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モノガリのユディ  作者: ササユリ ナツナ
第三章 ろくにん
91/137

10蜃気香

 ついにリルハープにモテ期が来たようだ。


「リルハープクンっ、欲しいものがあったら何でも言ってくれたまえ! 可能な限り用意しよう!」


「リルハープー、トリミツあげるー」


「これですよ、これこれ~~! わかりますかご主人サマ~~、今まで妖精って存在がスルーされ過ぎていたんです~~!」


 甲斐甲斐しく貢物をし続けるセドリックとセエラセイラにちやほやされて、妖精はすっかり鼻高々になっていた。

 リコリネは、フルフェイスの中で柔らかく微笑む。


「リルハープ殿が嬉しそうで何よりです。少し羨ましくもありますね。私など、腕が六本で足が四本の血塗られた鎧ですよ」


「リコリネ、まだ観劇の内容を気にしてるんだ!?」


 ユディは、リコリネの心の傷の根深さに戦慄した。

 リコリネは、いつもと変わらない調子で、拍子木を手に取る。


「まあ、それはともかく。それでは、蜜食い鳥を追い払いに行ってまいります」


「リコリネ、追い払うのは花食い鳥だから!?」


「そうでした、ちょっと混乱してしまいました。ですが、この拍子木を鳴らして飛び去る方が害獣ですので、多少認識が間違っていても問題はありません」


「害獣とまで……」


「ミギ殿、ダリ殿、お散歩の時間ですよ」


「にゃっ」

「にゃにゃーん!」


 マイペースに家を出て行くリコリネの後ろを、ミギくんとダリちゃんがついていく。

 長靴たちには一日をかけて村中を回るというスケジュールがあるようで、セドリックの家には夕方近くに帰ってくることが多い。


 この数日、セドリックの仕事はすっかりリコリネがやっており、ユディも何故かセドリック家の炊事洗濯を担っている。

 ニャンニャの時もそうだったが、ミギくんとダリちゃんは、自分たちで遊んだ拍子に箒を倒したりして、大きな音を立てるときがある。

 しかし何故か、その音にびっくりしたときは必ずユディに対して「にゃっ」と抗議の声を上げてくるのだ。

 小動物とのふれあいには、必ず理不尽が付随してくるんだなあ、とユディは悟った。



「そんじゃユディ、あとはよろしくー。行こ、リルハープー」


「まったく、毎日でも食事を作るって言ってたのは誰だったっけ?」


 そう呟きながら、夢中になって離れの工房に向かうセエラセイラの背を笑って見送る。

 セドリックもセエラセイラも、このところガンガンに意見を戦わせながら、リルハープを題材にした新しい香りを作り出そうとしている。

 ああして何かに夢中になっている誰かを見るのは、正直言って嫌いじゃないな…と思ってしまう。


 リコリネは手紙や日記を書いたり、ユディはオカリナを吹いて過ごしたりと、なんだかんだでやることはある。


 そうして瞬く間に数日が過ぎ去り、ようやく、待ちに待った蜃気香しんきこうの日がやってきた。



-------------------------------------------



 それは、本当にささやかなお祭り、といった風情だった。


 花火もなく、人ゴミもなく、開始の合図もない。

 村の人々は、外にテーブルを置き、思い思いの場所に好きな軽食を並べ、ゆるやかに散歩をしながら、それをつまんで食べていく。

 ざわめきもなく、ささやかな笑い声だけが時折響いた。


 ユディとセドリックは、大きなお盆に、セエラセイラが焼いてきたクッキーを乗せて、村の中央まで歩いて行く。

 セエラセイラは、いつものラフなスタイルではなく、きちんとした正装をしている。

 思い思いの場所に散っていた村人たちが、ユディたちを…というより、セエラセイラの姿を見て、集まってくる。

 小声で「セエラ様だ」「今年もお綺麗ね」などという囁き声が聞こえる。


「みなさま、ごきげんよう。今年のクッキーです。どうぞ召し上がってくださいましね」


 セエラセイラは、優雅に頬に手を添え、楚々と微笑む。

 ユディもリコリネも、信じられないものを見たような気分になった。


「リルちゃん、なんでセエラが家の中から出たがらないかがわかった気がします~~…」


 リルハープも変な顔をしながら、ユディの胸ポケットの中でつぶやいた。

 ユディはなんとか平静を保ちながら、セドリックと共に、テーブルの上に、きちんと並べられたクッキーを置く。

 すると、村人たちは待ってましたとばかりに、行儀よく一個ずつ、争わずにクッキーを手に取って去って行く。

 どうやら、決まり事か何かのようだ。


 人の波が引いた後、セエラセイラはぐだーっとした顔で、一息ついた。


「あー、キリっとすんの疲れるわー」

「驚いただろう、セエラは外面だけはすごくいいのさっ」


 セドリックが、ユディたちの驚きを察している。

 ユディは素直に頷いた。


「ちょっと、前知識がなかったから、何事かと思ったかな…。ところで、今のはどういう儀式?」


 ユディがテーブルを見ると、ユディたちの人数分のクッキー五個が、ぽつぽつと残っている。

 小さなクッキーはとても固く焼しめられていて、薄い生地が、立体的な丸っこさを作っている形だ。

 セエラセイラは、悪戯っぽくリコリネを見る。


「んふふ、説明するよりも実食するのが早いし、リコリネ食べていいよー」


「! 嬉しいです、いただきます」


 リコリネの食いしん坊はとっくの昔にバレてしまっており、セドリックもセエラセイラも、嬉しそうなリコリネをほのぼのと見守る。

 そしてリコリネがフルフェイスの口元を上げ、ぱくっと一口の元にクッキーを口に放り込んだのを見て、兄妹同時に「あ」と言った。


 リコリネは、もぐもぐとしたあと、一瞬不思議そうに首を傾げた。

 しかし、すぐにもぐもぐと咀嚼を続け、ごくんと飲み干す。

 リコリネは、何事もなかったかのように、フルフェイスの口元を下げた。


「美味しかったです。食感が違うものが入っていて、面白いですね。やはり香りの村の食べ物は、すべて鼻に抜ける香りがあって楽しいです」


 セエラセイラは、耐えきれずにぶっと噴き出して、腹を抱える。


「あははっ、あははは! り、リコリネ、面白すぎ、ツボったわー…!!」


 一方で、セドリックは焦ったようにリコリネに説明する。


「リコリネクン、すまない、説明をすべきだったね…っ! それは中に占いが書かれた紙が入っているクッキーなんだ。それで、今年の運勢がわかるというか……」


「!!?」


 リコリネがショックを受けながら、フルフェイスの口元を抑えている。

 ユディもリルハープも、それを見て爆笑しそうになるのを必死に押し隠す。


「り、リコリネ、ドンマイです~~…!」

「リコリネ、……っ、……っっ」


「お二人とも、笑いを隠せていませんよ!?」


 憤慨するリコリネに、結局セドリックも笑ってしまった。

 一度笑いが収まりかけていたセエラセイラも、また釣られて笑う。


「や、やめてー、おなか痛いし…!!」


 リコリネ以外の笑い声が、しばらくその場に響き渡った。



-------------------------------------------



 セドリックの説明はこうだ。


 蜃気香というのは、例えば花の香りがするのに、その周辺のどこにも花がない…といった現象らしい。

 一年に一度、村を巡る風の滞留か何かで、村中の香りが複雑に混ざり合い、色々な場所で、今そこには無い懐かしい香りが見受けられるという。

 これは村に伝わる表向きの理由で、セドリックたち『香気なる一族』には、香りの精霊エスラネスカが活発になる日だということがわかっている。

 この日、村人たちは、懐かしい香りや、新しい香りを求めて、のんびりと村の周辺を歩き回るのだという。

 いつしかそれはささやかな祭りの風情となり、地元のイベントのような形になっていった。



「セドリックたちのご両親も間に合えばよかったのになあ、結局挨拶も無しに村を発つことになりそうだ」


 ユディが残念そうに言うと、セドリックは軽い笑い声を立てる。


「仕方がないのさ! 先日手紙が来たよっ。実はまだ医療都市に居るらしくって、薔薇園のリラクゼーション・サロンの監修や、病人にアロマセラピストとしてのアプローチを模索してるとかで、すっかりそっちに夢中になっているらしいねっ」


「ああ、そういえば薔薇園に行ったときに、香りの村という単語を聞いたような気がします」


 リコリネが、納得したように頷いた。

 ユディは、懐かしむように目を細める。


「なんだか懐かしいなあ、ついこの間な気もするけど…」


「ほらほら、そういう話はいつでもできるっしょ。村をどう回るか決めようよー。ユディ、うちと行かない?」


「ええ? 別行動する意味ある?」


「あんまり固まって行動はしないのが暗黙の了解なのさっ、香りに集中できなくなるだろう?」


 セドリックの言葉に、リコリネは頷いた。


「なるほど、言われてみればそうですね。ではセエラ殿、私と回るのはいかがですか? あまり同じ年頃の女性と触れ合う機会がないため、ここを逃したくないのです」


「触れ合うって、やらしー。んふふ、でもいいよ、うちも友達いなかったんだよねー」


「? 過去形なのですか?」


「リコリネの鈍感!」


 セエラセイラはわざとらしく声を荒げると、さっさと歩き出した。

 リコリネはワンテンポ遅れて、おろおろとついていく。


「セエラ殿、何を怒っているのでしょう…?」


「にゃっ、」

「にゃーー!」


 村中を走り回っていた長靴たちが、面白そうに二人の後ろをついていっている。

 ユディもセドリックも、微笑まし気にその後姿を見送った。

 やがて、セドリックがぽつりとつぶやく。


「…ユディクン、随分と遅くなったが、妹の相手をしてくれてありがとう。ボクたち香気なる一族は、秘密があるがゆえに、村の中に友人を作りにくくてね」


 ユディは、少し驚いたようにセドリックを見る。

 セドリックは、視線を合わせようとはせず、どこか別の方向を見たまま、顔を赤くした。


「…つまり、ボクもだ。君たちの旅の話を聞きたいというのは、建前の部分が大きかったのさっ。おかげで最近、毎日楽しいよ」


「…セドリック。ずるいだろ、それは。出立しづらくなるよ」


「仕方がないじゃないか! 今を置いて他に、言うタイミングもないわけだし……」


「あははっ! ごめんごめん、僕はちょっと意地悪らしくって。その言葉、すごく嬉しいよ」


「ちょっとだって? すごく意地が悪いの間違いじゃないのかいっ。まったく、リコリネクンの苦労が計り知れるよ!」


 セドリックは、セエラセイラとは反対側に、ずんずんと歩き出した。

 ユディは笑いながら後を追いかける。


「悪かったってセドリック! 一時期、君たち兄妹が僕のことを奴隷か何かだと思ってるんじゃないかって疑念があったくらいで、僕も毎日楽しかったって!」


「なんだいその険のある言い方は!? だけどそれは仕方がないのさっ、リルハープクンが魅力的過ぎる題材なのがいけないんだっ。日常の雑事のすべてが手につかなくなる、まったく罪な妖精さっ」


「雑事って部分に本音が出てます~~っ、やっぱりご主人サマに押し付けていたのでは~~!?」


 三人でぎゃーぎゃー言って回っているうちに、気が付けば花畑の方に来ていた。


「あ……」


 ふと、ユディの足が止まる。

 きょろきょろとあたりを見渡した。


「今、ふっと、ライサス先生の家の匂いが……」


 驚き顔のユディに、セドリックは満足げだ。


「ほらねっ、あるだろう、蜃気香が」


「うん…。不思議だな、全然思い出せなかったのに、今ならこんな匂いだったってわかる」


「リルちゃんには良い匂いがするとしか感じませんね~~。蜃気香とは、本当に風の隙間に紛れてしまうような、かそけき香りなのですね~~」


 リルハープの言葉に、セドリックは頷いた。


「そう、同じ場所に居ても、本当にちょっとしたタイミングで変わってくるのさっ。香りとは、繊細なものだからねっ」


「今まであんまり考えたことはなかったけど、そう考えると、セドリックたちは本当に難しいものを生み出しているんだなあ」


 ユディはしみじみと呟きながら、また歩き出す。

 セドリックも、当たり前のように隣を歩く。

 すれ違う村人たちも、懐かしがるような目でどこか遠くを見るようにしていたり、セドリックに憧れの目を向けていたりする。

 セドリックにとって、それは珍しい光景ではないのだろう、特に反応するでもなく話し始めた。


「今、初めて調香した香水の匂いがした。ボクなんて、二十数年程度しか生きていない若造なのに、やっぱり昔に嗅いだような匂いがしたら、懐かしいと思ってしまうねっ。そして、人の数だけ、過去がある。毎年この日は、なんだか…不思議な気持ちになるというか、感慨深くなるのさっ」


 今度は、胸ポケットのリルハープがピクリと動いた。


「リルハープ、来た?」


 ユディの質問に、妖精は少し答えるかどうかを悩んだ間を空け、結局口を開いた。


「……リルちゃんが過ごした森の香りがしました~~。あんなタイクツなところ、もう二度と帰るつもりはありませんし、未練もないはずなのですが~~……。それでもやっぱり、セドリックが言うように、不思議な心持ちになりますね~~」


 なんとなく、ユディは胸ポケットを優しく撫でる。

 リルハープは、拒絶もせず、無言だった。


 軽食をつまみながら、あらかた村を回り終える頃には、結構いい時間になっていた。

 セドリックが、ユディに向き直る。


「それじゃ、そろそろセエラたちに合流して帰ろうかっ。もちろん、一日中、蜃気香に浸る人も居るんだけどねっ、あまり過去ばかり見てもよくないのさっ。ボクらは今を生きているのだからねっ」


「へええ、セドリックもたまにはいいことを言うんだね、…―――!?」


 突然、ユディは総毛立って振り向いた。

 何もない。

 寒さや恐怖を感じたからではない。

 一瞬、頭の中が真っ白になるくらいに、懐かしい匂いがした。

 自分の中に、こんなに強烈な感情があったのかと驚くほどに、それは激しいものだった。


 初めて感じた匂いだ。

 なのに、そこが居場所だと感じる。

 他には何も考えられない。

 かえりたい。

 あの場所に、かえりたい!


「―――クン、…ユディクン! どうした、しっかりしたまえ!」


 気が付けばセドリックが肩を掴んで揺さぶってきていた。

 一瞬、この人が誰なのか、自分はどこに居るのかもわからない。

 すぐに我を取り戻した時、もう数時間どころか、一週間近くたったかのように、時間感覚が変になっていた。


「あ…セドリック…ごめん、ちょっと…。でも、行かなきゃ…。先に帰ってて」


「ユディクン…? 何を言っているんだい、明らかにおかしくなっているじゃないか、そんな君を放っておけるわけがないだろう!」


「セドリック、本当に何でもないんだ、邪魔しないでくれ。今の感覚を、もう一度…。そうしたら、何か思い出せそうで…。あと一度でいいんだ」


「ユディクン、落ち着きたまえ! 蜃気香で同じ香りを感じたことは一度もない。時間の無駄だよ。胸ポケットのリルハープクンを付き合わせる気かい?」


「ご主人サマ、落ち着いてください~~、今のご主人サマは、焦りと苛立ちでいっぱいになってます~~!」


 実際、ユディは引き留めてくる二人にイライラしていた。

 もどかしげに上着を脱いで、リルハープごとセドリックに押し付ける。


「じゃあこれでいいだろ! 先に帰っててくれよ!」


   パシン!


 ユディの頬に軽い衝撃が走る。

 セドリックの平手だった。


「ユディクン、それはリルハープクンを傷つけてまで優先すべきことなのかい? そんなふうに邪魔者扱いされてリルハープクンが傷つかないとでも思っているのなら、今の君はいつもの君じゃあない」


 ユディは、頬をおさえるでもなく、ただ息を呑む。


「僕が、リルハープを傷つけた……?」


「にゃおーんっ」

「にゃーん!」


 いきなり、長靴たちがダーッと走ってきて、ユディに飛びついてきた。

 タックルさながらの衝撃に、ユディは「うわっ!?」と転びそうになるところを踏ん張る。


 遅れて、リコリネとセエラセイラが、長靴たちを追いかけて来た。


「主、大丈夫ですか?」

「待ってよーミギくんダリちゃーん」


 無事に合流を果たしたことに安堵したように、セドリックは息を吐いた。


「まったく、さすがミギくんとダリちゃんだねっ、ベストタイミングだよっ。やっぱり君たちは精霊様の御使みつかいなんだろう。ユディクン、落ち着いたかい?」


 ユディは腕の中の長靴たちを、無意識のうちに撫でていく。

 不思議と気持ちが落ち着いてきた。


「…ごめん、セドリック、リルハープ。ちょっと、混乱したみたいだ」


 セエラセイラは、ユディとセドリックの様子に首を傾げる。


「なんかあったん? こっちもね、リコリネが故郷の家の匂いがしたとかで、ちょっと涙ぐんでたんよー」


「セエラ殿、秘密にしてくださいと言ったでしょう!」


 リコリネは、ついといった感じに、声を荒げた。

 リルハープが、セドリックの持つ上着の中から、もごもごと顔だけを出してくる。


「ぷはあっ。…ご主人サマもそうなのかもしれませんね~~。故郷の匂いがして、あやふやな記憶が思い出せるかと焦ったのでしょう~~。匂いとは、記憶と密接に結びついているという話を聞いたことがありますし、リルちゃんは気にしていませんよ~~!」


「記憶…? なるほどね、そういった理由があるのなら、先程の狼狽ぶりも実に腑に落ちるよっ。ユディクン、事情も知らずに抑えつけるような言い方をしてしまったねっ、それは苛立ちもするだろう、すまなかった…」


 セドリックは、申し訳なさそうにしている。

 ユディも、途端に申し訳なくなってきた。


「いや、セドリックには感謝しかないよ、止めてくれてありがとう…! こんなはずじゃないんだ、僕は、そこまで過去にコダワリもないはずなのに、おかしくなってたみたいで…。たぶん、放っておかれたら、夜中を過ぎてまで村を彷徨ってたと思う」


「なんそれ、おもしろー。ホラーモノみたいで、うちはちょっと見てみたいかも」


 軽く笑い飛ばすセエラセイラに、ユディは少し救われたような気持ちになった。

 たぶんわざと、なんてこともないように言ったのだろうと思う。

 セエラセイラが自然な気づかいができる女の子なのは、もうわかっていた。


「てゆうか、うちはもう疲れたわー、早く家に帰ろ。ほら、ユディ」


 グイグイと背中を押してくるセエラセイラに、ユディは「わかったわかった」と歩き出すしかない。

 それから、気まずそうにしているリコリネの方を見る。


「リコリネの方は大丈夫?」


「主、今のは悪質な情報漏洩です。忘れてください」


「いいじゃないか、僕だって今ガンガンに事情を垂れ流されてるわけだし」


「主の事情と私の事情では重みが違うのです」


「リコリネクンは何気にひどいね…?」


 ユディとリコリネのやり取りに、セドリックはつい感想を述べる。

 セエラセイラは、残念そうにつぶやいた。


「あーあ、でもこのやり取りを見られるのも最後かー。ユディ、リコリネ、たまには村に遊びに来てねー?」


「にゃーっ」

「にゃにゃーん」


 ミギくんとダリちゃんも、呼応するように鳴いた。

 旅立ちを思い、ユディは夕暮れを過ぎた空を見上げる。

 今日は妙に、動く月よりも、動かない月の方に目が行った。

 もう、何の香りも思い出せなかった。



-------------------------------------------



 そして、旅立ちの日が訪れた。

 全員、村の入口で、名残を惜しむように別れの挨拶を行う。


「ユディ、これあげるー。香り袋っての。うちが作ったん。香りが飛ぶまでは、獣除けになると思うよー」


 セエラセイラはそう言いながら、ユディの肩掛けカバンのはしっこに、香り袋を結んでいく。


「うわ、ありがとう! 何時の間にこんなの作ってたんだ、全然気づかなかったよ…」


「当然さユディクン、ボクらは工房で、隠れてこそこそやっていたのだからねっ。リコリネクン、ボクからはこれを。旅の邪魔にならないように、極力シンプルなデザインにしてみたよっ。意外にボクにとっては新しい試みだったねっ」


 セドリックはそう言いながら、リコリネに、細く丈夫そうな小瓶を渡す。

 中には、薄紫の液体が詰まっていた。

 リコリネは、不思議そうに小瓶を見る。


「これは、まさか……香水ですか?」


「そうさっ、君をイメージしての香りなんだよっ。やっぱり女の子だからね、旅人と言えど、休日にはおしゃれを楽しんでみるといいんじゃないかなっ」


「……ありがとうございます。このようなものをいただけたのは、生まれて初めてのことです」


 リコリネは、感慨深くそう述べる。

 セエラセイラは、残念そうにユディの胸ポケットを見る。


「リルハープのサイズだと、贈り物がなかなか思いつかなかったんよねー。だからユディ、代わりにコレ受け取っといて。トリミツのキャンディだよー」


「まあ~~嬉しいです~~、飴玉はリルちゃんの大好物ですから~~!」


 感極まった声を出すリルハープに、ユディはちょっと笑いながら、大事に肩掛けカバンにキャンディの袋を入れていく。


「ありがとう、セエラ、セドリック。…ミギくん、ダリちゃん、元気で。最後まで、幸せに生きるんだよ」


 ユディは、万感の思いを込めてしゃがみ込み、もうすっかりモノオモイの気配の薄れてしまった長靴たちを撫でる。

 ミギくんもダリちゃんも、嬉しそうに「にゃっにゃっ」と擦り寄ってきた。

 セエラセイラは、軽い笑い声をあげる。


「ユディ、大袈裟ー。うちらもユディたちの旅の無事を願ってるし、気張ってね?」


 リコリネは応じるように、静かに騎士の礼を向ける。

 ユディも、少しだけ後ろ髪を引かれる気分になりながらも、手を振って歩き出す。


「元気でねー」

「気を付けてー!」

「にゃーっ」

「にゃにゃー!」


 見送る側ばかりが声を上げる。

 ユディもリコリネもリルハープも、あまりうまく言葉を返せなかった。

 何度も何度も振り返っては、手を振りかえす。

 ずっとそれを続けられるかと思ったが、振り返るたびに、香りの村は遠く小さくなっていく。

 ただ立ち寄っただけの村だったはずなのに、それ以上のものを貰って、ユディたちは旅立った。



-------------------------------------------



 ある日。


「たっだいまー、マイスイートっ」


 セドリックが家に帰ると、にゃーにゃーと、いつもよりうるさい鳴き声がする。

 セエラセイラが、困ったように突っ立ったまま、ミギくんとダリちゃんをおろおろと見下ろしている。


「セエラ、この状況はどうしたんだいっ?」


「お兄、それが、うちにもよくわかんないん…。ミギくんとダリちゃん、ぐるぐる走り回ったかと思うと、急にたくさん鳴き出して……まるで、何か伝えたいみたいなんよ」


「うにゃうううううう、んにぃいいいいい、にゃあああーーー、なぁあーーーご」


 ミギくんもダリちゃんも、もどかしそうに、ガリガリと床をひっかいたりしている。

 セドリックもどうすればいいかわからず、しばらくセエラセイラの隣で、長靴たちを見守っていく。


「んにゃああぁああああああ、あうううううう、んんんんん……」


 長靴たちの周囲を、キラキラと光の粒子が舞い始める。

 兄妹は驚いたようにそれを見るが、何もできない。

 突然。

 長靴たちは、それまでと打って変わったように、きっちりと足を揃えて、兄妹を見上げた。


「あり、がと」

「だい、すき」


   コロン。


 その場に、長靴が転がった。

 それは、ただの、普通の、長靴だった。


「……ミギくん?」

「ダリちゃん……?」


 応えるモノは、もう居ない。

 あっけないほどの別れだけが、そこにはあった。

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