第28話 白波さんが持ってきたもの
昨日、妹に叱咤されて少しだけ気分が晴れたものの、それでも自分に対する嫌悪感が完璧に消えたかと聞かれるとそうじゃない。クズを脱却したいという気持ちはもちろんある。だが、どうすれば脱却できるのか、その答えがまだ見つかっていない。
それでもやはり白波さんを救うという最初の目標は、やっぱり投げ出さない方がいいだろう。それが妹のいう『クズという自分に甘えない』ってことなんだと思う。
まあ、その救う方法とやらはまだ全然思いついていないけど。
俺は学校についてからも、妹のヒントを元に色々思考を巡らせていた。今日は休み時間、絵の練習はせずに今までの出来事を整理して改めて考えてみよう。そう決めた時、頭上から俺の名を呼ぶ声が聞こえた。
「……泉、ちょっといい?」
白波さんだった。いつの間にか俺の席の横に立っている。手には一度目にした茶封筒を持って。
「あ、白波さん。どうした? あ、もしかしてあれ?」
あれ、とはもちろん漫画のことだ。おそらく、あの茶封筒には白波さんが描いた漫画が入っている。ただ、白波さんが漫画を描いていることはクラスで秘密っぽいのではっきりと『漫画』という言葉を出すのはやめておいた。
俺はまた白波さんの漫画が読めると思うと、少し落ち込んでいた気分が浮上していくのが分かった。むしろ今はワクワクした気分だ。
「……」
俺の問いにコクンとうなずく白波さん。だが、その表情はなぜか複雑なものだった。漫画が完成して嬉しいはずなのに、なんか暗いというか。漫画の出来にあまり自信がないのか?
「えーと、読んでいい?」
「……いいけど、その前にひとつ聞いてい?」
「え? う、うん」
なんだ? なんか変な雰囲気だぞ。白波さんは口を開けたあと、何か言おうとしてすぐ口を閉じた。すごく不安そうな感じ。けど、その後大きく深呼吸すると
「高石さんと付き合ってるの?」
と聞いてきた。
「え!?」
白波さんの口から出た予想外の言葉。付き合ってるどころか、昨日かなり気まずい雰囲気になったぞ。
「いや、付き合ってないけど、なんで?」
「……じゃあ、その……泉って高石さんのこと好きなの?」
また良くわからない質問来た。俺が高石さんのことを好き……? 可愛いとは思うが、高石さんは俺にとって倒すべき存在であって、好きとかそういうのとは遠い存在だ。それになにより、白波さんにそういう勘違いして欲しくない。なぜかは分からないが、他の誰にどう思われても白波さんにだけは信じてもらいたい。
「まさか! そもそも、なんで、白波さんそんな風に思ったんだ?」
「……だって、これ」
白波さんはスマホを取り出すと、インスタの画面を俺に見せてきた。そこには、俺のタピオカを買っている後ろ姿の画像を背景に『二人でデート(目がハートの絵文字)この後、家に来る予定です(照れた感じの絵文字ときらきらの絵文字)』という文字が書かれた画面が写されていた。
「好きじゃないのに、家に行ったんだ?」
「行ってない、行ってない! ていうか、これ、なんだ!?」
「あー、泉インスタやってないもんね。これ、ストーリー」
「ストーリー……?」
意味が分かっていない俺に白波さんはインスタのストーリーという機能について教えてくれた。ストーリーとは、普通の投稿とは別に24時間で消える気軽にできる投稿のことで、公開対象も選択できるらしい。この投稿は昨日高石さんが『親しい友達』限定で公開したストーリーらしい。ちなみに、高石さんは、白波さんだけを『親しい友達』に設定しているとのこと。なんかこわっ!
「名前は出てないけど、この後ろ姿絶対泉だし家行ったっていうことは、そういうことなのかなって思って」
「いやいやいや、行ってない! マジで!」
手を大きくぶんぶん振って否定する。ていうか、なんだよそれ。めちゃくちゃ怖いわ。俺の知らないところで勝手にこんな投稿されてるなんて。白波さんが俺に直接聞いてきてくれたからちゃんと否定できたけど、もし何も言わないタイプだったら誤解されたまんまってことだろ。今回は白波さんの何でもはっきり言う性格のおかげで助かったわ。いや、助かったのか? ちゃんと誤解、解けてるのか?
「……でも、泉モテたいって言ってたし」
解けてない! あー、そうか。小さな嘘でも一度嘘をついたらこうやってずっとその嘘が俺を苦しめることになるんだな。だとしたなら、嘘ってすごい怖いな。できうる限り嘘はつかずに生きて行った方がいい。あれ、これ俺またコミュニケーションレベル上がったんじゃね? って今はそんなことどうでもいい。まずは白波さんの誤解を解かなければ。
ただ、焦っているせいか何を言えばいいか言葉が出てこない。だめだ、やっぱり俺のコミュニケーションレベルは幼稚園児だ。
それでも、なんでもいいから何か言おうと口を開いたとき。
「ねえ、それなにー?」
白波さんの後ろから、ひょっこりと高石さんが顔を出した。
俺も白波さんも、一瞬時が止まる。今一番やっかいな相手が一番面倒な時にやってきた。というか、昨日あんな気まずい感じで別れたのに、なんで高石さんは何事もなかったように話しかけてきたんだ?
「あ、もしかして、昨日言ってたふたりの秘密? あ、でもあたしも知っちゃったから、もうふたりの秘密じゃないか」
高石さんは、鈴がなるような声で可愛らしく笑った。
いやいや、ちょっと待て。その言い方だと俺が白波さんの秘密を高石さんに言ったみたいに聞こえるだろ。
「……泉、言ったの?」
ほら、白波さん完全に疑いの目を俺に向けてるもん。
「いや、言ってない!」
「ほんと?」
「ほんとだって!」
昨日高石さんに「二人だけの秘密とか、あったりするの?」と聞かれただけで、うんともすんとも言ってないし!
「あはは、泉くん、ほんとに秘密の中身については言ってないよ? 澪ちゃん、ちょっとこわくない? ね、泉くん」
俺が焦って否定していると、高石さんが横にぴったりとくっついてきて、言った。まるで態度で高石さんは俺の味方だと言っている感じ。だが、この高石さんの問いかけに俺が「うん」と頷けば自然と、俺と高石さんVS白波さんみたいな空気になりそうなんだが……。だからといって「ちがう」とも言えないし。もしかしたら俺を助けるつもりでやってくれたのかもしれないけど、逆に俺は窮地に追い詰められている。どうしよう。
何も言えないでいると、白波さんは大きく「はあ」とため息をついた。やばい、呆れられてる?
「……わかった。まあ、別に絶対秘密にしたいってわけじゃなかったし、いいんだけどね。ただ、泉くんと二人で内緒で色々やってる感じがちょっと楽しかったていうか」
よ、よかった。白波さん怒ってはないっぽい。というか、後半のセリフとかめっちゃ嬉しい。
「俺も白波さんと色々できて楽しかった」
ここは素直に自分の気持ちも伝えておこう。ほんとに白波さんと絵の練習をするのは楽しかった。同士ができたって感じだったし、白波さんの漫画も本当に面白くて好きだったし。
白波さんは俺の言葉を聞いて、嬉しそうに微笑んだ。妖精さんの魔法で俺と白波さんの間に春のそよ風みたいな、ほっこりとした空気が流れる。
「内緒じゃないなら、あたしもそれ見たーい!」
高石さんが白波さんの持っている茶封筒を指さした。
「え?」
「澪ちゃん、おねがい! だめ?」
うるうるとした瞳で白波さんを見上げる高石さん。断ったら今にも泣き出しそうな雰囲気を醸し出している。
「うーん」
「ねえー! おねがーい!」
白波さんが悩んでいると、高石さんは白波さんの腕に絡みついて頼み始めた。うわ、これは見せるまで諦めなさそうだ。白波さんもそう思ったのか少しだけ悩んだあと観念した様子で「分かった」と言った。多分断って泣かれたりしたら、面倒なことになると思ったんだろう。
白波さんは茶封筒を開けて漫画を取り出すと、高石さんに渡した。なんか俺まで少し緊張する。白波さんの漫画は面白いから別に見せても全然いいものだとは思うが、相手が高石さんだし。
高石さんは漫画を見た瞬間、教室に響くような声で
「わー! 澪ちゃん、漫画描いてたんだー!? すごーい! かわいー!」
と言った。
かなり興奮したようで、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。その声の大きさとぴょんぴょんと跳ねる仕草から、クラスの何人かがこちらに目を向けてしまっている。白波さんは秘密にしたいわけじゃないって言ってたが、こんな風に注目を集めるのはどうなんだろうか。
「読んでいい?」
「う、うん」
少しだけ引きつったような顔になっている白波さん。やっぱりこんな風に注目を集めるのは嫌なのかもしれない。
だが、高石さんは白波さんの漫画を1ページめくるたびに「かわいいー!」とか「じょうずー!」とか、いちいち大声で褒め言葉を言う。俺は「もうちょっと声おさえて」と注意してみたが、高石さんは「あ、ごめん」と口を押さえたあと、またすぐに声の大きさが元に戻ってしまった。高石さんの様子はあくまで、漫画を読んで感動して声が出てしまっているといった感じで、内容もただ褒めているだけなのでそれ以上なんて言えばいいのか分からなかった。ただ、高石さんの漫画は面白いが、絵は正直なところまだまだなのに、高石さんはさっきから漫画の内容には触れず絵だけを褒めているところは少し気になる。
高石さんが声をあげるたび、クラスが注目し、白波さんの顔がだんだん恥ずかしそうに赤く染まっていく。
そして、最後のページを読み終わると高石さんは「これ、みんなにも絶対見せた方がいいよ!」と言って笑った。
「え、でも恥ずかしいし」
「こんなに可愛い絵が描けるんだから、全然恥ずかしいことないと思う! あたし見せてくるね!」
――え!? 今、見せてくるねって言ったか? と一瞬の思案の間に、高石さんはぴゅーっと走ってこちらに注目していた男子の方へ行った。高石さんの突然に見せるスピード感なんなんだよ。まじで付いていけない。それは白波さんも同じようで、呆気に取られているようだった。
お互いがはっと意識を取り戻した時には、時すでに遅し。
「待って!」
「待て!」
俺と白波さんの声がハモる。だが、その声は教室の喧騒にかき消された。もう高石さんは男子たちに白波さんの漫画を見せ始めている。
「ねー! これ、澪ちゃんが描いたんだって! すごい上手じゃない?」
高石さんが男子たちに漫画を見せた瞬間。
「あはははは! なんだよ、この絵! 幼稚園児の絵じゃねえか!」
「なになに、これ白波が描いたの? てか、白波って漫画とか描くタイプなんだ?」
「確かにこれは上手だわ!」
赤嶺含む、一部の男子グループが爆笑の渦に包まれた。
「ちょっとー、どうして笑うの?」
頬を膨らませて、少しだけ怒ったように男子たちを咎める高石さん。そのセリフも男子たちの笑い声にかき消されてしまっている。今の俺には高石さんのセリフは、男子たちにかき消されることを前提に言ったように思えてしまう。クラス中がその笑い声の原因に注目し、何人かが「なに?」と興味を持って近づいていた。
いや、さすがにこれはまずいだろ。止めないと! というか、白波さん大丈夫か?
「……ッ」
横を向くと、白波さんの顔は真っ赤になって今にも泣き出しそうな表情になっていた。目には涙が溜まっている。何か言いたそうにしているが、ショックで言葉が出てこないのか、笑いものになっている自分の漫画をただ見つめている。
それを見た瞬間――。俺の中で何かが弾けた。
燃えるように頭が熱くなって、目の前がちかちかする。興奮にも似た激しい負の感情が俺を襲う。ああ、そうか……これが怒りってやつか。人生で初めて味わう感情だった。
「おい! やめろよッ!」
気づけば俺は、男子たちのグループに向かって叫んでいた。怒号って言葉がぴったりの声量で。




