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モノガリのユディ  作者: ササユリ ナツナ
第三章 ろくにん
95/137

14錆の祝福

 ようやくリコリネに手紙が届いた。

 リコリネは長い時間をかけて吟味を終えると、ユディを宿の自室に呼び出す。

 ユディは、リコリネの部屋に一歩踏み入れて、眉をひそめた。


「…? 焦げ臭い…?」


「ああ、失礼しました。手紙を燃しておりました」


 リコリネは急いで窓を開ける。

 見ると、テーブルの上の灰皿に、黒い燃えカスが残っていた。


「危なっ!? そういえばずっと前にリコリネは手紙を燃やすって聞いてたような気がするけど、まだやってたんだ!?」


「そうなんですよ~~、しかも室内で~~」


 リルハープは開いた窓の傍に行き、外からの風に気持ちよさそうにしている。

 リコリネは心外そうだ。


「お言葉ですが主。これはガッディーロの機密文書ですからね、取っておいても邪魔になるだけですし、燃やすのが一番なんですよ。今回はかなり分厚かったので、少々燃え残りましたが。少し忍びの者らしくて、心は燃え上がっております」


「忍びって、最近流行ってるニンジャってヤツ?」


 ユディは、街で流行っている本を思い浮かべた。

 そういえば船旅の間、リコリネが商人から本を買い付けていた気がする。

 リコリネは、嬉しそうに頷く。


「はい、ニンニンですよ! 山を越え、谷底へ!」


「滑落~~!?」


「大丈夫ですよリルハープ殿、その程度でニンジャは果てません。死ぬときはハラキリだそうです。実に骨太な存在ですよね、目標にしたいです」


「リコリネ、手紙はなんて!?」


 ヒートアップしそうなリコリネへ、ユディは慌てて修正をかける。

 リコリネは、はっとして姿勢を正した。


「そうでした。急な話ですので少し遅くはなりますが、使者を送ってもらう手はずとなりました。ついでに、私の新しい武器も携えてくるそうです。モノオモイ戦のときに、距離をあけて戦う必要性もあると報告したところ、次は中距離でも戦えるものが来る流れになりそうです」


「うわあ、ますます頼もしくなりそうだな…」


「で、その際、使者から直接情報のやり取りをしますので、かなり長く話し込むことになりそうです。主、私は休暇を一日頂いてもよろしいでしょうか?」


「それはもちろん。というか、僕は挨拶しなくていいのかな。船のお世話になる予定だし」


「いえいえ、それには及びません。ガッディーロ当主が来るならともかく、使者ですからね。それに主のことですから、不必要に恐縮するのが落ちでしょう。すべて私に任せてください。溜め込んだ賞金も渡してまいりましょう」


「…わかった、じゃあ、よろしく伝えておいてほしい」


「かしこまりました。しかし、この周辺の賞金首は大体狩りましたからね。使者が来るまでは、自由時間という流れになりますか」


「ああ、そうなるのか。…なんだか、観光とか久しぶりだなあ」


「…ふふ、そうですね。とはいえ、港町はどこも同じような感じなので、目新しいものはないのかもしれませんが」


「そう来ると思って、リコリネが忙しくしている間に、君が好きそうなものをチェックしておいたんだ。まず、揚げパンの屋台が人気らしい。それから海辺を歩くと、たまに漁師飯のスープを分けて貰えるとか。あとは、ひなびた博物館みたいなのがあって、そこで海の生き物の展示があるらしいよ」


 ユディの言葉に、リコリネは少し驚いた様にしばらく黙った。

 やがて、耐えきれないとばかりに、全身鎧の肩を震わせ始める。

 ユディは、首を傾げた。


「…? 何か変なこと言ったっけ?」


「い、いえ、主は本当に言葉を飾りませんね、他者に勧める場所に、ひなびた、という表現はいかがなものかと…! 今並べて頂いたラインナップがすべて色気のかけらもなくて、すみません、笑ってしまいました。リルハープ殿の言葉をお借りすると、まあ、モテませんよ、ということですか」


「まったくですね~~っ、もうちょっとオシャンティーな場所めぐりにアンテナを立てて頂かないと、リルちゃんはご主人サマの胸ポケットで強制的にそこに連れていかれるのですから~~。チョイスが渋すぎます~~」


「ほんっとリルハープはダメ出しをするのが仕事だよな?」


 むくれるユディに、リルハープもリコリネも笑ってしまった。



-------------------------------------------



 そこから数週間がたち、リコリネは使者との待ち合わせ場所に向けて出かけて行った。

 ユディは一日フリーになって、海岸をぶらつきながら、胸ポケットのリルハープに話しかける。


「リコリネって、実家に対して何か思うところがあるのかな?」


「それはそうでしょう~~、次期当主の弟とも仲がいいようですし~~。なぜそんなことを気になさるのですか~~?」


「だって今朝のリコリネ、行きたくなさそうだったというか、死地にでも赴く感じで、じっくりと行ってきますの挨拶をしてきたし」


「それは……。孤児院の経営状況を気にしているみたいでしたから、設立者としては微妙な報告も覚悟しているのでは~~? あの子は常に最悪を想定して動きますからね~~」


「あ、そっかそっか、そうなんだよなあ、僕もリコリネの頭の中で何度命を落としているのか……護衛の立場を考えると、やめてくれとも言えないし…」


「ご主人サマが護衛を必要としないくらいお強くあればいいのですけどね~~、たまにぼんやりしているというか、ぬけてると言いますか~~」


「リルハープはたまに優しくなってもいいんだよ?」


 いつものようにギャーギャーと言い合った後、次は船の出港を見に行こう、という段階になって、船乗りたちがざわめいているのが耳に入った。


「おい、あれ!」

「どういうことだ、そろそろ帆を畳まねぇと、砂浜に突っ込むぞ!」

「おーい! スピード落とせ落とせ!」


 一人、二人が気づいて声を上げると、なんだなんだとそこら中の人が、海辺に群がり始める。

 ユディも、なんだろうとその中に加わって、驚いた。


 午後に吹く強い海風の中、数人乗りくらいの小型船が、真っすぐに砂浜へと突っ込んでくる。

 距離が近づいてくるにつれ、乗っているのは一人で、ぐったりと倒れ込んでいるのが見えた。


「おい、アレ『つらなりの諸島』の船じゃねーか?」


 こんがりと日に焼けた船乗りの一人がそう言って、ユディは先日、博物館で見た展示を思い出した。

 連なりの諸島とは、うるうの大陸と、今居るはんの大陸の間にある、南に連なる広大な諸島群だ。

 無人島も含めると、百に近い数の島があるという。

 島の間を行き来する船は、機動力を重視した中型と小型のあいの子くらいの大きさで、まさに今突っ込んでくる船がそんな感じだった。


「なにかあったんだ…!」


 ユディはそう判断し、船が突っ込んでくる砂浜に向けて、誰よりも早く駆け出した。

 それに触発されたように、数人の船乗りたちが、わらわらとついてくる。

 後には、増え続ける多くの見物客が残された。


   ―――ドオ…ン!!!


 多くの人の危惧した通り、ユディの目の前で、船は砂浜に突っ込み、乗っていた居た誰かが、慣性のままに砂地に放り出された。

 どさりと、力なく転がっている。


「大丈夫ですか!?」


 ユディは砂まみれの男を助け起こす。

 すると、遅れて辿り着いた船乗りたちが、ユディの後ろで「うっ!?」と声を上げた。


「まずい、最近島で流行ってる『さびの病』だ! 近づくな!」


 それを聞いた瞬間、ユディ以外の全員が、青褪めながらユディから距離を取った。

 ユディは驚いて、腕の中の男に目を向ける。


 まだ若いその男の体には、ところどころにポツポツと、黒い錆が浮いていた。

 男には意識はあるが、疲弊しきって喋れないようだ。

 だが、船乗りたちの態度に、殺意すら籠った目線を向けている。

 何か言いたげだが、喋る体力すら残っていないようだ。

 船乗りたちは、気圧されるようにたじろぐが、このままこの状況を見捨てるのも良心がとがめるようで、身動きの取れない膠着状態になっている。


 ユディはただ、不思議そうに、「錆の病…?」と呟いた。


「そ、そうだ、島の一角から発生した病で、滅びかけている村もあるとかで、漁師たちが連なりの諸島を封鎖するかの話をしてるのを、つい先日聞いて……」


 船乗りの一人が説明をするが、途中でユディの腕の中の男がますます船乗りを睨みつけたので、船乗りは最後まで言葉を言えずに説明を終えた。

 ユディは男と船乗りを見比べて、もう一度「さび…」と呟く。


(力の少ないものから、徐々に限界が訪れる。次は、錆の精霊あたりだろうか。ユディたちも気をつけろ)


 頭の中に、ふと、少女の声が浮かぶ。

 だが、誰なのかも、どこで聞いた言葉なのかも、思い出せない。

 しかし……。


(僕は、頭のどこかで、こうなることが、わかっていた? いや、確かに、わかっていた。なぜなら、これを打ち払う言葉を、既に用意しているからだ)


 ユディは、腕の中の男を丁寧に砂浜に横たえると、腰元に下げた、精霊道具の本を取り出す。

 その場にいた人々は、ユディがおもむろに白紙の本のページをめくり出すのを、ハテナを浮かべて見ている。

 ユディは悩むでもなく、既に頭の中にあった文章を、朗々と読み上げる。


「<音の精霊タールトットがささやきかける。錆の精霊よ、ここはあなたの居場所ではないと。綺麗に磨いた銀の盆へ、体を丸めて眠りにつこう。そうすれば、古いオイルランプに火を灯すように、暗がりに追いやられた事象は、本来あるべき姿を映し出すだろう。やがて錆の祝福は、虚空へと向けた祈りのように、空気の中へと溶け消えた>」


 ふわりと、ユディの周囲に緑の燐光が舞い上がり、精霊道具の本が、音の祝福を増幅する。

 光の粒が、倒れた男を包んだかと思うと、皮膚に浮かんだ錆色は、すうっとため息をつくように消えて行った。

 ユディは一瞬ふらついた。

 前からうっすらと感じていたが、他の精霊に干渉するような力の使い方は、消耗が激しいらしい。

 力が吸われたという表現では生ぬるいくらい、がくんと吸引された。


 驚いたのは、当事者の男ばかりではなく、ユディを遠巻きに見ていた船乗りたちも、さわさわとざわめいている。

 ユディは、急いで思考を巡らせた。

 先程の船乗りの言い方だと、錆の精霊の祝福を、伝染病か何かだと思われている可能性が高い。

 無理もない。

 錆びの精霊が実際に存在するなど一般的には全く知られていないし、ユディも誰かに聞くまでは、『海辺を好む錆の精霊』という表現は、ただの現象の言い換えだと思っていた。


 だが、このままだと、連なりの諸島を封鎖する話は現実味を帯びてくるだろう。

 そんなことになれば、どれほどの人的被害となるだろう。

 まずは、伝染病という誤解を解かねば…と、ユディは結論付ける。

 それができるのは、事情を知るユディにしかできないだろう。

 どんなでっち上げを作っても、なさねばならない。


 ユディはゆっくりと立ち上がり、冷静に、静かに、船乗りたちに語りかける。


「…今、ご覧になった通り、僕にはこの現象を鎮静化できる力があります。なぜなら、これは伝染病ではないからです。僕は、遠い地にある精霊教の村巫女が遣わした使者です。彼女は、こうなる未来を予見していました。これは、錆の精霊が錯乱を起こしたことによるものです。みなさんは、皆殺しのキルゼムの事件をご存じでしょうか?」


「…あ、ああ、随分と前の事件だが、よく覚えてるぜ。ありゃ解決したって話だったが、何せ神出鬼没だったもんで、いつ自分の身に降りかかるかと冷や冷やしてたんだ」


 急に話を振られた船乗りが、少し戸惑いながらも答えた。

 ユディは、落ち着き払った動きで頷いた。


「そのキルゼムの凶行も、実は腐食の精霊が与えた祝福によるものだったんです。ごく稀ではありますが、前例はあります。つまり、未曾有の危機ではありません。落ち着いて対処すれば、なんとかなるものなんです」


 船乗りたちは、「なんだって?」「そうなのか?」とざわめいている。

 ユディは辛抱強く、そのざわめきが収まるまで待ち、それからよく通る声で話を続けた。


「あまり知られてはいませんが、音の精霊はその性質から、他の精霊に働きかける力を持っています。僕は音の精霊の祝福をもって、この錆の精霊の騒ぎを収めることを約束しましょう。ですがそのためにも、伝染病などという、根も葉もないうウワサがたつのは避けたいんです。見てください、僕はこの男性に触れましたが、ちっとも錆が移ってはいないでしょう?」


 ほら、と船乗りたちに手の平を見せる。

 船乗りたちは、どれどれと近づいてユディを検分すると、まだ少し恐怖心は残っているようだが、安堵の息を小さく吐いた。

 迫害することを楽しめるタイプの人間ではないようで、ユディも安心する。


「確かに、しばらくの間は、連なりの諸島にあまり近づかないようにすることは大事です。ですが、真に恐れるべきは、差別や偏見が生まれる状況に他なりません。皆さんにお願いがあります。船乗りの情報網の力を、貸していただけないでしょうか? よそ者の僕は、そういう面では、皆さんの人脈に頼るしかないんです」


 頼る、と言う言葉を聞いた途端、船乗りたちは、少し嬉しそうにお互いの顔を見合わせた。

 どうやら、やりがいを感じたようだ。

 船乗りたちの中で、一番熟達していそうな印象の、中年の大男が、一歩前に出てくる。


「つまり漁師連中に、そのうち収まるから、大袈裟に怖がんなって伝えてまわりゃいいってか?」


「そうです、そうしていただけると、大変助かります」


 しっかりと頷くユディに、船乗りたちは、ドンと胸を叩く。


「そういう話なら任せてくんな! 他にできることもなさそうだしよ、あんちゃんにそうして貰うと、こっちとしても大助かりだ! そっちのあんちゃんの船も、あとで港の船着き場に運んでおくから、放っておいて大丈夫だぜ! んで、話を広めるにあたって、使者のあんちゃんの名前を聞いておいていいかい?」


「ありがとうございます! 僕はユディと言います」


「ユディのあんちゃんか、いやー、若いのによくやるねぇ。さすがに目の前であの力を見ちまったからには、疑いもなーんもねぇわ。任せときな、立派な二つ名つけてやっからよ!」


「二つ名って!!?」


「おい、おめーら行くぞ! まずは船長、次は漁連だ!」


「応!!」


 やることができた船乗りたちは、ユディの制止も聞かず、わっと駆け出した。

 すぐにお互いでやることを決め合って、散り散りになっていくのが遠くに見える。


「…ま、まあいいか。良かった、良い人たちで……」


 ユディはほっと胸をなでおろした。


   ガッ!


 その瞬間、思い切り足首を掴まれて、飛び上がりそうになった。

 慌てて振り返ると、先程の倒れた男が、物凄く何かを言いたそうな顔で、ユディを睨みつけている。

 いや、違う。

 睨まれているのかと思ったが、ただただひたすらに、目つきが悪いだけだ。


「だ、大丈夫ですか…!?」


 ユディは慌てて、ほとんど存在を忘れそうになっていた男を助け起こす。


「……、……ッ―――」


 男は、やはり何かを言いたそうだったが、やがて力尽きて気を失った。


「…ひょっとしたら、助けを求めて来たのでは~~?」


 それまで黙っていた胸ポケットの妖精が、こっそりと心配そうに声を出す。

 ユディはハッとした。


「そうか、そりゃそうだよな、故郷が大変なことになって、気が気じゃないはずだ。どうしようか……。勝手に運ぶのも申し訳ないけど、仕方がない、宿に連れて行こう」


 ユディはよいしょと、男を肩に担ぐ。

 重いと言えば重いが、男は長身なだけで、巨漢というわけではないため、何とか運べそうだ。


「ご主人サマ、ファイト~~!」


 妖精の応援の中で、ユディはせっせと宿への道を急いだ。



-------------------------------------------



「……驚きました。小動物を拾ってくるというのは、物語ではよく聞きますが、まさか人を拾ってくるとは」


 夜に帰ってきたリコリネが、一通りの説明を聞いた後、開口一番そう言って、ベッドに寝ている男をまじまじと見ている。


「僕もリコリネの武器がゴツくなってビックリしてるけどね? リコリネさ、重たい武器は苦手なんじゃなかったっけ?」


 巨大なトゲつき鉄球のついた武器を背負っているリコリネに、ユディはひっそりと驚いている。


「これはモーニングスターです。中距離でも戦えるものを重視すると、こうなりました。遠心力で飛ばせますので、多少非力でも扱えるかと」


「持ち歩く時点で非力じゃないと思うけど!?」


「そこは例のごとく、金にあかして軽くて丈夫な金属を使っておりますのでご安心ください」


「前から思ってたけど、リコリネの軽いと、一般人の軽いって感覚にかなりの違いがあると思うんだ」


「……、おかしいですね、客観視された意見にしか聞こえないのですが、主が言うと、どことなく意地が悪く聞こえます。それよりも、軽量化により、これから先の船旅で船が沈むなどという心配もありません、という部分に注目していただきたいですね」


「…あ、ついて来てくれるんだ?」


「む……当然です。むしろ、置いて行かれたら拗ねていたところですよ」


 ぷいっとするリコリネを、リルハープはユディの肩に乗ったまま窺う。


「リコリネ、使者との話し合いはいかがでしたか~~?」


「はい。向こうは多少ゴタゴタしているようですが、許容範囲内でしたね。私も主との旅に集中できそうです。船の建造は、やはりかなりの時間を要しそうですが、主は連なりの諸島を巡るとの話ですので、ひょっとしたらそれが終わる頃には出来上がっているかもしれません。もちろん、細かいやり取りは、また何回かやらねばなりませんが」


「ああ、そうか、そう考えたら、いいタイミングになるのかな…? 被害者が居ることを思うと、ちょっと不謹慎な表現になってしまったけど…」


 ユディは心配そうに、ベッドに横たわる男に目を向ける。

 それから、改めてリコリネの方を見た。


「…リコリネ。騒ぎを収めるためとはいえ、なんだかんだで、僕は今日、たくさん嘘をついてしまった。かつて、ニャンニャ売買事件のフェイルストさんにも、僕はたくさんの嘘を使って追い詰めた。リコリネは、嘘をつくのを悪いことばかりのように言うけど……。必要な嘘と言うのは、やっぱりあるのかもしれないなって思った。だから、あんまり思いつめないようにね」


 リコリネは、驚いた様に、フルフェイスをユディに向けてくる。

 そのまま、何も言葉が思いつかないように、戸惑いを露にしている。


   ガッ。


 いきなり、ユディの手首が後ろから掴まれた。

 この感覚には覚えがある。

 ユディが急いで振り返ると、ベッドの男が、目を開けてユディを睨みつけている。


「あ、気が付いたんですね、よかった!」


 ユディの笑顔に、しかし男はピクリとも笑わず、ドスの利いた低い声を発してきた。


「テメエ……嘘…だと……?」


 ギリ、とユディの手首に力が籠められる。


「あ、違…!! 連なりの諸島の錆び騒ぎを収めるつもりなのは本当で、痛…っ!」


   ドゴオッ!!


 いきなり、轟音が響いた。

 リコリネのガントレットが形作った拳が、ベッドサイドのテーブルをぶち壊した音だ。

 リコリネは、殺気さえ放ちながら、威嚇するように男を見下ろす。


「その命を無為に散らせたくなければ、我が主から手を放すがいい、不埒者が! 主が手を痛め、音の祝福を奏でられなくなれば、困るのはあなたの方ではないのか?」


 リコリネに気おされたのか、それともユディを気遣う利点に気づいたのか。

 どちらかはわからないが、男はするりとユディから手を離した。


「……チッ、クソが」


 リルハープは、見つからないうちに、ぴゃっとユディの背中に隠れる。

 リコリネは、男の態度に、業を煮やしているようだ。


「主に助けられておいて、その態度はいかがなものか。それとも、連なりの諸島に住まう者は、恩知らずを旨とする、愚昧の輩ばかりなのか?」


「なんだとテメエ!!?」


 男は起き上がり、リコリネにつかみかかろうとした。


「だめだめリコリネ。不必要に相手を悪く言ったり、貶めたりするような言葉は、口にしても楽しくないだろう?」


 優しくメっと叱るユディの言葉に、両者はピタリと動きを止める。

 二人で、驚いたようにユディを見た。

 ユディは、腰に手を当てて、二人ともを怒っている。


「それで、今のは喧嘩両成敗だ。あなたは、自分が島の代表だということを心に置いて行動しなかった。そもそも、誤解を招くような言葉を使った僕が悪いんだから、怒りは僕に向けてください」


 リコリネも、男も、ゆっくりと距離を取り、シンとする。

 ユディは、困ったような顔で微笑んだ。


「何もないようでしたら、自己紹介から入りましょう。僕の名前はユディと言います。あなたは?」


 男は、明後日の方角を見たまま、不機嫌そうな相貌は崩さない。


「……シュレイザだ」


「シュレイザさん。事が事だけに、気が立っているのは、僕なりに理解はしているつもりです。昼間の船乗りの態度も、きっとあなたの心を傷つけた一因でしょう。ですが、怒っているだけでは前に進めません。今は、これからのことを話しあうのが先ではないでしょうか?」


 そこまで言ってから、ユディは慌てて言葉を付け足す。


「…あ、ここまで無断で運んできてしまったのは、事後承諾になってしまいますが…!」


 そう言われてはじめて、シュレイザは、自分が今居る場所に気が付いた。


「…宿? テメエが運んできたのか?」


 シュレイザは、ますます睨んでくる。

 ユディは、申し訳なさそうに頷いた。


 シュレイザは、しばらくじっと黙り込む。

 やがて、ぽつりと声を出した。


「…タメ口で。…呼び捨てでいい」


 そう言って、フンと鼻を鳴らす。

 ユディは、少し驚いた後、…微笑んだ。


「…ありがとう、シュレイザ」


「シュレイザ殿。私はリコリネだ。主に危害を加えたことを、主の騎士としては、許すわけにはいかない。だが、あなたを圧殺せずにいることが、最大の歓迎であると理解するといい」


 リコリネにしては丁寧さを欠いた言葉でそう言った。

 シュレイザは何も言わない。

 ユディは、そんなリコリネが少し珍しくて新鮮だったので、何も言わないでおく。


「それで、シュレイザ。疲れているんだったら、話は明日にするけど」


「いやいい」


 シュレイザは、ぶっきらぼうに、ベッドに腰かけた。

 そこから、長い時間をかけて、何か考え事をしている。

 時々口を開いては、閉じるを繰り返すその姿は、なんだか…困っている、ように見える。

 やがてシュレイザは、いらだたしげにグシャグシャと髪をかき混ぜた。


「…チッ。夜か。出航はできねエな。明日の朝。黙ってついて来い。来ればわかる」


 リコリネが、物言いたげに一歩前に出てきたのを、ユディは咄嗟に制した。


「リコリネ、はいこれ」


 いきなりユディにベッドサイドの壊れた小テーブルを渡されて、リコリネは困惑しながら受け取る。


「それから、硬貨袋も、はい。これで、宿のご主人に弁償しておいで」


「主…! しかし、二人きりになって何かがあったら…!」


「大丈夫だよ、僕の強さは知ってるだろ? それに、リルなんとかも居るし。君は僕のために殺気立っていて、もちろんその気持ちは嬉しいけど、まずは頭を冷やすのが必要だ」


「……、……くっ。……返す言葉もありません。わかりました。リルなんとか殿、主をよろしくお願いします……」


 リコリネは、口惜しそうに背を向けて、外に出て行く。

 ユディの背に隠れているリルなんとかは、非常に何かを言いたげだったが、何とか飲み込んだ。

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