第15話 白波さんの涙
教室を出て少ししてから、チャイムが鳴った。授業の開始を告げる音だ。自動的に俺は初めて授業をさぼることとなった。
だが、そんなことより今は白波さんだ。俺は廊下を走り回り、白波さんと寅野さんの姿を探した。すぐに追いかけたので、そんなに遠くに行ってないはずだ。
きょろきょろと辺りを見渡しながら、廊下を走る。授業が始まっているせいか、とても静かだ。
ふと階段の方から、声が聞こえた。??白波さんと寅野さんの声だ!
階段の方へと向かうと、上階からかすかな声が聞こえた。ゆっくりとのぼっていくと屋上へと続く階段の踊り場あたりで、白波さんと寅野さんが腰かけていた。膝を抱えて俯いている白波さんと、慰めるように白波さんの背に手を置いている寅野さん。
俺がそっと顔を出すと、先に俺の姿に気付いたのは寅野さんだった。
「泉……?」
「あ、俺……」
なんて言えばいいんだろうか。無我夢中で後を追ってきたので、二人を見つけたあとのことを考えていなかった。
「――え、泉?」
俺の声を聞いて、俯いていた白波さんが顔を上げた。
――まじか。な、泣いている。白波さんが、泣いている。
俺の顔を見た白波さんは慌てて涙を拭っていたが、目は充血して赤くなっているし、頬には涙の跡がある。
それを見た俺は、今まで感じたことのない感情で胸がいっぱいになった。……なんだこの気持ち? さっき高石さんが泣いているのを見た時には、湧き上がってこなかったぞ。胸がぎゅうって押しつぶされそうな。悲しさと怒りが混じったような。
俺は何も言えないまま、心臓だけが動揺でどくどくと早鐘を打つ。
「まさか、泉が追いかけてきてくれると思わなかった。心配させちゃった? ごめんね」
無理やり作った笑顔で白波さんが笑う。俺に心配かけまいと、元気そうに振る舞っている。
「いや、白波さんが謝ることないけど……」
くそ! 気の利いた言葉が言えない。落ち込んでる白波さんに気を遣わせたくなんかないのに。
「ほんと、大丈夫だから。泉は授業に戻って。迷惑かけたくないし」
「迷惑なんかじゃ」
言いかけた瞬間、寅野さんがスッと立ち上がると俺の腕を持って「ちょっとこっち来て」と言った。え、なんで。今、白波さんから離れたくないんだけど。だが、寅野さんの俺を引っ張る腕が結構強かったので、仕方なく寅野さんについていく。ついていくっていうか、引っ張られてるんだけども。
白波さんから少し離れたところで、寅野さんは小さな声で言った。
「泉の気持ちは分かる。澪も泉が来てくれて、嬉しかったと思う。けど、今はちょっとあたしに任せてくれない?」
「え……」
「泉がいると澪、気ィ遣っちゃうからさ。今は、何も考えずに泣かせてあげたいんだよね」
確かに、白波さんは俺に対して気を遣っていた。もちろんそれは俺の本意ではない。
「でも、俺白波さんの力になりたいんだよ」
「それは分かるよ。でも、泉が今ここにいても何もできないでしょ」
「うっ……それは確かに」
寅野さんの言葉は俺の心にズシーンと猫パンチならぬ虎パンチを与えた。完全なる図星。俺は、白波さんを励ます言葉ひとつ出てこない。けど、はいそうですかと簡単には引き下がれない。
白波さんの涙を見た俺は、どうしても彼女の力になりたいという気持ちを抑えきれずにいた。
「せめてさ、後でいいから何があったか教えてくれないか?」
子細を知ることができれば、俺にだって力になれることがあるかもしれない。
できれば、今、白波さんのそばにいて話を聞いて励ましたい。だが、それは今の俺では無理そうだ。ただここにいるだけで、白波さんに気を遣わせてしまう俺では。
俺のコミュニケーションレベルが赤ちゃんではなく、年相応であれば、何か気の利いた慰めの言葉ひとつ言えたかもしれない。でも、できない。俺がずっと人と関わることを避けて生きてきたから。人と関わろうと決めてからも、結局何もできずにいたような男だから。
肝心な時に積み重ねてきたものが何もないことが、こんなに悔しいなんて。
高石さんは、少しだけ悩んだあと「ふう」とため息をひとつ付き、
「分かった。放課後、説明する。だから、今は教室に戻りな」
と言った。
「ほ、ほんとか?」
「うん、約束ね。ほら! じゃあ、回れ右!」
寅野さんは俺をくるりと回して、教室の方へと向けた。実は結構力強いよな、さすがタイガーの名を持つだけあるわ。
だが、俺は素直にそれに従うわけには行かない。最終的に従うけど、ちょっと一言だけ。どうしても白波さんに一言だけ言いたかった。
「白波さん!」
少し離れているが、大きめの声を出すと十分に白波さんに届く。白波さんは俺の方に視線を向けた。
「俺は味方だから! 何があったか分からないけど……もし仮に、そんなことはないと思うけど、万が一仮に白波さんが悪かったとしても俺は味方だ! 忠誠を誓うってそういうことだから!」
寅野さんの『何言ってんの?』的な視線が痛い。忠誠云々は俺と白波さんしか知らない会話だしな。
いや、もしかしたらそれを抜きにしても痛かったかもしれない。もし、白波さんからも『ばかなの?』的な目で見られたら傷つく気がする。しかし、その心配は喜憂に終わる。
「……ありがとう」
そう照れたように笑う白波さんの顔は、本当に本当に綺麗で可愛くて。脳のバグが起きる前の俺でもこの笑顔を見れば、可愛いと思ったはずだ。それぐらいにめちゃくちゃ可愛かった。
俺の胸の中は、言い表せない幸せな気持ちで満たされていた。




