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モノガリのユディ  作者: ササユリ ナツナ
第二章 ふたりめ
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14もみじ

「主、その女性とファルファド殿を連れて家の中へ! 私には手当てができません!」


 すべてを理解したリコリネが、背負っていた大槌を抜き放ち、ゴウ少年に襲い掛かった。


「く…! それが最善手か、わかった、気を付けて!」


 ユディは、加勢ができないことを悔しく思いながら、ファルファドと怪我をした女性の手を引いて、ファルファドの家の中へと無理やり連れて行く。


   ズガアアンッ!!


 リコリネの一撃は、地面にクレーターを作りあげた。

 ゴウは、大きく後ろに跳んで、危なげなくそれをかわす。


「ねーちゃん、邪魔すんなよ! だいたいガキ相手にそんなデカブツ振り回して、恥ずかしくねーの?」


「これは異なことを。格上相手に手を抜けとは、ナンセンスも甚だしい」


「…へへっ、油断しねーのな。やだやだ、手強い邪魔者って、笑えねーっての」


「それはこちらのセリフだ。あなたのような小柄な相手を戦闘シミュレーションに浮かべたことは一度もない。大振りな一撃しか生み出せない私の不利を、私は確信している」


「…ふふん? それ、負けた時の言い訳? ダッセーの!」


 ゴウは遊ぶように、一度空中へと短刀を放り、くるりと宙返りさせるようにして持ち直す。

 リコリネはもう一度大槌を構えて、ゴウに向けて突進をした。


   ドンッ!!


 踏み込みだけで、削れた地面が背後に跳ねる。

 ほとんど弾丸を思わせる動きで、リコリネはゴウへ向かい、大槌の横薙ぎをその胴へと叩きつけようとした。


 だが、ヂッ、と、髪を掠めるような音がしただけ。

 ゴウの小柄な体は、しゃがみ込むだけで、その一撃をかわすことができた。


「ジャーンプ!」


 そこから、バネを利用しての飛び上がり。

 ゴウは、リコリネの全身鎧の脇に沿い、短刀を滑らせた。

 通常ならば、金属がこすりあうような、不快な音が響くのだろう。

 だが、何の音も響かない。


   パッ!


 代わりに、数枚のモミジが、空に舞い上がる。

 ゴウの短刀は、鎧をすり抜けて、リコリネの肌を傷つけたのだ。


「リコリネ!!?」


 村の女性を治療しているユディの、焦ったような声が背後から響き、リコリネは慌てて言葉を被せた。


「主はそのままそこへ! このような刺激の強い光景、過呼吸を起こす可能性があります! その時、私には対処ができない!」


 主語が抜けていたため、ユディには何のことか、一瞬わからなかった。

 だが、すぐにファルファド夫妻に目を向ける。


「ファルファドさん、奥さん、見ない方がいい…!」

「しかし…!」


 窓が開いたままの家の中からゴタつく声がするが、もうリコリネはそれに構っている余裕はない。

 隣を過ぎた姿を振り返り、ゴウだけを見据える。


「…なるほど。あなたが、この世の理が通じないモノオモイだとわかっていなければ、その飾太刀をどれほどの業物かと思っていたことだろう。しかし、私のこの武器も、鎧も、オーダーメイドの特注品だと、あらかじめ伝えておこうか」


「バッカじゃねーの、それが何だって? ねーちゃんには勝てっこないんだよ。わかったら、さっさと邪魔をやめてくれよ。おれは、大好きなじーさんとばーさんに、キレイな景色を見せたいだけなんだ。紺碧に舞う赤い葉! ああ、空が青かったら、完璧だったのに!」


「……青い空の世界……か。…あなただけが美しいと思う景色を、勝手に相手に押しつけるものではない」


「なんで? 何ならいい? じゃあ、歌だ! キレイな歌だって、あるんだぜ。聞かせてやるよ、じーさん、ばーさん!」


 今度はこちらの番だとばかりに、ゴウはリコリネへと、トンと一歩を踏み出した。


   ♪秋の夕日に 照る山紅葉、


 澄んだボーイソプラノが響き渡る。

 パ、とまた数枚のモミジが舞い散った。

 リコリネは、微動だにしない。

 大槌を杖のように地面についたまま、ゴウのことなどどこ吹く風のようだった。


   ♪濃いも薄いも 数ある中に、


「離してくだされユディさん、優しい子なんです、話せばわかる…!」

「ダメですファルファドさん! これで油断してあなたに何かがあれば、悔やんでも悔やみきれない、ここでじっとして!」


   ♪松をいろどる 楓や蔦は、


「リコリネ、リコリネ、どうして動かないんだ!」


   ♪山のふもとの 裾模様―――


 また数枚のモミジを引き連れて、ゴウはトンと着地を決めた。

 微動だにしないリコリネを振り返る。


「ねーちゃん、もう反撃はないのか? だったら、さっさと、そこを、どけよ」


 リコリネは、ふ、と、鼻で笑うような音を出した。


「いちいち小虫が肌を刺したところで。それに構っていられるほど、私は暇ではない」


 ぴくりと、ゴウの片眉が、わかりやすく動いた。


「……死にたいわけ?」


「馬鹿を言う。あなたはとっくに、村人からそのモミジを引き出しつくし、殺めてきていたのだろう。何を今更躊躇うのか。いや、…それは躊躇いではないな。私を怖がっている証拠だ」


「………。いいぜ。その挑発、乗ってやるよ。その鼻っ柱、粉々に砕いてやる」


 スと、ゴウは短刀を、突きの形に構えた。

 リコリネも、ようやく構える。

 ガシャリと全身鎧の動く音。

 両足を広げ、どっしりと振りかぶられる大槌。


「ゴウ、もうやめて! あなたが傷つくのも、傷つけられるのも、見たくないのに!」


 老婆の悲鳴のような懇願も、今は誰にも届かなかった。


 それを合図にするかのように、ゴウは走り出す。

 迎え撃つリコリネは、狙いをゴウの短刀につけて。


   ガチイイインッ!!


 今度こそ、金属音が鳴る。

 どう見ても小ぶりである短刀は、軽々と大槌を受け止めていた。

 ゴウは、にやりと顔を歪める。


「これで砕けると思ってたんだろ? ざんねんでした、ビクともしませーん!」


「わかっていた、と言ったら?」


 カチリと、場にそぐわぬ小さな音が響いた。

 リコリネは、するりと一歩を踏み出す。

 同時に、大槌の、ハンマー部分が、ゴトリと落ちた。


「―――?」


 ゴウは、急に無くなった手応えに、ハテナを浮かべる。

 なぜか、リコリネの手には、鍔のない刀が握りしめられている。

 いや、よく見ればそれは、ハンマーの柄の部分だ。

 リコリネが、何の抵抗もなくゴウの隣を通りすぎた時には、ゴウは袈裟に切り裂かれていた。


「これぞ、ご老公の仕込み杖を参考にした、仕込みハンマーです。言ったでしょう、特注品だと」


「あ……」


 ゴウは、切り裂かれた体を抑え、膝をついた。

 ビシリと、硬質な音がする。


「ゴウ…!!」

「あ、ダメですお婆さん!」


 ファルファドの体を抑えつけていたユディの隣を、足が弱ったはずだった老婆がまろび出て行く。

 老婆は勢いよく扉を開けて、ゴウの傍に駆け寄り、膝をついた。


「ばーさん……なんだよ、動けるようになったのか……よかったな……」


 ゴウの体には、亀裂のようなヒビが入ってはいるが、血の一滴も出てこない。

 しかし老婆は構うことなく、ゴウの体を抱きしめた。


「ゴウ…! なんてこと…!!」

「ゴウ!」


 ファルファドが、遅れて駆け寄ってくる。

 ユディは、もう安全と判断し、見守るようにファルファドの後ろに立った。


「ゴウや……こんなことを、せずともよかったんじゃ…。わしらには、お前が傍に居てくれるだけで……!」


「……でもさ、それでも、伝えたかったんだ…。大好きだって…ずっと、ずっと、いろんな方法で。おれ、なんにも持ってなかったから…」


「そんなこと、いいのよ…! わたしたち、もうたくさん、ゴウから貰っていたのよ…!」


 ファルファド夫妻は、一緒になってゴウを抱きしめる。

 ゴウは、ぐったりとしながら、ほのかに笑った。


「そか……じゃあ、おれ、間違えてたんだな……。ばーさん、じーさん、もう、泣くなよ。ムスコってやつが帰ってこなくても、おれがいるって、…今からそう言っても、遅くない……?」


「ああ、ゴウ、ゴウ…!!」

「ゴウ、もちろんじゃ…!!」


「へへ……うれしいや。じゃあな……二人で、前向いて……生きろよ……」


「いやよ、いやよゴウ!! もっとたくさんお話しましょう…!」

「ゴウ、まだじゃ、もっとたくさん笑って、歌を聞かせておくれ…!」


「…なんだよ、歌……気に入ったのか……いいぜ、歌ってやるよ……」


 しだいにゴウは、淡く光り始める。

 ぽつ、ぽつんと、水の中であぶくが立つかのように、ゴウの体から、光の粒子が舞い始めた。


   ♪たにのながれに、散り浮くモミジ……


 力のない、澄んだボーイソプラノ。

 ゴウは、ここではないどこかを見るかのように、空を見上げている。

 ファルファド夫妻は、ひとことも聞き漏らさないようにと、必死に嗚咽をこらえた。


   ♪波にゆられて、離れて寄って……


 次第に、ゴウの体が透けていく。

 ピシリ、ピシリと、体に刻まれた亀裂がどんどん広がっていった。

 村中に散らばっていた、赤い葉っぱたちも、存在がほどけていくように、淡く消えていく。

 夢の終わり。


   ♪赤や黄色の、色さまざまに……


 カラン、とゴウの姿が無くなると同時に、地面に何かが落ちた。

 それは、ゴウが握りしめていた飾太刀。

 美しく刻まれた細工、しなるように反った細い刀身。


   ♪水の上にも、織る錦―――


 歌の終わりと同時に、パキンと刀身が、中ほどから二つに割れ砕けた。

 ファルファド夫妻は、胸がつぶれてしまいそうな顔で、それを見届ける。


「ゴウ…!!」

「これは……。ペーパーナイフ……? どこへ行ったかと思うておったが……」


 ファルファドは、震える手で、壊れてしまったナイフを拾い上げる。


「ああぁああ…っ!!」


 ファルファド夫人は、溜まらずに泣き出した。


「………」


 ユディは、何と声をかけていいものか、わからなかった。

 だがリコリネが、静かに片膝をついて、ファルファド夫妻を見る。


「……このような手段しか取れず、申し訳ありませんでした。ご婦人、私はリコリネと申します。どうぞ、恨んでいただいて構いません」


「リコリネさん、何を言うんじゃ…! あんたこそ、子供を手にかけるなど、つらかったじゃろうて…!」


 ファルファドは、強く咎めるように、首を振った。

 しかしリコリネは、じっと夫人の方を見て、言葉を待っている。


 やがて、ファルファド夫人は、呼吸を整えてから、リコリネに弱弱しく笑いかけた。


「リコリネさん…。いいんです。今回のこと……、卑怯に思われるかもしれませんが……誰のせいでもない、と、そう思わせてくださいな…。あなたを責めるためには、私は、私たちのために動いてくれたゴウの優しさを、まず責めなければならなくなるからです」


「……そうですか。承知いたしました」


 リコリネは淡々とそう述べると、立ち上がって大槌を仕舞い始める。

 ユディは、ハっとして、リコリネに駆け寄った。


「リコリネ、怪我は!」


「大丈夫です。所詮は短刀、突きでなければ、致命傷はありません。傷は多いだけで、浅い。あのモノオモイは、あくまでも夫妻にモミジを見せるために動いており、私を殺すことが目的ではなかったからです。とはいえ、無茶な戦い方ができたのは、主の能力をアテにしたからに他なりません。しかし、あの者を弱らせて、主に竜の夢を還していただくことは叶いませんでした。勝手をしましたこと、お詫び申し上げます」


「そんなことはいい! 君が無事でいる方が大事だ。今すぐに治そう」


 ユディは、急いで精霊道具の本をパラリとめくる。

 その時、胸ポケットから、妖精の焦った声が、小さく響いた。


「ご主人サマ、大変です~~…!」


「リルハープ、どうしたって?」


 ユディもリコリネも、ハっとして胸ポケットに目を向ける。


「たくさんの、高ぶった感情の匂いが、あっちの方から来ています~~! この一糸乱れぬ規則正しい感じは、おそらく、騎士の編隊でしょう~~!」


「あっちは…。流通都市の方角だ」


 ユディの表情がこわばった。

 リコリネが頷く。


「では、ようやくこの村に援護が来たのですね。相変わらず、腰が重い動きです。となると、主、我々はここを離れた方がいいでしょう。モノガリだとバレてしまいます。私の治療は後からでも十分持ちます」


「…わかった。ファルファドさん、すみません、忙しない話になりますが、僕らはすぐにここを出なければならなくなりました」


「お、おお、ユディさん、そうですか、なんとお礼を言ってよいやら…!」


「…いえ。胸を張って『よかった、これで解決ですね』と言えたらいいのですが……」


「そうか……。そうじゃな……。じゃが、前を向いて生きろと、あの子はそう言った。きちんとそれができるかどうかはわからんが、ユディさん、どうぞ、この件に関しては、あなたも前向きにとらえてくだされ…。それがあの子の願いなのじゃから…」


「…わかりました」


 ユディは一度、呼吸を整えてから、改めてファルファドに向き直る。


「ファルファドさん、ひとつお願いがあります。しばらくして、ここへ騎士団がやってくるでしょう。今回の事件は、モノオモイの存在無くしては説明が不可能ですが、僕自身はモノガリである事実を隠したい。よろしければ、僕のことは『名前も顔も知らない、通りすがりのフードの男一人だった』と証言していただけないでしょうか?」


「おうおう、何か事情がおありなんじゃな、そのくらい構わんよ…。そういう話なら、立ち去った方角も偽ろう。さあ、早く行きなされ…」


「では、失礼します」


 ユディは、お互いを支え合うファルファド夫妻に頭を下げると、すぐに身をひるがえして走り出す。

 その少し後ろを、リコリネの鎧の音が、ガシャガシャとついてくる。


「リルハープ、森を通りたい! 案内を!」


「わかりました~~っ、とりあえず、心持ち右寄りにまっすぐ走ってください~~!」


「これは…燃えますね。逃亡生活のようです。『地上最強の騎士』でもあった展開です」


「リコリネが楽しそうで何よりだよ………」


 そう言いながらも、リコリネに余裕が見られるので、ユディはほっと一息をついた。

 やはり、どうしたって、自分ではない誰かに心を救われる。

 ファルファド夫妻にとって、ゴウがそうであったのなら…。

 そう考え始めて、ユディは慌てて思考を振り払う。

 前向きに、と考え直しながら、先行き不明の道を走り続けた。



 ファルファドは、ユディたちの背が見えなくなるまで、妻の手を握り続ける。


「ジャン…。ジャンティオール…。どうか、強く生きようとするわしらのことを、精霊様の御許みもとで見守っていておくれ……」


 久しぶりに口にした息子の名は、とても懐かしい響きを持っていた。



-------------------------------------------



「どう? リコリネ」


 森の川辺にて。

 夕暮れの中、音の祝福をかけ終えて、ユディはリコリネを窺う。

 リコリネは、手を振ってみたり、軽く体を動かして、調子を確認している。


「…はい。さすが主ですね、すっかり治りました」


 ユディは、ほー…と長く、安堵の息を吐いた。


「よかった…本当に、何事も無くて。君はすぐに我慢をするから……見ているほうは気が気じゃないよ」

「同感です~~っ」


 久しぶりに胸ポケットの中から解放されたリルハープは、のびのびと宙を舞ってから、リコリネの肩にふわりと降り立つ。

 リコリネは、萎縮するように俯いた。


「…申し訳ありません。性分のようです。ですが、今日はここから休むだけですので、明日には全快していると思われます」


「だとするなら、今日は君の見張りは無しだからね。僕が起きているから、ちゃんと寝るんだよ?」


「……は。かしこまりました」


 リコリネは、しゅんとしている。


「ですが、ここからどうしますか~~?」


 リルハープが、話を変えるようにユディを窺う。


「うーーん…難しい所だと思う。ほとぼりが冷めるまで森の中に居るのが一番いい気がするけど、そもそもモノガリが権力争いの切り札にされる、という思考自体が、ウェイスノーさんの考えすぎなんじゃないかと思う部分もあるし……」


「慎重を期すのは悪いことではない気もするのですが~~」


「…あの」


 ユディとリルハープの会話に、リコリネが申し訳なく口を挟む。


「どうしたの、リコリネ?」


「いえ。先の話をする前に、私は主に報告をしなければならないことができました。そうでないと、また忘れてしまいそうで。…以前私が、主にお伝えする話があるような気がしている、と申し上げたことを覚えていますか?」


「ああ、うんうん、思い出したんだ?」


「はい。実は今日、ゴウ殿の言葉を聞いて、思い出しました」


「……モノオモイの? なんだろう…」


 リコリネは、背筋を伸ばすように座り直した。


「考えすぎだと一蹴されても構わないことですが、やはり伝えておきます。…私は、今日、ゴウ殿が言った光景を、知っていたのです。『紺碧の空に舞う、赤い葉』を」


「ど、どういうことですかリコリネ~~?」


 リルハープが、戸惑ったような表情を浮かべている。


「…いえ。正しくは、『読んだことがある』のです。先日お話しした、『暴れん坊・ミート拷問ゴーモン』で」


「そんなタイトルの本でしたか~~!?」


「失礼しました。こちらはサブタイトルでしたね。ファラウェイ・マウンテンのゴールドさんです」


 リルハープの動揺にも揺るがず、リコリネは淡々と語り続ける。


「言ってしまえば、ただの描写なのですが。偶然にしては、少し引っかかりを感じていました。青い空だけならば、偶然もあったでしょう。しかし、本日目にした光景は、どう考えても……」


 ひどく難しい顔で、ユディは熟考を始める。


「……もし、その本の内容が、例の『天啓』でもたらされたものだと仮定をするならば。竜の見ている夢と、人間が見ている夢が、リンクを始めている……?」


 リコリネは、慎重に頷いた。


「結論付けるには早いですが、私にはそう思えます。そして、だとするならば。もう、かなり前の段階から、竜の夢が、この世界に染み出していることになる。主、ひょっとしたらこの世界は、もうとっくの昔から、正常さを欠いていたのかもしれません」


「……ぞっとしない話だ」


 ユディは、深刻な顔でそう述べた。


「あ……」


 その時、リルハープが、ハっとしたように口元に手を当てる。


「リルハープ?」


「……いえ。もし、そうなら……。もし、ずっとずっと前から、それが始まっていたのなら、と考えますと~~……。リルちゃん、ひとつだけ、心当たりがあるのです~~…」


「聞かせて欲しい」


「はい~~…。ご主人サマには、妖精の結界のことを話すのは初めてですよね~~。実は、リルちゃんが生まれるよりもずーっと昔は、結界なんて張られていなかったようなのです~~。ですがある日、妖精の女王サマが、森の中に結界を張られたとか~~…。誰も、その理由は知らなかったのですが~~……」


「な……。リルハープ、じゃあ、その結界から出た君はどうなるんだ!? なんともない!?」


「だ、大丈夫です~~、今のところはなんともありません~~…!」


 ユディのあまりの剣幕に、リルハープはわたわたと慌てて答えた。


「……いえ。リルハープ殿、言いにくいのですが、それは違うでしょう」


 リコリネの言葉に、ユディとリルハープは、驚いた様にそちらを見る。


「お二人とも、三年を共にしていらっしゃるので、些細な変化には気づかないのだと思われます。ですが、リルハープ殿。あなたは私が知るよりも、ほんの少しだけ、眠りにつく回数が増えていらっしゃいます。おそらく、ほんの少しだけ、疲れやすくなっているのではないかと」


「! リルハープ、結界の場所は!?」


 ユディは、蒼白と言っても過言ではない表情で、リルハープに詰め寄った。


「なっ、だ、大丈夫ですったら~~! リルちゃん、もうあんな退屈なところには戻りたくないです~~! 絶対に言いませんよ~~!」


 リルハープは、ぴゃーっと飛び上がって、木の枝の上に隠れた。

 リコリネは、ユディの肩に手を置き、宥めるように声をかける。


「主、落ち着いてください。もうリルハープ殿が結界を出て何年も経つのです、今すぐにどうこうという話ではないでしょう。我々で適切にリルハープ殿を気遣っていけば、今まで通りで大丈夫と思われます。そもそも、本人が嫌がっているのですから、無理強いはよくありません。…ね?」


 ユディは、ゆっくりと座り直す。


「そう……だね。ごめんリルハープ、焦ってしまった……」


 額に手を当てて俯くユディの方へ、リルハープはひらひらと降りてくる。


「まったくもう~~、ご主人サマはリルちゃんが好きすぎます~~! 仕方がないお人ですね~~! とはいえ、リルちゃんも不必要な情報を流してしまったのかもしれません~~、心にとどめておくべきでした~~」


 リコリネは、静かに首を振った。


「いえ。結論には程遠いですが、それでも判断材料は多いに越したことはありません。今は、まだ情報を集めている段階ですし、リルハープ殿のご判断は決して間違ってはいないでしょう。…しかし、結論が出たからと言って、どうなるという話でもないような気もしますね。どの道我々は、モノノリュウを倒しに行くしかないのですから」


「…そうですね~~。それでは、今日の所はもう、水浴びをして眠りましょうか~~。さあ、ご主人サマは、キリキリ食事の準備をしていてください~~。リルちゃんも心配される前に寝ますから~~」


 リルハープはサクサクと指示すると、さっさと水浴びできる場所へと、リコリネを誘導していく。

 ユディは、困ったような顔で笑った。


「わかった。それじゃ今後の予定は、明日までに考えてみるよ」


「はい。それでは主、鎧を綺麗にしてまいります」


「そこは体でいいと思うよ…」


 リコリネは立ち上がると、一礼してリルハープの後をついていく。



 食事の準備をしながら、もし…と、ユディは思う。

 もし、この世界の今の現状が、竜の夢にもたらされたものならば。

 本来なら、この世界は、どのような形で発展を遂げていたのだろうか。

 ゆがめられていない世界もまた、美しかったのだろうか。

 今でさえ、こんなに美しいのに。


 明かり雪が降り終わった空を見上げる。

 紫紺の夜がやってくる。

 目の前を、枝から離れた葉っぱが一枚、ひらりと横切った。

 それは、どうしたって、瑠璃色以外のなにものでもなかった。

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