第13話 成長する妹
夜、自室にこもってネームを描いていると妹が部屋にやってきた。
「お兄ちゃーん、入っていいー?」
少しだけ扉をあけて、ひょこっと顔を覗かせている。命の恩人の入室を断るわけがない。
「おう、どうした?」
「漫画読んだから返しにきたの」
「ああ、そうか。今、何読んでるんだ?」
「『カイジ』シリーズ全部読み終わったとこ! めちゃくちゃ面白かったー! 追い詰められてから巻き返す感じ、かっこいいよね」
妹はあれから俺の本棚から次々と漫画を読み続けているようだった。こんな感じでたまに部屋に来て、漫画を返したり取ったりしていく。
「まあ、名作だよな。あの作者さんの漫画は他のも面白いぞ」
「そうなの? でも、お兄ちゃんの本棚にないよね」
「そりゃあ、気に入った漫画全部は手に入れようと思ったら、この部屋は漫画で埋まっちまうからな。厳選したやつだけ紙媒体で持ってて、あとは電子書籍が多いな。次は何読むんだ?」
「そうなんだ! 実はさ、もうお兄ちゃんの部屋にある漫画はこれで全部読んじゃったんだよね」
「え? 全部か!?」
自慢じゃないが……いや、自慢だが、俺の部屋には大量の漫画がある。部屋のほぼ全面ぐるりと囲むように本棚が置かれているので、数えたことはないが相当の量の漫画がある。もっと所持したいが、本というのは集まるとめちゃくちゃ重いので、これ以上集めると床が抜けてしまう可能性があってそれはできない。床が抜けると漫画を描くスペースがなくなるし。
とにかく、大量の漫画をこの短期間のうちに妹は全部読んだという。
俺は、最初に妹に自分の漫画を見せた時のことを思い出していた。妹の漫画を読むペースは結構ゆっくりだったような気がするが。
「うん、全部。他にも読みたいから、あたしもお小遣い貯めて自分で漫画買うことにする!」
妹は思ったよりも漫画そのものを好きになってくれたらしい。うわ、なんだこれ。嬉しい。家の中に同志ができた感じ。そうだよ、漫画ってめっちゃ面白いんだよ。
俺は嬉々として、本棚にはないけどおすすめの漫画をいくつか妹に教えた。
「そういえばさ、お兄ちゃん学校で陰口言われてるってやつ、あれどうなったの?」
思い出したように妹が言った。
「あ! そういえば言ってなかったな。全部白波さんが解決してくれたよ」
「え、もう解決したの?」
「そう、めちゃくちゃあっさり。今では教室で俺の陰口を言ってるやつは誰もいないぞ」
「へえー! 白波さんって人すごいね? でも、陰口がなくなったならよかった! 実は、心配してたんだよね……」
「由香……」
相変わらず、心の優しい妹だ。兄が学校でいじめられてるって聞いたら、ちょっとした嫌悪感を抱いてもおかしくないのに。お兄ちゃんが学校でいじめられてるなんて恥ずかしい! みたいな感じで。
「ほら、だってお兄ちゃん陰口が聞こえてくると絵に集中しにくいって言ってたでしょ? 漫画に影響あるんじゃないかって心配で」
ん? 心配って俺の漫画の方なのか?
「ていうか、お兄ちゃん、ちゃんと漫画描いてる? あたしずっと待ってるんだけど! さぼったりしてないよね?」
「え? あ、ああ。か、描いてる描いてる」
なんとなく妹の瞳の奥がキラーンと光った気がした。口調もいつものほわほわとした感じじゃなくて、叱咤するような。なんかこの感じ、どこかで味わったことがあるような……?
「あ、そうそう! 今、ちょうどネーム描き終えたとこなんだよ。見てくれるか?」
「ネーム! 『バクマン。』に出てきたやつ! 読みたい読みたい!」
俺は妹に出来上がったばかりのネームを渡した。なんだろ、この感じ。少し緊張する。前見せた時は、こんな緊張はなかった。
妹は俺のネームを受け取ると、スッと気配が変わった。優しい妹に何かが乗り移っているような。何かっていうのが何かは分からんけど、ぱっと思いついたのは……そう、漫画の神様……! いや、それは他にいるからまずいな。神の使い、そう漫画の天使が乗り移ってる!
妹は、ぱらりとネームを開くと、突如、風が舞うような勢いでパラパラパラと次々にページを捲り始めた。
(は、早い……ッ! こ、これでちゃんと読んでいるのか!?)
このスピードで読めるのであれば、そりゃあ俺の部屋の漫画を短期間で制覇できるだろう。そして、この感覚を俺は知っている。漫画の編集さんだ。妹はプロの編集さんと同じスピードで漫画を読んでいた。
俺がそんなことを考えている間に、あっという間に妹はネームを読み終わっていた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「うん、絵はすごい良いと思う。一見独特なんだけど、見慣れると癖になる。躍動感もあって、丁寧に描けてると思う」
「は、はい」
気が付くと俺は椅子の上で正座していた。メンタルはもう完全に編集さんに漫画を見てもらっている時と同じ。
よかった、ネームだけど絵は丁寧に描いておいて。
「ただ、ストーリー以前にキャラに魅力がないんだよね。お兄ちゃん、漫画にとってキャラの魅力がどれだけ大切か知ってるでしょ?」
「そ、それはもう」
「お兄ちゃんの漫画のキャラってなんか深みがないんだよね。とってつけたような感じっていうかさ、どこかで見たような感じ。リアリティがない」
妹の言葉に少なからずショックを受ける。完全に図星だった。
俺は、人間の絵を描けるようにはなったものの、その絵に性格をつけようとすると、途端にどうすればいいか分からなくなった。それは、俺が人間というものを全然知らないからだ。分からなくなった俺は、とりあえず好きな漫画のキャラの性格を真似した。だけど、それはやっぱり絵と同じで、ただ人の真似をするだけじゃだめらしい。俺なりのオリジナリティがないと……。
「大丈夫だよ! お兄ちゃん!」
打ちひしがれる俺に、妹は明るい声で言った。
「お兄ちゃんは、ただ知らないだけだもん。これから、ちゃんと人間のことを知っていけば、絶対魅力的なキャラが作れるよ」
「なんで、絶対なんて言えるんだよ?」
「そんなの分かるからだよ。お兄ちゃんには才能がある! 絶対面白い、伝説に残るような漫画が描ける! あたしが保証する」
全然理由になってないが、妹は自信満々だった。だが、なんだろう。嘘をついているという感じではない。妹は、純粋に心の底から俺に才能があると信じてくれているようだった。
なんか、それって……めちゃくちゃ嬉しい。理由があって期待されるより、理由なく信頼される方がなんか嬉しい。それに、今の妹には漫画の天使様が憑いているわけで。天使がそういうのなら、確かに俺には才能があるのかもしれない。
「……俺、面白い漫画描けるかな?」
「絶対描けるよ!」
その言葉にふわりと心が浮上し、勇気づけられる。
「お兄ちゃんさ、前言ってたでしょ? 見た目を整えるだけで『隠キャ』って呼ばれなくなるのに、なんでみんなそうしないのかって。あれの答え分かった?」
突然の妹の問いに、少しだけ焦る。そうだ、あの白波さんに問いかけた疑問。あの話を妹にもしたんだったな。妹はその時何も言わなかったが、今それを改めて俺に聞いてくるってことは何か意味があるんだな。
正直なところ、俺はその問いに何も答えを出せていなかった。
「……」
今、真剣に考えてみる。あの時白波さんは『泉は今日まで髪型とかに気を遣おうって思わなかったの?』と逆に尋ねてきたんだよな。そうか、俺に重ねて考えてみればいいのか。なぜ、俺はあの時まで自分の見た目を整えようと思わなかったか。それは……それは、どうせ醜い自分を磨いても意味がないと思ったからだ。醜いものの細部を整えたところで、なんの意味もない。
「……答えは、無駄な努力だと思ってるからじゃないのか? 見た目を磨いたところで『隠キャ』なままだってみんな思ってる」
「半分正解で、半分はずれ」
「じゃあ、なんなんだ?」
「答えはひとつじゃないっていうのが答え。お兄ちゃんと同じように思ってる人も中にはいると思う。でも、別に自分が『隠キャ』と呼ばれることがどうでもいい人とか、ただ単純に努力そのものが面倒くさい人とか、答えはいっぱいある。そして、どうしてその答えになったのか考えると、その人の心が少しだけ見えるんだよ」
「……なるほど」
「そうやって答えから心を知っていくうちに、その人が次にどんな答えを選ぶのか分かるようになる。それが人を知るってことだと思う。だから、もちろん今のお兄ちゃんみたいに真剣に想像することも大事だけど、ちゃんと人と関わって『答え』を聞きだすことも大事なんだと思う」
俺は今、純粋に妹を尊敬していた。ひとつ年下の妹だが、精神年齢は完全に年上だ。
そもそも俺は、誰かの心を真剣に想像したことなんて今までなかった。おそらく、妹はこうやって他人の心を想像し知っていくことで、あの優しさを手に入れたんだ。
「俺、頑張るわ」
「え?
「明日からどんどん人と関わってみる。そして、絶対いつか由香に『面白い』と言ってもえらえる漫画を描く。お前は安心して待っとけ!」
「……うん! 楽しみにしてる!」
俺の言葉を聞いて、妹の瞳が少女漫画みたいにキラキラと輝いた。なんなら、背景に花をしょっていた。
これは、ほんと俺のためだけじゃなく、これだけアドバイスしてくれた妹のためにも絶対面白い漫画を描かないとな。




