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モノガリのユディ  作者: ササユリ ナツナ
第二章 ふたりめ
74/137

27トンネルの中のパルカティナ(下)

「ごっこ遊び…ですか?」


 リコリネが首を傾げている。

 一緒に居る少女は、どう反応していいかもわからないようだった。

 ユディはそんな二人にお構いなしに、楽しそうに準備を始める。


「二人とも、ちょっと待ってて。まず、こうしてカンテラを地面に置いて…」


 ユディはぶつぶつと呟きながら、肩掛けカバンの中から野営用の薄い毛布を取り出したり、ソーイングセットを出したり…と、うずくまって楽しそうに色々とやっていく。

 少女は最初、不思議そうにそれを眺めていたが、やがてむずむずと口元を緩ませ、しゃがみ込んでユディの手元を眺めていく。

 リコリネは、二人の様子を微笑ましげに見守った。


「…主、私に何か手伝えることはありますでしょうか?」


「じゃあ、リコリネの方の毛布を、床に敷いてもらってもいいかな。汚れてしまうけど」


「はい」


 そうやって、テキパキと作業を終え、ようやくユディは、満足げに自分の毛布を広げた。


「できた!」


「なんだ、なにがはじまるんだ?」


 少女はわくわくしながら、ユディの様子を窺う。

 ユディは、勿体ぶるように話し始める。


「見ててごらん。この、床に置かれたカンテラに、こうして…毛布を掛ける」


 ふぁさりと、衣擦れの音。

 すると、明かりに慣れた目が、いきなり光を失って真っ暗になる。


 警戒心の強いリコリネが、少し緊迫して背後を気にしている。


「あ……」


 その異変に一番に気づいたのは、少女だった。


「星……?」


 呆けたような声が漏れる。


 カンテラにかけられた毛布には、針の先で、大小さまざまな穴が開いていた。

 その穴から光が漏れて、壁や天井に、小さな光の粒を、点々と照射している。

 遅れて、リコリネが気付く。


「これは……確かに、星空のようです。しかも、壁にも、足元にも。まるで宙に浮いているような……」


 悪戯っぽく笑うユディの声が続いた。


「さあ、三人で敷き毛布の上に腰を下ろそう。これは『星空ピクニックごっこ』なんだからね」


「星空ピクニック! こんなところでか!」


 少女は、はしゃいだように声を上げた。


「つまり…ママゴト、ということですか!?」


 いきなりリコリネが興奮気味に詰め寄ってきた。

 ユディは驚きながら身を引く。


「え?? あ、ああ…そうとも取れるのかな? リコリネ、ママゴトをやってみたかった?」


「そ、それは、…はい。やってみたことがないもので」


「…そっか。じゃあせっかくだし、やってみようか。パルカティナは僕の妹役でどうだい?」


「面白そうだな、やるぞ!」


 いそいそと敷物の上に座る少女の隣に、ユディも腰を下ろした。


「じゃあ、リコリネは…」


「私はペットのリビングアーマーをやります」


「どういうペット!!?」


「主とその妹御をお守りする使命を持っているのです」


「…ま、まあ、リコリネがそれでいいのなら…」


 隣に仁王立つリビングアーマーを見ながら、ユディは落ち着かない気持ちで、人工の星空を見上げる。

 少女は、楽し気に星空を見上げながら、ユディに問いかけた。


「ユディ、妹とは、どうやればいいんだ?」


「…そういえば、どうやるんだろう? 僕はもっぱら弟で過ごしてばかりで、妹になったことが無いからなあ」


「そうか。おそらく呼び方でそれらしく振る舞えばいいのだろうな。ユディ、パルカのことは、妹と呼ぶがいい」


「そっち!? パルカティナが僕を兄さん呼びするんじゃなくて!?」


「そちらは不慣れだからな。胸を貸してほしい」


「わ、わかったよ、妹さん……」


「! おお…いいな、妹さんか。ではパルカも頑張ろう。ユディは、兄くんだな!」


 何故か、想像していた星空ピクニックごっこからかけ離れていくような気がする。

 傍らに静かに控えるリビングアーマーの威圧感が、それを物語っている。

 おかしいな、こんなはずじゃなかった、と思いながらも、ユディは必死に平静を保ってママゴトを続けていくことにした。


「ほら妹さん、見てごらん、星と星の点を繋げて、図形を作る、なんて遊びもあるんだよ」


「わは! 人間とはすばらしいな、兄くん。ではパルカも早速作ってみよう。パルカは影絵が得意だからな、同じように、動物の形がいい」


 指をさしながら、星を繋げて遊び始めた少女の隣で、リビングアーマーがどこか別の方角を向いて、凛とした声を張り上げる。


「おのれ下郎ども、ここから先は一歩も通さん! やあやあ我こそは!」


「ちょっと今何が起きてるの!?」


「ご安心ください主、百人の賊が相手でも、このペット、一歩も引けを取る気はありませんよ」


「なんでピクニックしてるだけで百人の賊に囲まれてるのかな僕らは!?」


 戸惑うユディに、リビングアーマーは意気揚々と説明を始める。


「主はご存じないのですか。これは『地上最強の騎士』の有名な名場面ですよ。それでは百人斬りしてまいります!」


「気が散るなこのペット…。ママゴトとは奥が深いようだ」


 少女が率直な感想を述べながら、集中して星を繋いでいく。

 ユディはマイペースな二人を見て、結局笑ってしまった。


「ほら妹さん、こうして毛布を持ち上げて回せば、星もくるくると回るんだよ」


「おお、ほんとだ、兄くん、もっとやってくれ!」


 なんだかんだで、楽しいひと時を送った。



-------------------------------------------



「あー、たのしかった!」


 やがて少女は、敷き毛布の上でのびのびと足を伸ばして、トンネルの天井を仰ぎ見た。


「こんなに楽しかったのはいつぶりだろう。思えば、何もかもが楽しくて、目新しくて、幸せで、眩しくて…そんな時期がパルカにも確かにあった。パルカはそれを思い出すことができた。ユディ、リコリネ、ありがとな。パルカはもう、さみしくないぞ」


 少女の様子に、ユディとリコリネは微笑を浮かべる。


「パルカティナが楽しめたんだったらよかった」


「私こそ、図らずも楽しんでしまいました。パルカティナ殿のおかげです」


「あ、やっぱりあれは楽しかったんだねリコリネ?」


「なんですかその不思議そうな反応は。主もやってみれば楽しいと思いますよ。やはり大人しめの遊びはいいですね、女らしさに磨きがかかったような気がします」


「…………」


 ユディはノーコメントを貫くことにした。

 二人を尻目に、少女は勢いをつけて立ち上がる。


「ユディ、リコリネ、あれを見ろ!」


 少女が指さす方角を見ると、ぽつんと遠くに、一点の光が灯っている。

 ユディは、眩し気に目を細める。


「あれは…?」

「…ひょっとして、トンネルの出口でしょうか?」


 リコリネの言葉に、少女はこくんと頷いた。


「そうだ。隠されていた出口が見えるようになったようだ。ユディ、リコリネ、急いで準備をしろ! また精霊に閉じ込められるかもしれないぞ!」


「うわっと、それは一大事だ…!」


 すっかりくつろぎモードになっていたユディは、慌てて荷物を仕舞い始める。

 リコリネは、冷静に敷き毛布についた土埃を払いながら、マイペースに移動の準備を続ける。


「ユディ、リコリネ、振り返らずに走れ」


「わかった、パルカティナもちゃんと転ばずについてくるんだよ! 行こう、リコリネ!」


「は。どこまでもお供します」


 ユディはバタバタと走り出す。

 リコリネの、カシャカシャという金属音が後ろをついてくる。

 二人分の忙しない足音が響き、闇の中に溶けていく。

 進むにつれ、外の眩しさが近づいてくる。


 トンネルを抜けると同時に、シャリン、シャリンと夕暮れの明かり雪が降ってきた。

 解放感と共に深呼吸をしようとしていたユディは、驚きに一度呼吸を止める。


「え……もう夕方……?」


 ユディは立ち止まり、呆けたように、セピア色に包まれゆく世界を見上げる。

 リコリネも、不思議そうに隣に立った。


「これは面妖な。我々がこのトンネルに足を踏み入れたのは、朝食をとってすぐだったはずですが」


「だよね。それに、寄り道もせずにまっすぐ進んできたし…そんなに距離があったかなあ?」


 不思議には思うのだが、思ったところで答えが見えるわけでもなく。

 二人は、しばらくその場に突っ立っていた。


「ふああ~~……」


 すると、ユディの胸ポケットから、気の抜けた声が響く。


「良く寝ました~~っ」


「リルハープ!」

「リルハープ殿、よかった!」


 リルハープは、まだ眠そうにうにゃうにゃ言いながら、胸ポケットからもぞもぞと半身を出している。

 ユディは、心配そうに妖精を覗き込む。


「リルハープ、調子はどう?」


「すごくスッキリしてます~~。精霊サマが出てくる夢を見ました~~」


「精霊様が…? どのような夢でしょう?」


 リコリネの問いかけに、リルハープは目を擦りながら答える。


「早く起きて、あんまり二人を心配させたらダメって言われたような気がします~~。それで、あの……うまく言えませんが、体の中に溜まっていた、汚れのようなものを、全部持って行ってくださいました~~。今、ぜんぜん疲労感がありません~~! 脱皮した気分です~~!」


「えっ、妖精って脱皮するの…?」


「例えです、例え~~! まったくご主人サマは、リルちゃんの言うことならすぐに鵜呑みにしてしまうのですから~~!」


「ふふ、ですが、よかったです。話を聞く限りでは、とても良い方向に転がった夢のようですね。何もお役に立てず、申し訳ない気持ちも、もちろんありますが」


「何を言うのですかリコリネ~~、リコリネはリルちゃんの大事な手下なんですから、これからも遠慮なくこき使いますよ~~!」


「ええ、もちろんです。やはりリルハープ殿はそうでないと」


「不思議だなあ、リルハープと話すのが物凄く久しぶりに感じるよ」


「まあ~~っ、寂しかったのですかご主人サマ~~? まったく二人とも、リルちゃんが居ないとダメダメなんですから~~! もはやリルちゃんは、リルハープ2を名乗ってもいいくらいに新生した気分ですから、いくらでも面倒を見てあげますよ~~!」


 妖精は、ふわりと夕暮れの空気の中を飛び上がる。

 美しい羽は光を透かして、言葉にできないほどの複雑な輝きを作り出していた。

 ユディはまた、眩し気に目を細める。


「…それじゃ、早速活躍して貰おうかな。リルハープ、今は英雄の村に向かっている途中なんだけど、村は近い? 遠い? 答え次第で野営にしよう」


「そうですね~~…。すぐに辿り着く距離に人の気配はありませんので、野営をオススメします~~! 案内しますから、ついてきてください~~!」


 妖精は、早速パタパタと前を飛び始める。

 リコリネは、感慨深くつぶやいた。


「やはりリルハープ殿は頼りになりますね」



 しかし、野営の段階になって、ユディの毛布に細かな穴が開いており、「虫に食われてる…!?」と悲痛な声が上がる。

 リルハープは、それが妙にツボにはいったのか、「いくらなんでも食われ過ぎです~~!」と、きゃらきゃらと笑い転げた。

 リコリネは、フルフェイスの中で微笑みながら、それを見守る。


 ふとリコリネは、少し前にもこうしてユディと誰かを見守っていたような気がした。

 すぐに気のせいだと思い直すほどに、それはかすかな感覚でしかなかった。



-------------------------------------------



 翌日。

 草刈りをされて整備された道なりに進むだけなので、迷いようもない道中だった。


「この分なら、もうすぐ村が見えてきそうだね」


「はい。トンネルで思わぬ時間を食ってしまったようですが、順調ですね」


「リルちゃんもそろそろ隠れる準備をするべきですかね~~」


 リルハープが、のんびりとユディの肩に降り立つ。

 と同時に、ハっとしたように、進行方向からは逸れた、森の方に目を向ける。


「ご主人サマ、大変です~~! あっちの方から、恐怖のにおいがします~~!」


「! 誰かが襲われているってことかい?」


「はい~~、この距離でもわかるということは、かなり追い詰められている可能性が高いです~~っ」


「リルハープ殿、方角だけ指し示してください!」


 リコリネは、リルハープが指さした方角を見た瞬間、全速力で駆け出した。

 ユディも急いで追いかけるのだが、リコリネに本気を出されると、とてもじゃないが追いつけない。

 リルハープも、飛ぶのを諦めて、ユディの肩にしっかりと掴まっている。


「力の精霊、ゴルドヴァよ―――!」


 リコリネは、木々を払うのをもどかしく思ったのか、早くも精霊の祝福をみなぎらせている。


   ガサガサッ、ゴッ、ドゴン!!


 そして、赤いオーラを纏いながら、力任せに木々という障害物へと突っ込み、真っすぐに、最短距離を選んで進む。

 おかげでユディは後を追いやすかったが、緊急時とはいえ、薙ぎ倒された木を見ると、若干罪悪感が込み上がってくる。


 やがて、ユディをはるか後方に引き離したリコリネは、子供の声を耳にする。


「あっちいけ! くるなよ!」


   ダンッ!!


 耳がそれをとらえたと同時に、リコリネはほとんど一足飛びで、現場へと駆け付けた。


 リコリネの目に飛び込んできたのは、大きなカラスが、何故か木を必死につついている場面だった。


「あれは…外道ガラス!」


 それは、大ガラスの中でも、光物ではなく、眼球のみを好む種族だ。

 生き物を襲い、殺すことなく眼球のみを奪い去ることから、外道の名を冠した。


 ポトンと、投げられた石が地面に落ちて、リコリネは何が起きているかを悟った。

 子供が、大きな木のウロの中に隠れて、必死にカラスに石や木の枝を投擲していた。

 カラスは、意地になったように、クチバシやカギヅメをウロの中に入れようとしている。


 リコリネは、即座に背負っていた大槌を抜き放った。


「ハアアアアアアアッ!!」


 外道ガラスに、周囲を見る余裕があれば、結末は違っていたのかもしれない。

 だが結果として、外道ガラスは獲物に集中するあまり、リコリネの一撃を軽やかにかわす機会を、永遠に失った。


「―――圧殺!!」


   ドゴオオオオッ!!


 ユディが息せき切らして現場に追い付いた時には、外道ガラスは、頭からハンマーの一撃を食らい、体液を飛び散らせ、立体という厚みを失っていた。


 木のウロの中から、「ひっ」と小さく喉をひきつらせたような少年の声が漏れる。

 ユディは、自分の役割を瞬時に理解した。

 リルハープも、急いでユディの胸ポケットに潜り込む。


 ユディは急いでリコリネの隣を通りすぎて、木のウロを覗き込む。


「助けに来たよ、もう大丈夫だ!」


 ウロの中に居たのは、引っ掻き傷だらけの少年だった。

 瞳いっぱいに恐怖を浮かべて、何らかのトラウマを抱えたかのように、ユディの背後にいる、飛び散った体液まみれのリコリネを凝視している。

 ユディは、わざとリコリネを背に隠すようにして、優しく少年に笑いかけた。


「怖かったね。でも、悪い奴はあの騎士がやっつけてくれたから。もう怖いことにはならないよ」


 少年は、ピクリと何かに反応して、ようやくユディの目を見る。


「騎士…? そっか、騎士か……そ、そうだよな、だったら、正義の、味方だ……」


 よほど何か怖いものに見えていたのだろう。

 深呼吸をして、徐々に気持ちを落ち着けていく少年へと、ユディは微笑んで手を差し伸べる。


「ほら、おいで。まずはその怪我を治さないと」


「……ン」


 少年は小さく頷いて、導かれるままにウロから出て、ユディにしがみついた。

 ユディは少年を大事に抱き上げて、頭を撫でる。


「…あ、偉いね。涙の跡が無い。泣かなかったんだね?」


 ユディの言葉に、少年はパっと顔を輝かせた。


「あったりまえだろ! オイラは英雄の村の子だ! この程度で泣いてたまるかよ!」


 リコリネが、おずおずと一歩近寄ってきた。


「あの…申し訳ありませんでした。必殺技ふうに叫んでみたかったのです。まさかそこまで怖がらせる結果になるとは思っておらず…」


「いやリコリネ、大声が問題じゃなくて、その必殺技によって生じた結果に怖がっているんだと思うよ!?」


 ユディが思わず言うと、少年は慌てたように言葉を被せてきた。


「なっ、こ、怖がってなんかねーよ! それに、ねえちゃんだったんだな、よく見りゃ可愛げがあるじゃねーか。オイラはへっちゃらだ、謝る必要なんてねーっての! ほら、あんちゃん、もう下ろせよ!」


 急に暴れ始めた少年を、ユディは「はいはい」と微笑まし気に地面に下ろす。

 少年は地面に降り立つと、体の具合を確かめるように足を鳴らして、すぐに胸を張ってユディたちを見上げる。


「オイラはトビークレイ。トビーでいいぜ!」


「トビーか、いい名前だね。僕はユディ」


「私はリコリネと申します」


「ユディあんちゃんと、リコリねえちゃんか。助かったぜ、お礼に村に案内してやるよ! こんなところで会うってことは、観光客なんだろ?」


 しゃんと背筋を伸ばして立つ少年からは、思ったよりもしっかりしている印象を受けた。

 ひょっとしたら、背が低いだけで、見た目よりも歳が行っているのかもしれない。

 ユディが腰元から精霊道具の本を取り出すのを見て、リコリネが話を継ぐ。


「トビー殿、助かります。我々はこの土地に不慣れなため、ぜひとも案内をしていただきたい。しかし、トビー殿はなぜこのような場所へ? お一人では危ないと、御母堂から諸注意などは受けなかったのでしょうか?」


「ごぼどー? かあちゃんのことか? そりゃ…注意はされてるさ。帰ったら怒られるだろうな…。けど、気にすんなよ、あんちゃんとねえちゃんを恩人だって伝えるためには、オイラが怒られる必要があるってことくらいはわかってんだ」


 トビークレイは、フンと言いながら、鼻の下を擦った。


「オイラのとうちゃんは、貴族街ってとこで、庭師って仕事をやってんだ。たまに休暇の時は帰ってきて、オイラに植物のこととか、たくさん教えてくれる。オイラもそろそろ大人になってきたからな、今度とうちゃんが帰ってきた時に、とうちゃんが見たことねーって植物を見せてやろうと思ったのさ」


「なるほど、それで森に…。…言いたいことはありますが、それはやはりご家族の役割なのでしょう。私は口をつぐむとします」


 リコリネがそう言うと同時に、トビークレイの周囲をふわりと緑の燐光が包み始めた。

 ユディが小声で、音の祝福をかけ終えたのだ。

 トビークレイの体に刻まれた、血のにじんだ引っ掻き傷などが、やわらかに癒えていく。

 トビークレイは、心底驚いた顔で、パタリと本を閉じるユディを見上げた。


「…なんだこれ、すげえ! 今の、ユディあんちゃんがやったのか?」


「まあね。痛い所はもうない?」


「うわあ、すげーすげー!! マホウだ、マホウ! あんちゃん、マホウ使いだったんだな!」


 トビークレイは、感極まったようにユディに抱きついた。

 ユディは驚いたように受け止める。


「ごめんトビー、マホウは本の中にしかないんだ。僕のは、音の精霊の祝福ってだけで。でもよく知ってたね、マホウなんて。結構本を読んだりするのかな?」


「あったりまえだろ! うちの村には、フェンネル英雄譚の作者のじいちゃんが居たんだぜ!」


「え!? 居たって…過去形?」


 ユディの問いに、トビークレイは項垂れた。


「うん…去年死んじゃったんだ。優しいじいちゃんだったのに。だからオイラは庭師ってやつは継がねー。オイラは将来、勇者フェンネルになるんだ!」


「そっか…。僕も、その作者さんに会ってみたかったな。好きなんだ、フェンネル英雄譚」


 トビークレイは、すぐに顔を上げる。


「なんだ、あんちゃん、気が合うな! オイラ、あんちゃんのこと大好きだ! 来いよ、村まで案内してやる!」


 はしゃいだように、ユディの腕を引っ張り始めた少年に、ユディはどうしても顔が緩んでしまう。


「トビー、そんなに急いだら転ぶよ、ゆっくり行こう?」


「…ふふ。子供とは、人懐っこいものなのですね。微笑ましいです」


 リコリネは思わずそう言うと、二人の後についていく。


「トビー殿、途中で水場があれば案内をお願いします。流石に鎧を洗わねば、ご家族を驚かせてしまうかもしれませんからね」


「あーそうだな、じゃあ、とっておきの場所を案内してやるよ!」


「トビー、ひょっとしてもう何度も森に来てるな?」


「へへっ、そいつは秘密だぜ、ユディあんちゃん!」


 にぎやかな笑い声が、翡翠色の空の下に響き渡った。

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