断ったけど」とか「あんなの付いていくやついないだろ」とか、何人かの男子たちが言い始めた。
多分、これは自己保身もあると思う。ほとんどの女子たちが、今の話を聞いてかなりの嫌悪感をあらわにしている。その嫌悪感の対象に入れられたくなかったというわけだ。
一部の男子だけは気まずそうにして何も言わずにいる。
クラスの敵意が白波さんから高石さんと一部の男子へと変わっていくのが分かった。
だが、正直なところ木下の助け舟にめちゃくちゃ救われた。木下がああ言ってくれなかったら、こうはならなかったかもしれない。
「嘘だよ! ほんとに、あたしそんなこと言ってない!」
高石さんは必死で否定しているが、もうその言葉はただ空回っているだけでしかなかった。
クラス内に白けた空気が充満している。とくに女子の間に。女子の嫉妬は恐ろしい……妹から学んだことだったがやっぱそれは本当らしい。多分この空気はそう簡単には変わらない。
「まじできもい」
「ふつー、そこまでする?」
「高石さん、めちゃくちゃ白波さんに嫉妬してたもんねー」
女子たちの声が次々に聞こえる。なんか、掌返しがすごいな。さっきまで高石さんの味方っぽい空気だったのに、こんな唐突に人間って態度を変えるんだな。
さすがの高石さんも女子たちの言葉が応えているようで徐々に俯き出した。高石さんってほんとに悲しい時は泣くんじゃなくてああやって俯くのかもしれない。昨日もそうだったし。
高石さんが本当の意味で傷ついたと分かると、少しだけ罪悪感が沸き始めた。さっきまで高石さんは敵だとか思ってたのに。女子が唐突に態度を変えたっていったけど、俺だってすぐにこうやって気持ちが変わるんだから、人間なんてみんなそんなもんなのかもな。
それでも、俺はクラスで孤立していく高石さんを助けようとまでは思わなかった。
だけど、これが俺の求めていた勝利なんだろうか? 少年漫画的な? 努力、友情、勝利のあの勝利か? そう言われるとそれも違う気がした。ああいう爽やかな勝利じゃなくて、どろどろした勝利……。
これが本当に妹の『計画通り』なんだろうか。
鳴り止まない高石さんの口撃のなか、複雑な心境でその光景を眺めていると、突然白波さんが高石さんの方へと向かって歩き始めた。
(え……? 白波さん、なにする気だ?)
まさか、とどめを刺す気か? いや、白波さんの気持ちも分からないでもないけど。結局、白波さんは直接報復してないし。でも、この状況でそれはちょっとやりすぎな気もする。でも、嫌がらせの対象となっていたのは俺じゃなく白波さんだ。決着は、白波さんがつけるべきなのかもしれない。
そう思った俺は、とりあえず黙って白波さんの行動を見守ることにした。
白波さんは俯く高石さんの前で立ち止まった。クラスのみんなもそれに気づくと、息を飲むようにして白波さんのこれからの行動に注目する。
高石さんが気配に気づき、俯いていた顔をあげると、白波さんは片手を大きく振り上げた。
そして勢いよくそれを振り下ろすと、ポンッと片手を高石さんの肩に置き、
「許す!」
と、大きくはっきりとした声で言った。
「え?」
「高石さんがしたこと、あたしは全部許す! だから、もう水に流そ! ね、みんな!」
クラスに言い聞かせるように白波さんが言う。
「……澪ちゃん、怒ってないの?」
「怒ってたよ! でも、こうやってクラスのみんなが悪口言ってるのって見てて嫌な気分になるんだよね……。元々はあたしと高石さんの問題なんだし、あたしが許すって言ってるならそれでよくない?」
「み、みおちゃ?ん! ごめんね?!」
泣きながら高石さんが白波さんに抱きついた。白波さんはよしよしと頭を撫でている。
それを見た誰かが小さな声で「騙されて、ばっかみたい」と言ったのが聞こえた。確かに、今までの言動を考えれば、高石さんのこの行動に気持ちが入っているかと言われると、そうじゃないんだろうなとも思う。とにかく今窮地に立たされている高石さんは藁にでもすがる思いで白波さんの言葉に乗ったのかもしれない。
だが……、それでもさっきまでの状況よりはよっぽど、少年漫画っぽい。喧嘩していた二人が最後には仲直りする。もちろん、完全に爽やかな最後ってわけじゃないけど、こっちの方がずっと俺好みの展開だ。それに、きっと白波さんは高石さんの本音を分かったうえで「許す」って言ったような気がする。
高石さんの頭を撫でている白波さんが、ふと俺の方を見た。
声を出さずに、口を動かしている。読唇術ができない俺でも、それが「ありがとう」の五文字だってことが分かった。




