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モノガリのユディ  作者: ササユリ ナツナ
第二章 ふたりめ
81/137

34ユディの答え

「リコリネ!!!?」


「ッ!!?」


 葉っぱや枝を髪や服に大量に引っ付けたまま、ユディは水場に駆け込んだ。


 だが、そこに居たのは、ちょうどフルフェイスを被ったばかりの、下着姿のリコリネだ。

 彼女はあまりの驚きに、ユディを振り向いたままの姿勢で、硬直していた。


「え、あ、なんで!!?」


 ユディは思わず、頓狂な声を漏らした。

 そのまま、変な姿勢で硬直してしまう。


 リコリネは、たっぷり三秒の間、茫然としてから。

 いきなり噴き出した。


「な、なんで、…って、そ、それは、こちらのセリフですよ、主…!! ふふ、ふふふ…っ!! び、ビックリしました、人間、あんまりビックリすると、笑いが込み上がってくるのですね…!!」


 そう言って、腹を抱えながら、なんとか笑いを収めようとしているリコリネの姿は、とても元気そうにしか見えない。

 ユディには、未だに何が起こったのかが理解できない。


「な、で、でも、リルハープが、リコリネが倒れたから介抱に行けって!」


「あ、ああ、…そういうことですか。妖精は悪戯好きと聞いておりましたが、リルハープ殿が悪戯をするのは、主にくらいだと思っておりました。まさかこう来るとは。すっかり油断していましたね、やられました。…ふふふっ」


 リコリネは、まだ笑いの余韻が残っているのか、とても楽しそうにしている。

 ユディはようやく、リコリネの言葉で、リルハープに何をされたのかを理解した。


 その瞬間、がくりと足からいきなり力が抜けて、ユディはその場に膝をつく。


「!? 主、大丈夫ですか…!?」


「ご、ごめん、安心したら、いきなり……」


 喉元まで込み上がってくる何らかの感情があって、ユディは慌てて片手で口を塞ぐ。

 リコリネは、急いでユディに駆け寄り、片膝をついた。


「主……」


 リコリネがおろおろと手を彷徨わせているのが、下を見ているユディの視界の端に入ってきた。

 月明かりに、リコリネが映し出される。

 すらりと伸びた、しなやかな肢体。

 ぬけるような白さの肌は、若く、きめ細やかで、染みひとつなかった。

 かつて着替えを覗いてしまったあの頃と、何も変わらないリコリネに、たった一つ違う点がある。


 豊かで長い金色の髪だけが、純白に輝いている。

 色素が抜け落ちたという話だったが、月明かりのせいなのか、とてもそうは見えないくらい、美しい色合いだった。


 それでも、キルゼムに腐らされた肌の名残は、どこにもない。

 それが、どれほど嬉しいか。

 今までは、リコリネが完治したという、その実感がなかった。

 ここまで来てようやく、ユディにはリコリネが無事であると、その実感が込み上がってくる。

 もっと早く、腕かどこかを見せてもらうべきだったとすら、今更思う。


 気持ちが上下しすぎて、本当に意味がわからない気分だ。

 だが、なんとか、無理やり冷静な部分を引っ張り出して、これ以上リコリネを心配させてはいけない、と、すべての気持ちを気合で嚥下してみせた。

 顔を上げて、無理やり笑う。


「君が無事でよかった……本当に」


 リコリネの指先が、ピクリと動いた。

 フルフェイスに隠れて、相変わらず表情は見えない。

 だが、戸惑いが伝わってくる。


 リコリネは戸惑いながらも、ユディの髪についた葉っぱを、一枚一枚丁寧に取りはじめた。


「……こんなに急いで、来てくださったのですね。細かな傷だらけですよ。先程のリルハープ殿との会話を借りるなら、あなたは本当に『ヘタクソ』ですね。助けに来るにしても、もう少し、上手にやりませんと。いつか大きな怪我をしてしまいそうで、怖いです」


「…こうしてまた、君の声が聞けるようになるのなら、僕は喜んで怪我をするだろうね」


「………」


 リコリネは動きを止め、…そろりと、ユディから手を引いた。

 ユディは咄嗟に、リコリネの手首を掴む。


「リコリネ。たった一つでいい。本当のことを話してほしい」


 ユディは、リコリネのフルフェイスを見据え、掴んだ手を離さない。

 リコリネは、うつむくようにして、ユディから視線を逸らした。

 ユディは、構わずに言葉を続ける。


「リコリネ。……君は今、この旅を、楽しめている?」


「!」


 ビクリと、リコリネの細い肩が跳ねた。

 逡巡するように、フルフェイスの視線が彷徨う。

 やがて、リコリネは、息を吸い…。

 そして、何かを喋ろうとした。

 だが、喋ろうとした、ということだけがわかるだけで、それは言葉にならないようだった。


「……リコリネ」


 ユディはもう一度、名を呼ぶ。

 静かだが、有無を言わせない、力強い口調だった。


 リコリネは、何度か呼吸を整える。

 そして、観念したように、顔を上げてユディを見る。


「ない……です」


 リコリネの声は、震えていた。

 ユディはじっと、その声を聞き続ける。


「楽しく……ないです。もっと…。もっと、一緒に、喋りたい……。他愛のない話や、いろいろ……でも、でもダメなんです…!!」


 リコリネが泣いている、とユディにはわかった。

 じっと、聞き続ける。


「言葉が詰まるたびに、私はあなたに嘘をついていると思い知らされる! 本当に、日常のどうでもいいところで、私は私の不誠実を知るのです! 喋れるわけがない! 私は……私は……!!」


 リコリネは、何度も息を荒げて、やがて、追い詰められたように、嗚咽を噛み殺す。


 ユディは、そっとリコリネの手を引くように、立ち上がった。


「…ありがとう、ちゃんと話してくれて。僕はかつて言ったね、君が嘘つきでもいいって。君が、どうして不誠実と思いながらも嘘をつくのか、それは多分、僕には計り知れない何かで、君の中の、とても柔らかい所にある問題なんだろう。僕はさっきまで、それを暴いてやろうと思っていた。でも…。やっぱり無理だな、いざこうして、泣いている君を見てしまうと。僕はどうしても、君に弱いんだ。一瞬でも辛い思いをさせたくないし、君の嫌がることはしたくない。ずっと笑って居て欲しいと願うほどに」


 ユディは、リコリネを立たせると同時に、空を見上げた。

 月明かりの向こうに、大きく、分厚い雲が迫っているのが見える。


「リコリネ、空を見てごらん。もうじき、二つの月明かりが隠れるよ。きっとそうなると、この場は暗がりに包まれるだろう」


 リコリネは、言われるがまま、空を見上げている。

 しかしユディが言おうとしていることは、わからないようだった。

 ユディは、リコリネに向き直る。


「……リコリネ。もし、君がまだ、嘘をつき続けたいのなら。あの月明かりが隠れた時に、そのフルフェイスを脱ぐんだ。君は泣き顔を見られるのが嫌だったよね。だけど、暗がりで君の顔は見えなくなる。きっと僕が、君の一助になってみせるよ。僕を信じて欲しい。そして、明日からまた、たくさん喋って、楽しい旅をしよう」


「………?」


 リコリネは、不思議そうな様子で、そっと首をかたむけた。

 そして、もう一度、空を見上げる。

 そのタイミングで、雲の端っこが、月のかけらに届いた。


 ユディはリコリネの真横に立ち、一緒に空を見上げる。

 雲は瞬く間に、二つの月を飲み込んだ。

 辺りは暗闇で満たされる。

 やることもないので、ただ頭の中でカウントを数える。

 いち、にい、さん、し……。


 じゅう、を数えたところで。

 リコリネは、意を決したように、そっとフルフェイスを脱いだ。


 全身鎧をすべて取り払ったリコリネは、ユディよりも、背が低かった。


 ユディは暗闇の中で、ゆっくりと隣に視線を移す。

 ほとんど何も見えない暗闇だ。

 なのに。

 キラリと、リコリネの耳元で、イヤリングが光って見えた。

 色が見えなくても、あの日贈った、うす紫の蝶のイヤリングだとわかる。


 その時、ユディの全身に、喜びのような、何かよくわからない感情が、ぞっと駆け巡った。

 その衝動に任せて、ユディはリコリネの肩を乱暴に引き寄せる。

 二人の影が重なった。


「―――…ッ!?」


 リコリネの手を滑り、ガシャンとフルフェイスが地に落ちる。


 ふれあいは、一瞬だった。

 すぐにユディは体を離し、別の方向に目を向ける。


「……あれ。ダメだな、失敗か……」


 ユディは、困ったようにそう言った。


「僕の左目が見えるようになってる。愛する人のキスで呪いが解けるっていうのがさ、『君のことを愛している人からのキス』って意味だったら、絶対解けると思ったのに。どうやら、『自分が思いを寄せる相手とのキス』って意味だったみたいだ。呪いは難しいな…。ごめん、僕を信じてなんて言っておいて、僕だけ解けてしまった、困ったな……」


 ユディは、うーんと唸り声を上げた。


「…やっぱり、他の方法が無いか、もうちょっと考えてみるよ」


 ユディは真剣にそう告げると、リコリネに背を向けて歩き出す。


「それじゃ、邪魔をして悪かったね。着替え終わったらすぐにおいでよ。流石に森の中で一人だと危ないからさ」


 リコリネは、茫然と、茂みの向こうに消えるユディの背を見送った。


「………、」


 リコリネは、その場にへたり込む。

 何も喋らず、喋れず。

 ただ、指先で、唇に触れた。



-------------------------------------------



「おはようございます、主」


 次の日、ユディが早朝に降る『天からの贈り物』を見るために目を覚ますと、全身鎧のリコリネが、何事もなかったかのように挨拶してくる。

 ユディは少し寝ぼけていたので、特に不思議には思わず、普通に「おはよう…」と返し、目をこする。

 リルハープは、まだ寝ているようだ。


 そこから二人で、のんびりと天からの贈り物を眺めた。

 ユディは、はっとリコリネを見る。


「リコリネ、体調は大丈夫?」


「はい、問題ありません。気持ちの方も、いろいろと吹っ切れました。そして、主、お話があります」


「…なんだい、改まって。って、言いたいところだけど…。個人的には、もう少しこうやって、他愛ない話をしていたいな」


「…ふふ。ですが、今私からできる雑談と言いますと、『私の下着姿はいかがでしたか?(※皮肉)』といったものになってしまいますが?」


「時間差で怒ってる!!?」


「冗句です、冗句ですよ主」


「ちぇっ、わかったよ、大人しく本題に入ろう。それで、話って?」


「…はい。実は、すっかり失念しておりましたが、我がガッディーロが誇る秘湯のことを思い出しました。アレで呪いもちゃちゃっと治してこようかと思います」


「呪いってそういうもの!!?」


「まあ、物は試しです。ですから、じんの港にたどり着きましたら、一ヵ月ほど、またお暇を頂きたいのです」


「それは…。いや、それはもちろんいいけど、一ヵ月で大丈夫? 往復の時間を考えると、療養期間が取れるとは思えないんだけど…」


「そこは大丈夫です、気合で何とかなります。そして、必ずまた元気に帰ってきます。主、私を信じてください。…ですが、待ちきれないようであれば、先にせんの大陸へ渡っていただければ、後から追いかけますが」


「馬鹿言うなよ、もちろん待つさ。三年に比べたら、なんてことない時間だ」


 リコリネは安心したように、ほっと一息ついた。


「……よかった、嬉しいです。ですが、待ち合わせ場所は閃の港町のほうにしておきましょうか。そうすれば、すぐに出発できますからね」


「わかった、君がそれでいいならそうしよう。他に僕にやっておいてほしいこととかはない?」


「そうですね、主の装備は修練都市で新調しましたし、私の方からは特にありません。実は、私の大槌にガタがきておりまして、ついでに新しい武器に変えてまいります。私の方も新調しますよ。新生リコリネを楽しみに待っていてください」


「ああ、前に言ってたやつか。じゃあ、なんだかんだで予定通りの帰還になりそうなんだね」


「はい、そうなります」


「言っておくけど、帰ってこなかったら、容赦なく浚いに行くからね」


「……なぜ、わざわざ恥ずかしい言い方をするのですか…。迎えに行く、で良いではないですか」


 微妙な仕草をするリコリネに、ユディは意地悪く笑った。


「恥ずかしいって…なんだ、そういう展開が君の好みだったのか、知らなかったよ」


「!! なんですか、その意地の悪い言い方は。調子に乗っていますね?」


「あははっ! ごめんごめん、やっぱりこうやって、君と普通に話せるのが嬉しくって」


「………」


 リコリネは、恥ずかしそうにそっぽを向いた。

 ユディは、にこにことそれを見守る。


 しかし、起きてきたリルハープへと、リコリネが同じことを告げると、リルハープはにこにこするどころか、泣きべそをかきながらリコリネにひしっとしがみついた。

 ひょっとしたら、リコリネとの別れ自体がトラウマになっているのかもしれない。


 もちろん、ユディの中にも、リコリネが居なくなる期間を思って落ち着かない感覚はある。

 だがそれ以上に、いつも通りのリコリネが戻ってきて、浮かれている感覚の方が大きいという自覚があった。

 やっぱり自分は単純なんだろうな…と、改めてユディは思う。



 仁の港が見えてくるまで、リルハープは、リコリネにべったりだった。

 水浴びの時間も延々と話し込んでいるようで、あまりに帰りが遅いから、ユディは様子を見に行こうかと思ったくらいだ。


「リルハープ、ほら、仁の港が見えて来たよ。そろそろ僕の胸ポケットに隠れないと…」


 ユディは控えめにそう告げる。

 するとリルハープは、ますますべそをかいて、ひしっとリコリネにしがみついた。

 リコリネは、困ったような、愛しくて仕方がないような仕草で、大事にリルハープを撫でる。


「…リルハープ殿。そうですね、船着き場での見送りも、隠れているあなたには無理ですからね。ここがお別れの場所になるのでしょう。不思議ですね。あれほどたくさん話をしたというのに、まだまだ足りないような気がします」


「リコリネ、リコリネ…っ!」


 リルハープは、リコリネの名を呼ぶだけで精いっぱいのようで、そればかりを繰り返している。

 ユディは、おろおろしながら妖精を宥めた。


「リルハープ…君がそんなふうだと、僕もあの別れの日を思い出して不安になってくるよ。大丈夫だ、今回はあの時とは違うんだから。リコリネはちゃんと帰ってくるよ。僕とそう約束してくれたんだから」


 リコリネは、しっかりと頷いた。


「はい。しかし、魔女の呪いが、このように役に立つとは思いませんでしたね。なにせ私は今、嘘が付けない状態なのですから。信じていただける道しかありません。そうでしょう、リルハープ殿」


「う……っ」


 リルハープは、ひっくと泣きじゃくりながら、のろのろと飛び上がり、ユディの胸ポケットへ、もぞもぞと入っていく。

 ユディは、よしよしと胸ポケットを撫でた。




 港町に入ると、リコリネは真っすぐに、硬の大陸行きの船のチケットを買いに行き、あとは出航の時間を待つのみだ。

 リコリネは、なんらかの感慨を持って、ユディに向き直る。


「主、実はやってみたいことが一つあるのです」


「うん? 僕にできることならなんでもやるよ、言ってみて」


「…はい。実は、ギュギュ殿がうらやましかったのです。私にも、握手をして、お別れのシーンをやってみてくださいませんか?」


「ええ? そりゃいいけど、なんでまた…」


「いえ、考えてみれば、私は行き倒れ、気が付いたら主と一緒に旅をしていた、という感じで、特に衝撃的な出会いでもなく」


「僕は衝撃的だったけど!!!?」


「そしてこれからも主と行動を共にするので、これ以後も特に感動的な別れも訪れないものと思われます」


「ま、まあ、そう…かも?」


 ユディの戸惑いをよそに、リコリネは相変わらず淡々と話し続ける。


「要するに、ごっこ遊びです。お別れごっこです。やりましょう」


「あははっ! なんだ、ごっこ遊びにハマったのか。もちろんいいよ。はい、リコリネ」


 ユディは笑顔で、片手を握手の形に差し出した。

 リコリネは、しばらくじっと、差し伸べられたユディの手を見た後、おずおずとその手を掴んだ。

 なんだかその仕草が可愛らしくて、ユディは少し笑ってしまった。


 しかし、リコリネはそこから固まったように、動かない。

 噛み締めるような握手だった。


 ふと、ユディは何かを感じて顔を上げる。

 じっと、リコリネのフルフェイスを見つめた。


「……リコリネ。…泣いてる?」


 リコリネは、驚いたように顔を上げた。


「…いえ、泣いてなどおりません。主の気のせいでしょう」


「そっか、それならいいけど…」


「ただ…。名残惜しいだけです。自分から休暇を頂いておいて、こんなことを言うのは気が引けるのですが。…たぶん、私は、あなたと、リルハープ殿と、片時も離れたくないのだなあ…と。改めて、認識しました」


「…僕はきっと、それを聞いて、恥ずかしがるべきなんだろうな。でも、嬉しいって気持ちの方が大きいよ」


「はい…。ここが、私の居場所です」


「リコリネ、必ず帰っておいで」


「…はい。必ず」


 リコリネは、ぎゅっと口をつぐむような間をあけて、うつむいた。

 出航前の汽笛が鳴ると、何事もなかったかのように顔を上げる。


「すぐに帰ってくるのに、大袈裟な感じになってしまいましたね。では、行ってまいります」


 するりとリコリネの手が離れる。

 ユディは咄嗟にその手を掴んだ。


「……主?」


「…あ。いや…。なんだろうね?」


 ほとんど無意識の行動だった。

 ユディは、思考を振り払うように頭を振り、手を放す。


「いってらっしゃい。またね」


「はい」


 ユディは、他の乗客に紛れていくリコリネの背を見続ける。

 やっぱり全身鎧は目立つなあ、と、のんびりと感想を抱く。


 甲板でこちらを見てくるリコリネに、ユディは小さく手を振った。

 リコリネも、小さく手を振りかえす。


 船が出航して、どんどんと距離が遠くなる。

 お互いが見えなくなっても、ユディはじっとそこに立っていた。

 なんとなく、そういう気分だった。

<第二章・完>


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