25届いてしまえば終わるもの
「色の精霊リリケイアよ!」
通りの中央で、パチンと指を鳴らし、アシュアゼが精霊の祝福をかけていく。
すると、明るい日差しの中に、うっすらと幻影が浮かび上がった。
それは、子供の背丈くらいの、四角い氷の柱だった。
少しばかり汗をかいたような、きらきらと濡れた表面の奥に、一輪の花が見える。
水中花ならぬ、氷中花、と表現するにふさわしいオブジェが、そこに誕生した。
通りすがりの人々は、物珍し気に拍手をしてから去って行く。
「フン。これが、見回りに付随するワタシの仕事だ。この騎士国家の美観は、ワタシの気分によって変わるわけだ。今日は日差しが強いからな、こういったものがいいだろう、涼し気で」
「なるほど、実にアシュアゼ殿らしい。言うなれば、飾りつけマンというわけですね」
「リコリネ、お前のセンスはもうちょっとどうにかならないのか…? ワタシは知っているんだぞ、勝手に人の騎乗鳥にハラワタと名付けていると!」
「まあまあ、いいではありませんか、アシュアゼ様。人には誰にでも欠点があってしかるべきです。俺はリコリネ殿にそうした人間味があって安心したくらいですよ」
「サラルディン殿は私を人外か何かだと思っていらっしゃったのですか…!?」
「リコリネ、欠点扱いはスルーしていいの…?」
わいわいと話し込んでしまいながら、ユディは内心で、アシュアゼの祝福の使い方に、かなり驚いていた。
しかし、ユディの内心を見透かしでもしているかのように、アシュアゼがフンと鼻を鳴らして、胸を張ってくる。
「どうだユディエル、ワタシはこの国に無くてはならない存在だと思い知ったか!」
「……悔しいですけど。そうですね、ちょっと、感動してしまいました。アシュアゼさんの内側に、こんな綺麗な花があったことに。これを見ればわかります。あなたは、僕が思っていたよりも、ずっと心根の美しい人なんですね」
ユディの言葉を聞き、アシュアゼは変な顔をしてくる。
「ユディエル、お前……。クソ重たいな。ドン引きだぞ。だから友達が居なかったんだろう」
「言い方!!?」
「はっはっは、冗談だ! だがどうせなら、もうちょっとワタシのテンションが上がる褒め方をしろ!」
「まさか褒め方にまでケチをつけられる日が来るとは思いませんでしたよ」
ユディは拗ねたようにそっぽを向く。
サラルディンとリコリネは、思わずといったように笑っていた。
そこから、何本もある通りを歩き、アシュアゼは気の向くままに氷中花を立てていく。
「どうだユディエル、この幻影は夕暮れまで持つように調節をしているのだ、繊細な作業だろう!」
「はいはい。いちいち褒められたがるところさえなければ、アシュアゼさんは完璧だと思いますよ」
だんだんとアシュアゼの扱いにユディが慣れていった頃。
「アシュアゼさまっ!」
包みを抱えた娘が、タタっと駆け寄ってきた。
アシュアゼは、声を聞いただけで、すぐに振り向く。
「おお、フェルアーデ!」
フェルアーデと呼ばれた娘は、ユディたちに一礼をすると、時を惜しむようにアシュアゼに向き直る。
「アシュアゼさま、昨日、アシュアゼさまが帰ってこられたという噂を聞きまして、あの……っ」
フェルアーデは、うつむきがちに顔を赤くして、持っていた包みを抱える手に、ぎゅっと力を込める。
アシュアゼは、その様子を見て、とても柔らかく微笑んだ。
「ひょっとして、今日もワタシに作ってきてくれたのかな、差し入れを?」
フェルアーデは、ぱっと顔を上げる。
「は、はいっ、お口に合うか、わかりませんが…!」
顔を上げたフェルアーデを見て、アシュアゼは一瞬眉をしかめた。
「フェルアーデ、額が赤くなっているが、どこかぶつけたのかね?」
「え!? あ、う…いえ、これは。わたし、トロいから……」
しどろもどろになって、片手で額を隠しているフェルアーデを、アシュアゼは心配そうに見つめて、言葉を待つ。
「……アシュアゼさまには想像に難いことかもしれませんが。庶民のキッチンは、とても狭いんです。だから、お鍋とか、たくさんあると、仕舞うのが、こう……上の方の、棚しかなくって…! で、取ろうとしたら、落ちて来ただけで…!」
フェルアーデは、あわあわと片手でジェスチャーをして、一生懸命に説明をしている。
アシュアゼは、思案気に腕を組んだ。
「ふーむ? たくさんの鍋か…。つまり、それくらい気合を入れて、何種類ものおかずを作ってくれた…ということだね。ワタシのために」
フェルアーデは、ぶつけた額の跡よりも、顔を赤くした。
「そ、それは…! とにかく、受け取ってください!」
フェルアーデは、ぎゅっと両目をつむって、アシュアゼに包みを差し出した。
アシュアゼは、「ありがとう」と言いながら、早速開けていく。
「え、あ…!? アシュアゼさまっ、毎回言ってるじゃないですか、帰ってから食べてくださいって…!」
「こらこら、もはやこれはワタシが貰った差し入れだ。それをどこで食そうが、ワタシの勝手だろう、はっはっは! なんて、これも毎回言っていることだがね」
アシュアゼは、片目をつむって、抗議を受け流す。
そして、広げた弁当のおかずに刺さった串を、躊躇なく手に取って、口に運ぶ。
「うん、いつもながら美味いな。この甘辛く煮た味付けをワタシが気に入っていると、すっかりバレてしまっているようだね」
「は、はい…っ、だって、毎回、褒めてくださるので…」
噛み締めるように大事に食べ続けるアシュアゼを、リコリネは茫然と見ている。
「本当に毒殺を警戒しないのですね…?」
「ああ。ああ見えて、あの娘は凄いぞ。初対面から弁当を持ってきていたからな」
「えっ、意外に大胆ですね…!? それを食べるアシュアゼさんもアシュアゼさんですが…」
サラルディンの言葉に、ユディは驚嘆した。
サラルディンは、いつものように、抑揚なく言葉を続ける。
「あの娘は、今ではアシュアゼ様の大事な栄養源となっている」
「その言い方で合ってますか…?」
「アシュアゼ殿も、あの集中力は流石ですね。もはや二人の世界と言えましょう」
リコリネは、じっとアシュアゼとフェルアーデのやり取りを見てから、ふっと微笑んだ。
「……しかし、微笑ましいですね」
「……まあ、そうだな……」
なぜかサラルディンは、複雑な表情だ。
「ありがとう、フェルアーデ、今日もとても堪能させてもらった」
気が付けばアシュアゼは食べ終わっており、フェルアーデに弁当の器だけを返している。
フェルアーデは恥ずかしそうに、「はい…」とだけ絞り出した。
「やだ、アシュアゼ様、またフェルアーデのだけ食べてる!」
「アシュアゼ様、あたしの差し入れも食べてください!」
「アシュアゼ様~!」
どこからか集まってきた女の子たちにアシュアゼは瞬く間に取り囲まれ、クッキーやパイなどのお菓子を、わーわーと差し出されている。
アシュアゼは、ほがらかに微笑んだ。
「ありがとう、可愛い小鳥ちゃんたち! これは帰ってからじっくりと食べさせてもらうよ!」
フェルアーデは、女の子たちに押しやられて、輪の外にはじき出されている。
しかしどうやらいつものことらしく、特に反応もない。
そのまま、ぺこりとアシュアゼとユディたちに頭を下げて、フェルアーデは去って行った。
「なんというか、サラルディン殿の苦労が思いやられますね。この人気では、アシュアゼ殿を護衛しようと思うと、並大抵の苦労ではないでしょう」
リコリネの言葉に、サラルディンは神妙に頷く。
「ああ、重たいと言って軽鎧すら着ないからな。まあ、あの方もいい大人だ。自分の身は自分で守るくらいはできると信じたいが…」
「ご主人サマ、ご主人サマ~~っ」
珍しく、リルハープが胸ポケットの布をツンツンと引っ張って声をかけてきた。
「リルハープ?」
「リルちゃん、今からたくさんコイバナがしたいのです~~! アシュアゼと二人きりにさせてくれませんか~~?」
リコリネも、珍しげにユディの胸ポケットを覗き込んでいたが、納得したように頷いた。
「ああ、そうですね。確かに我々では、なかなかリルハープ殿が好む話題にいそしむことはできませんからね」
「サラルディンさん、アシュアゼさんをお借りすることってできますか?」
「仕事も終えたし、構わんだろう。となると、リルハープ殿を見られないよう、一旦宿舎に戻る必要があるか。…アシュアゼ様!」
サラルディンが、声を張り上げて女の子たちの群れの中に入っていく。
「リルハープ、僕らは隣の部屋にいるから、何かされそうになったら叫ぶんだよ?」
「まったく、ご主人サマは心配性なんですから~~!」
こうして、騒がしい外出は終わった。
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「妖精よ、それでワタシに何の話があるというのだ。コイバナと言っても、特に話せることもないぞ!」
客室にて、アシュアゼはソファの上で足を組み、テーブルに腰かける妖精を見る。
リルハープは、少し言いにくそうにうつむいていたが、やがて顔を上げる。
「アシュアゼ~~…。悪いことは言いません、あの娘は、やめた方がいいです~~」
「あの娘…とは?」
「フェルアーデのことです~~…。リルちゃん、実は、人の感情の匂いが、少しわかるんです~~。特に、負の感情の方が強くわかるのです~~」
「ほう。それは便利だな」
アシュアゼは、相槌のような返答をするだけで、フェルアーデについては触れてこない。
リルハープは、もどかしそうに話を続けた。
「リルちゃんはそれで、最近は賞金首の匂いも、少しだけわかるようになってきました~~。賞金首と呼ばれる人は、とても多くの負の感情が複雑に渦巻いているので、ちょっとわかりやすいのです~~」
アシュアゼは、ソファに肘をついて、リルハープの話を促しもしない。
だが、邪魔もしない。
「……あのフェルアーデという娘から、同じものを感じました~~。あの娘の中にあるのは、恋心だけではないのです~~。怒り、憎しみ、悲しみ、恨み、罪悪感、迷い、喜び……」
「ちょっと待て。そんなはずはない」
初めて、アシュアゼが割り込んできた。
リルハープは、つらそうに首を振る。
「認めたくない気持ちはわかります~~、ですが……」
「そんなはずはないのだ、妖精。何かの間違いだろう。あの娘に……恋情が、あるはずがない」
リルハープは、驚きに目を見開いた。
「…どういう、意味ですか~~…?」
アシュアゼは、一度大きく息を吐いた。
そして、力なく、ソファの背に凭れる。
「……例えば、物語でなら、たった一言。たった一文で済む。『アシュアゼは、騎士王に上がるはずだった報告を、握りつぶした』。だが、この一文の中に。伝令役の騎士の死を読み取れる者が、いったい何人いるのだろうね……」
リルハープは、何かを察したように、口元に手を当てた。
「その伝令役の騎士は、ワタシが相手では埒が明かないと判断し、騎士王に直接報告を上げると言い出した。当時、動物たちの間断なき暴走で、騎士王は強がってはいたが、疲労の色は隠しようがないほどだった。だがあの方は、この報告を聞けば、無理をおしてでも動こうとするだろう。だからワタシは…その伝令役の騎士を、斬り殺すしかなかったのだよ。そう、ワタシは民ではなく、王を守ったのだ。ただただ願っていた。ここで王を守れるなら、後々ワタシはどうなってもいいと」
アシュアゼは、くしゃりと髪を掻き上げる。
「事実、いつまでも帰ってこない伝令役の存在で、海峡大橋の騎士たちは全てを察し、次の伝令は送られてこなかった。あれは、必要な犠牲だった」
まるで自分に言い聞かせるように、アシュアゼは丁寧にそう付け加えた。
「その伝令役の騎士が最期に残した言葉が、『フェルアーデ』という名だった。恋人なのだろうと、ワタシは瞬時に理解した。だからこそ、…あれはもう、何年前になるか。フェルアーデと名乗る娘がワタシの前に現れた時、すべてを理解したよ。この娘は、恋人の復讐に来たのだと」
「アシュアゼ……わかっていて、差し入れを口にしていたのですか~~…?」
「……当然だろう。調べてみれば、フェルアーデは早くに両親を亡くし、天涯孤独だ。その恋人が、どれほど彼女の心の支えになったのだろうな。どれほど頑張って、恋人の死の真相を突き止めたのだろう。会ってみれば、彼女は何の計略もなく、初対面でワタシに食料を差し出す。真っすぐで、不器用な娘だ。それが、人生で最後の食事だと、そう思った。そう思って、噛み締めた」
「………」
「だが…。その食事の、なんと美味だったか。ワタシとて、大家族の一員として、母の料理の手伝い程度はしたことがある。その時に、事実として思い知った。料理とは、手を抜こうと思えばいくらでも手を抜け、力を入れようと思うと、いくらでも手間をかけられるのだと。フェルアーデの料理は、本当に手間暇が惜しまず注ぎ込まれていて、食事というものに対しての敬意を感じた。ワタシが憎いはずなのに、彼女は全力を尽くして料理を作ったのだ」
アシュアゼは、苦痛のような、幸せなような、複雑な表情を浮かべる。
「ワタシは、生まれて初めて、食事というものを堪能した。それまでは、ただ生きるために仕方なく食べていたと言っても過言ではない。フェルアーデの目の前で食事を平らげ、…恥ずかしながら、涙を流したよ。こんなに美味なものは初めて食べたと。その時、ただただ驚いていたフェルアーデのあの瞳を、今でもはっきりと思い出せる」
「アシュアゼ…」
「だが……なあ、妖精よ。これは、どうしたことだろうな。ワタシは、まだ、生きているのだ。もう何年も、彼女の食事を食べ続けているというのに。ワタシを油断させるためだとはわかっている。なのに……。毒は、いつ入るんだ……」
リルハープは、溜まらずに羽を震わせ、飛び上がってアシュアゼの肩に乗る。
小さな手が、アシュアゼの頬に触れた。
「恋情が、あるはずがないのだ……恋情が……」
アシュアゼは、うわごとのように、小さく繰り返す。
「フェルアーデからは、刃物を持ち慣れぬ者が発する、独特の緊張も感じた。ナイフも持っているはずだ。ワタシはいつだって、彼女の前でだけは油断して見せているのに。揺れているとでもいうのか? このようなワタシに、心を揺らす価値があると、フェルアーデはそう思っているとでも…? なんて愚かな娘だ……」
「アシュアゼ……。あなたも、あの娘に恋をしてしまったのですね~~……」
「く…そ…っ、見抜くな、不躾だぞ……!」
アシュアゼは、うつむいて、感情を噛み殺す。
リルハープは、ぽろぽろと涙をこぼす。
しばらく二人で、黙り込んだ。
長い長い時間に感じた。
「ユディエルの殺意を感じた時、ワタシはこれで終われるかと期待したのだ。これで、フェルアーデが手を汚さずに済むと。だが、ユディエルがトドメを刺しに来た、あの瞬間。ワタシの脳裏に浮かんだのは、…フェルアーデだった。会いたいと、ただ、それだけを……。ワタシが斬り殺したあの男も、同じ思いを抱いていたのだろうな……」
やがて、アシュアゼは、覚悟を決めたように、顔を上げる。
「妖精よ、礼を言うぞ。フェルアーデにも同じ気持ちが芽生えていたとわかった今……一刻も早く、これは終わらせなければならない」
「アシュアゼ……?」
リルハープは、涙にぬれた顔を、ぎこちなく上げた。
「……明日、彼女に告白するよ」
「! い、いけません~~! 先ほども言いましたが、フェルアーデには負の感情も同時に存在しているのです~~…! それをしてしまえば、今、本当にギリギリのバランスで成り立っている関係が、瓦解してしまいます~~…!!」
「わかっている。だが、彼女はワタシから解放されなければならない。そして今度こそ、幸せに生きねばならない。サラルディンには、目的を遂げたフェルアーデをかくまうように命じよう。流石のアイツも、死の間際に願われたなら、金銭抜きで受け入れてくれるだろう。そして、騎士王のことだ、ワタシが亡き後も、ワタシの家族が不足なく暮らせるように、手厚く保証してくれるだろう。周囲に甘えてしまうのは心苦しいが、きっと許してくれる……」
「アシュアゼ…! アシュアゼ、いけません~~…!!」
ひしっとしがみついてくる妖精を、アシュアゼは優しく撫でる。
「妖精よ。…いや、リルハープよ。これは、仕方のないことだ。報いは受けねばならぬ。その程度の覚悟もなく、ワタシは罪なき者の命を奪ったりはしない。それほどまでに、咄嗟とはいえ、あれは良い手段ではなかった。だが、あれがなければ、ワタシはフェルアーデに会えなかったのだな……皮肉な話だ」
「アシュアゼ…! わかっているはずです、それは、届いてしまえば終わる恋です~~…っ」
「はっは、そうだろうね。これでワタシは、フェルアーデの気も知らず、まんまと胃袋を掴まれた道化と映るだろう。まあ、それも一興だ。実にワタシらしい。さて、そうなるとユディエルとリコリネには、明日の朝にでも出立して貰わねばな。まったく、情が移りやすい者が相手だと苦労をする。なぜ、このワタシがわざわざ気をつかってやらねばならんのだ。…リルハープよ、彼らに何も知られぬように、お前にも協力をして貰うぞ。さあ、まずは泣き止むがいい」
「アシュアゼ、アシュアゼ……っ」
リルハープは、いやいやと首を振りながら、懇願するようにアシュアゼにしがみつき続ける。
「…リルハープ、礼を言うぞ。この世でただ一人、すべての事情を知りながら、ワタシのために涙してくれる、そんな者が居るとはな。悪くはない人生だったと思える」
そのまま二人で、名残を惜しむように、何かに耐えるように、じっと時間を使った。
まるで終わりの見えない時間だった。
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翌日。
ユディたちは客室を追い出されるようにして、騎士国家での最後の買い物をしている。
「リルハープ、ほら、他に欲しいものは? 何でも買うよ?」
ユディは、昨日から元気のないリルハープに、一生懸命話しかけるが、返事がない。
リコリネも、心配そうに胸ポケットを見ている。
「リルハープ殿は、アシュアゼ殿をいたく気に入っていましたからね。別れるのも忍びないのでしょう」
「アシュアゼさんも、もうちょっと特別な別れ方をしてくれればいいのに。『元気でな』って、それだけだよ?」
「…ふふ。寂しいのは、リルハープ殿だけなのでしょうか」
「別に、僕は、何とも思ってないよ……」
「主のことだとは言っていませんが?」
「! リコリネ!」
「失礼、からかい過ぎました。さて、保存食はこれで全てですね。主、いつでも出立できますよ」
「うん…。リルハープ、本当にいいんだね? 後であれが欲しいって言っても戻ってこれないよ?」
そう問いかけた瞬間、通りがざわざわと騒がしくなった。
ユディたちの周囲、と言うよりは、何か遠くの方で起こった戸惑いが、伝播してきたような感じだった。
「どうしたんだ?」
「おい、心中だってさ!」
「女が男を刺した後、自殺したって!」
ささやきというにはあまりに大きな噂話が、瞬く間に周囲を支配した。
ユディは、その物騒な話に眉をしかめる。
「なんだろう…?」
「どうやら、ラブロマンスが発生したようですね」
リコリネが、痛ましそうに呟いた。
「! リルハープ、どうしたんだ…!?」
胸ポケットを覗き込んだユディが、リルハープの涙に気づいて狼狽した。
リルハープは、泣きながら首を振るう。
「ご、ご主人サマ……、ここは、ちいさな負の感情が、たくさんあって、リルちゃん、人酔いしてしまいました~~…。すぐに出発して貰っても、よろしいでしょうか~~…?」
「もちろんだ! リコリネ、走るよ!」
「はっ!」
ユディたちは、焦ったように正門の方へと走り出す。
リルハープは、胸ポケットの中で、ざわめきが聞こえる方角を、ただ見ていた。
(想いが、正しく届いてしまったのですね~~……)
リルハープは、ただ願った。
どうか、アシュアゼが、笑って終われましたように。
フェルアーデが、幸せでありましたように。
(だってリルちゃんは、いつだって、恋する二人の、味方なのですから……)
妖精は、隠れるようにして、気のすむまで涙を流した。




