47さよならまたね
リコリネは目を覚ますと、開口一番、「食事を…」と言った。
看病をしていたファウラサは、嬉々として立ち上がり、とっておきのレシピを使ってパン粥を作ってくる。
リコリネは、戦地に赴くような表情で、ゆっくりと食事に立ち向かい始めた。
急がず、焦らず、一言も喋らない。
それはとても貴族的な、優雅な食事の仕方だった。
しかし、リコリネはしばらく経って、食事を吐いてしまった。
様子を見に来ていたウェイスノーも、ファウラサも、かなり焦った。
なのにリコリネは、それがわかっていたかのように、また「食事を…」と口にした。
ウェイスノーもファウラサも、無理をするなと必死に止める。
その時、テリオタークが医者を連れて来た。
診察の後、医者はこう告げる。
もう、旅は無理だろうと。
しかしリコリネは、それがわかっていたかのように、とにかく食事を、と繰り返した。
「まだです。まだ、すべてに挑戦し、敗れ去ったわけではありません。次は、少しでも多くの栄養を消化してみせます。まだ、私の心は折れてはいません。私は、旅を続けるのです。あの人には私が必要です。そのためならば、あなた方の好意にも散々甘える気で居ます。付き合ってください、食事を、お願いします。それが無理なら、医者殿、栄養を詰めた丸薬をお願いします」
リコリネのギラギラとした目を見て、全員が息を呑んだ。
リコリネは、何度も何度も食事を吐いた。
途中で耐えきれなくなったファウラサが、口元を押さえて部屋の外に泣きに行く。
「今日ほど、仕事が山積みになっていてよかったと思ったことはないな。…とても見てはいられない」
テリオタークはそう言うと、苦しそうな顔で宿を出て行った。
ウェイスノーは、どうすればいいか、まるでわからなかった。
「ネーサン、ユディのニーサンの力で癒してもらおう…!」
そう提案しても、リコリネは首を振る。
「ウェイスノー殿、それで全快をしなければ、主は自分の力が足りないためだと嘆くでしょう。そして連日連夜、倒れるまで力を使い続ける。幸い、私は今、一命を取り留めることができました。ここからは、私が頑張る番なのです。申し訳ないとは思っていますが、どうかお付き合い願います」
頑張っているのは、リコリネのはずだった。
だが、ウェイスノーもファウラサも、時々様子を見に来るテリオタークも、なぜか、普段以上に頑張らなけばならなかった。
何かしてあげたいのに、何もできないということは、それほどまでに辛かった。
「ウェイスノー殿、今日は昨日よりも長く、吐かずにいられましたよ。これは、好調の兆しです。間違いありません。もう少ししましたら、歩く練習をしなければなりませんね。お付き合い願います」
リコリネは、前だけを見て、涙一つ流さない。
そのぶん、3人は泣きたくなった。
時々、隣の部屋から、ユディのオカリナの音色が聞こえる。
リコリネは、懐かし気に目を細め、そっと隣の部屋の壁に手の平を当てた。
それだけだった。
数日が経過した。
瞬く間、ではなかった。
これほどまでに長い時間に感じたこともなかった。
リコリネは、補助があれば、部屋を歩けるまでになっていた。
しかし、これを驚異的な回復力だ、と言い表す人は一人もいないだろう。
完全に、無理やりつかみ取った努力の賜物だった。
ウェイスノーは、連日のように、ユディにリコリネの様子を聞かれる。
ウェイスノーは馬鹿みたいに、「外傷はない」という一言を繰り返した。
大声を上げて、街を走り回りたいような、そんな変な衝動まで来る。
自分が何にこんなに疲弊しているのかすら、わからなかった。
一週間が経った。
テリオタークがやってきて、3人が揃ったのを見ると、リコリネはそっと微笑んだ。
「……諦めます。主を呼んでください」
リコリネは、日常生活をようやく不自由なくおくれるようになっていた。
その矢先だったため、誰もが驚いた。
だが、もうちょっと様子を見てからにしよう、とは、誰も言えなかった。
すべてに挑戦し、敗れ去るまでは諦めないと述べたリコリネが、そう言ったのだから。
ウェイスノーは、熱に浮かされたように、ふらりと歩いて隣の部屋に行く。
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「「リコリネ!」」
ユディとリルハープは、部屋の中に転がり込む。
まさか、隣の部屋にいるとは思わなかったため、あまりの近さに驚いた。
しかし、部屋に入ったユディの目の前に飛び込んできたのは、でーんと存在感を主張する、ついたてだった。
「リコリネ…?」
「主、このような対面で失礼します」
リコリネの声が、ついたての向こうから聞こえた。
懐かしい声に、ユディは泣きそうになる。
「リコリネ…! どうしたの?」
「実は、以前よりもやせ細ってしまいましたので、隠れております。主には、何の支障もない私を見せる気だったのですが、それも叶わず…」
その言葉に、ユディはぞっとした。
「リコリネ、まさか!!」
「いえいえ、日常生活は可能なのです。ですが、旅は無理だと、医者殿に言われました」
「……!!! 僕が治すよ!」
バン、と飛びつくような勢いで、ユディはついたてを叩いた。
リルハープは、口元を押さえて、顔色は真っ白だ。
「主、落ち着いてください。……私がすべきは、ここでお別れだと、そう告げることなのだと思います。何度も、そう自分に言い聞かせました」
ユディの目の前に、なぜか、ウィスリーズとユルブランテの姿がちらついた。
一瞬、呼吸の仕方がわからなくなって、くらくらする。
リコリネは淡々と、「ですが」と続けた。
「ですが……。いや…です。私は、主と、旅をし続けたい」
(僕だって!!)
ユディはそう言おうとした。
だが、言っていいのかどうか、急にわからなくなった。
リコリネを傷つけない方法がわからない。
「主、ですから、お願いがあるのです。私は、一時的に、この旅を諦めます。…待っていて、くれませんか?」
「……リコリネ…?」
「お願いです。3年で、絶対に、旅ができるまでになってみせます。私は、掘削の街の領主、ガッディーロの娘です。ガッディーロは、肉体を酷使するその性質上、癒しの湯という、秘湯を有しております。それに浸り続ければ、望みがあるはずなのです。一時的にでも、別れてしまう。最後の手段のため、使いたくはありませんでした。そして、どんなに頑張っても、以前ほど精霊の祝福の力は使えなくなるでしょう。私は完全に弱体化します。それでも、主と共に居たいのです」
「リコリネ……!!」
この申し出を、喜んでいいのか、悲しんでいいのかすら、ユディにはわからなくなってきた。
それほどまでに、情報量が多すぎる。
リコリネが、どれほど悩んでこの結論を出したのか、それを考えるだけで、胸が張り裂けそうだった。
「お願いします。厚かましい申し出なのは、わかっています。それでも、モノノリュウを倒すその日に、私は傍であなたを支えたいのです。先に、仁の大陸に渡っていてください。3年後に、あなたに追いついて見せますから」
「いやだ…!!」
咄嗟にユディの口からその言葉が出た。
別れるのは、嫌だった。
ずっと傍に居て欲しかった。
だが、慌てて首を振るい、別の言葉を被せる。
「大陸に渡るのは、嫌だ、ずっとここで待ってるよ…!! 海峡大橋を渡るのも、一緒にやろう。旅の続きを、ここからまた始めよう…!! 5年後でも、10年後でもいい、待ってる…!! く……っ!!!」
唇を噛みしめる。
強くなろうと決めたばかりなのに、泣きそうになっていた。
必死でそれを押し隠す。
「…主。私のために旅をやめてはいけません。あなたの助けを必要としている人がいると、私には身に染みてわかっています。モノノリュウも、やはり倒さなければ世界が狂うと、そのように感じています」
「やめるわけじゃないよ、旅は、いったん、休憩だ、君も、僕も…!! 君と一緒がいい、ずっと、一緒が…!」
ガリ、と、ついたてに置いた手が、表面をひっかくように握り拳を作った。
本当にリコリネのためを思うなら、言ってはいけない言葉だと思いながらも、どうしても、離れたくなかった。
心から、一緒が良かった。
……トン、
ふと、ついたてに、自分のものではない衝撃が添えられて、ユディは顔を上げる。
リコリネの手が、向こう側に添えられているのだと、すぐにわかった。
「主……やはり、どうしても……嬉しい…です。では、一緒に休憩しましょう。ありがとうございます、私のワガママに付き合っていただけるなんて…」
改めて、ついたてに手の平を置く。
ついたて越しに、なぜかリコリネの体温を感じられる気がして、ユディの心は、たったそれだけのことで安らいでいく。
今なら、前向きな言葉が言えそうだった。
「…僕も、僕のワガママで、君たちを旅に付き合わせてきたわけだからね。これでイーブンだ。君の言う通り、こっちで沢山の人を助けて過ごすよ。…そうだ、キルゼムの賞金が出たんだ、リコリネが持って帰ってよ。僕はこの街で働いてお金を稼いでみるからさ、働くなんて初めてだから楽しみだよ…!」
「…それは、ありがたい申し出ですね。何かと入り用ですし、遠慮なく鎧を新調できそうです」
「まだ全身鎧を着る気なの!?」
「もちろんです。今回のことで、有用性が確認できましたからね。髪もまた伸ばしますよ。いざというときに絞殺に使えることが判明しましたからね」
「そんな理由で伸ばす人なんて、リコリネくらいだよ……まったくもう」
ようやく、ユディは少しだけ笑えた。
それを見て、テリオタークは安堵の息を吐く。
「ではやはり、ユディ殿には拠点が必要だろう。今日から私の家に泊まるといい。そう広いわけではないが、本家から執事のジイを連れてきているので、過ごしやすくはあるはずだ。私は明日から仁の大陸に向かおう」
「いきなり僕は初対面の執事さんと二人きりという高難度の状態になるのですが!?」
「? 何か問題があるのだろうか? 無論宿代を取る気はない。好きに仕事を探すといい。何なら騎士団から斡旋をしよう」
あ、話が通じない人だ…と、ユディはテリオタークのことを理解した。
ウェイスノーが一歩前に出る。
「となると、俺はリコリネのネーサンの護衛だなー。硬の大陸だよな? 送るよ」
「身辺の世話係が必要だよね、アタシも行くよ」
ファウラサも、当たり前のように続いた。
リコリネからは、戸惑ったような気配がしたが、すぐに言葉を飲んだようだった。
「……お言葉に甘えさせていただきます。確かに、今の私の状態では、一人では無理です」
「リコリネ~~…!!」
それまで何も言えずに固まっていたリルハープが、泣きそうな声を出した。
「…主、私からは以上です。少しの間、リルハープ殿と話があるので、部屋に戻っていてくださいますか? その間に、気持ちの整理を済ませておいてください。しばしの別れですからね。ああ、もちろん文通をしてもいいのですが、余計に寂しくなるような気もしますので、それはやめておきましょう」
「……そうだね、わかったよ」
ユディは大人しく頷くと、名残惜しそうについたてから手を離し、部屋を出て行く。
扉が閉まると、「リルハープ殿、こちらへ」とリコリネが招く。
リルハープは、ぽろぽろと涙を流しながら、ひゅーんと飛んでリコリネに抱きつきに行った。
「……リルハープ殿、ウェイスノー殿、ファウラサ殿、テリオターク殿。…大事な話があります」
リコリネは、リルハープを優しく抱きしめながら、決意に満ちた顔を上げた。
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コンコン、
しばらくして、ユディの部屋がノックされた。
ユディはすっかり部屋を引き払う準備を終えていて、「はい」と応じる。
「よーっす、ユディのニーサン、さっきぶり!」
妙に明るいウェイスノーが入ってきて、ユディは首を傾げる。
「どうしたんですか、ウェイスノーさん…?」
「いや、ふつーに呼びに来ただけだぜ? ただほら、丸く収まりそうな感じがして、マジでよかったな…って。ちょっと、ガラにもなく泣いちまいそうになったっつーか…」
ウェイスノーは、ユディと目を合わせないようにして、ずかずかと部屋に入ってくる。
「リコリネのネーサンを送り届けたら、俺はそのまま水の都に戻るよ。いやー、でも無事に送り届けられるかなー、あんないい女、なかなか居ないからなー、手を出しちまいそうで心配っつーか!」
「ウェイスノーさん、やっぱりテンションが変ですよ…!」
「いや、悪い悪い。ってわけで、ニーサンとはお別れだなと思うと…な」
「あ…。そうですね。寂しいです…」
少しの間、沈黙が流れた。
ウェイスノーは、窓の外に目を向けたまま、ポツポツと話し始める。
「あんたたちは、本当に不思議な関係だよな。全員どこか、強いようで弱い。危なっかしいどころか、知れば知るほど危うい感じでハラハラする。絆というには安っぽいし、なんて言やいいんだろうな…。ただ、ずっと見ていたいような気持ちになるよ。本当に、誰一人欠けなくてよかった……マジで」
「はい…。そうですね、そこを前向きに受け止めることに全力を費やそうと思います。全然、お別れの言葉とか、まだ実感が沸かなくって、思いつかないんですけどね!」
「だろうな! 俺も!」
お互いに変なテンションで笑い合った。
「なんだかウェイスノーさんのおかげで変なテンションになってきました、この勢いで行きます!」
ユディは意気揚々と部屋を出て、リコリネの部屋をノックも無しに開ける。
「リコリネ!」
先程と変わらず、テリオタークやファウラサが居て、ユディを見てきた。
リルハープは、このついたての奥だろう。
「主」
リコリネは、それだけを言った。
名前を呼ぶと、返事が返ってくる。
それだけで、こんなに嬉しいなんて、とユディは心を震わせた。
「リコリネ…。変な感じだよ。ずっと一緒に居たから。君とこんなに長い期間離れる日なんて、生涯訪れないとすら思っていたのに」
「…私もです。やはり人生、何が起こるかわからないものですね。ですが、主に出会わなければ、私は飢え死にしていただろうことを思えば、まだまだ幸運な方なのです」
「…自分に言い聞かせてる?」
「聞かないでください。相変わらず、意地が悪いですね、まったく…」
「そうやって声だけ聞いてると、いつも通りなのにな…」
「そうですね…。ですが、これは熱い展開ですよ。私の愛読書である『地上最強の騎士』などは、死んだと思われた主人公が3度は蘇りました」
「あ、結構雑な話だったんだね?」
「む……。雑とは何ですか、雑とは。主は物語の熱さがおわかりではないのです」
「そうだね、僕はこれから先、何事も起こらない平和な物語だけが好きになりそうだよ。誰かが死の淵から蘇る展開なんて、もう見たくないからね…」
「………。ウェイスノー殿とファウラサ殿のご協力のおかげで、私は明日にはここを発てそうです。船旅で一気に帰りますので、療養期間を長く取れますね。ですからやはり、ここでお別れの挨拶をしておくべきでしょう」
「………」
黙り込む。
沈黙の中で、リルハープが泣きじゃくっている声が、小さく耳に届いた。
ユディは、頑張って喋る。
「…僕はリルハープと一緒だから、君だけ一人にしてしまうのは申し訳ないな」
「…はい。つまり一人である私の方が寂しいということです。ですから、主の方は寂しがってはいけませんよ。度合いが違うのですからね、度合いが」
「なにそれ、意地悪の仕返し?」
「…ふふ。そうかもしれませんね」
「……リコリネ。僕は、3年後までに、強くなるよ」
ついたての向こうから、少しだけ驚いたような気配がした。
「今度こそ、完璧に君を守れるくらい、強くなるよ。たくさんたくさん、弱くなって帰っておいで」
「……はい。はい……必ず、あなたの隣に帰ってきます。あなたが強くあろうと、そうでなくても、関係なく…です」
お互いに、小さく笑い合った。
「さあ、リルハープ殿、主のところへ」
「~~~~っ」
リコリネの優しい声と、何も言えないリルハープのやり取りが、少しの間あった。
やがてリルハープが、ついたての向こうから、パタパタとやってくる。
ユディは手を広げて、無言で妖精を受け止めた。
妖精は、泣きぬれた顔のまま、ユディの胸ポケットにもぞもぞと入っていく。
「主、あなたに朝のあの習慣があってよかった。私も、なるべく毎日、天からの贈り物を見上げます。そうすればきっと、離れていても、主を感じることができるような気がしますからね」
「…そうだね。同じ時間に、同じものを見上げられるなんて、なんだか特別でいい。…このまま、ずっと話していたいけど……。もう、行くね」
「…はい」
「それじゃ、ウェイスノーさんもファウラさんも、お元気で。じゃあ、テリオさん。迷いましたが、お世話になることにします。家まで案内を願えますか?」
ユディが視線を向けると、テリオタークは、リコリネとユディを見比べて、「ああ…」と沈痛な声を出した。
先に部屋を出るテリオタークの後をついて、ユディも出ていく。
最後に、ついたての方を振り向いた。
「……リコリネ」
「はい」
「またね」
「はい…。またいつか」
パタンと扉を閉める。
まだ言いたいことがあるような感じで、気持ちの奥がもどかしい。
「……またね」
祈りのように、もう一度口にした。
今度は誰も応えない。
だけど、それだけが大事な言葉だった。
「またね」
何とか、泣かないでいられた。
まるで、呪文のような言葉だった。
願うように、祈るように、最後にもう一度だけ、口にした。
「またね…」
<第一章・完>




