16ヒズレイシー
早朝。
いつものように、ユディはベッドを抜け出した。
夜が明ける前の空を見るためだ。
何故だかわからないが、わからないままに、ユディはあの景色を求め続けている。
これだけの期間眺めていても、あの光景が好きなのか、嫌いなのかも、まだわかっていない。
まるで、涙が出てしまうあのよくわからない気持ちがまだ自分の中に残っているのかを確かめるかのように、いつもの時間に起き上がる。
宿の外に出て、まだ暗い空を見上げる。
「!」
驚いたことに、遠くから話し声が聞こえて、ユディは体をこわばらせた。
しかしこの集落の特性を考えると、それはヒズレイシーの声でしかないし、実際にそうだった。
ユディは、そろそろと足音を忍ばせて、建物の影から、話し声がする方を覗き込んだ。
二人のヒズレイシーが、何事かを話し込んでいる。
片方はゴージャスな衣服を着ているので、オリジナルの方だとわかった。
オリジナルの方は、戸惑い交じりに片方のヒズレイシーを見ている。
「おいおい、こーんな朝早くに連れ出しておいて、特に重要でもねーってことをやらせるってのはどういうこったよ?」
「まあまあ、いいじゃねーかよ。それで、どうなんだ、その絨毯の踏み心地は。新作を織ってみたんだよ」
「あん? そうだな、まだ絨毯って言うほどにはふかふかでもねーな…? ま、俺様の作品だからな、やっぱ本職には劣るってこった」
オリジナル・ヒズレイシーは、その赤い布地の上で足踏みをして、感触を確かめている。
その時、もう一方のヒズレイシーは、オリジナルの背後に立った。
「そう……かよ!!!」
ゾブンッ!!!
オリジナル・ヒズレイシーの胸から、剣の切っ先が生えた。
背後から、心臓へのひと突き。
「な……あ!?」
「―――ッ!!!」
一瞬遅れて状況を理解したユディが、悲鳴を上げようとした、その口がいきなり塞がれた。
背後から羽交い絞めにされる。
背中に物凄く硬いものが当たった。
「ッ!? ッッ!!?」
(お静かに…)
暴れるユディの耳元に、女性の声がかすかに響いた。
リコリネだった。
この感触は、いつもの全身鎧を着ているらしい。
ユディの力が抜けていく。
リコリネは、緊迫した様子で、ヒズレイシーの行動を眺めている。
ヒズレイシーは、オリジナルの遺体を、彼が乗っていた絨毯でくるくると巻いていく。
そして、すぐそばに掘ってあった落とし穴の蓋を外し、オリジナルを中へと放り込んだ。
そして、返り血のついた自分の衣服と剣も、その中へと放り込む。
どうやら、計画的なことだったらしい。
遺体を埋め、その上に若木を埋める。
養分にでもするつもりなのだろうか。
あらかじめ用意されていた、ゴージャスな衣服を着こむヒズレイシー。
そして、万感の思いを込めて、ヒズレイシーはガッツポーズをした。
「やった…!! ついに…ついに俺が、オリジナルに…!!!! 俺が、主役だ…!!」
小声だったが、本当に嬉しそうだった。
同じ顔をしているので、今の現場を見ていなければ、ユディたちは絶対に入れ代わりに気が付かなかっただろう。
「大丈夫だ、ヒズレイシーのやり方は、俺が一番熟知している。何故なら俺は、ヒズレイシーだからだ」
言い聞かせるように呟きながら、ヒズレイシーはその場を立ち去る。
ようやくリコリネはユディを離した。
ユディが振り返ると、リコリネの肩には、ちゃんとリルハープも座っている。
リコリネは、無言で宿屋の方を示す。
ユディは頷いて、足音を立てないように戻って行った。
「リコリネ、どうしてこんな朝早くに…?」
部屋の仕切りを取り払って、ベッドに腰かけながら、ユディは問いかけた。
リコリネも、対面のベッドに腰かける。
「はい。実は昨日の湯浴みの時、リルハープ殿から言われていたのです。主は早朝に泣いてしまう習性があるので、見張りでの交代が必要のないときくらいは、一緒に傍に居てあげようと」
「習性って言い方はどうなの?」
ユディの抗議にも、リルハープは涼しい顔だ。
「ホントのことではないですか~~」
「人を鳥みたいに言って…! …でも、おかげで助かったよ。ありがとう、二人とも」
「はい。もし見つかっていたら、消されていたかもしれません。驚きの光景でしたね」
そういうリコリネの声音は単調なので、あまり驚いているようには聞こえない。
ユディは、まだ整理がつかないように、胸を押さえた。
「あれは、どういうことなんだろう。人同士で、…ううん、誰よりもわかり合えるはずの、自分同士であんな……。いまだに、モノオモイの気配もないのに……おかしいよ」
リルハープは、「人間なんてあんなものだ」と言うつもりで、口を開いた。
しかし、ユディを見て、思いとどまったように、結局口を閉ざす。
この若い主人は、人間が好きすぎるからだ。
リコリネは、見かねたように言葉を発した。
「……主。今日は、この宿で大人しくしていてください。私は、少し気になったことがありますので、聞き込みをしてまいります。大丈夫です、聞き込みだけですので、危険などはありません」
「……わかった」
ユディは、それだけを絞り出す。
窓の外では、ちょうど夜が明けていくところだった。
朝食の時間になると、宿屋係のヒズレイシーが、食事をもってやって来た。
不満はないか、不備はないかと聞く姿は、とても甲斐甲斐しく、本当にいい人なんだな、と感じる。
「ああ、そうだそうだ、今日は週に一度のヒズレイシーの日なんだ、坊ちゃん嬢ちゃん、運がいいな、二日続けて歓迎会なんてよ!」
「ヒズレイシーの日…ですか?」
ユディの問いに、ヒズレイシーは自慢げに笑う。
「ああ、あの筒の中のヒズレイシーが生まれる日で、昨日と同じようなセレモニーをやるんだよ。疲れてるんならここの窓からでも見られるから、楽しんで行ってくれよな!」
リコリネは宣言通り聞き込みに出かけ、ユディとリルハープは留守番だ。
『ワアアアアアアッ!!』
午後になると、集落の中心部から、歓声が響き渡った。
窓から顔を出すと、ゴージャスな衣装を着たヒズレイシーが、昨日と同じように、舞台の中央に立って手を振り上げた。
「俺様の名はーーっっ」
『ヒズ! レイ! シー!』
「ニヒルで! クールな!」
『ヒズ! レイ! シー!』
「唯一無二のーー!!」
『ヒズ! レイ! シー!』
「もひとつオマケにー!!」
『ヒズ! レイ! シー!』
「ようこそ、新しいヒズレイシー! 歓迎するぜえー!」
まだ新しい衣服を着たヒズレイシーが、舞台に上がって、キラキラとした目でオリジナル・ヒズレイシーを見ている。
遠目からでも、憧れの表情だとわかった。
そして、オリジナル・ヒズレイシーの表情は、本当に幸せそうだった。
「いよう、坊ちゃん、疲れの方は取れたかい!?」
オリジナル・ヒズレイシーが、バタンと宿の扉を開けてやってきた。
リルハープは、ぴゃっと隠れる。
「あ……ヒズレイシーさん。はい、おかげさまで…」
「だっはっは、そんならよかった! そら、おすそ分けの食料だ! あとで旅に必要な保存食も分けてやっからよ、うちのドライフルーツは美味いんだ、存分に持って行きな!!」
オリジナル・ヒズレイシーは、楽しくて仕方が無さそうに、ユディの腕におすそ分けの軽食をドサドサと置いていく。
「わっ、ありがとうございます…! ……。……あの、ヒズレイシーさん、一つだけ、質問があるのですが…」
「おん? なんでえ、改まって、何だって聞いてくれや!」
ユディは、意を決したように顔を上げた。
「……幸せですか?」
ヒズレイシーは、きょとんと瞬きをする。
すぐに、満面の笑みで、ニカっと笑った。
「おうともよ!! 今が、俺の人生で一番幸せな時だな!! 我が世の春ってやつよ!! 坊ちゃんにも分けてやりてーくらいだぜ!!」
その笑顔が本当にキラキラしていて、ユディはなんだか、自分まで嬉しくなってきた。
「…いえ、もう、おすそ分けして貰った気分です。ありがとうございました」
ユディは、心からの笑顔を浮かべる。
オリジナル・ヒズレイシーは、満足そうに去って行った。
-------------------------------------------
夕刻になると、リコリネが帰ってくる。
ユディはちょうど、分けて貰った保存食を、荷物に詰め込んでいるところだった。
「おかえり、リコリネ」
リコリネは、思ったよりもユディが元気そうだったことに、安堵の吐息を吐いた。
リルハープも、リコリネを迎えるように、彼女の肩に降り立った。
リコリネは、少しくすぐったそうに、リルハープを見てから、直立不動でユディに向き直る。
「ただいま戻りました。主、ご報告したいことが数件あります」
「うん。聞かせて?」
「は。一つ目は、この集落の総人口のことです。本日、新しい命が増えたということで、それとなくこう尋ねました。『これで、ヒズレイシーは何人になったのですか?』と。すると、こういった返事が返ってきました。『そういえば、ずっと500のままだな』と」
「………」
「もう一点。今年は精霊歴で何年なのかと問いました。彼らが答えたのは、今よりも、100年以上も前の数値でした。これらのことを、数名のヒズレイシーに聞きましたが、皆、同じ返答でした」
「オリジナルのヒズレイシーは、とっくの昔に殺されていたのですね~~……」
リルハープは、どこか遠くを見ながら、ぽつりとつぶやいた。
ユディも頷く。
「そういうことになる…ね。500人目を迎えた頃から、一週間ごとに、全く同じことを繰り返して…それを、100年以上も」
「…主、どうなさいますか?」
リコリネの問いに、ユディは微笑んだ。
「もちろん、予定通り、明日出立するよ。ヒズレイシーさん、すごく幸せそうだった。やっぱりいい人が幸せそうなのは、嬉しいなあ。モノオモイの仕業でもない限り、あんなに幸せそうな生活を邪魔する権利なんて、僕にはないよ。それに……すごいよね」
ユディは、夢見るような表情を浮かべた。
「ヒズレイシーさんは、永遠を完成させていたんだ。とっくの昔に。しかも、あんなに幸せな永遠を! やっぱり人間って、すごい。モノとは違う。竜の夢だったら、きっともっと歪な結果になっていたよ」
「……主には、この集落の状況は、いびつなものには見えないのですね」
「うん、リコリネは違うの?」
リコリネは、一拍だけ、間を空けた。
「いえ…。そうですね、確かに私にも、他人の幸せに口出しをする権利はありません。なにせ彼は、『他の誰にも迷惑をかけていない』のですから。明日からも、お供します」
リコリネは、胸に手を当てると、一礼をした。
「元気でなー!!」「帰りにまた立ち寄れよーー!」
ヒズレイシーたちは、口々に別れの言葉を言いながら、名残惜しそうにユディたちに手を振っている。
ユディたちも、集落に向けて手を振りかえしながら、すっかり元気を取り戻した足取りで、前へと進んで行く。
目指すは、青い鳥が連れて行ってくれる、幸せの国だ。
-------------------------------------------
「見て、虹だ!」
そういったことにすぐに気づくのは、いつもユディだった。
雨上がりの翡翠の空を指し示す。
一同は立ち止まった。
「…本当ですね。先生の授業を思い出します」
リコリネは、感慨深く見入っている。
ユディは頷いた。
「3色の虹、だっけ。色を表す言葉が少ない民族にとっては、虹は決して7色ではない。なぜなら、表現ができないのだから…ってやつ」
「まあ~~、屁理屈めいていますが、真理な気もしますね~~。では、たくさんの色合いを知っている者が見たならば、虹は7色どころではないのでしょうね~~。隙間の色合いにもきっと細かい名前がついているのでしょうから~~」
面倒なことを嫌うリルハープは、ライサスライガの授業を受けたことが無い。
「リルハープ、そんな風に興味を持つんだったら、ライサスさんの授業を受けていればよかったのに」
「いいんです~~、こうしてご主人サマの口から間接的に聞く方がわかりやすいのですから~~! ライサスは単純なことを難しく言うことにかけて、右に出る者は居ませんでしたからね~~っ」
「ふふ、言い得て妙ですね。…先生、今頃どうしているでしょうか…。覚悟を持ってあの家を出たつもりなのですが、やはり懐かしく思うことは止められませんね」
「そうだね。それに、綺麗な景色を見るたびに、ライサスさんにも見せられる方法があればいいのになって思ってしまうよ。もう、覚えきれないくらい見てきてしまったから、どれを見せようかは迷いどころだけど……」
「まあ~~、今からそんなことを言っていては、これから先は頭がパンクしてしまいますよ~~!」
3人で笑い合った。
楽しい旅だった。
「……おかしいな、この先が、目的地なんだけど……」
翡翠色の海の広々とした景色に、ユディがひとしきり感激をした後。
とても見通しのいい岬の突端が、遠くに見える場所で、一度立ち止まった。
ユディは、手元の地図と見比べる。
その大きな岬の突端に、×印がついている。
「一見して、何もないように見えますね」
「まさか、ここまで来てガセネタ~~!?」
リコリネの言葉に、リルハープがガーーンとしている。
さすがに一ヵ月近く歩いて徒労に終わるのは、きついものがある。
すぐにリコリネが、鋭く声を上げた。
「いえ、誰かいますね。岩に凭れていますので、見逃しました」
見ると、ちょうどその人影が立ち上がったところだった。
その人物は、こちらを見て、手を振っている。
リルハープは、ユディの胸ポケットに、もうすっかり慣れた調子でもぐりこんだ。
「…モノオモイの気配は無いみたいだけど…」
ユディは手を振り返しながら、その人物に近づいていく。
近づくにつれ、それが冴えない感じの、ひょろひょろにやつれた、メガネの男の人だとわかった。
手の振り方も、疲れ切っている。
ユディが声をかけようとした瞬間、相手が声をかけてくる。
「ひょっとしてキミたちが、幸せの国に連れて行ってくれるっていう…?」
男の目には、ほんのわずかな期待が灯っている。
しかし、ユディには首を振ることしかできなかった。
「いえ…違います。僕たちも、その噂を聞いて、ここまで来ました」
「ああ…そうか」
男は、思ったよりも落胆しなかった。
いや、そもそも、期待の度合いから薄かったのだろう。
「ボクは、三日前にここに着いたところさ。たとえガセネタだったとしても、もう他に行くところもないからなあ。やっぱり人生、なかなかうまく行かないねえ…」
諦めることに慣れきっているように、男はため息をつくだけだ。
リコリネの全身鎧を見ても、不思議な顔一つしない。
「主、どうされますか?」
リコリネは、きっちりとした姿勢で、ユディに向き直る。
「ええと…。じゃあ、僕たちも、とりあえず三日くらい、待ってみようか」
バサッ!!
その言葉を言い終わるか終わらないかのうちに、遠くから、何か大きな物音がした。
「!」
全員で、音の聞こえた方角を見る。
それは、海のはるか上だった。
翡翠色の空を、巨大な青い鳥が、悠々とこの岬を目指して飛んでくる。
「な…っ!?」
男は、メガネが半分ずり落ちるくらい驚いていた。
「あれは…巨獣でしょうか…!?」
リコリネが、緊迫した声音を上げる。
巨獣…。
ライサスライガの授業で習った。
彼は、この世界で近づいていけない場所の一つに『巨獣の島』という場所を真っ先に挙げた。
大陸とは生態系が違うと言われるほどに、巨大な生物であふれた場所なのだそうだ。
その巨獣が今、目の前に居る。
どんどん近づいてきた青い鳥は、強風を引き連れて、ユディたちの頭上を通りすぎる。
ユディたちは、堪らず地に伏せた。
バサッ、バサアッ!
何度かのホバリングののち、その巨大な青い鳥は、ズシンと広い大地に降り立った。
ユディたちは、振り返ってぎょっとする。
その鳥は、先日訪れたヒズレイシーの集落と同じくらいの大きさがあったからだ。
いや、下手をすると、それよりも大きいかもしれない。
しかし何よりも驚くべきことは、その鳥の背に、ティーカップを逆さにしたような形をした、ドーム状の小規模な建物が乗っていることだろう。
巨大な青い鳥は、ゆっくりと足を畳み、地に伏せるようにして落ち着いた。
ユディたちは、ポカンとそれを見上げるしかない。
やがて、青い鳥の背にある建物の扉が開き、清楚な白い衣をまとった一人の女性が姿を現した。
長い髪を、ふたつのみつあみに束ねている。
彼女は、鳥の背の端に寄り、ユディたちを見下ろす。
「ようこそ、おいでくださいました」
透き通った声が響き渡る。
「あなたは…?」
ユディは、ゆっくりと立ち上がりながら、質問を口にする。
その女性は、頬に手をあてがいながら、楚々と微笑む。
「わたしは、ネーヤラーナ。幸せの国への、案内人です」
「おお…!!」
その答えを聞いて、メガネの男は感激を露にした。
ユディは、リコリネに寄り添い、小さく、しかし鋭く声を発した。
「―――モノオモイの気配だ」




