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モノガリのユディ  作者: ササユリ ナツナ
第一章 ひとりめ
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18悩まぬ者

「う…くっ…、み、見ないで、ください~~…!!」


 リルハープは、慌てて両腕で顔を隠す。

 いつも勝気なリルハープが泣くところなんて、初めて見た。

 ユディは、凍り付いたように、二の句が告げられないでいた。


「やはり、リルハープ殿もですか」


「リコリネ、どういうこと?」


 ユディは、心配と戸惑いが綯い交ぜになったような顔で、リコリネを見る。


「主。…私は、ハリエンジュの…。あの子の鳴き声が、思い出せないのです」


「え…?」


「ありえないことです。幼い頃からずっと一緒に育ってきた、大事な子なのに。おそらく、リルハープ殿も、何か、大事な…。いえ。大切な誰かとの、悲しい思い出の一部が、薄れ始めているのだと思われます」


(ここで暮らしていけば、嫌なことはみんな忘れられるんです)


 最初にそう言ったネーヤラーナの笑顔が浮かぶ。

 ユディは、ぞっとした。


「じゃあ、僕に何の変化もないのは…」


「主に、悲しいと明確に思い出せる過去が無いのは、不幸中の幸いでした。こんなひどい気持ちを、主に味合わせたくない…。しかし私自身、先程、古株の方からの質問が無ければ、この状況には気づかなかったでしょう。あまり好意的な表現はしたくはありませんが、…しかし、『優しい忘却』と表現せざるを得ません。おそらくリルハープ殿も、錯乱する私を見て、お気づきになられたのだと思われます」


「リルハープ…」


 ユディは、胸ポケットを、そっと手の平で優しくおさえた。

 リルハープは、体をこわばらせて、ますます奥へと潜り込む。

 全身で、拒絶をしているようだった。

 放っておけと、暗に言われているようだった。


「加えて、私は主に謝罪しなければなりません。私は、モノガリの仕事について、実は今の今まで、よくわかってはおりませんでした。しかし今、上手くは言えませんが…主が竜の夢を、『いびつ』と表現した意味が、少しだけわかったような気がします。これは…。これは、違う、と思います。例え、どんな善意で行われたことだとしても。ハリエンジュとの思い出は、私の一部です。それがどんなに悲しいものでも、悲しかったからといって、失いたくはありません。竜の夢は、本当に…還さなければ、ならないものだったのですね」


「リコリネ、今はそんなことはどうでもいいよ! 君たちは一刻も早く、ここを降りないと! 青い鳥が次に降り立った場所で別れよう。大丈夫、僕一人でもやれるから」


 手の平の中のリルハープが、どれかの言葉にびくりと反応した。


「いいえ!! いいえ…。主との思い出も、同じです。私の一部なんです。もうこれ以上、私に失わせないでください。これからも、お傍で、新しい思い出を作らせてください。どんなに悲しいからといって、もう失いたくはないのです。同じです…! リルハープ殿も、きっと同じ意見です。私たちを想っていただけるのであれば、排斥という選択肢だけは選ばないでください!」


「リコリネ…」


「それに…。もうじき、あの古株の方々への動きがあるはずです。ネーヤ殿を、見張りましょう。大丈夫です、ここにきて数週間ほどで、やっと変化が判明するくらいの速度なのですから。あと一週間以内に終わらすことができれば、事なきを得ます。これは、騎士の勘です」


「………。強情っぱり」


「褒め言葉です」


「ワガママ」


「はい」


「こっちの気も知らないで…」


「嫌いになりましたか?」


 ユディは、困ったように微笑んだ。


「なれるわけないだろ。君と一緒だよ」


「…ふふ、そうですね。ねえ、主」


「なに?」


「今度はケンカとか、してみましょうね」


「…ばかなんだから…」


 ユディは、なぜか泣きそうになった。

 それを隠すように、しばらくの間、一緒に笑い合った。



-------------------------------------------



「起きて……起きてください…」


「ん…? ネーヤちゃん…?」


 深夜の寝室で。

 古株のおじさんが、揺さぶられて起きている。


「先日言った、幸せの国に行ける順番が、回ってきました…来てください…」


「ああ…本当かい…?」


 寝ぼけ眼のおじさんは、目をこすりながら、覇気なく起き上がる。


「あと二人も、もう廊下で待っていますよ…こちらへ…」


 他の人を起こさないように、こそこそっと話すネーヤラーナに案内され、おじさんが部屋を出て行った。


 聞き耳を立てていたユディは、そろりと起き上がり、急いで普段の旅装束に着替えると、後をつける。

 しばらく経ってから、慎重に廊下を出て行くと、同じようにおばさん2人の後をつけるリコリネと合流する。

 リコリネは寝間着なのかと思ったが、ちゃんと全身鎧を着てフル装備だ。

 ユディの胸ポケットからは、リルハープが興味深そうに顔を出していた。


「こっちです…!」


 遠くの方で、ネーヤラーナの話し声がする。

 そこはいつもの、絨毯の敷かれた、憩いの広場だ。


 ネーヤラーナは、おもむろにその絨毯をめくった。


 床を開くと、隠し階段がある。


 あんなところに…! と、ユディたちは驚いていた。


 4人はその中に消えていく。


「主、どうしますか…?」


「……。すこし乱暴だけど、早期に解決したいからね。一気呵成に、乗り込もう…!」


「は。では、先陣を切らせていただきます!」


 二人で、バッと駆け出した。


 階段を駆け下りると、驚くことに、そこはまた寝室だった。


「え!?」


 物凄い剣幕て乗り込んできたリコリネとユディに、ネーヤラーナは驚いている。

 彼女は、古株の3人に、優しく布団をかけているところだった。

 古株の3人は、なぜか直接床に寝そべっている。


「んあ…?」


 彼らは入眠するところだったのだろう、何が起きているかはよくわかっていないようだ。


 リコリネは素早く室内を見渡すと、もう一つ、下り階段があることに気づいた。


「主!」


「わかってる!」


 リコリネは、ネーヤラーナからユディを守るように立ちはだかり、ユディはその後ろを駆け抜けて、階段を下っていく。


「あ…! ダメ、そっちは!」


   カンカンカンカンッ!


 階段を下るにつれ、ネーヤラーナの声が遠くなる。

 たどり着いたのは、奇妙な部屋だった。


「これは…?」


 部屋一面に、長いマシュマロのようなものが、たくさん散乱している。

 一見すると、抱き枕のような大きさだ。

 そのマシュマロのようなものから覗く床は、青く、ふかふかしている。


「……ひょっとして、青い鳥の、背中部分…? 背中に、直接居住区が乗っていたのか。それとも、生えていた?」


 よく見ようとして、床にかがみ、手で触れる。


「―――!!!?」


 その瞬間、喉が引きつるほどに息を呑んだ。


 近くで見るマシュマロは、ふんわりとろとろとしていて、そして……肉色だった。

 表面に、うっすらと、人の顔の名残のようなものがある。

 幸せそうに、微笑んだ顔が。


 掬い上げるようにすると、それは蝋よりもなお柔らかく、とろとろにとろけていき、そして人肌のぬくもりがあった。


「にん…げん…!!!!?」


「リコリネちゃん、ダメよ、ネーヤちゃんの邪魔しちゃ…!」

「お離しください! 怪我をされてしまいます!」


 すぐ上の階から、争うような声がする。


 しばらくすると、ネーヤラーナだけが、降りてきた。


「ユディさん……見てしまったのですね…! すみません、びっくりさせたくなくって、黙っていて……」


 こんな時でも、ネーヤラーナは怒るでもなく、申し訳なさそうにしている。

 それがあまりにも拍子抜けで、ユディは言葉を返せなかった。

 ネーヤラーナは、困ったように微笑む。


「…不思議ですね。人って、悲しいことや、悩みが、全部全部無くなってしまうと、…人の形を保てなくなるみたいなんです。まるで悲しいこと自体も、人を構成する何かだって、言われてるみたい。幸せだけになってしまったら、生きてちゃダメって言われてるみたい」


 ネーヤラーナは膝をつき、愛し気にその肉色のマシュマロを抱きしめた。


「でも、ほら、このおばあちゃん、本当に幸せそうな顔で…。この顔を見ていると、救われます。上に居る人たちは、あと少しでこうなってしまうので、早めに近くに来てもらうようなシステムにしているんです。ここに置いておくと、少しずつ、青い鳥に吸収されていくんですよ。彼らは、幸せの一部になるんです」


 ユディは、めまいをこらえるように、頭を押さえた。


「……ネーヤさん…何とも、思わないんですか…?」


「え……」


 ネーヤラーナは、驚いたようにユディを見上げた。

 ユディは、慎重に彼女を観察する。


「……いや。何とも思ってないわけじゃ、ないんですね? だってあなたは、1年以上も、ここに居るのだから」


「……どういう、意味でしょう…」


「だってそうでしょう? あなたが今言ったんです。『悲しいことや悩みが全部無くなってしまうと、人の形を保てなくなる』って。だったらどうして、あなたは今も、人の形をしているんですか?」


「………」


「あなたは……。人々がこうなるたびに、悲しんでいる。あなたの悲しみは、失っても失っても、定期的に更新されている。この幸せの国に居ながら、あなたの悲しみは、無くなってなんていない」


「…でも、わたしには、こうするしかないんです。だって、わたしの力では、この人たちの悲しみを取り除けないのですから。世界中のみんなに幸せになってほしいのに、わたしにはその力が無い。ここへ導くことしかできない…」


「……ようやくわかりました。モノオモイが、どこに居るのか」


 ユディは、長く息を吐いた。

 ネーヤラーナは、首を傾ける。


「モノオモイ…?」


「モノオモイは、竜の夢です。夢とは、色々な形をしている。悪夢を見るときもあるでしょう。小さな村の女の子になる夢もあるでしょう。幸せの国を目指す夢もあるでしょう。そして、今回は。この大空に、翼を広げて飛ぶ夢を、見たんです」


 何か、思い当たる節があったのだろう。

 ネーヤラーナは、ハっと口元を押さえた。


「『巨獣』という生物が居る、という知識が、この認識を阻害しました。何よりもまず疑うべきだったのに。…僕たちの足元に居るこの青い鳥は……モノだったんですね? あなたのウソは『生物と心を交わすことができる』という部分だったんだ」


「ユディさん、あなたは……。あなたは一体…!」


「僕は、ユディ。モノガリのユディ。竜の夢が世界を壊してしまわないように、均衡を保つバランサー。意思を持ってしまったモノを狩る使命を全うするために………というのは、今はどーーだっていいんです。何故でしょうね、僕には使命が最優先事項だったはずなのに」


 ネーヤラーナは、戸惑うようにユディを見る。

 ユディの目は、座っていた。


「思い出しました。これは、この感情は、怒りです。あなたの青い鳥は、僕の大事な二人を、泣かせた。僕は、怒っているんです。こんなところに1分1秒でも長く、あの子たちを居させるわけにはいかない。僕の独断で断言します。こんなところに、幸せなんてない!」


「そんな…! そんなことありません! みんな、ここに来てよかったって、幸せだって言ってくれました! どうしてそんなことを言うのですか、他者の幸せを阻害する権利なんて、誰にもないじゃないですか!」


 ネーヤラーナは、必死になってそう言いながらも、武力に訴えて相手に無理やり言うことを聞かせる、ということは全く念頭に無いようだった。

 懇願するように、指を祈りの形に組んでユディを見つめているだけだ。

 戦いの危険はないと判断し、精霊道具の本の背にかけていた手を放す

 本当に、根っから善良な人なんだな、とユディは思った。

 そう思ってしまうからこそ、話し合いを続けてしまう。


「……僕に世の中の常識的なことを教え込んでくれた先生は、時々遊ぶように、答えの用意されていない問いかけをしてくるんです。『人を死なせてしまう毒薬があるとすれば、それにはどんなラベルが張られていると思うかね?』と。リコリネは、『立ち向かわずにいられる薬』と答えました。僕は、『笑顔がなくなる薬』と答えました。そして先生は『悩まぬ者』と書かれているだろうと答えました。あの時は、どうして先生がそう言ったのか、よくわかりませんでしたが…今なら、少しだけわかる気がします」


 ユディは、きつくネーヤラーナを見据えた。


「ネーヤさん。あなたは彼らに、幸せという美しいリボンで誤魔化した『死』をプレゼントし続けた。僕にはそう見えます。ですが、あなたは悪くない。あなたは、何の能力もない、ただの女の人なのですから。ただ、たまたま目の前に、あなたの望みを歪んだ形で叶えてしまう存在が、現れてしまっただけです」


「ち、違うんです、あの子こそ何も悪くない…! わたしの願いを叶えてくれようとしただけで…!! そ、それに、安楽死という言葉もあるじゃないですか!」


「……そうですか。大事にしているモノに、心が宿ってしまったのですね。だとしたら、僕の気持ちもわかるはずです、大事な人を、傷つけられた僕の気持ちが。その安楽死とやらの一端を、あの子たちに押し付けられようとしたことが、どれほどゾっとする出来事だったか。…ですが、安心してください。暴力的なことは起こりません。僕はあなたの青い鳥を、元の形に戻すだけです」


 ユディはゆっくりと、首から下げていたオカリナのペンダントを手に取った。

 それがどういう行為なのか、ネーヤラーナにはわからなかっただろう。

 だが、咄嗟に…というような形で、彼女はユディを止めようと駆け寄ってくる。


「や…! だ、ダメ、こんな空の上で! みんな死んでしまう! まだ悲しい記憶が残ったままの人だっているのに!」


 その時、ものすごいスピードで、ユディの胸ポケットから何かが飛び出した。


「ぅぅううううううううあああーーーっっ!!!!」


   バチーン!!


 それはネーヤラーナの額に直撃し、彼女をのけぞらせた。

 ネーヤラーナは突然のことにあっさりと尻餅をつき、そして床に転がっている肉色のマシュマロに滑って、倒れ込んでしまう。

 両目一杯に涙を浮かべたリルハープが叫び声を上げた。


「返して!! 返してよ、リルの思い出を!! もうあの子の笑顔が思い出せない! これのどこが幸せだ、バカーーーッ!!」


「……!!」


 そのままポテっと床に落ちて気絶したリルハープを見て、ユディは息を呑んだ。


「…どうやら、一秒でも早くここから出たいというのは、総意のようです。僕もこの怒りを抑えられそうにない。後先なんて、考えられないくらいに! さようなら、幸せの青い鳥―――」


 ユディは、オカリナに息を吹き込んだ。



 それは、怒りとは程遠いほどに、あえかな音色。

 ともすれば雑音に消えそうなほどに細い音は、しかし確かな存在感を持って、辺りを満たし始めた。


 額への衝撃でくらくらしているネーヤラーナの周辺に、ぽつり、ぽつりとたまゆらの光。

 足元にある鳥の背から、ぽこぽこぽこりと、泉のように湧き出してくる光たち。


「あ…、あ…!!」


 絶望したようなネーヤラーナの声が響く中、まただ、とユディは思った。

 集中のために閉じたまぶたの裏側に、誰かの記憶が流れ込んでくる。

 望んでもいないのに見えてくる、今ではない、どこかの景色―――



-------------------------------------------



 自分が受けた精霊の祝福は、自我が芽生えた時に、ふとわかる。

 自分が自分であるとわかるように、ネーヤラーナには、自分の受けた祝福が、命の精霊コリネイリがくれたものだ、とわかった。

 それを母に告げると、母は今まで見たことが無いような顔で喜んでくれた。


 ネーヤラーナの家は、母子家庭だった。

 父がどういう人なのかは、なんとなく聞いたことが無い。

 なぜなら、母が居れば、それで十分だったから。

 そう思えるくらい不自由のない暮らしを、母はネーヤラーナに与えてくれていた。


 ある日、娘の誕生日プレゼントを探しに街に行った母が持って帰ってきたのは、『幸せの青い鳥』と書かれた絵本だった。

 寝際、母が読んでくれたその話を、ネーヤラーナはとても気に入っていた。


「おかあさん、絵本読んで!」


「また? 本当にネーヤは青い鳥が好きね」


「だいすき! だって、本当の幸せは、朝起きた時に見つけられるものってことだよね! わたしの青い鳥は、おかあさん!」


「もう、かわいいこ!」


 母はたまらず、娘の額にキスをした。


 次の年に街に出かけた母は、可愛らしい、陶器のティーカップを買って帰ってくれた。

 花弁の舞い散る中、枝に青い鳥がとまっている絵の描かれたティーカップだ。


「わあ、青い鳥! ステキ! わたしはこれで、さえずりを飲むのね!」


「気に入ってくれると思ったわ、うふふ」


 母はまた、いつものように娘の額にキスをする。

 ネーヤラーナは、幸せでいっぱいになった。

 青い鳥が幸せを運んでくるのは、本当だった。


 翌年、母が買って帰ったプレゼントは、命の精霊の祝福を受けた子が起こした奇跡の話が書かれた、伝記本だった。


「すごいのよ、ネーヤ。命の精霊の祝福を貰える子って、100年に一人の逸材って言われているんですって。おかあさん、ちっとも知らなかったわ。ネーヤは凄いのね、お母さんの、自慢の子よ?」


「ほんと? ネーヤ、これを読んで、もっとすごくなるよ!」


 額にキスを貰いながら、ネーヤラーナは、その本をぎゅっと抱きしめた。


 しかし、祝福の奇跡の前例が少ないということは、それを使いこなすコツを知ることが困難という話でもあった。

 残念ながら、母が買ってきた本に書かれた話は伝聞が多く、どうすれば奇跡を起こせるのかまでは書かれていない。

 ネーヤラーナは手探りで、自分の与えられた祝福と向き合っていく必要があった。


「あーあ、つっかれた! お母さんももう、年ね。ネーヤ、今日は早めに休ませてもらっていい?」


「うん! …あ、おかあさんおかあさん、ネーヤね、奇跡の力、使ってあげるよ! 癒しの力っていうのがね、あるんだって!」


「あら、ステキね! じゃあ、お願いしちゃおうかしら?」


 ネーヤラーナは、自分なりに精霊の祝福を模索し、ベッドにもぐりこむ母に奇跡を捧げた。

 母は瞬く間に、すうすうと寝息を立て始める。

 自分が生まれて初めて母の役に立てたような気がして、ネーヤラーナは嬉しくなった。


 次の日の朝、母に体調を聞くと、晴れやかな笑顔が帰ってきた。


「あっという間に眠れたからかしら、すごくぐっすりできて、今日は万全! ありがとうね、ネーヤ」


 母は、いつものように、額へキスを落としてくれた。

 たったそれだけのことが、ネーヤラーナの自信になった。


 それから、ネーヤラーナは母のために、奇跡の力を使い続けた。


「将来は、もっともっと、この力でいろんな人を癒してあげたい…!」


 数年が経ち、年頃になってくると、将来の夢が決まる。

 この力は使えば使うほど、むくむくと力が沸いてくるようで、それがさらに自信へと繋がっていく。


 ある日、母が倒れた。


「おかあさん…!」


「ネーヤ、こんなことになってしまってごめんね。あなたの力はきっと……病気には効かないのね。だけど、おかあさんと約束してほしいの。この力を、おかあさん以外には使わないでって。おかあさんね、ネーヤの癒しの力があんまり気持ちいいから、独り占めしたくなっちゃった」


 冗談めかして笑う母に、ネーヤラーナは来る日も来る日も、全力で命の精霊の奇跡を使い続けた。


「待ってて、わたしが、ぜったいに、治すから…!!」


 しかし、どんなに力を尽くしても、一向に母が回復する兆しが無い。


「ネーヤ…だいすきよ。幸せに生きてね…」


 母は幸せそうに微笑んで、程無く息を引き取った。


「あ、あああ……!!!」


 ネーヤラーナは全力で泣きじゃくった。

 皮肉なことに、数日間泣き続けられるほどに、気力も体力も充実していた。


 やがて、ぼんやりと虚空を見つめていた時。

 母を喜ばせるために、花瓶へと飾った花が目に入った。


 何か考えがあったわけではない。

 ネーヤラーナはゆっくりとその花に手をかざし、手慰みのように、母に使った祝福の力と同じ奇跡を捧げた。


   シュウゥ……


 花は瞬く間に黒く枯れ、パサリと乾いた粉になってテーブルを汚した。



 その時、すべてを理解した。


 ネーヤラーナは、相手の生命力を吸収していたのだ。

 そして母は、途中からそのことに気づいていた。

 しかし、そのことを告げるためには、精霊の奇跡の扱いを間違え続けたことを伝えなければならない。

 何年もかけて母から生命力を奪い続けていた現実を、どうして愛娘に教えることができただろう。

 母は、病気などではなかった。

 回避しようと思えばできたはずの、ただの、過労死だ。

 母は、娘にそれを気づかせまいと、命を懸けて、最後まで嘘を貫き通した。


「……あ……。あははっ、あはははは…っ!」


 本当に絶望した時って、笑うしかできないんだなあ、とネーヤラーナは思った。

 ずっとずっと、乾いた笑いをし続ける。

 いっそ狂うことができたらいいのに、と、頭の中で妙に冷静な自分がそう思う。


 だけど、狂うことも、倒れることもなかった。

 なぜなら、健全な体と、健全な心が、自分には宿っていたからだ。

 これが、命の精霊の祝福の力なのだろうか。

 本当に、それは祝福なのだろうか?

 まるで、呪いだ。


「ネーヤ、ネーヤ!」


 唐突に、自分のものではない声が響いた。

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