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モノガリのユディ  作者: ササユリ ナツナ
第二章 ふたりめ
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15約束の民

 結論としては、森伝いに北上し、医療都市まで行こう、という流れになった。

 最初にリコリネが言っていた通り、ぐるっと円を描くように外周に添って、西にある閃の大陸まで向かうことにする。

 道案内に先を飛ぶリルハープの後ろを、ユディとリコリネはついていく。


「そういえばリコリネ、すっかり聞くのを忘れていたけど、タイジョウはどうだった?」


 歩きながら、いつもの雑談が始まる。

 リコリネは、驚いたように隣を見た。


「私も報告を忘れておりました。ファルファド殿に気づいてからは、すぐに主のもとへと向かいましたので、結局主に頼まれた用事しか果たせませんでした」


「ああ、うん。……」


 ユディは、少し表情を硬くして、リコリネの言葉を待つ。


「結論から言うと、ディアール殿とシグ殿の新規登録はありませんでした」


「まあ~~、ご主人サマ、まだあの二人を気になさっているのですね~~、前も時々調べていましたよね~~?」


 リルハープが、遊ぶようにひらひらと舞い飛びながら、ユディの方を振り返る。


「そっか…。うん、ちょっと、個人的に気になっていてね。どうしているのかなって。あの二人のことだから、きっと元気にしているんだろうけど。……リコリネ、コインの方はつつがなく使えた?」


「はい、そこは問題ありませんでした。情報売り場のご婦人に見せると、『少々お待ちください』と言って席を立たれ、責任者の方が出てこられて、対応を始めた…という流れでしたね。本当に、特にこちらに説明を求めたりもないのですね。とても面白かったです」


「そう…。君が楽しめたのなら、今度から僕自身が調べる必要が無い情報は、リコリネに任せようかな?」


「よろしいのですか? それは願ったり叶ったりです。リルハープ殿も、何か欲しい情報があれば、遠慮なく私をお使いくださいね」


「リルちゃんはそんなものに頼らずとも、元から博識ですから~~!」


「ふふ…そうですね。もちろん、そこに疑念の余地はありません。ですが私は、リルハープ殿がひっそりと読書家であることも存じ上げているのですよ。読みたい本があっても、気軽に言ってくださいね。一緒に読みましょう。あなたはすぐに遠慮をする」


「な、何を言っているのですかリコリネ、リルちゃんはいつだってワガママ放題なんですから~~!」


 リコリネとリルハープのやり取りに、ユディは楽し気に笑い声をあげてしまう。

 リルハープはムスっとしながら、誤魔化すようにひゅーんと前を飛んで行った。


「ほらリルハープ、あんまり前を行かない。危ないのが居たらどうするのさ」


 ユディが、気持ち大きめの声で前方に呼び掛ける。

 すると、リルハープがひゅーんと戻ってきた。

 ユディは手の平を見せ、微笑みながら受け入れる。


「おかえり」

「違うんです、ご主人サマ、人の気配があるんです~~! こんな森の中に、しかも、ひとつだけ~~っ」


 リルハープは、ストンとユディの手の平に乗っかると、急いでまくしたてた。


「…ええ?」


 意外過ぎる情報に、ユディは足を止めた。

 リコリネも、不思議そうに前方に目を向ける。


「……、……。いえ、ありえないことではありませんね。主、地図をお見せください」

「わかった」


 ユディは慣れた手つきで腰元に手をやると、巻いていた地図をくるくると解いた。

 リコリネは、フルフェイスの頤に手を当て、じっくりと思考する。


「……やはりそうですか。そもそも、主のご出身自体が、『隠れ里』ですからね」


「…あ、そうか」


 そう思って地図を覗きこむと、確かに森ばかりが広がったこの区画に、里村があってもおかしくない広さがある。


「地図がすべてではない、ということですね。そう仮定すると、森の住民である可能性が出てきましたが……問題は、年齢ですね」


「そうなるね。もし年端も行かない子供だったら、迷子という可能性がある。リルハープ、案内を頼めるかい?」


「わかりました~~、様子を見られる距離でお知らせしますね~~っ」


 最早みなまで言わずとも、リルハープはいち早くユディの意図を察する。

 ユディたちは、念のために足音を忍ばせて、リルハープの感じ取った気配を追って行った。

 北上する道からは外れてしまうが、仕方がない。

 どんどんと森の奥深くへと入り込んでいく。



 やがて、ひとりの人間の後姿が見えてきた辺りで、リルハープが同時に制止をかけた。

 年の頃は十七、十八くらいの娘の姿がある。

 背中には大きな鍋を背負っていて、旅などの長距離移動をしているのだとわかる。


 その確たる足取りと、落ち着き払った背中は、迷子からは程遠い。

 ユディたちは、ひとまず安堵した。

 このままついていくべきか、声をかけるかを、小声で相談しようと思っていた矢先。


 前を行く娘は、ぴたりと足を止めた。

 そして、迷いなく振り返る。


「……だれ?」


 リルハープは、ぴゃっとユディの胸ポケットに入り込んだ。

 大きな音も気配も立てたつもりはなかったのだが、どうやら耳のいい娘らしい。

 ユディは驚く暇もなく、一歩前に出て、茂みから姿を出す。


「ごめん、驚かせてしまったかな。こんなところに人の気配がするのは不思議だな…と、迷子かどうかを確かめに来たんだ」


 とりあえず、素直に話すことにする。

 しかし娘は、眠たげな瞳で、じっとユディの後ろに視線をやっている。

 ユディの背後には、全身鎧の不審者がいるからだ。

 リコリネはそれに気づき、胸に手を当てて、騎士の礼をする。


「はじめまして、私は騎士のリコリネと申します。このような格好をしておりますが、すべて主を防衛するためのものであり、不審者ではありません」


「あ…僕はユディ。この森を通って、医療都市に行く旅の途中なんだ」


 ユディは慌てて付け足す。

 すぐに、娘はほのかに微笑んだ。

 よく見ないとわからないくらい、ささやかな感情の表し方だった。


「納得した。確かに、鎧は便利。わたしは、ヒニアロイカ。ヒニアと呼んで。あなたたちからは、嘘の音がしない。疑ってはいない」


 娘の自己紹介に、ユディは驚いたように瞬きをする。


「音、ってことは、ひょっとして、音精霊の祝福を受けている? 僕もそうなんだ」


 ヒニアロイカも、うすく驚きを浮かべた。


「奇遇。旅人で音持ちは珍しい。もちろん、鎧を着こんでいる女性も初めて見た。あなたたち、二人とも珍しい」


「あははっ、でも僕も、そんな風にお鍋を背負っている女の子は初めて見たよ」


 ユディの言葉に、ヒニアロイカは、少しだけ体をひねって、自分の後ろを見る。


「これは、便利なんだ、盾にもなる」


 ヒニアロイカの言葉に、リコリネが感銘を受けたように声を出した。


「なるほど、確かにそうですね。その発想はありませんでした。しかし、盾が必要になるほどの事態が予想されるということでしょうか?」


「…たまに。獰猛な奴だと、この森は、万力カバとか、森シャチとか、居る。あとはほとんど大人しいけれど」


 ヒニアロイカは、すっかり打ち解けたように話を弾ませた。

 ユディも、改めてヒニアロイカに近づき、完全に合流を果たした。


「ということは、ヒニアはこの森に詳しいんだね?」


「そう。いわゆる地元民だから」


「どこかに向かわれる途中だったのですか?」


 リコリネの問いに、ヒニアロイカは静かに頷く。


「そう。でも、ちょうどよかった。一人じゃ、不安だった。使命を、はたせるかどうか」


「使命…?」


 ユディは首を傾げるが、リコリネが控えめに意見をする。


「お二人とも、立ち話もなんでしょう。ヒニア殿、もし昼餉がまだでしたら、ご一緒をしませんか?」


 ヒニアロイカは、こくりと頷いた。

 ユディは、そっと微笑む。


「それなら、あそこの広場で一休みしようか」


 ユディが示したのは、森の中でも開けた場所で、さんさんと日差しが降っている花畑だ。

 異議もなかったので、全員でそちらへと移動した。



-------------------------------------------



「これ、おいしい、味付けが適度」


「けほっ、本当だ、ヒニアの干し肉は、ちょっと咳が出るね」


「そう。お父さん、大雑把だから、香辛料をバサバサ入れる」


「私としては、ぼやけた味よりは好きですね。ガツンと来すぎても、喉が渇いて困るのですが」


 ユディたちは、保存食の交換会をして、それぞれの味の違いを楽しんでいる。

 適度な休憩を入れたところで、ユディは本題に入ることにした。


「それで、ヒニアの事情を聞かせてもらってもいいかな?」


 ヒニアロイカは、すっと姿勢を正した。


「…わたしは、『約束の里』から出てきた。年に一度、果たすべき約束があるから」


 そう言って、ヒニアロイカは、進もうとしていた方角を指し示す。


「この森の奥に、小屋がある。そこには、糸紡ぎのおばばが住んでいる。そのおばばから、わたしは糸を譲ってもらいに行かなければならない」


 ユディは、示された方角を見てから、ヒニアロイカに視線を戻す。


「どうして?」


「知らない。果たされるべき約束だから。…去年までは、里に居る別の娘が行っていた。だけど、わたしは今年で十七になるから。今年から、わたしの番になる。必ず、年頃の娘がやらなければならない」


「それも、約束だから…ですか?」


 リコリネの問いに、ヒニアロイカはこくんと頷く。


「おばばに糸を貰う娘は、『マリージェンヌ』。通称、無い物ねだりのマリージェンヌ。わたしは、それをやらなければならない。約束だから」


「へえ、変わった風習だね…」


 ユディは興味深げに感想を述べた。

 ヒニアロイカは、静かに付け足す。


「風習とも、少し違う。これは約束だから。世界は、約束でできている。水を火にかければ、湯になる。これも約束。怪我をすると痛い、これも約束。わたしたち約束の民は、ずっとずっと、この約束に従って生きてきた。これまでも、そしてこれからもそう生きる」


「…約束、ですか。では、物を食べると美味しいと感じることも、約束…。とても、ステキな概念ですね」


 リコリネは、感動したようにそう言った。


「…それで、ヒニアはどうして、その約束を果たせるかどうかが不安なのかな」


 ユディが優しく問いかけると、ヒニアロイカはそっとまつげを伏せた。


「…無い物ねだりを、わたしはやったことがない。マリージェンヌができるかどうか、あまり自信がない」


「…なるほど。言われてみれば、やろうと思ってできるようなことでもないような気もしますね」


 ヒニアロイカの悩みに、リコリネが同意を示す。


「じゃあヒニア、せっかく僕らが居るんだから、そこにたどり着くまでの間は、ずっと対話の練習をするっていうのはどうかな?」


 ヒニアロイカは、驚いたようにユディを見た。


「ユディ…一緒に来てくれるの?」


「うん、君の迷惑じゃなければ。さっきリコリネが言っていたけど、僕も素敵な話だと思ったからね。だって約束っていうのは、一人じゃできないことだから。君の一族は、とても真剣に世界と繋がろうとしているんだなって思ったからさ。その手伝いができるのなら、光栄と言う他ない」


 ヒニアロイカは、ただただ目を見開いた。


「…ユディこそ、ステキな考え方をする。わたしはずっと、当たり前だと思っていたから、そのように考えたことは、一度もない」


「じゃあ、決まりかな。実は、本人の前じゃとてもじゃないけど言えないことなんだけどね、無い物ねだりというか、そういうのが上手そうな人物に、一人だけ心当たりがあって。たぶん、それなりのアドバイスができると思うんだ」


「主、ギュギュ殿に失礼でしょう」


「今あえて名前を言ってなかったはずなんだけど!?」


 ユディとリコリネのやり取りに、ヒニアロイカは口元に手を当てて、ささやかに笑った。


「ユディ、少しの間になるけれど、よろしくお願いします」


「…こちらこそ」


 目的の小屋はそこまで遠くもなく、明日の夜までにたどり着けばいいということなので、ユディたちは早めに野営地を見つけて、その日を『マリージェンヌ』の練習に費やした。

 面白かったのは、ヒニアロイカの祝福の使い方だ。


 野営では、ヒニアロイカの大鍋が活躍し、近くの川でリコリネが水を汲んでくる。

 お茶を作ろうという段階になって、火を焚く必要はない、とヒニアロイカが言い出した。

 ユディたちは不思議に思いながら、言われた通りにお茶の葉を鍋の水の中に放り込むだけにする。

 ヒニアロイカは、そっと指先を鍋のふちに当てて、ぶつぶつと何かを呟き始めた。


「―――ぐつぐつ、ぐつぐつ、ぐつぐつ、ぐつぐつ」


 何度目かの呟きの後、ヒニアロイカの周囲を、ふわりと緑の燐光が舞い上がる。

 すぐに水からあぶくが立ち、ぐらぐらと湯気を上げて揺れ始めた。


「! すごいな、こんな音の使い方があるなんて」

「ええ、素晴らしい」


 ユディとリコリネが感動してそう言うと、ヒニアロイカは、いつもの眠たげな瞳のまま、ほのかに照れている。


「手伝ってもらうのだから、役に立つのは、当たり前」


「…ありがとう、ヒニア。助かったよ」


 お互いに笑みを深め、ほのぼのと時間を過ごしていく中で。

 リコリネが、ふと問いかける。


「ヒニア殿、明日の夜とおっしゃっていましたが、何か意味があるのでしょうか?」


「…ある。明日は、動く月が翠玉色になる日。夜の紫紺と、昼の翡翠が、空に同時に存在する日。それが、約束の日」


「へええ、何か理由があるの?」


 ユディの言葉に、ヒニアロイカはそっと首をかたむけた。


「わからない。約束だから、従うだけ」


「ヒニア殿は、理由がわからずとも動ける方なのですね。私はそういったことの背景事情などが気になってしまうタチです」


 リコリネの言葉に、ヒニアロイカは頷いた。


「それも、気持ちはわかる。でも、ずっとずっと昔の、古い約束だから、そういうものは、失われたのだと思う。けれど、わたしたちは、約束の民。約束とは、破られるものでもある。今、世界のどこかで、誰かの約束が破られているかもしれない。だから、わたしたちだけは、約束を守り続けなければならない。わたしたちが不変でいることで、世界を支える一助になれるのかもしれないのだから」


「それは…まるで、祈りみたいだね」


「……祈り……」


 ユディの言葉を、ヒニアロイカはただぽつりと繰り返した。


「…ユディは不思議なひと。初めての角度からの言葉なのに、とてもしっくりくるものをくれる。そうか。わたしたちは、ただただ、ずっとずっと、祈っていたのね」


 ヒニアロイカは、そっと空を見上げる。

 動く月が、登り行く途中だった。


「なぜだろう、泣きたくなった」


 そうしてヒニアロイカは、何かを我慢するかのように、口をつぐんだ。


 ユディたちは、邪魔をしないように黙り込み、一緒に空を見上げる。

 その時、ユディは気づいた。


「…あれ。久々にじっくり見たけど、動かない月って、こっちの大陸で見ると、大きく見えるんだね」


「…? 言われてみれば、そうですね。私が居た硬の大陸よりは、格段に大きく見えます。私たちが近づいているのでしょうね」


 リコリネも同意を示した。

 ヒニアロイカは、少し驚いている。


「…わたしは、この大陸から出たことがないから、わからなかった。ではあの動かない月は、ずっと同じ場所に浮いているのね」


「そう…なるね。それも、約束だったりするのかな……」


 ふと口を突いて出た言葉に、ユディは自分で驚いた。

 誰も、答えを持っていない。

 そこからじっと黙り込んで、空を見上げながら、夜を過ごした。



-------------------------------------------



「ユディ、ユディ、もっと話を聞かせて?」


 道中ずっと、ヒニアロイカはユディにまつわりつくように話しかけ続ける。


「ええ…? いいけど、どんな話が聞きたい?」


「じゃあ、ユディが不思議だと思ったこと、聞かせて?」


「そうだなあ…。ヒニアの思っている不思議とは、少し違うかもしれないんだけどさ。街に居て、買い出しに出たら、たまにセールとかで、大安売りになっていることがあるんだ」


「うんうん、ある。わたしもたまに街に出るから、知っている」


「そう、その時にさ。主婦の人とかが、同じものを、ものすごくたくさん買っていてね。つまり、買い溜めだ」


「うん。でもそれは、普通の話」


「そうなんだ。それが、普通なんだな…っていうのが、なんだか不思議で。だって、消耗品をたくさん買うってことは、それを消費しきるまで、自分が生きているビジョンがあるからじゃないのかな。明日何が起こるのかもわからないのに。それでも、先のことを考えて、疑いもせずに、買い溜めをする。それが、なんだろう…あれが平和ってことなんだろうなあ…って、そう思った。だから僕は、あの光景を不思議だと思いつつも、とても好きなんだ」


「……すごい、考えてもみなかった。やっぱりユディはすごい。面白い」


「…ふふ、主、すっかり懐かれてしまいましたね」


 リコリネは、微笑ましげに二人を見守りながら、傍らを歩く。

 ヒニアロイカは、静かに首を振った。


「これは、仕方がない。音の祝福を受けた者同士が集うと、『共鳴』のような状態になり、惹かれやすくなる。だから、音の祝福を得た人たちは、大体仲がいい」


「えっ、それは初耳だな…」


 思わずユディがそう零すと、ヒニアロイカは、眠たげな眼のまま微笑んだ。


「約束の民は、古い民。今では失われてしまったような知識も、わたしたちは大事に残している」


「ヒニア殿は面白い知識をご存じなのですね。ちなみに、力の精霊はどのような感じでしょうか?」


「力の精霊の祝福を受けた者は、相手との力関係に、少しだけ敏感になる。だから、自分を大きく見せようと、豪胆にふるまう人が多い。リコリネみたいに清楚で慎ましいひとは、珍しい」


「…褒められてしまいました。照れてしまいますね。確かに、強者に惹かれる部分が、自分の中にあります。しかしそうなると、精霊の祝福の性格判断占いは、そう的外れではないのですね。少なからず精霊様の影響を受けてしまう…というのは、恐ろしくもありますが」


 じっと考え込んでいたユディが、口を開いた。


「ヒニアは本当に知らない知識をたくさん持っているんだね。……じゃあ、ちょっと質問してもいいかな?」


「もちろん。どうぞユディ」


「ヒニアは、妖精について、どこまで知っている?」


「……どこまで……」


 ヒニアロイカは、悩むように、一度視線を前へとやる。


「街で流行っている物語には、色々な種族が出てくる。けれど、わたしたちは、それらが実在しないことを知っているのに、妖精は居ると思っている。リコリネ、そもそも妖精というものを、どう思っている?」


 唐突に話を振られたリコリネは、しかし淀みなく答える。


「私はこう思っています。『精霊が居るのだから、妖精が居て当たり前だ』と」


 ヒニアロイカは、満足げに頷いた。


「そう。多くの人は、そういった認識。ユディ、少し考えてみて。この世界の主だった通貨は、銅貨、銀貨、金貨の三つ。これが、銅貨と、金貨しかなければ、どう思う?」


「とても不便だなと思う。お釣りの量が半端なくなるし、硬貨袋だって重たくなって、旅人の僕たちにはとても過ごしにくい世の中になるだろうね」


「そう。世の中で、誰かが不便だと感じている限り、たとえ銀貨じゃなくても、それに代わる役割のものは必ず生まれる。つまり、それと同じ。金貨を精霊様、銅貨を人間だと思ってみて?」


 ヒニアロイカの言葉に、リコリネはフルフェイスの頤に手をやり、考え込む。


「銀貨の役割が妖精…ということですか」


「そう。人間と精霊の間を取り持つために、大精霊様が妖精を生み出した、と考えられている。けれど今の世界は、何らかの理由で、妖精が結界の中に引っ込んでしまった。だから昨今の人間は、昔よりも、精霊の祝福を受けられる量が、とても少ない」


「…知らなかったな、そんな感じなのか…。じゃあヒニア、もし一人の妖精がその結界の外に出てしまったら、どうなるかわかる?」


 ユディの問いと同時に、余計なことを聞くなとばかりに、胸ポケットの中からドンと叩かれる衝撃がする。

 ヒニアロイカは、少し考えるような間を空けた。


「…わからない。ただ、精霊と、人間の間の関係を断たなければならない、と、誰かが判断したのであれば。それはとても重要な意味合いを持つのかもしれない。でも、例えばわたしたち人間で考えてみても、村から一人だけ外に出て、その人が街に行ってしまったとして、大した意味を持つとは思えない。イチとは、そういう数字」


「あ…違うんだ、世界がどうなるかじゃなくて、妖精に何か悪い影響とか、いてっ、いてて! な、なんでもない…!」


 急に胸を押さえて痛がるユディに、ヒニアロイカは首をかたむけた。

 助け舟を出すように、リコリネがさりげなく話題を変える。


「そうなりますと、妖精が傍に居ると、精霊様の存在を感じやすくなるということでしょうか?」


「理論的には、そうなる。きっと、長い時間を共にしないと、わからないことだろうけれど」


   ガサガサガサッ!


 荒々しい茂みの物音で、会話が中断される。

 ユディは精霊道具の本を手に、さっとヒニアロイカを庇うように前に出ると、リコリネはその隣で大槌の柄に手をかける。

 すぐに、ヒニアロイカは鋭く言葉を発した。


「大きな質量に、土が踏みしめられる音。―――万力カバだ」

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