20虚の翼アシュアゼ(上)
「はーっはっはっは、よく来たね! だが、待ちくたびれたとも言える。おかげでワタシの爪がまた美しく輝いてしまった。さすがワタシだ。点数で言うと、100アシュアゼだ!」
アシュアゼは、磨いていた爪にふっと息をかけながら、観客席から立ち上がる。
傍には、サラルディンが静かに控えていた。
競技場を貸し切ったというのは本当のようで、昨日とは打って変わって、ガランとしている。
ユディとリコリネは競技場の大地から、観客席を見上げた。
「…四人で使用するには、気が引けるほどの大きさですね」
リコリネはそう言いながら、不機嫌そうにむすっとしているユディをそわそわと見つめる。
ユディは視線に気づき、ハっとしたように、人好きのする笑顔を作った。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます…とでも言うべきでしょうか」
「はっはっは、観念したようだね。大人しく圧殺鎧鬼を差し出すのなら、こちらの手間も省けるのだが。心変わりはないのかね?」
「いいからさっさと始めましょう。僕だって暇じゃないんだ」
(主、かえって怖いです…)
優しげに微笑みながらそう言うユディに、リコリネは内心でそう思いつつも、努力自体は純粋に嬉しかった。
アシュアゼは、残念そうに首を振る。
「まったく、急かすような話でもないだろう。わかっていないようだ、エンターテインメントの何たるかを。では、まずは名乗りを上げよう」
アシュアゼは、きらびやかな背の羽根飾りをバサリと払った。
しかし羽根飾りはなぜか、揺れもせずにアシュアゼを飾ったままだ。
「我が名は王の七翼がひとつ、虚の翼アシュアゼ・ハートエース!」
「そして俺はサラルディン」
「……ユディエル」
「リコリネと申します」
「こらこら、なんだお前たち、その簡潔な名乗りは。悪いぞ、ノリが! 点数で言うと10アシュアゼだ! …まあ、いい。圧殺鎧鬼が存外可愛らしい名だとわかったからな」
アシュアゼは、仕切り直すように、優雅に髪を掻き上げた。
「二対二と言ったが、引き分けても興覚めするのでな。勝ち抜き戦で行かせてもらおう。こちらからは、まずサラルディンが出る」
アシュアゼがそう言うと同時に、サラルディンはザっと観客席から飛び降りる。
動きには無駄が無く、最小限の動作だった。
サラルディンは、アシュアゼとは対照的で、良く言えば堅実で控えめ、悪く言えば陰気な印象の騎士だ。
アシュアゼは良くも悪くも華があるが、サラルディンは華がない…というよりは、影が薄い。
リコリネが、応じるように前に出る。
「では、私が先鋒をやりましょう。主はどうぞご笑覧ください」
「リコリネ、くれぐれも無理をするのは無しだ。余力があるうちに僕と交代する気でね?」
「……善処します」
短い会話を終えると、ユディは観客席へと上がっていく。
「おいっ、ユディエルとやら! なぜ離れた席に座ろうとする! ワタシの隣に来るがいい! 七翼の隣に座すことができるなど、お前は幸せ者だぞ!」
アシュアゼが、バンバンと隣の席を叩きながら言う。
ユディは無言で、心底嫌そうな顔をした。
「なんだその顔は! 塩を塗りたくる気か、ワタシの繊細な心に! こういった場では、雑談をするのが円滑な人間関係というものだぞ!」
「ご冗談を。良好な人間関係を望むような印象を、僕はあなたから受けたことがない」
ユディは適当な席に座りながら、もうアシュアゼを見ることをやめ、リコリネたちの方に目を向ける。
リコリネは大槌を抜き放ち、サラルディンは間合いを測る様に対峙を続けている。
アシュアゼはため息をついてから、自分からユディの隣に移動して座り、椅子の背にもたれた。
「サラルディンは慎重派だ。この試合はなかなか始まらないだろう。おい、何か話すがいい」
「…勝手なことを」
ユディは抗議するような声を出したが、アシュアゼはどこ吹く風だ。
今度は、ユディの方がため息をついた。
「…七翼は、名を冠する言葉と、そして貴族と位を同じくするための家名を自分で決められると聞いています。家名のハートエースはなんとなく理解できるんですが、どうして翼の方は、虚なんて言葉を選んだんですか?」
「決まっているだろう、ワタシにふさわしいからだ。どうせこの後、お前はワタシと戦うことになる。すぐにわかるさ」
「リコリネがあなたを倒すとは考えないんですね?」
「あの娘は、サラルディンに勝てたとしても、ワタシには勝てんよ。根が素直で純粋なものほど、ワタシの前では地に膝をつくしかない。…しかしあの娘、思ったよりも元気そうだな。安心したぞ」
「……? どういう意味ですか?」
「圧殺鎧鬼は、キルゼムの被害により、致命傷を負ったと報告が上がってきていた。……ユディエル。お前は、ジャンティオールの縁者か何かか」
ユディは驚いて、隣に目を向ける。
アシュアゼは、戦いを始めたサラルディンたちの方を見ているままだ。
「……。たぶん、一般的に言う『友人』とは、会った時間も、交わした言葉も、格段に少ないでしょうけど。…それでも、たった一人の、僕の友達でした」
「……そうか」
「なぜ、新人騎士にしか過ぎない者の名を、七翼が知っているんですか?」
「ワタシのせいで死傷した者の名を、ワタシが覚えずにいてどうするというのだ。…ユディエル、お前は何者だ。圧殺鎧鬼ひとりの力で、あの場が収まった…という報告を受けていたが、…圧殺鎧鬼はどう見てもパワーファイターだ。キルゼムの能力を考えると、どうやってもあの娘にキルゼムは抑えきれないだろう」
ガアン、とリコリネの一撃が地を抉る音が聞こえてきた。
力の精霊ゴルドヴァの赤いオーラが、リコリネの体から立ち上っている。
「…答える義理はありません」
「…そうか。まあいい。ユディエル、あの娘はワタシに預けろ。悪いようにはしない。前線からは遠ざける生活を約束しよう。見習い共の教育係ならば、力ある後進も育つ」
「そのために、こんな勝負を仕掛けたんですか?」
「そうだ。結果的に騎士王に被害が及ばなかったのも、圧殺鎧鬼のおかげだと認識している。ワタシは勝手に恩義を感じ、ワタシなりの方法で、勝手にその恩に報いたいと思っている」
「…本当に、勝手な話だ。…なのに、反吐が出る…とまでは言えないことに、自分でも驚いています。さっきまでなら言えたのに、と思うと、少し悔しいくらいです」
「はっは。情が移りやすいのか、生きづらいことだな。…しかし、サラルディンが攻めあぐねるか…。やはりまともに打ち合えない武器というのは厄介だな」
「そうでしょうね。リコリネの一撃を真面目に受け止めると、剣が折れかねない。かといって隙を狙っても、攻撃は鎧に弾かれ、反撃を食らってしまう。…そして、虚の意味が、少しわかった気がします。あなたは思ったよりもマトモな人だ。あの道化は、演技だったんですね」
「道化って…。お前ね、ワタシが本気でやっていたら、今のはかなり傷つくセリフではないか?」
「別にあなたが傷つこうが、何の痛手もありませんからね」
「…まあ、いい。そろそろ佳境だ、集中するか」
二人で、リコリネたちの方へと視線を戻す。
サラルディンは剣でリコリネの一撃を上手にいなし続けてはいるが、それに体力を削られているようで、わずかに息が上がっている。
リコリネは、なかなか決定打を打ち込めない状態ではあるが、心は焦らず、波打たず…のまま、淡々と攻撃をするだけだった。
この時までは。
「…さて。なるほど、正規の騎士に対してこのようなことを告げるのは侮辱になるのかもしれませんが。しかし、我々の力は拮抗している、と表現させてもらいましょうか」
「構わない。事実ゆえに。このような逸材が、正規の騎士ではないとは驚きだ」
「まさかお褒め頂けるとは、光栄です、サラルディン殿。そのうえで、ことわっておきます。奥の手を隠しておいたのは、あなたを侮っていたからではないということを」
「なに…?」
そこからの光景を脳が咀嚼するのに、サラルディンはかなりの時間を要した。
リコリネが、ハンマーから、スラリと柄のない刀を抜き放つ、という光景を。
そして、ゴトン、とハンマーの頭の部分が床に落ちる音を。
聞いているし、見ているのだが、茫然とするしかない。
「???」
アシュアゼも理解が追い付いていないようだ。
脳がバグった、と言わんばかりの顔をしている。
リコリネは刀を構え、サラルディンに斬りかかった。
「私は―――重たい武器が苦手なのです!」
「どういうことだ!?」
「どういうことか!?」
「どういうこと!!?」
三人で同時に驚いてしまった。
「待てユディエル、なぜお前まで驚いている…!?」
「いや、ちょっと、初耳だったもので……」
アシュアゼに、ユディは遠い目をしながら答えた。
サラルディンは、目の前で起こった全てを見ていたにもかかわらず、完全に不意を突かれた形で剣を合わせていく。
常識人であることが、足を引っ張ったようだ。
リコリネは畳みかけるような連撃で、瞬く間にサラルディンの剣を叩き落とした。
今までのパワーファイターぶりが嘘のように、リコリネは完全にスピードファイターの様相を見せていた。
「く…! 俺の負けだ……」
サラルディンは、首にあてがわれた刃に逆らわず、話し続ける。
「リコリネ殿、聞かせてくれ。侮っていたのではないのだとすれば、奥の手を隠していた理由とは?」
「もちろん、その方が熱い展開になるからですよ。心が燃え上がる展開は、とても重要だとは思いませんか、サラルディン殿」
「…ふ、ふ。なぜだろうな、負けたが、悔しくはない。貴殿が規格外すぎるせいだろうな。いい勝負だったと、言わせてもらってもいいだろうか」
「もちろんです。とはいえ、今回はたまたま私が一本を取ったにすぎません。御指南、ありがとうございました」
リコリネは刃を引き、握手の形に手を差し出す。
サラルディンは、固く握手を交わした。
「サラルディン、代われ、次はワタシだ!」
羽根飾りをはためかせ、アシュアゼが優雅に競技場へと舞い降りた。
サラルディンはスっと身を引いて、無言で観客席に上がっていく。
そしてなぜか、ユディの隣に腰かけた。
「なぜ…!?」
「アシュアゼ様の技の解説が必要だろう。次の試合の参考になる、聞いていくといい」
まさかの善意だったことに、ユディは戸惑う。
「いいんですか、敵に塩を送るような真似をして」
「構わん。見たところ、ユディエル殿は細剣を帯びてはいるが、体つきは剣士のそれではない。アシュアゼ様はああ見えて、腐っても七翼だからな。このくらいのハンデはあっていいだろう」
「腐ってもって…。仲が悪いんですか?」
「良くも悪くもない。完全に上司と部下の関係だ」
「……なぜ、あなたのようなマトモな人が、あんな人に仕えるのですか?」
「ふ、ふ。貴殿から見ればそうなるか。だが、アシュアゼ様は、本当に一途な方だ。そこだけは尊敬できる。そして俺自身も、貴殿が思っているほどには、良い人間ではない。まあ、試合が終わる頃にはわかるだろう」
「はーっはっはっは! まさか破るとはね、サラルディンを! 俄然欲しくなってきたぞ、圧殺鎧鬼!」
弾けるような高笑いが響き渡り、ユディはそちらに目を向ける。
アシュアゼはいつもの調子に戻っており、どこからか取り出した薔薇を口元に当てている。
「七翼にそう評して貰えること自体は嬉しく思いますので、複雑な心境ですね」
アシュアゼは、リコリネの返答を聞きながら、持っていた薔薇を背後に投げた。
すると薔薇は派手な羽根飾りに姿を変え、アシュアゼの背面を飾る。
「お前はワタシを恨んではいないのだね。それとも事情を知らないのかな」
「いえ。昨夜、主に真相を教えていただきました。ですが、あの時の出来事は、どこか『他人事』であるかのように感じるのです。よほど切羽詰まっていたのでしょう。もちろん、ジャン殿のことは今でも残念に思っていますし、体を張って主を守っていただき、感謝の言葉もありません」
「……なるほど。そういった流れか……」
アシュアゼは、少しの間沈黙を浮かべながら、またどこからか薔薇を取り出し、背後に投げる。
「…圧殺鎧鬼、連戦なのだ、お前の呼吸で試合を始めることを許そう」
「それは、正直ありがたいですね。サラルディン殿は強敵でした。かなり体力を削られております」
「そうか、見た目にはさっぱりわからないな。全身鎧には疲労度を隠す効果もあるということか…。しかしお前は、ユディエルに似て切れ者だね。今、ワタシの受けた祝福を推理しているのだろう?」
アシュアゼは、どこからか取り出した薔薇を口元に当てている。
「…はい。そもそも、アシュアゼ殿自身が、私にヒントを与えているように見えますが」
「当然だ。下の者にハンデを与えるのは、上の務めだからな、はっは! おっと、気持ちはわかるが、見惚れないことだ! ここからは優雅なパフォーマンスの連続なのだから!」
「…なるほど。これ以上引き延ばせば、見とれていると判断されるということですか。癪ですね、始めましょうか」
「何気に失礼だね…? 遠慮をするものじゃないよ、もっと引き出したいだろう、ワタシの美声を!」
「ハアアアアアアッ!!」
リコリネはハンマーから外したままの刀を構えて、電光石火でアシュアゼに突っ込んでいく。
アシュアゼは、難なくそれを剣で受け止めた。
「ふーむ。先の一戦でも思ったが…。不思議なことだね、お前の剣筋には、我ら騎士の振るう型に似たものがある。騎士に師事でもしていたか?」
「―――力の精霊、ゴルドヴァの祝福を!」
ガチィイン!!
リコリネは最初から全力で飛ばしていて、力づくでアシュアゼの剣を上にかちあげる。
アシュアゼはその勢いに逆らわず、逆に利用するかのように、大きく後ろへと飛んだ。
「はーっはっはっは、せっかちさんだね、会話を楽しむ気はないか! 仕方がない、早々に終了してしまってはつまらないが、―――本気を出させてもらおう!」
「リコリネ、色の祝福が来る!」
「わかっています!」
観客席からのユディの声に、リコリネは刀を、防御の型に構えなおす。
アシュアゼは、スっと優雅に剣を掲げる。
「お見せしよう。我が麗しの精霊が夢にもたらしたであろう、天啓を。その名も―――“精霊指定突刺”」
「ユディエル殿、目を覆うといい」
「え?」
ユディがサラルディンに聞き返したと同時。
パアアアアアアッ!
アシュアゼの剣が光り始める。
それも、単色ではない。
世界中の色が集まっているのではないかと思うほどに、それは彩り鮮やか…を通り越して、毒々しく、目に痛い蛍光色だ。
キラキラ、ではなく、ビカビカ、という感じで、それらすべてが光を発しており、もはや目を細めない限り、アシュアゼの輪郭も捕らえられない。
「く…っ!」
リコリネが怯んだ、その瞬間。
アシュアゼが跳躍した、と、輪郭でしかわからない。
「くらえっ、我が必殺の、オカヤマ剣―――!」
ガチイィイン!!
防御に徹したリコリネが、かろうじてオカヤマ剣を受け止める。
が、よろめいてしまった。
「リコリネ…!!」
ユディは、手の平を庇のように掲げるのだが、とてもそれでは遮断できない程の光だった。
なんとかこちらからアシュアゼの剣の軌道を読んでアドバイスをしたいのだが、それもできない。
「はーっはっはっは、まだまだ! チバ剣、ニイガタ剣、そして、クマモト剣!」
ザシャ、ドシュ、と派手な音がするのだが、ユディからは何が起こっているかもわからないし、攻撃を食らっているリコリネ自身も、何をされているのかがわからないように見える。
「こ、これは…! サラルディンさん、どうしてアシュアゼさん自身はこの光の中で周囲が見えているんですか…!?」
「俺にも詳しいことはわからん。が、自分の放屁は、他人のものよりは臭く感じないだろう。それと同じだろうと解釈している」
「その理解はどうなんですか!!!?」
「はーっはっはっは! 防御一辺倒では勝てんよ、ワタシには!」
アシュアゼの、勝ち誇ったような声が響く。
リコリネが、まだ周囲を飛び交う光の中で、ガクリと膝をついた。
「くっ…! まずい、もうチバ剣を食らうわけには…!!」
ユディには良く見えなかったが、一番きついのはチバ剣らしいとわかる。
「なるほど、良いリクエストだ! では、食らうがいい。今必殺の、チバ剣―――!」
「リコリネ!!」
ユディは叫ぶが、叫ぶことしかできなかった。
眩しい光の中で、リコリネに向かって真っすぐに向かう、刺突のような影が見える。
ギャリ、ドッ!!!
リコリネは、左手で相手の刺突を敢えて受けて掴み、そしてカウンターでアシュアゼの腹に刀を突き立てた。
だが。
「バカな、手応えが……痛みも……」
リコリネが、戸惑うように、微塵も傷まない左手に手をやった瞬間、目の前に居たアシュアゼの影が、ゆらりと消えた。
そして、眩しいほどの光が収まっていくにつれ、リコリネは、背後から鎧のすき間を縫うように、首に刃をあてがわれていたことを理解する。
「はっは、やはり絡め手は苦手か、可愛いものだね。だが……まさかそこで左手を犠牲にするとは。随分と無茶な戦い方が身についているようだ。危うい娘よ。そんなことでは、また致命傷を負いかねんぞ」
「……なるほど、私が刺したのは、虚像でしたか。それで、虚の翼…というわけですね」
「その通りだとも。ワタシがチバ剣を使うように誘導したのは、すぐ傍まで来てもらいたかったからか。女性の胆力とは思えんな」
「ですが、私の負けです」
リコリネは、刀を下ろした。
「リコリネ……」
ユディは、悔し気に拳を握る。
サラルディンが、競技場の方を見たまま、声をかけてきた。
「ユディエル殿。今ので理解したかと思うが、アシュアゼ様が最も得意とするのは、意外なことに『暗殺』だ。くれぐれも気を付けられよ」
「メチャクチャ光って目立っていましたけど!!?」
「そこではない、虚像の方だ」
「あ、ああ…。ええ、本当にそうですね、陰湿で、意外です。それを隠すための演技だったんですね」
「演技……とは?」
「え……? いえ、あの頭の中が楽園でできているかのような性格が…」
「あれは素だ」
「…ええ!?」
「若干テンションが上下することは、ユディエル殿にだってあるだろう。あの方は乱高下がやや激しくてな。そもそも、騎士になりたての頃は常にテンションが高かったのだが、激務が続いたある日、朝起きてこう思ったそうだ。『朝からあのテンション、しんどくないか?』と。肉体は若々しくても、精神に老化を感じたそうだ」
「そんなことがあるものなんですね?」
「ある。それどころか、ある日急に、積み重ねてきた何もかもがどうでもよくなるそうだ。そのまま騎士をやめようとしたものだから、お止めしたのは今ではいい思い出だ。この事情を知るのは俺だけであるため、重用されて困っている」
「すごく見限りたそうですけど、サラルディンさんがアシュアゼさんから離れられない理由が何かあるんですか?」
「俺の場合は、まあ…コレだ」
サラルディンは、当たり前のような仕草で、片手の指で丸を作った。
「金だ。そこそこ多く貰っている。俺は金に対して一途なのだ。金さえあれば、目の前の民を救う方法の選択肢が増えるからな」
「………。僕があなたを買収すると言ったら?」
「不慣れなことはやめられよ、貴殿にそういった行為は似合わん。そも、俺は一時の大金よりも、長いスパンでの高給を選ぶタイプだ」
ユディはため息をついて、何やら話し込んでいるアシュアゼとリコリネの方を見る。
「……今日一日で、物凄い情報量を得てしまいました。この、頭が煮立つ感覚は、久しぶりです」
「俺もアシュアゼ様も、目的のためならば非情になれる。だがユディエル殿とリコリネ殿には、それができないでいるように見える。おそらく勝敗を分かつのは、この一点だろう」
「…肝に銘じます」
ユディは立ち上がり、競技場に飛び降りた。
「リコリネ、怪我は!」
「主。鎧のおかげで目立った怪我はありませんが、申し訳ありませんでした。アシュアゼ殿を削ることすらかなわず」
「そんなことはどうだっていい、君が無事ならそれで十分だ。見ていて、君は絶対に渡さない」
「はっはっは、随分とあるようだね、自信が!」
リコリネは一礼をすると、観客席の方へと去って行った。
「…アシュアゼさん。悔しいですが、僕は少しあなたに興味が出てきた。少しだけ、あなたが騎士王にこだわる理由を聞いてみたいと思う程度には。だからこそ…僕は勝ちます。すべての禍根を無くすために」
「はっは、下手な誘導だな。そんなことで負けてやるほど、ワタシは甘くはないぞ」
ユディは細剣を抜き放ち、そして片手には精霊道具の本を開く。
アシュアゼは、剣を構えなおした。
「……? 変わった戦闘スタイルだね」
「あなたに言われたくありませんね。ですが…。本当は、この手だけは、使いたくなかった。きっと、止まれなくなるでしょうから」
ユディは苦しそうにそう言ってから、それを振り払うように、妖艶に微笑んだ。
「だけど、あなたが致命傷を負っても、仕方がありませんよね。それほどまでに、僕はリコリネを渡したくはないのだから」




