14もみじ
「主、その女性とファルファド殿を連れて家の中へ! 私には手当てができません!」
すべてを理解したリコリネが、背負っていた大槌を抜き放ち、ゴウ少年に襲い掛かった。
「く…! それが最善手か、わかった、気を付けて!」
ユディは、加勢ができないことを悔しく思いながら、ファルファドと怪我をした女性の手を引いて、ファルファドの家の中へと無理やり連れて行く。
ズガアアンッ!!
リコリネの一撃は、地面にクレーターを作りあげた。
ゴウは、大きく後ろに跳んで、危なげなくそれをかわす。
「ねーちゃん、邪魔すんなよ! だいたいガキ相手にそんなデカブツ振り回して、恥ずかしくねーの?」
「これは異なことを。格上相手に手を抜けとは、ナンセンスも甚だしい」
「…へへっ、油断しねーのな。やだやだ、手強い邪魔者って、笑えねーっての」
「それはこちらのセリフだ。あなたのような小柄な相手を戦闘シミュレーションに浮かべたことは一度もない。大振りな一撃しか生み出せない私の不利を、私は確信している」
「…ふふん? それ、負けた時の言い訳? ダッセーの!」
ゴウは遊ぶように、一度空中へと短刀を放り、くるりと宙返りさせるようにして持ち直す。
リコリネはもう一度大槌を構えて、ゴウに向けて突進をした。
ドンッ!!
踏み込みだけで、削れた地面が背後に跳ねる。
ほとんど弾丸を思わせる動きで、リコリネはゴウへ向かい、大槌の横薙ぎをその胴へと叩きつけようとした。
だが、ヂッ、と、髪を掠めるような音がしただけ。
ゴウの小柄な体は、しゃがみ込むだけで、その一撃をかわすことができた。
「ジャーンプ!」
そこから、バネを利用しての飛び上がり。
ゴウは、リコリネの全身鎧の脇に沿い、短刀を滑らせた。
通常ならば、金属がこすりあうような、不快な音が響くのだろう。
だが、何の音も響かない。
パッ!
代わりに、数枚のモミジが、空に舞い上がる。
ゴウの短刀は、鎧をすり抜けて、リコリネの肌を傷つけたのだ。
「リコリネ!!?」
村の女性を治療しているユディの、焦ったような声が背後から響き、リコリネは慌てて言葉を被せた。
「主はそのままそこへ! このような刺激の強い光景、過呼吸を起こす可能性があります! その時、私には対処ができない!」
主語が抜けていたため、ユディには何のことか、一瞬わからなかった。
だが、すぐにファルファド夫妻に目を向ける。
「ファルファドさん、奥さん、見ない方がいい…!」
「しかし…!」
窓が開いたままの家の中からゴタつく声がするが、もうリコリネはそれに構っている余裕はない。
隣を過ぎた姿を振り返り、ゴウだけを見据える。
「…なるほど。あなたが、この世の理が通じないモノオモイだとわかっていなければ、その飾太刀をどれほどの業物かと思っていたことだろう。しかし、私のこの武器も、鎧も、オーダーメイドの特注品だと、あらかじめ伝えておこうか」
「バッカじゃねーの、それが何だって? ねーちゃんには勝てっこないんだよ。わかったら、さっさと邪魔をやめてくれよ。おれは、大好きなじーさんとばーさんに、キレイな景色を見せたいだけなんだ。紺碧に舞う赤い葉! ああ、空が青かったら、完璧だったのに!」
「……青い空の世界……か。…あなただけが美しいと思う景色を、勝手に相手に押しつけるものではない」
「なんで? 何ならいい? じゃあ、歌だ! キレイな歌だって、あるんだぜ。聞かせてやるよ、じーさん、ばーさん!」
今度はこちらの番だとばかりに、ゴウはリコリネへと、トンと一歩を踏み出した。
♪秋の夕日に 照る山紅葉、
澄んだボーイソプラノが響き渡る。
パ、とまた数枚のモミジが舞い散った。
リコリネは、微動だにしない。
大槌を杖のように地面についたまま、ゴウのことなどどこ吹く風のようだった。
♪濃いも薄いも 数ある中に、
「離してくだされユディさん、優しい子なんです、話せばわかる…!」
「ダメですファルファドさん! これで油断してあなたに何かがあれば、悔やんでも悔やみきれない、ここでじっとして!」
♪松をいろどる 楓や蔦は、
「リコリネ、リコリネ、どうして動かないんだ!」
♪山のふもとの 裾模様―――
また数枚のモミジを引き連れて、ゴウはトンと着地を決めた。
微動だにしないリコリネを振り返る。
「ねーちゃん、もう反撃はないのか? だったら、さっさと、そこを、どけよ」
リコリネは、ふ、と、鼻で笑うような音を出した。
「いちいち小虫が肌を刺したところで。それに構っていられるほど、私は暇ではない」
ぴくりと、ゴウの片眉が、わかりやすく動いた。
「……死にたいわけ?」
「馬鹿を言う。あなたはとっくに、村人からそのモミジを引き出しつくし、殺めてきていたのだろう。何を今更躊躇うのか。いや、…それは躊躇いではないな。私を怖がっている証拠だ」
「………。いいぜ。その挑発、乗ってやるよ。その鼻っ柱、粉々に砕いてやる」
スと、ゴウは短刀を、突きの形に構えた。
リコリネも、ようやく構える。
ガシャリと全身鎧の動く音。
両足を広げ、どっしりと振りかぶられる大槌。
「ゴウ、もうやめて! あなたが傷つくのも、傷つけられるのも、見たくないのに!」
老婆の悲鳴のような懇願も、今は誰にも届かなかった。
それを合図にするかのように、ゴウは走り出す。
迎え撃つリコリネは、狙いをゴウの短刀につけて。
ガチイイインッ!!
今度こそ、金属音が鳴る。
どう見ても小ぶりである短刀は、軽々と大槌を受け止めていた。
ゴウは、にやりと顔を歪める。
「これで砕けると思ってたんだろ? ざんねんでした、ビクともしませーん!」
「わかっていた、と言ったら?」
カチリと、場にそぐわぬ小さな音が響いた。
リコリネは、するりと一歩を踏み出す。
同時に、大槌の、ハンマー部分が、ゴトリと落ちた。
「―――?」
ゴウは、急に無くなった手応えに、ハテナを浮かべる。
なぜか、リコリネの手には、鍔のない刀が握りしめられている。
いや、よく見ればそれは、ハンマーの柄の部分だ。
リコリネが、何の抵抗もなくゴウの隣を通りすぎた時には、ゴウは袈裟に切り裂かれていた。
「これぞ、ご老公の仕込み杖を参考にした、仕込みハンマーです。言ったでしょう、特注品だと」
「あ……」
ゴウは、切り裂かれた体を抑え、膝をついた。
ビシリと、硬質な音がする。
「ゴウ…!!」
「あ、ダメですお婆さん!」
ファルファドの体を抑えつけていたユディの隣を、足が弱ったはずだった老婆がまろび出て行く。
老婆は勢いよく扉を開けて、ゴウの傍に駆け寄り、膝をついた。
「ばーさん……なんだよ、動けるようになったのか……よかったな……」
ゴウの体には、亀裂のようなヒビが入ってはいるが、血の一滴も出てこない。
しかし老婆は構うことなく、ゴウの体を抱きしめた。
「ゴウ…! なんてこと…!!」
「ゴウ!」
ファルファドが、遅れて駆け寄ってくる。
ユディは、もう安全と判断し、見守るようにファルファドの後ろに立った。
「ゴウや……こんなことを、せずともよかったんじゃ…。わしらには、お前が傍に居てくれるだけで……!」
「……でもさ、それでも、伝えたかったんだ…。大好きだって…ずっと、ずっと、いろんな方法で。おれ、なんにも持ってなかったから…」
「そんなこと、いいのよ…! わたしたち、もうたくさん、ゴウから貰っていたのよ…!」
ファルファド夫妻は、一緒になってゴウを抱きしめる。
ゴウは、ぐったりとしながら、ほのかに笑った。
「そか……じゃあ、おれ、間違えてたんだな……。ばーさん、じーさん、もう、泣くなよ。ムスコってやつが帰ってこなくても、おれがいるって、…今からそう言っても、遅くない……?」
「ああ、ゴウ、ゴウ…!!」
「ゴウ、もちろんじゃ…!!」
「へへ……うれしいや。じゃあな……二人で、前向いて……生きろよ……」
「いやよ、いやよゴウ!! もっとたくさんお話しましょう…!」
「ゴウ、まだじゃ、もっとたくさん笑って、歌を聞かせておくれ…!」
「…なんだよ、歌……気に入ったのか……いいぜ、歌ってやるよ……」
しだいにゴウは、淡く光り始める。
ぽつ、ぽつんと、水の中であぶくが立つかのように、ゴウの体から、光の粒子が舞い始めた。
♪たにのながれに、散り浮くモミジ……
力のない、澄んだボーイソプラノ。
ゴウは、ここではないどこかを見るかのように、空を見上げている。
ファルファド夫妻は、ひとことも聞き漏らさないようにと、必死に嗚咽をこらえた。
♪波にゆられて、離れて寄って……
次第に、ゴウの体が透けていく。
ピシリ、ピシリと、体に刻まれた亀裂がどんどん広がっていった。
村中に散らばっていた、赤い葉っぱたちも、存在がほどけていくように、淡く消えていく。
夢の終わり。
♪赤や黄色の、色さまざまに……
カラン、とゴウの姿が無くなると同時に、地面に何かが落ちた。
それは、ゴウが握りしめていた飾太刀。
美しく刻まれた細工、しなるように反った細い刀身。
♪水の上にも、織る錦―――
歌の終わりと同時に、パキンと刀身が、中ほどから二つに割れ砕けた。
ファルファド夫妻は、胸がつぶれてしまいそうな顔で、それを見届ける。
「ゴウ…!!」
「これは……。ペーパーナイフ……? どこへ行ったかと思うておったが……」
ファルファドは、震える手で、壊れてしまったナイフを拾い上げる。
「ああぁああ…っ!!」
ファルファド夫人は、溜まらずに泣き出した。
「………」
ユディは、何と声をかけていいものか、わからなかった。
だがリコリネが、静かに片膝をついて、ファルファド夫妻を見る。
「……このような手段しか取れず、申し訳ありませんでした。ご婦人、私はリコリネと申します。どうぞ、恨んでいただいて構いません」
「リコリネさん、何を言うんじゃ…! あんたこそ、子供を手にかけるなど、つらかったじゃろうて…!」
ファルファドは、強く咎めるように、首を振った。
しかしリコリネは、じっと夫人の方を見て、言葉を待っている。
やがて、ファルファド夫人は、呼吸を整えてから、リコリネに弱弱しく笑いかけた。
「リコリネさん…。いいんです。今回のこと……、卑怯に思われるかもしれませんが……誰のせいでもない、と、そう思わせてくださいな…。あなたを責めるためには、私は、私たちのために動いてくれたゴウの優しさを、まず責めなければならなくなるからです」
「……そうですか。承知いたしました」
リコリネは淡々とそう述べると、立ち上がって大槌を仕舞い始める。
ユディは、ハっとして、リコリネに駆け寄った。
「リコリネ、怪我は!」
「大丈夫です。所詮は短刀、突きでなければ、致命傷はありません。傷は多いだけで、浅い。あのモノオモイは、あくまでも夫妻にモミジを見せるために動いており、私を殺すことが目的ではなかったからです。とはいえ、無茶な戦い方ができたのは、主の能力をアテにしたからに他なりません。しかし、あの者を弱らせて、主に竜の夢を還していただくことは叶いませんでした。勝手をしましたこと、お詫び申し上げます」
「そんなことはいい! 君が無事でいる方が大事だ。今すぐに治そう」
ユディは、急いで精霊道具の本をパラリとめくる。
その時、胸ポケットから、妖精の焦った声が、小さく響いた。
「ご主人サマ、大変です~~…!」
「リルハープ、どうしたって?」
ユディもリコリネも、ハっとして胸ポケットに目を向ける。
「たくさんの、高ぶった感情の匂いが、あっちの方から来ています~~! この一糸乱れぬ規則正しい感じは、おそらく、騎士の編隊でしょう~~!」
「あっちは…。流通都市の方角だ」
ユディの表情がこわばった。
リコリネが頷く。
「では、ようやくこの村に援護が来たのですね。相変わらず、腰が重い動きです。となると、主、我々はここを離れた方がいいでしょう。モノガリだとバレてしまいます。私の治療は後からでも十分持ちます」
「…わかった。ファルファドさん、すみません、忙しない話になりますが、僕らはすぐにここを出なければならなくなりました」
「お、おお、ユディさん、そうですか、なんとお礼を言ってよいやら…!」
「…いえ。胸を張って『よかった、これで解決ですね』と言えたらいいのですが……」
「そうか……。そうじゃな……。じゃが、前を向いて生きろと、あの子はそう言った。きちんとそれができるかどうかはわからんが、ユディさん、どうぞ、この件に関しては、あなたも前向きにとらえてくだされ…。それがあの子の願いなのじゃから…」
「…わかりました」
ユディは一度、呼吸を整えてから、改めてファルファドに向き直る。
「ファルファドさん、ひとつお願いがあります。しばらくして、ここへ騎士団がやってくるでしょう。今回の事件は、モノオモイの存在無くしては説明が不可能ですが、僕自身はモノガリである事実を隠したい。よろしければ、僕のことは『名前も顔も知らない、通りすがりのフードの男一人だった』と証言していただけないでしょうか?」
「おうおう、何か事情がおありなんじゃな、そのくらい構わんよ…。そういう話なら、立ち去った方角も偽ろう。さあ、早く行きなされ…」
「では、失礼します」
ユディは、お互いを支え合うファルファド夫妻に頭を下げると、すぐに身をひるがえして走り出す。
その少し後ろを、リコリネの鎧の音が、ガシャガシャとついてくる。
「リルハープ、森を通りたい! 案内を!」
「わかりました~~っ、とりあえず、心持ち右寄りにまっすぐ走ってください~~!」
「これは…燃えますね。逃亡生活のようです。『地上最強の騎士』でもあった展開です」
「リコリネが楽しそうで何よりだよ………」
そう言いながらも、リコリネに余裕が見られるので、ユディはほっと一息をついた。
やはり、どうしたって、自分ではない誰かに心を救われる。
ファルファド夫妻にとって、ゴウがそうであったのなら…。
そう考え始めて、ユディは慌てて思考を振り払う。
前向きに、と考え直しながら、先行き不明の道を走り続けた。
ファルファドは、ユディたちの背が見えなくなるまで、妻の手を握り続ける。
「ジャン…。ジャンティオール…。どうか、強く生きようとするわしらのことを、精霊様の御許で見守っていておくれ……」
久しぶりに口にした息子の名は、とても懐かしい響きを持っていた。
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「どう? リコリネ」
森の川辺にて。
夕暮れの中、音の祝福をかけ終えて、ユディはリコリネを窺う。
リコリネは、手を振ってみたり、軽く体を動かして、調子を確認している。
「…はい。さすが主ですね、すっかり治りました」
ユディは、ほー…と長く、安堵の息を吐いた。
「よかった…本当に、何事も無くて。君はすぐに我慢をするから……見ているほうは気が気じゃないよ」
「同感です~~っ」
久しぶりに胸ポケットの中から解放されたリルハープは、のびのびと宙を舞ってから、リコリネの肩にふわりと降り立つ。
リコリネは、萎縮するように俯いた。
「…申し訳ありません。性分のようです。ですが、今日はここから休むだけですので、明日には全快していると思われます」
「だとするなら、今日は君の見張りは無しだからね。僕が起きているから、ちゃんと寝るんだよ?」
「……は。かしこまりました」
リコリネは、しゅんとしている。
「ですが、ここからどうしますか~~?」
リルハープが、話を変えるようにユディを窺う。
「うーーん…難しい所だと思う。ほとぼりが冷めるまで森の中に居るのが一番いい気がするけど、そもそもモノガリが権力争いの切り札にされる、という思考自体が、ウェイスノーさんの考えすぎなんじゃないかと思う部分もあるし……」
「慎重を期すのは悪いことではない気もするのですが~~」
「…あの」
ユディとリルハープの会話に、リコリネが申し訳なく口を挟む。
「どうしたの、リコリネ?」
「いえ。先の話をする前に、私は主に報告をしなければならないことができました。そうでないと、また忘れてしまいそうで。…以前私が、主にお伝えする話があるような気がしている、と申し上げたことを覚えていますか?」
「ああ、うんうん、思い出したんだ?」
「はい。実は今日、ゴウ殿の言葉を聞いて、思い出しました」
「……モノオモイの? なんだろう…」
リコリネは、背筋を伸ばすように座り直した。
「考えすぎだと一蹴されても構わないことですが、やはり伝えておきます。…私は、今日、ゴウ殿が言った光景を、知っていたのです。『紺碧の空に舞う、赤い葉』を」
「ど、どういうことですかリコリネ~~?」
リルハープが、戸惑ったような表情を浮かべている。
「…いえ。正しくは、『読んだことがある』のです。先日お話しした、『暴れん坊・肉拷問』で」
「そんなタイトルの本でしたか~~!?」
「失礼しました。こちらはサブタイトルでしたね。ファラウェイ・マウンテンのゴールドさんです」
リルハープの動揺にも揺るがず、リコリネは淡々と語り続ける。
「言ってしまえば、ただの描写なのですが。偶然にしては、少し引っかかりを感じていました。青い空だけならば、偶然もあったでしょう。しかし、本日目にした光景は、どう考えても……」
ひどく難しい顔で、ユディは熟考を始める。
「……もし、その本の内容が、例の『天啓』でもたらされたものだと仮定をするならば。竜の見ている夢と、人間が見ている夢が、リンクを始めている……?」
リコリネは、慎重に頷いた。
「結論付けるには早いですが、私にはそう思えます。そして、だとするならば。もう、かなり前の段階から、竜の夢が、この世界に染み出していることになる。主、ひょっとしたらこの世界は、もうとっくの昔から、正常さを欠いていたのかもしれません」
「……ぞっとしない話だ」
ユディは、深刻な顔でそう述べた。
「あ……」
その時、リルハープが、ハっとしたように口元に手を当てる。
「リルハープ?」
「……いえ。もし、そうなら……。もし、ずっとずっと前から、それが始まっていたのなら、と考えますと~~……。リルちゃん、ひとつだけ、心当たりがあるのです~~…」
「聞かせて欲しい」
「はい~~…。ご主人サマには、妖精の結界のことを話すのは初めてですよね~~。実は、リルちゃんが生まれるよりもずーっと昔は、結界なんて張られていなかったようなのです~~。ですがある日、妖精の女王サマが、森の中に結界を張られたとか~~…。誰も、その理由は知らなかったのですが~~……」
「な……。リルハープ、じゃあ、その結界から出た君はどうなるんだ!? なんともない!?」
「だ、大丈夫です~~、今のところはなんともありません~~…!」
ユディのあまりの剣幕に、リルハープはわたわたと慌てて答えた。
「……いえ。リルハープ殿、言いにくいのですが、それは違うでしょう」
リコリネの言葉に、ユディとリルハープは、驚いた様にそちらを見る。
「お二人とも、三年を共にしていらっしゃるので、些細な変化には気づかないのだと思われます。ですが、リルハープ殿。あなたは私が知るよりも、ほんの少しだけ、眠りにつく回数が増えていらっしゃいます。おそらく、ほんの少しだけ、疲れやすくなっているのではないかと」
「! リルハープ、結界の場所は!?」
ユディは、蒼白と言っても過言ではない表情で、リルハープに詰め寄った。
「なっ、だ、大丈夫ですったら~~! リルちゃん、もうあんな退屈なところには戻りたくないです~~! 絶対に言いませんよ~~!」
リルハープは、ぴゃーっと飛び上がって、木の枝の上に隠れた。
リコリネは、ユディの肩に手を置き、宥めるように声をかける。
「主、落ち着いてください。もうリルハープ殿が結界を出て何年も経つのです、今すぐにどうこうという話ではないでしょう。我々で適切にリルハープ殿を気遣っていけば、今まで通りで大丈夫と思われます。そもそも、本人が嫌がっているのですから、無理強いはよくありません。…ね?」
ユディは、ゆっくりと座り直す。
「そう……だね。ごめんリルハープ、焦ってしまった……」
額に手を当てて俯くユディの方へ、リルハープはひらひらと降りてくる。
「まったくもう~~、ご主人サマはリルちゃんが好きすぎます~~! 仕方がないお人ですね~~! とはいえ、リルちゃんも不必要な情報を流してしまったのかもしれません~~、心にとどめておくべきでした~~」
リコリネは、静かに首を振った。
「いえ。結論には程遠いですが、それでも判断材料は多いに越したことはありません。今は、まだ情報を集めている段階ですし、リルハープ殿のご判断は決して間違ってはいないでしょう。…しかし、結論が出たからと言って、どうなるという話でもないような気もしますね。どの道我々は、モノノリュウを倒しに行くしかないのですから」
「…そうですね~~。それでは、今日の所はもう、水浴びをして眠りましょうか~~。さあ、ご主人サマは、キリキリ食事の準備をしていてください~~。リルちゃんも心配される前に寝ますから~~」
リルハープはサクサクと指示すると、さっさと水浴びできる場所へと、リコリネを誘導していく。
ユディは、困ったような顔で笑った。
「わかった。それじゃ今後の予定は、明日までに考えてみるよ」
「はい。それでは主、鎧を綺麗にしてまいります」
「そこは体でいいと思うよ…」
リコリネは立ち上がると、一礼してリルハープの後をついていく。
食事の準備をしながら、もし…と、ユディは思う。
もし、この世界の今の現状が、竜の夢にもたらされたものならば。
本来なら、この世界は、どのような形で発展を遂げていたのだろうか。
ゆがめられていない世界もまた、美しかったのだろうか。
今でさえ、こんなに美しいのに。
明かり雪が降り終わった空を見上げる。
紫紺の夜がやってくる。
目の前を、枝から離れた葉っぱが一枚、ひらりと横切った。
それは、どうしたって、瑠璃色以外のなにものでもなかった。




