19マーケット・フェスティバル(下)
競技場で行われる騎士の公開戦には、まだ少しだけ時間があったので、ユディたちは近くのマーケットをウロつくことにした。
「この地区は、フリーマーケットだったっけ。確か、いらないものを持ち寄るっていう話の」
「そういった一言で表されると、若干可哀想に感じてしまいますね。モノにも心が宿ることがあると、わかってしまっている今となっては」
「…それは……。……そうかもしれないけど…」
リコリネの一言に、ユディは歯切れ悪く答えてしまう。
どうしても、気持ちのどこかで、モノに心を寄せすぎることを忌避する節がある…と、冷静に感じていた。
「ご主人サマ、リルちゃん気になります~~、早く行きましょう~~」
すぐにリルハープが、言葉を被せてくる。
気を使ってくれたのかもしれない。
「わかった。リルハープ、欲しいものがあったらなんだって買ってあげるからね」
「わくわく~~」
実際に見てみると、古着が主だったり、また家具やオモチャが中心だったり…と、それぞれの家庭事情が覗けるようなラインナップが多く、そういった意味で、ユディにとってはとても興味深いものだった。
「しかし、古着ですか。あまり考えてはいませんでしたが、主のその旅装と肩掛けカバンも、随分と使い古していますからね。私は一度すべてを新調していますが、主の装備も、適度な時期に新調せねばなりませんね。旅の半ばでカバンの底が破れてしまっては、目も当てられません」
「うわ、そうだった、そういえばそういうのにも気を配るべきだった! すっかり失念してたなあ…」
頭を掻くユディに、リコリネは思わず笑った。
「…ふふ。やはり殿方はそういった部分に無頓着なのですね。衣類に気を配る辺りは、私の方が向いているのでしょう、すべて私にお任せください」
「君の言う衣類って、鎧じゃないか」
「む……。そこで茶化してくるのなら、もう知りません。諸々の新調は、次の街で行いましょう」
「なにその中途半端な怒り方」
ユディも思わず笑ってしまいながら、少し目を引く色の花瓶を手に取る際、その隣に置かれた薄い本に気が付いた。
「あ、これ、懐かしいな。昔、姉さんがよく読んでくれた絵本だ」
惹かれるように、その絵本を手に取った。
リコリネが、興味深げに覗き込む。
「どのような本なのですか?」
「ピノッキオっていう本で、お爺さんに作られた人形が冒険をして、最終的にはメガミっていう人の力によって人間にしてもらう話…だったかな?」
「メガミ…ですか。ヒダルガミはタタリを与えるカミというものでしたが、メガミというカミは、いいことをなさるのですね。男女で違いがあるということでしょうか?」
「ああ、そういえばそうだね。騎乗鳥とか、袋鳥とかで、同じ鳥だけど種類が違う…みたいな感じなのかな…?」
ユディとリコリネが考察している中で、リルハープがこっそりと顔を出してくる。
「ご主人サマ~~、ご主人サマはその絵本を読んでもらって育ったということですよね~~? リルちゃん興味があります~~っ。荷物になってしまいますが、買ってもらってもよろしいですか~~?」
「もちろん! 君がそんなことを言うなんて珍しいからね、お安い御用だ」
ユディは嬉しそうに、店主に金銭を支払った。
「あらあら、うちの子が小さい頃にたくさん読んだ絵本なのよ。大事にしてくれたら嬉しいわ」
「そうなんですか、ありがとうございます。お子さんには、この本がこれから色々な場所を旅することになる、と伝えておいてください」
にこやかなやり取りを交わしながら、ユディは購入した本を、大事に肩掛けカバンに仕舞い、マーケットスペースを離れた。
「…うん、そんなに重たくもないし、大丈夫かな。リルハープ、宿に帰ったら読んであげるからね」
「も~~っ、リルちゃん一人でも読めますから~~! 子供扱いしないでください~~っ」
つーんと拗ね始める妖精に、ユディもリコリネも微笑んでしまう。
競技場に辿り着いた時には、ちょうど開会の挨拶が終わった頃だった。
急いで空いている席に座る。
「ごめんリコリネ、騎士の宣言だし、聞きたかったよね?」
「いえいえ、ご心配なく。騎乗鳥での槍術戦が見られるのであれば、何ら不満はありません。宣言など添え物のようなものです」
「気持ちはありがたいけど不必要にこき下ろさなくていいから!?」
などと言っている間に騎士同士の試合が始まり、ユディたちは真剣な顔を競技場に向ける。
対面のゲートから、騎乗した一人ずつが入場し、そのまま試合になる運びのようだ。
リコリネは、きちんと背筋を伸ばし、膝に手を置いて、行儀よく座ったまま、じっと試合を見つめている。
傍目にはとても落ち着いて見えるが、内心ではとてもはしゃいでいるんだろうな…という雰囲気が伝わってきて、ユディは少し微笑んだ。
電光石火のように終わる試合もあれば、互いの実力が拮抗することで多少長引いた試合もあったが、泥仕合が無かったのは流石だった。
やがて、すべての騎士から勝利を奪い取った一人が決定し、競技場の中央にて、勝利の矛を掲げる。
それと同時に、「きゃあああっ」と黄色い歓声が響き渡った。
ゲートから、とても派手な騎士が、騎乗鳥に乗ってやってきたからだ。
「「「アシュアゼ様ぁーー!」」」
騎士アシュアゼは、声援に応えるように、昨日と同じく片手を振っている。
リコリネは、そっとフルフェイスの隙間から、ユディの横顔を窺った。
ユディは…。
殺意こそ表さなかったものの、酷く冷たい瞳で、アシュアゼを見下ろしている。
あの視線に温度があるとしたら、すべてのものは凍り付いてしまいそうなほどに、冷たく、そして美しさすら感じる冷酷がそこにあった。
リコリネは確信する。
ユディが怒っている相手は、やはり王の七翼に対してだ。
しかし、なぜなのかはわからない。
宿に帰ってから聞いてみるべきだろうか。
いや、せっかくのお祭りなのだから、明日にしよう。
などと考え事をしている間に、優勝した騎士とアシュアゼの一騎打ちが始まっており、そして速やかに試合が終わった。
やはりアシュアゼは強く、相手の騎士は地べたに落とされていた。
ワアアアアアアアッ!
湧き上がる観衆の声援の中で、アシュアゼは髪をかき上げ、優雅にゲートへと戻って行った。
「どうだった、リコリネ」
ユディは優しく笑いかけてくる。
いつもの優しさに、リコリネはほっと一息をついた。
「…はい、素晴らしかったです。特に、敵同士ではなく、顔見知り同士で、互いに同じ技を駆使する試合がとてもよかったです。相手の呼吸を知っているので、それに合わせていく様は、まるで息の合う剣舞のようでした」
「よかった。まだ時間があるけど、どこか見ておきたいところはある?」
「そうですね…芸術系のマーケットの方へ行きたいです。そういったものとは、ほとんど無縁の生活をしていますので。持ち歩く気はありませんから、冷やかしになってしまいますが」
「あ、いいね、僕も行きたいと思っていたんだ、行こうか」
「はい」
アート・マーケットは、単純に絵や壺などが売られているものかと思っていたが、飴細工やガラス細工など、目移りするほどの多様性を持っていた。
白い壁には絵描きたちが、思い思いにのびのびと絵を描き込んでいっている。
この絵は、次の祭りの日が来るまで、この街を飾るそうだ。
様々な芸術品が陳列されている中で、中でもリコリネが興味を持ったのは、色とりどりのガラス玉が敷き詰められた丸いガラス鉢の中に、小さな魚が泳いでいる、という商品だ。
「アクアビオトープですか……面白いですね。魚を観賞用にするなど、考えてもみませんでした」
「本当だ、すごくきれいだね。ずっと眺めていても飽きないんだろうなあ…」
「ご主人サマ、飴~~っ。飴が欲しいです~~!」
「はいはい、色付きのヤツだよね?」
「ピンクのがいいです~~!」
「リコリネ、ちょっと行ってくるよ、まだ見てていいから」
「はい、お待ちしております」
急ぎ足で飴細工の屋台へと向かうユディの背を見送って、リコリネは、また小さな水の世界へと視線を落とす。
青い水草の隣を、小さな魚が通りすぎていく。
その隣の商品を見ると、そちらには魚は泳いでおらず、水中にゆらめくように、一輪の花が咲いていた。
「水中花…ですか。初めて見ました、美しいですね」
そう言ってから、ワンテンポ遅れて、返事がないことに気づく。
そういえば、今は一人なのだった。
「………」
いつの間にか、隣にユディが居ることが当たり前になっていたと気づき、顔が赤くなる。
そっと頬を押さえてから、今フルフェイスであることに感謝した。
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そして夜が来た。
街中に、蛍光花の柔らかな光が灯り始める。
ユディたちは、屋台料理を食べ歩きしながら、祭りの終わりを楽しんでいる。
ユディは周囲の人の流れを見ながら、感慨深く呟く。
「なんだか、変な感じだね。同じ夜のはずなのに。昨日は街中が色めき立っていたけど、今日は少し物悲しく見えるよ」
「本当にそうですね。誰も彼も、祭りが終わってほしくないのでしょう。そう考えると、祭りの前に行う準備の日が、最も楽しく感じる瞬間かもしれませんね」
「リコリネも終わってほしくない?」
「……そうかもしれません。本日目にした、あの観賞用の水鉢が、なぜか瞼に浮かびます。祭りという一時の水に包まれ、人々は自由に泳ぐ魚であるかのような」
「それだと、お祭りが終わったら、みんな死んでしまうみたいだ」
「ああ…そうなってしまいますね。そういう意味ではなかったのですが。…しかし我々は、水が無くなっても生き延び得る魚でもあるのかもしれません。だからこそ、今日の日を楽しみに、一年を生き延びる。私にとっては、主との旅が、水鉢の水です。この水から出てしまえば、私は……」
「リコリネ…?」
ユディは訝しげに隣を見る。
ちょうど、人の流れを邪魔しないように、路地に避けた、その時だった。
「―――ようやく見つけたぞ」
路地の奥から、鋭く声が駆けられた。
ユディもリコリネも、身構えてそちらを見る。
そして、驚愕に我が目を疑った。
その男は、路地裏においても、あまりにも派手だった。
一度見れば忘れられないほどに、色とりどりに光輝く羽根を背負っているのは、誰あろう、王の七翼アシュアゼだった。
「な……あなたは、虚の翼、アシュアゼ殿……どうしてこのような場所へ?」
リコリネは驚きと共に問いかけると、アシュアゼは優雅に髪を掻き上げた。
「はっはっは、なーに、そこな青年がやたらと送って来たものでね、熱視線を! ま、ワタシの美しさは殺意を抱きたくなるレベルだという自覚はあるがね! 遠目ゆえに気づかれない…とでも思っているのなら、それを正してやろうと思って来たのさ。…ふーむ、しかし、見覚えはないな、その顔に……一体どこで恨みを買うような真似をしたのか」
アシュアゼは、じろじろと値踏みするようにユディを見ている。
ユディは、無表情でアシュアゼを見返した。
「…心当たりがないのであれば、わざわざこうして探りに来なくてもいいのでは?」
「はっはっは! これはしてやられたね。今の言葉で、ワタシに後ろ暗い所があると自ら告白しに来てしまったことになる。流石ワタシだ、してやられる姿も美しい、単位で言うと70アシュアゼくらいだ! 切れ者のようだね、お前はなかなか。…だが、今日の所はお前に用はない」
アシュアゼは、スっとリコリネの方に向き直る。
「その手入れされた美しい鎧姿。よくよく見れば、音に聞く圧殺鎧鬼ではないか。まさか女性だったとはね」
「…私に何か御用がある、ということでしょうか?」
リコリネは淡々と聞き返す。
「その通りだ。聞き及んでいるよ、その勇名の数々は。ワタシは、お前をスカウトに来た。喜ぶがいい、このアシュアゼ様自らが声をかけるなど、滅多にないことだぞ! レア度でいうと、90アシュアゼだ! どうだ、来ないか、ワタシの元に」
「お断りします。私が生涯守るべき主は既に決まっておりますので」
即座にそう返すリコリネの前へ、ユディが守るように立ちはだかる。
ユディは威嚇するかのように、アシュアゼを睨みつけた。
「勝手なことを言うなよ。あなたには既に腹心の部下がいるだろう」
「……ふーむ。どうやら本当にワタシ個人が恨みを買われているようだ、そこまで調べ上げられているとは。やれやれ、男にまでモテる日が来るとは思わなかったよ、はーはっはっは! やはり罪か、美しさは……」
演技でも何でもなく、アシュアゼは本当に楽しそうに笑っている。
「だが、ワタシは騎士王をお守りするためなら、手段を選ばないのだ。圧殺鎧鬼、お前が欲しい。力はあればあるほどいいものだ。守りの層が厚くなればなるほど約束されるのだからね、安泰が。お前の力と、ワタシの光が合わされば、世の中の均衡すら保たれよう!」
「帰れよ。今なら見逃してやる」
ユディは鋭く言葉を返す。
リコリネは、ユディの背中を見ながら、そこから伝わってくる怒りに、内心ではおろおろとしている。
「……あの。もう、返事は致しました。気が変わることはありませんので、どうぞお帰りください、アシュアゼ殿」
控えめにそう述べるリコリネへ、アシュアゼは気を悪くした様子もなく、自分が美しく見える角度を知り尽くしたようなポーズをとる。
「はーっはっはっは、女性を奪い合うなどという展開には実に躍るな、心が! このまま力づくで奪い去るも一興だが、それでは美しくない。よって、ワタシはここに―――(指パッチン)申し込もう、決闘を! 明日、貸切にしておく、競技場を。やってくるといい、二人で。こちらが負ければ、手を引こう、圧殺鎧鬼から」
「ふざけるなよ、それに付き合ってやる理由があるとでも?」
ユディは険のある声音を隠しもしない。
「来なければ敵前逃亡とみなし、ワタシの権限で敷こう、検問を! 見つけ次第、圧殺鎧鬼をとらえよ、と出してね、指令を。お互いに無駄な争いは避けた方がいいとは思わないかね? いい案だ……80アシュアゼはある」
「卑怯な……!」
ギリとアシュアゼを睨みつけるユディの肩へ、リコリネが手を置いた。
「主、ご心配には及びません。その決闘に、私が勝てばいいだけです」
「こらこら、どうしてワタシと圧殺鎧鬼が戦うことになっているのかね? ワタシが戦うのは、お前の主であるという、そこな青年だ。圧殺鎧鬼がその力を振るいたくば、ワタシの腹心であるサラルディンがしよう、相手を! 二対二だ。これなら平等だろう?」
「何をおっしゃるのですか、アシュアゼ殿! 我が主の力は、そのようなことに振るわれるものではありません!」
「はっはっは! そのようなこととは、また自分を見たものだな、下に! 圧殺鎧鬼よ、お前はまだ気づいていないのだ、自分の価値に。案ずるな、ワタシの元で、じっくりと教えてやろう、その辺りを。お前はむせび泣くことだろう、ワタシの美しさを引き出せる日々の喜びに!」
ユディは、ぴくりと片眉を上げた。
「……いいだろう。受けて立つ」
「主、何を!」
「僕だって男だ。君を賭けての決闘を申し込まれて、尻尾を巻くわけにはいかない、と思う程度のプライドはあるんだよ、リコリネ」
ユディはようやく、困ったような顔で、柔らかく微笑んだ。
「アシュアゼ様、もういいでしょう。行きますよ」
「!」
ユディもリコリネも、増えた声に驚いてそちらを見る。
暗がりの中から、ゆらりと騎士が姿を現した。
決勝まで残っていた、あの騎士だ。
まるで気配を感じなかったが、まさか最初からこの場に居たとでもいうのだろうか。
「サラルディン。ここからワタシが“今が旬、果汁たっぷりのプレッシャー”をかける場面だったのだがね?」
「はいはい。そんなことをせずとも、貴方はお強いんですから、大人げないことをしないでください。では御両人、失礼する」
サラルディンはユディとリコリネに軽く会釈をすると、アシュアゼの首根っこをひっつかんで、ずるずると引きずっていく。
「ではな、圧殺鎧鬼、そしてその主よ! 来るがいい、首を洗ってから! はっはっはっは、はーっはっはっは!」
路地の奥へと消えていく姿を、ユディとリコリネは茫然と見送った。
「………」
ユディもリコリネも、顔を合わすことができず、ただじっと押し黙って、会話の端を探す。
さっきまであんなに楽しかったのに、冷水をかけられたような気分で、しかし謝るのも妙な話だ。
普通に話をすればいいという正解はわかるのだが、その普通がどこかへ行ってしまった。
その時、ぷはあ、と言いながら妖精が胸ポケットから顔を出す。
「は~~、きゅんきゅんしました~~っ」
リルハープがうっとりしながらそう言うので、ユディは驚いて彼女を見る。
「リルハープ、まさかああいうのが好みのタイプだった?」
「バカを言わないでください~~、あんなイモイモしい道化になんら興味はありません~~! リルちゃんは、恋愛小説のような展開にキュンキュンしているだけです~~! ご主人サマとイモでリコリネの取り合いですよ~~! たかぶります~~!」
「恋情が欠片も存在しない展開なのですが、それでも恋愛小説は成り立つのでしょうか……?」
ひたすらに力が欲しい欲しいと言われ続けたリコリネは、首を傾げるしかない。
「リコリネはわかっていませんね~~、こういうのは空気感を楽しむものですよ~~! たまに雰囲気だけで何が言いたいかよくわからないポエムとかあるでしょう~~? リルちゃんはああいうのも結構好きなのですよね~~っ」
「言い方が結構馬鹿にしてるけど、本当に好きなのそれ…?」
わいわいしているうちに調子が戻ってきて、ユディとリコリネはこっそりと心の中でリルハープに感謝をした。
リコリネは、ユディに向き直る。
「…主。せっかくの祭りの後味を汚すようで申し訳ありませんが。…一体、七翼と何があったのですか?」
ユディは、苦い顔をして、リコリネから目をそらした。
路地裏の壁のシミをじっと見ながら、ゆっくりと話し始める。
「……アイツだよ。三年前に、騎士王に報告されるはずだった情報を止めて、海峡大橋を封鎖させたのは。直接会うのは初めてだから、僕自身は何があったってわけじゃないんだけどさ」
リコリネは、驚いたように瞬きをした。
「…では、私とジャン殿のために、主はお怒りになられていた…ということですか?」
「……ごめん。僕はやっぱり、社交はできないんだろう。どうしても、気持ちを抑えられなかった。怒りなんて、どこかに転がっているだけでも嫌な気持ちになるというのは、わかっていたのに。君に不快な思いをさせた」
「いえ! 不快などでは、ありませんが……。……ありませんが……」
リコリネの声音が、どんどんすぼんでいく。
ユディは、リコリネに視線を戻し、じっと言葉を待った。
リコリネは、正直に言うべきかどうかを悩んだ末に、口を開いた。
「……ですが、少し、萎縮して困ってしまったというか……怖かった…のだと思います。私は、自分にはどうにもできない部分で主がお怒りになっていると、おろおろとしてしまうようです。このような感情は、初めてです。どのような化け物が現れようが、強大な悪漢が相手になろうが、私の心は震え一つ起こさない自信がありました。ですが…。主が怒るのは、怖い…です」
「……、……そうか」
ユディは、呆けたようにそれだけを言って、しばらく黙り込んだ。
それから、くしゃりと前髪をかき混ぜる。
「だけどアイツは、それに加えて、僕からリコリネを奪おうとしている。アイツは敵だ。僕は、敵に対して容赦ができない。…でも。だからって、君を怖がらせたいわけじゃない。…一朝一夕で上手くできるかわからないけど、なるべく、怒らないように、努力をしてみるよ。今は、そうとしか、返せない……」
「……はい。そのお気持ちだけで、嬉しいです」
リコリネは、フルフェイスの奥で、はにかんだ。
ユディも、ぎこちなく笑み返す。
「じゃあ、宿に帰ろっか」
「はい」
ユディは先頭を歩きながら、…やはり、どうしても、どこかを睨みつける表情になってしまい、困ったように頬をつねった。
「ご主人サマご主人サマ、やっぱりピノッキオの絵本を読んでください~~、リルちゃんがじっくり聞いて差し上げます~~!」
リルハープが、つんつんと胸ポケットの布を引っ張って主張してくる。
彼女なりに気を使ってくれているのが伝わってきた。
「リルハープ、君って時々、意地悪なのか優しいのか、わからなくなるよ。…ありがとう」
ユディは胸ポケットを包むように、優しく手を置く。
街にあふれる祭りの喧騒が、楽しかった一日の残り香のようで、救いに感じた。




