12流通都市とリベンジマッチ
しとしとと雨が降る。
空は一面、まるで墨を垂らしたようだった。
ユディたちは、大きな瑠璃色の木の下で雨宿りをしながら、雨をやり過ごしている。
「雨音が気持ちいいですね」
リコリネが空を見上げながら、ぽつりと述べる。
「リルちゃんは、この音を聞いていると、ちょっと眠くなるのですよね~~…」
「リルハープ、寝ていていいよ。どうせすぐに止みそうにないし」
ユディは微笑みながら、胸ポケットをちょいちょいと叩く。
リルハープは、返事の代わりに大きなあくびをして、もぞもぞと胸ポケットの奥に潜っていった。
しばらくの間、ユディとリコリネは、妖精の眠りを邪魔しないようにと黙り込んでいる。
「…リコリネ」
頃合いを見計らって、ユディは前を向いたまま、雨音の中に言葉を混ぜた。
「はい」
と、隣から、当たり前のように返事がくる。
「リコリネ、たくさん本を読んだんだってね。一番面白くなかった話を聞かせてくれないかな」
「面白くない…ですか? 面白い話、の方ではなく?」
リコリネは、少し戸惑ったように首を傾げた。
「君が面白いと感じる話は、もう大体把握できているからね。僕は、好きなものと同じくらい、嫌いなものを把握しておきたいんだ。それが、相手を知る近道になると思っているよ」
「…ふふ。主は、まだまだ私を知り尽くしていないとお思いなのですね」
「そりゃそうさ。君ってギュギュに言わせると、かなり『ぶっ飛んだ』人らしいよ。僕からしても、リコリネって何を言い出すかわからないという印象だし、きっと大体の人にとってはそう見えるんじゃないかな?」
「む……心外です。ですが、そうですね……確かに、今思い浮かべた本を考えると、私の感覚は、大衆とズレている部分があるのではないかと思われます」
「どんな本が嫌い?」
「いえいえ、嫌いというほどではないのです。ですが、少し前に流行った本のジャンルに、ホラーというものがありました。人々はそれを読み、日常では味わえない、スリルやサスペンスを楽しむためのものと予想される内容でした」
「ああ、読んだことはないけど、一応知ってはいるな、僕もそういう印象を抱いているよ」
「はい。ですが、私はそれを読んでも、怖くもなんともなかったのです。なんというか…最終的に、死が待っている話が多かったからです。結局死ぬだけであるならば、過程がどうあれ、我々に必ず訪れるものです。なぜ、当たり前のことを恐れるのか……。世間の人々にとって、死とはそれほどに遠い存在なのかと、不思議でした」
「…そう言われると、そうなのかもしれない。じゃあ、最近閃の大陸にできた『おばけやしき』って場所も、リコリネは怖くないのかもしれないなあ」
「おばけやしき…ですか?」
「うん。化け物に扮した人に、いきなりワッと脅かされる場所らしいよ」
「………それは、ダメです。いきなりそんなことをされてしまうと、力いっぱい反撃をしてしまうではないですか」
「ああ、それはある意味怖いな……」
ユディの脳裏に、鎧を返り血で真っ赤にしたリコリネが浮かぶ。
リコリネは、深刻に頷いた。
「はい。取り返しがつかない事態になりそうです。そういう主は、つまらないことなど、ありましたか?」
「うーーん。貧乏舌ってあるよね? 何でもおいしく感じることをそう言うヤツ。僕は基本的に何でも楽しめるから、貧乏舌のようなものなのかもしれない。あ、ただ、希望の街で、一度クイズ大会のイベントをやったんだよ。情報の館があるから、それっぽいイベントを作ってみようって話になって、僕の方にも相談が来てね」
「それは、とても面白そうです。見てみたかったですね」
「ふふふ、リコリネが参加していたら、いい線行ってたかもしれないな。リルハープも、胸ポケットの中で結構当てていたんだよ。で、そこにたまたま、わざわざ情報の館に調べ物に来ていた、どこかの街の賢者が見学をしていたんだ。別に意図してなかったんだけど、僕はその賢者の傍で見学をすることになった」
リコリネは、興味深くユディの横顔を見る。
「僕は楽しかったんだけどね、そのクイズ大会。でも、その賢者が、ぽつんと零した言葉が聞こえてきた。『なぜ、調べればわかることを、わざわざ当てるだけで楽しめるのだろうか。その知識を応用して思索する方がよほど楽しいのに』って」
「……なるほど。賢者ならではの視点ですね。彼が既に知っている知識が、すべて問題として出てくるのでしょうからね」
「そうなんだ。賢者にとっては、知識は使うものであって、ただの答えにするためのものじゃない。僕たちが楽しんでいること自体、賢者にとっては、ただのスタートラインにしか過ぎない知識だったんだなあ…と思って、なんだかそれが面白かったんだ。本当に、面白いもつまらないも、受け取り手次第なんだね」
「…少しだけ、わかる気がします。葉っぱをめくると、その裏に虫の卵がついていたり、もしくは虫自身が潜んでいたりする。多くの人にとって、それは当たり前のことです。ですが私にとっては、まだそれは物珍しく、目新しく、面白い」
リコリネはそう言いながら、試しに葉を一枚取って、めくってみる。
ユディも一緒に覗き込んだ。
その葉には、何も居なかった。
「…そうだね。巨獣の島の後だから忘れそうになっていたよ。今ここには、僕たちだけが存在しているわけじゃないってことを。あの島は、何もかもが大きくて…。こうして暮らしていると、小さな隣人への配慮を忘れてしまっていたなってさ」
「…はい。旅は、面白いですね」
リコリネは、万感を込めてそう言う。
少し黙った後、リコリネは言葉を注ぎ足した。
「ですが、この気持ちも、そのうち変わっていくのかもしれません」
「……?」
「いえ。実は最近、豆本を読み返しているのです」
「ああ、ハイドリーフ?」
「はい。決戦の邪魔になるからと、荷物にしまって預けておいたので、豆本は腐り果てずに済みました。思い出の品なので、それはとても喜ばしいことです。しかし、読み返した時に、以前とは違う感情を得ました。『毎朝毎夕、改めては死々、常住死身に成て居る時は、騎士道に自由を得、一生落度なく、家職を仕課すべき也』―――」
リコリネは暗記をしているらしく、すらすらとよどみなく諳んずる。
「私は実際、あの時に、腹を据えて行動ができました。あの時の行動に悔いはありません。同じ状態になったなら、私は同じ行動をとるでしょう。ですが……。先日の宿で、傷ついた主の心を知った時、なにかが……。上手く言えませんが、なにかが、違うのではないかと……。がむしゃらに生き延びようとしても、恥でも腰抜けでもないのではないかと……」
「………」
「わからなくなりました…。主を守るために死ねるなら本望だと、そこに躊躇はないと、今でも思っています。ですが、私がかつて美しいと感じ入った精神が、今はわからない。答えが出る気配もありません。ですから……今は、肌身離さず、ハイドリーフを持ち歩いています。主。あなたが強くあろうとするように、私は、こうすることで、変わっていけるのかもしれません。それが、あなたの望む方向なのかどうかは、わかりませんが」
「リコリネ……」
ユディは、一度きつく口を引き結んだ。
そして、改めて、リコリネに目を向ける。
「…リコリネ。もう、そんなことを考えなくていいんだと言ったら、君は怒るかな?」
「…主?」
リコリネは、ユディを見て息を呑んだ。
ユディは、とても冷酷な目を、リコリネに向けてきていた。
「リコリネ。僕はね、君と対等でいることに、甘えていたんじゃないかと思っているんだ。僕はあの時、君に命令をするべきだったのかもしれない。いや、もう終わってしまったことだ、あの時の話はもういい。これからのことだ。リコリネ。君はもう、何も考えなくていい。生死が見える状況になったら、すべて僕が決断する。責任はすべて僕が負う。僕はずっと、自分が世間知らずでいた状況に甘えていた。世界は美しいものでしかないと、理不尽な話には無縁だと、無条件に信じ切っていた。だけど、今は違う。次は絶対に、強い決断をして、そして動いてみせる」
「主……」
リコリネは、戸惑いを深めるように、視線を逸らした。
また、雨粒のしたたる空を見上げる。
ユディも、習うようにそうした。
ふたりで、しばらくの間、黙り込む。
やがて、リコリネが口を開いた。
「今、そう言ってもらえて助かりました。一刻を争う土壇場で、言い争うわけにはいきませんからね」
「……言い争いになるような発言だった?」
「…はい。…いいえ、そうではありませんね。私は、笑い飛ばすべき場面なのでしょう」
ユディは、じっとリコリネの言葉を待つ。
「主、あなたにそんなことは、できませんよ…と、笑い飛ばすのです。なぜならそれは、私から、私を奪い去る行為だからです。よく考えてみてください。例えば生死を分かつ場面で、主は私にこのように命令をするとします。『僕を置いて逃げろ』…と」
「ああ、そうだね。僕ならそう言いそうだ」
「しかし主。それは、『私以外の誰か』でも、できる行為です。ですが、その土壇場で、命を賭けてまで主を守るのは、あなたと旅を共にした『私』にしかできない」
「それは……」
「私にしかできないことを、あなたは私から奪い去ろうとしている。ですから、今のうちに明言しておきます。私は、そんなことは、嫌です…と。加えて言うなら……そうですね……」
リコリネは、フルフェイスの頤に指を当てて、思案をする。
その何気ない癖が懐かしくて、ユディは目を細めた。
「そんなことを私に命令するのなら。絶交です」
リコリネはユディに向き直り、固い言葉でそう告げた。
ユディは、ぱちくりと瞬きをする。
「………それは、ズルいだろう」
「…ふふ。あなたは本当に、私とリルハープ殿に弱いですね。私も、あなたとリルハープ殿に弱いので、お互い様なのかもしれませんが」
ユディは、くしゃりと前髪をかき上げた。
「あーあ。たくさん考えて、僕なりの正解を出したはずなのに」
「…むずかしいですね。いつも通りの旅を続けようと言いながら、私も、今まで通りでは、何かがいけないのではないかと思っています。そして、あなたを上に据えておきながら、いざという時には命令に逆らうと宣言をする。むずかしいですが、なぜでしょうか、少しだけ、楽しいです。ようやく、主の隣で生きていけているという実感がします。私も、貧乏舌なのかもしれません」
「あははっ! 間違えて覚えてしまいそうだよ、貧乏舌。何でも楽しめることを、言い表せる言葉があればいいのに」
「そうですね。作ってみましょうか。なんでも楽しい病、はいかがでしょうか?」
「病はちょっと、どうかな!?」
他愛ない話はとめどなく溢れてきて、二人でしばらく、雨宿りを楽しんだ。
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「街が見えてきました~~っ」
空を飛んで先を見てきたリルハープが、ひゅーんと戻ってくる。
ユディは、リルハープを優しくキャッチした。
「ありがとうリルハープ。よし、最初の旅は順調に行ったね。幸先がいいぞ」
「では、そろそろ我慢していた情報を聞くことにします。主、流通都市とは、どのような場所なのでしょうか」
リコリネは、一定の歩みを続けながら、ユディの方を振り返る。
「そうだなあ…。僕が知っている情報だと、三大商家と呼ばれる貴族が、それぞれに取り仕切っている街って話なんだ。ひとつは、閃の大陸と強力なパイプを持つ、新興の商家。もうひとつは、港と船や、鳥車運営に影響力がある商家。もうひとつは、昔ながらの組合を守ってきている、古くからある商家」
「なるほど、地区ごとに特色があるのですね」
「そうらしいよ。大陸情報倶楽部は、新しい商売を受け入れやすい、閃の大陸の商品を扱っている地区にある。ただ…」
リルハープは、もぞもぞとユディの胸ポケットに移動しながら、言い淀む姿を見上げる。
「何か問題でもあるのですか~~?」
「うーん。噂なんだけどね。よっつめの、隠れた組織があるって話なんだ。表では扱われていないような商品を扱う組織」
「…なるほど。あり得る話ではありますね。おそらく、闘技の街と関わりがあるのでしょう」
「ああ…なるほど」
リコリネの言葉に、ユディは辛そうに顔をしかめた。
硬の大陸の端にある闘技の街は、奴隷を扱っている街だ。
大陸情報倶楽部を運営したことで、ユディは今や、世情のほとんどを知っている。
「…とにかく、そこそこ気を付けて行動した方がいいかもしれないってことだけは、お互いに忘れないように行こう。必要があれば、パっと街を出るつもりでね?」
「は。かしこまりました。そこそこに治安が悪そうなので、腕が鳴ります」
「こらこら。ほらリルハープ、普段通りにしていれば大丈夫だからね?」
ユディは、ちょっと緊張を始めたリルハープをよしよしと撫でる。
門番の脇を抜け、順調に街の門をくぐった。
やはり流通を名に冠しているだけあって、人の流れを止めるような厳しいチェックはなかった。
タイジョウの近くに宿を取ろうということで、まずは案内板でタイジョウを確認し、歩き始める。
「これは…はぐれてしまいそうです」
リコリネは、周囲を見渡しながらそう感想を述べた。
ユディも頷く。
「本当だ。今まで見てきた街の中で、一番人が多いかもしれない。ただ、はぐれる心配はないんじゃないかなあ……幸い、リコリネが目立つのは変わらないし」
相変わらず、全身鎧を着ている人など一人も見かけない。
リコリネは嬉しそうだ。
「嬉しいですね、早速お役に立てた気分です。では主、私についてきてください」
「ああ…まあ、その方が確かに、見失わないか…」
ユディはそう納得して、リコリネの後ろをついていく。
「でもリコリネ、賞金首を見つけても走り出さないようにね?」
「これは異なことをおっしゃる。私はまだ、賞金首が張られた掲示板を見ていませんよ、主」
「いや、確かにそうなんだけど。ただ、なんだろう…君はすぐに、足音を殺してるーだとか人を殺した目つきだーとか言い出して追いかけそうでさ?」
「…気を付けます」
リコリネは、油断なく見渡そうとしていた視線を、慌てて前へと戻した。
しかし、しばらく行った後、リコリネはいきなり足を止める。
ユディはぶつかりそうになり、「うわっと!?」と声を上げた。
「リコリネ、ちょっとした殺人鬼でも居ましたか~~?」
リルハープがそわそわと小声で窺った。
リコリネは、ある一点を見つめたまま、首を振る。
「いえ。しかし、リベンジの時がやって来たようです。さすが、閃の大陸に太いパイプを持つという地区ですね。行きますよ、主!」
「リコリネ…!?」
いきなり意気揚々と歩きだしたリコリネを、ユディは慌てて追いかけた。
リコリネは、器用に人にぶつからないような足さばきで進み、行儀よく列の最後尾に並ぶ。
何事かとユディが付き添うと、そこはクレープの屋台だった。
「あ、ああ、なるほど、何事かと思ったよ…!?」
「…すみません、つい、胸が躍ってしまいました…。しかし主、私は今度こそ、烈火のごとき怒りをおさめ、かの者を一片も残さず、打ち滅ぼして見せましょう! この胸の高鳴り、ここに居並ぶ者が皆、百戦錬磨の闘士に見えてくるほどです。いざや殿原、討てや討て!」
「リコリネちょっと落ち着こうか!? 水の都ではそんなに悔しがっていたんだね!? クレープは逃げないから、ほら、まずは何を注文するかを考えて過ごそう…!」
ユディは必死にリコリネを宥める。
周囲の視線が痛い…かと思いきや、どうやらリコリネの行為は客寄せのパフォーマンスか何かだと思ったのだろう、ユディたちの後ろに、面白がった若者たちの列がどんどんと並んでいく。
店員の隣に立つ店長らしき人の顔がニコニコだったので、一安心だ。
「まったく…。ほら、そういうところが『ぶっ飛んで』いるんだって」
「申し訳ありません、滾る血を抑えられず……」
リコリネが、しゅーんと俯いているうちに、ユディたちの順番になった。
「兄ちゃんたち、ありがとうな、内緒のサービスだ!」
注文をする前に、店長らしき人がこそっと小声でそう言って、ユディたちの手には、トッピング全乗せのクレープが、問答無用で乗せられた。
いつも足し算のサービスだが、割り引きの概念はないのだろうか?
「あ、ありがとうございます……」
こうして、ユディたちの遅めの昼食は、自動的に決まった。
何とかクレープをこぼさないように宿を決め、まずはユディの部屋に固まって入る。
「ひさしぶりです~~~♪」
リルハープはパっと飛び上がって、さっそくユディの手の中のクレープにぱくついている。
「…まあ、結果的にリルハープが喜ぶことになったし、リコリネ、ありがとう」
ユディが目を向けると、リコリネから返事が無い。
リコリネはとっくにフルフェイスの口元だけを上げて、一口食べては、ぱっと顔を輝かすような間を空けて、黙々と食べることに集中している。
ユディは微笑ましくなって、じっとそれを見守った。
「ご主人サマ、もうリルちゃんお腹いっぱいです~~っ」
「あ、また半分食べたね。偉い偉い」
うりうりと指でリルハープの頭を撫でると、ユディはリコリネに視線を戻す。
リコリネは、とても満足げな様子で、平らげた後のクレープの紙を、くしゃりと潰しているところだった。
「リコリネ、勝ったんだね、おめでとう!」
ユディは思わず祝福を述べる。
リコリネは、嬉しそうにフルフェイスを下げた。
「はい、やりました。あの時は戸惑いましたが、こうして落ち着いて対処すれば、なんということもありませんね。実に美味でした。果物の酸味が実に上手に包まれており……」
とうとうと語り始めるリコリネを、ユディはあたたかな目で見守った。
その時、ふと、樹上都市で別れたシグナディルの顔が浮かぶ。
あの時のシグナディルも、リコリネに対して、同じような目で見守っていた。
同じ気持ちだったのだろうか…。
あの時はわからなかったことが、今はわかるようになっている。
生きていくというのは、そういうことなのかもしれない。
リコリネは、一度読んだ本なのに、読み返すと印象が変わって見えたと言っていた。
ひょっとしたら、自分もそうなのかもしれない。
今、フェンネル英雄譚を読み返してみたら、まるで違った世界に感じるのかもしれない。
だとするなら、人生に飽きるなど、ありえないと言えるのではないだろうか。
時の大賢者ユルブランテが、ウィスリーズという存在に、決して飽きることがなかったように。
そんなことを、ぐるぐると考えながら。
ユディは、リコリネとリルハープと、その日はゆっくりとした時間を過ごして楽しんだ。




