03リルハープ
ひゅうひゅうと、冷たい風が吹き抜ける塔の上。
今この場には、五つの命があった。
一つは、かつて少年だった、トビークレイ。
一つは、かつてユディアールだった、モノノリュウ。
一つは、かつてユディだった、キオ。
一つは、キオの胸ポケットに居る妖精。
そして最後に。
かつてリコリネだった、アイネクライネの姿がある。
キオとアイネクライネは見つめ合う。
初対面ではない。
だが、この関係を何と言えばいいのだろうか。
事情を知らないトビークレイとユディアールは、睨み合ったままだ。
トビークレイはゆらりと立ち上がり、モノノリュウへと突っ込んでいく。
「武器が、道具が使えないんだったら…。だったら、直接殴ってやるまでだ! 増進の精霊、ソッティノイよ!!」
「させるかよおおおおおッ!!」
半透明のユディアールは忌々しげにそう叫ぶと、彼の背後に居る、左腕だけがないモノノリュウが、その巨体から繰り出したとは思えないスピードで動いた。
ブオンッ!!
体をひねると、モノノリュウの長い尻尾が、巨大な鞭のようにしなり、その場にいる者へと襲いかかってくる。
「! 主、危ない!!」
アイネクライネは、ほとんど反射的にそう叫ぶと、茫然としているキオに向けてタックルを決めた。
転がる二人の上を、物凄い勢いで、尻尾が通りすぎていく。
「がは…っ!!」
無防備に突っ込んで行っていたトビークレイは、まともにその一撃を腹に食らっていた。
ミシリとアバラが折れる音。
トビークレイは、何度かボールのようにバウンドした後、ゴロリと力なく床を転がる。
キオは倒れ込んだまま、青褪めてトビークレイの方を見た。
「トビー!!?」
「なんて無茶を…!」
アイネクライネは慌てて立ち上がり、倒れているトビークレイの方に向かいながら、キオの方を振り返った。
「リルハープ殿! 後のことは頼みます!」
ユディアールは八重歯が見えるくらい大口を開けて、腹を抱えてその様子を見ている。
「ハハハッ、ハハハハハハ!!! 弱い脆いザコいザコい!! 待ってろよ、全員まとめて踏みつぶしてやるからね!!」
モノノリュウが、ずしんと一歩踏み出す。
どうしてかユディアールは、やけにトビークレイを目の敵にしているように見える。
その時、キオの胸ポケットから、ふわりと妖精が飛び出して、モノノリュウの方へと叫んだ。
「ユディアール~~! シグナディルのことも、そうやって踏みつぶしたのですか~~!!」
「………」
ピタリと、ユディアールとモノノリュウの動きが凍り付く。
「……、………。………?」
ユディアールは、その言葉を理解するまで、かなりの時間を要しているようだ。
アイネクライネもキオも、今更、ハっと息をのんだ。
シグナディルの使う精霊の祝福も、……トビークレイと同じ、増進の精霊のものだった。
一体どれほどの間が空いただろう。
「―――ッ!!」
ユディアールの瞳が揺れ、悲鳴のような叫び声が上がる。
「あ、あああああぁあああっ、ああああううあああああ!!! シグ、シグ!! どうして、忘れてた…!! そうだ、シグ、ダメだよ、オレがオマエを庇って死にたかったのに!! なんで、逆のことが……!!! あああぁああああっ!!」
ユディアールは、ボロボロと涙を流しながら、頭をかきむしっている。
キオたちは、胸が痛くなるほどに、何が起こったかを理解した。
リルハープは、少し沈んだ顔をして、ユディアールの様子を見ている。
「ごめんなさいね、シグナディル~~…。あなたの名前を時間稼ぎのために使ってしまうなんて、リルちゃんは本当に悪い子です~~…」
うつむいてから一拍置くと、リルハープは、アイネクライネの方を見て、頷いた。
アイネクライネは、すぐに察してトビークレイの介抱に向かう。
苦しむユディアールを背に、リルハープは、茫然自失のキオに向き直った。
「まったく~~、よりにもよって、この最悪のタイミングでバレますか~~! ご主人サマは本当に本当に、持っていらっしゃいますよね~~っ。間が悪いというか、運が悪いというか~~、まあ、らしいと言えばらしいのですが~~」
キオは、頭の中では立ち上がらねばと思ってはいるのだが、力が入らないでいる。
「………。リルハープ……」
「………」
「リルハープ……。……リコリネは……?」
リルハープは、一瞬、とてもつらそうな顔をした。
すぐに何とか、その表情を押し込める。
「……死にました。とっくの昔に」
「…………」
「ご主人サマ。癒しの湯なんて都合のいい秘湯は、最初から存在しないんです」
「……。……は……」
「………」
「え……。どうしよう………」
「………」
リルハープは、静かにキオを見守っている。
キオは、ぐるぐると考え事をしているようで、その実何も考えられてはいなかった。
明滅する星明りのように、思考が浮かんでは消えていく。
(じゃあ…。僕があの時キスしたあの子は……だれ?)
やがて、リルハープは小さな声で話し始めた。
「あなたと旅をしたリコリネは、六人。リコリネからは、あなたがリコリネとのお別れに耐えられるくらい、心が強く育ったころに話してほしいと…そう言われました。ですが……。いつ、その日は来るのでしょうね。大切な誰かとのお別れに耐えられる日なんて。誰にだって、そんな日は来ないのに」
リルハープは、困ったように微笑む。
「安心してください、ご主人サマ。あなたはそれぞれのリコリネと、ちゃんと向き合って、ちゃんとそれぞれに愛情を注いでいましたよ。それはリルちゃんが保証します。つまり……」
「………」
「フタマタどころか、六股でしたね~~! ほんと、史上最低の男です~~!!」
「言い方!!!?」
リルハープは、きゃらきゃらと笑っている。
鈴の転がるような音色は、いつもより悲しく聞こえた。
「さあご主人サマ、元気は出てきましたか~~? まだまだ、これからですよ~~!」
「まだまだって……、…無理だよ、リルハープ…、なんだか、力が入らないんだ……」
キオの返事に、リルハープは一瞬よくわからないような顔をして、小首をかしげる。
すぐに、「ああ、」と思い当たるように、ぽんと手を打った。
「なるほど、そう捉えましたか~~、安心しました~~! ご自分の都合のいいように受け取れる元気が、まだあるのですね~~!」
「……?」
キオは、視線だけで疑問符を投げかける。
リルハープは、とても…とても、優しい顔をしていた。
「リルちゃんが言っているのは……あなたの絶望は、まだまだこれからって意味ですよ~~」
「………」
キオにはもう、驚く元気もなく、ただ、力なく妖精を見上げている。
「よくお聞きくださいご主人サマ。もう居ないのはリコリネだけではありません。テリオタークは、部下を庇って死にました。最期にあなたの名を呼んでいたそうです。執事のジイヤも、こちらにその知らせの手紙を送った後に。こちらは寿命でしょうね」
「………………」
「ライサスも、心血を注いだ自分の研究の集大成を、つい先日完成させてから、命を落としたそうです。もうそこそこ老齢でしたからね」
「……。……え……と……」
キオは、自分が今、呼吸できているかどうか、自信がなくなってきた。
「死んだのも、初代リコリネだけではありません。二代目と、四代目も死にました。二代目は、闘技の街を滅ぼした時の無茶が原因で。ウェイスノーも、その時の怪我で果てました。四代目は、そもそも力の精霊の祝福の量が少なかったのです。ですが必死であなたの傍に居て、歴代のリコリネの中で、最も長く旅を続けました。ガッディーロから交代のための手紙が来ても、絶対にあなたから離れたくないと、何度も懇願の手紙を出していました」
キオの脳裏に、連なりの諸島の旅で、ある日倒れこんだリコリネの姿が浮かぶ。
名前も知らない、あの子の姿が。
そんなにしてまで、傍に……。
「ギュギュもセエラも元気に年を経ていますが、あの子たちは歯に衣着せませんからね。もし今のあなたに会ったら、間違いなくこう言うでしょう。『どうしてあの頃と同じ姿なの?』と」
リルハープは、優しげな表情のままだ。
「おわかりですか? つまりもう、……あなたが帰る場所なんて、どこにもないんです」
………。
「え……、……」
「………」
「……ダメだよ……そんなの……」
キオは、なぜか、笑顔だった。
笑うしかなかった。
「じゃあ、僕は……なんのために、戦うんだろうね……。……はは……」
か細い声が出ただけだった。
そのまま、キオは項垂れる。
糸の切れた人形のように、動けない。
「…ご主人サマ。楽しい旅でしたね~~! たまたまこんなふうに長旅になってしまいましたが、もっと順調に行きそうだったら、リルちゃんは無理に引き延ばしていたと思います~~! だって、ずっと、ずっと、ご主人サマと、リコリネと、三人で、一緒に旅をしていたかったから」
リルハープは、慈愛に満ちた笑顔を浮かべる。
「ご主人サマは、リルちゃんにとっての理想でしたよ~~! だって、年を取らずに、ずっとずーっと一緒に居られる人なんですから~~! リルちゃんが熱を出した時に、ずっと傍にと、そう言ってくださいましたね~~。あれがどんなに嬉しかったか、ご主人サマはきっと、おわかりにならないのでしょうね~~」
「………?」
リルハープの意図がわからず、キオはようやく妖精を見上げた。
「あーあ、溜め込んでいたこと、ぜーんぶ話したらすっきりしました~~! もう思い残しはありません~~。今までの旅、すっごく、すっごく、楽しかったです~~! さて! そろそろリルちゃんは、夢を果たす時間が来てしまったようです~~」
「リルハープ……?」
名を呼ぶ声に、どうしても力が入らない。
「まったく、なんですかその不思議そうなお顔は~~! ご主人サマは本当にぼんやりさんですね~~! リルちゃん、何度も何度も言ってきていたではないですか~~! …リルちゃんは、メガミサマになるって」
「メガミ……って……。ピノッキオの……?」
リルハープは、夢見るようにうっとりと、赤い空を見上げた。
「妖精は、一生のうち一度だけ、自分の生命力と引き換えに、奇跡を起こせるのです~~。精霊の祝福は、『なんとなくコレができるんじゃないか』と思ったことだけができますよね~~。ですがリルちゃんたち妖精は、本当に、何だってできてしまうのですよ~~!」
「……、…リルハープ、何を、言ってるんだ……」
「ずっと前から、決めていました~~。リルちゃんの奇跡は、そう使うって。ご主人サマはリルちゃんの我儘に付き合わされるわけですが、まあそんなの、今に始まったことじゃありませんよね~~、観念してください~~!」
「リルハープ! ほら、もう、いいから……もう、降りておいで……?」
キオは、優しく空に向けて手を差し伸べる。
あんなに動けないと思っていたのに、すっと立ち上がることができた。
妖精は、その手から逃れるように羽を震わせ、さらにふわりと高度を高くした。
「ご主人サマは、大好きな人間になれるのですよ、喜んでください~~! これからは、きちんと年を取って、きちんと眠って、きちんと夢を見て、きちんと…生きていくことができるんです~~! あなたの未来は、これからですよ~~!」
一瞬だけ、視線がきちんと交わる。
妖精の瞳は、真剣そのものだった。
その瞬間、キオの中で、何かがはちきれる。
「―――! 無理、無理無理無理無理無理無理無理!!!! 無理だそんなのほら早く降りておいでよ!!! 君まで居なくなった世界で人間になってどうしろって言うんだ!!? リルハープ、リルハープ!!」
「まあ~~っ、リルちゃんのためにそんなに取り乱してくださるのですね~~っ、冥利に尽きます~~!」
きゃらきゃらと、鈴のような妖精の笑い声が響く。
だが、高度が高すぎて、妖精の表情が、月明かりによる逆光で見えない。
「やめ…! やめるんだリルハープ! 僕は思い出したんだ! 僕はあの日、あの森の中で、君の泣き声を聞いたから、自分になれた! あの時、あの瞬間に、僕の自我が確立したんだ! 君が居たから僕があるんだ!! 君が居ない世界なんて考えられない!!」
「お忘れですかご主人サマ~~、命を助けて頂いたご恩は、ちゃんと命を助けることで返すって、リルちゃんは一番最初に言ったはずですよ~~!」
リルハープの表情が見えない。
キオは初めて、あの月明かりが忌々しいと思った。
大事な妖精の顔を隠さないでほしかった。
「わからずや!! 今、僕を殺そうとしているのは、君だって言ってるんだ!!」
「まあ~~っ、先程まで勝手に死にそうな顔をしておいて、よく言えますね~~!」
リルハープは、集中を始めるように両手を広げた。
だんだんと、妖精の体は輝きを増していく。
あの小さな体のどこにあったのかと思えるほどの、まるで太陽のような、強い黄金の光。
「……っ!! くそ、こうなったら!!」
キオは精霊道具の本を持ち直す。
「リルハープ、させない、絶対に、どんな手を使っても!!」
―――ヒュ、バシンッ!!
キオが構えた本は、いきなり横合いから来た乱暴な力に吹っ飛ばされた。
飛んできた何かが本に当たって、キオの手から、リルハープを邪魔できる手段を掻っ攫った。
カランと、割れたリコリネの……いや、アイネクライネのフルフェイスが地面に落ちる。
どうやらそれが、投げられたものだったらしい。
一秒を争う状況なのに!
キオは、咄嗟に、投げつけられた方向を睨みつける。
「なにするんだ!!!!!!」
世界中の怒りを集めたかのような怒声を浴びせた。
アイネクライネは、びくりと体を震わせる。
そして、とてもショックを受けたことを隠しきれない表情を浮かべた。
アイネクライネの足元には、頭を打ち付けたのだろう、朦朧としているトビークレイの姿がある。
そんなことまで認識できるくらい、キオは妙に冷静にその光景を見た。
なぜか、怒鳴りつけたキオが、泣きたくなった。
どうして、あの女の子が、僕に怒鳴られないといけないんだろう。
あの子は、こんなに頑張っているのに。
見ず知らずの僕のために、こんな怖い思いをしてまで、竜と対峙して。
そんな必要なんて、無かったはずなのに。
パアアアアアアアアアアッ!
周囲に満ちる黄金色の光で、キオは我に返った。
リルハープを見上げる。
跳んでも届かないくらい、高い場所に居る妖精を。
「リルハープ!! リルハープやめてくれ本当に勘弁してくれよ!! いやだ、いやだいやだいやだイヤだああああああああ!! !!! これ以上失ったら、僕は!! ダメだ本当に!! 君を失いたくないってわかってるはずだ!! どうして、どうしてこんな!!!! お願いだ、もう人間になんてなりたくないから!!! もう僕は十分だから!! たのむよリルハープ!!! 一緒に!!」
恥も外聞もかなぐり捨てて、とにかく言葉の限りを尽くして手を伸ばし、懇願する。
うまく言葉が組み立てられないくらい叫んだ。
それなのに、妖精はキオに返事をしない。
そして、高らかに宣言する。
「今、あなたを、人間に―――!!」
カッ!!
目を開けていられないほどのまばゆい光が、この場のすべてを覆い隠した。
泣き叫ぶキオも、苦しむユディアールも、見守るアイネクライネも、倒れたトビークレイも、光に包まれた。
一瞬、自分の形がわからなくなるくらいの光量。
それも、すぐに収まっていく。
―――この場にある命は、五つから四つに減った。
そして……。
そして、キオには、何の変化もなかった。
息がつまるくらいの沈黙の中で、ひゅるるる、と何かが落ちてくる。
「!!」
キオは、咄嗟にそれを受け止める。
なんとなく、リルハープは、光の中に消えてしまうのだと思っていた。
それくらいの光に感じた。
だが、ぽてっと手の平に落ちてきたのは、リルハープだった。
リルハープの残骸。
目を閉じたまま、風に揺らされるままの、物言わぬ死体だった。
生々しいほどに、キオは死を手にしていた。
「……、リ、ル……ハ………プ」
キオには、何の変化もなかった。
例えば、風の匂いが前よりもよくわかるようになっていたりとか、地に足がついた感触がするとか、そういうことは一切ない。
さっきのままの自分でいる。
なのに。
なのに、自分は今、本当に人間になったと、どこかの感覚が、そう言っている。
つまり、リルハープが言いたかったのは、こういうことだ。
(ほら、人間でも、人間じゃなくっても、なんにも変わりはないんです。あなたは、あなたですよ~~!)
「……ッ、…そんな、……そんな、口で言えば済むようなことを、君は……命を賭けてまで……!!!」
言葉の途中で、息がつまった。
リルハープの目の端に、涙が輝いていた。
妖精は、泣いていたのだ。
今、キオは、どうしようもなく理解した。
リルハープは、本当は死にたくなかったはずだ。
当たり前だ、ずっと一緒に旅を続けたかったんだから。
そもそも、臆病なこの子が、死を怖がらないはずがない。
だからこそ、あんなに何度も何度も、ピノッキオの絵本をキオに読ませた。
決意が揺るぎそうになるたびに、何度も何度も、決意を上書きするために。
メガミになるために。
キオの瞳からぼろぼろと涙がこぼれて、手の平の妖精の上に落ちていく。
とめどなく涙が流れて、気が狂ってないのが不思議なくらい悲しい。
旅の途中で、何度も泣いているリルハープを見てきた。
数々の別れに、一人で耐えていたんだ。
キオを守るために、耐えて。
ずっとずっと、傍で、必死に、キオを大事にしていた。
視界の端に、アイネクライネも涙を流しているのが見えた。
すっかり失念していた。
あの子だって、この妖精と仲が良かったのに。
なのに、妖精が命を賭けるのを見届けようとした。
「ああああっ、…うあぁあああああああ……っ!!」
嗚咽が抑え込めない。
かくんと足から力が抜けて、その場にへたり込む。
だが次の瞬間、激しい音が場に叩きつけられた。
バツンッ!!
その音は、モノノリュウの方からした。
驚いて目を向ける。
モノノリュウにも、外見上は全く変化がなかった。
ギャアアアアアアアアア―――!
だが、モノノリュウが、苦しみの声を上げている。
ユディアールも、左腕を抑えて苦しんでいる。
竜はこの瞬間、左腕を失ったのだ。
ダメージを隠し切れないように、左腕からぽろぽろと、モノノリュウを構成するモノたちが落ち始める。
ユディアールが叫ぶ。
「うああああああっ、あああああっ、なっ、よ、よくも…!!! よくも、奪ったな!!」
皮肉なことに、この場で最も小さく、か弱い妖精の存在が、この場で最も大きく、強大なモノノリュウに、一番ダメージを与えていた。
だが、もうキオは、取り返しがつかないほどに、何もかもを失ってしまった。
一体どうすればよかったのだろうか。
ぼんやりと考える。
(僕は、モノノリュウを倒しに行くよ。そうしたら、いろんな道が選べるってわかっているから。どんな場所でも暮らせるし、誰のところに行ってもいい)
あの日、テリオタークに告げた言葉が浮かんだ。
すべてが終わったら、みんなに会いに行こうと思っていた。
テリオタークは、口では勘当だと言っていたが、会いに行ったらきっと迎え入れてくれると、なんとなく思っていた。
心のどこかで、あの仮の兄に甘えていた。
ジイヤさんの口添えで、仕方ないな…という感じになると思っていた。
ウェイスノーにもライサスライガにも手紙を控えていた理由は、会って直接話したいことがたくさんあったからだ。
夜を徹して話を弾ませるつもりだった。
お酒にだって付き合う気だった。
お土産をたくさん買って、トビークレイにも会いに行って、大きくなったねと、頭を撫でるつもりだった。
どんなにトビーが嫌がっても、抱きしめるつもりだった。
びっくりするほど熱を持った、子供特有の高い体温を、まだこの手が覚えている。
すべてが終わったら、そんな日々が、笑顔が待っていると、信じて疑わなかったのに。
気が付けば、全てが零れ落ちていた。
せっかく掬い上げた水が、指の隙間から零れていくように。
「リコリネ……」
キオは、うつろに呟いた。
自分とリルハープに、どんなに会いたかっただろう。
たった一人で、全部のことに耐えてきたリコリネを思うと、…言葉にならない。
ユディアールは、燃えるような怒りに染まった顔を、キオに向ける。
しかしすぐに、それは優しげな…そして邪悪な笑顔に変わる。
キオは、抜け殻のようにへたり込んだまま、手の中の妖精を見つめているだけだ。
瞳からは生気が失せ、もはや呼吸をするだけの肉の塊のようだった。
「ああ、ユディエル……かわいそうに。だから言っただろ、中途半端な希望なんて持つからそうなるんだ。もう、オマエとオレとは何の繋がりもない。オマエは本当に、たったひとりになったんだね」
ユディアールは、優越感の混ざった憐憫の表情を浮かべる。
ズシン、ズシンとモノノリュウがキオに迫ってきた。
「かわいそうに、かわいそうに! そうだよ、これが正しい道だ、だってシグの居ない世界なんて、こんなふうに残酷で当然なんだ! だから最後の情けだよ! オレが、今すぐに、楽にしてやるね!」
「主!! 主、何をしているのですか、お逃げください!!」
アイネクライネが、慌てて駆け出す。
キオの元には間に合わないと判断したのか、真っすぐにモノノリュウに向けて駆けた。
キオは、ぼんやりと、ダメだよ…と思う。
ダメだよアイネ、そんな軽装で、こんな危ない所に居ちゃ。
早く逃げるんだ…と言いたいのだが、もう、どうしても、喋る気力がない。
絶望という言葉では足りないくらい、からっぽだ。
左腕のないモノノリュウが、キオの前で、右腕を大きく振り上げる。
懐かしい光景だな…、と思いながら、キオはただそれを見上げた。
左腕のないモノノリュウが、左腕を失ったキルゼムと重なる。
あの時も、動けなかった。
すべてが、スローモーションのように見える。
まあいいか…と思う。
だって、もう、生きる意味がないのだから。
なのに、頭のどこかでは、ダメだ…とも思う。
動けと、心のどこかが叫んでいる。
生きる意味など、もうどこにもないはずなのに。
あの子たちの傍に行く以外に、どんな道もないはずなのに。
なぜだろう…と、ぼんやりと考えていた。
ブオンッ!!
モノノリュウが、鋭い爪を形作る右腕を、キオめがけて振り下ろす。
キオは、目を閉じもせず、じっとそれを見つめていた。
ドズッ!!
鈍く、肉が斬り裂かれる音。
その時、キオの目の前に、あの時と全く同じ光景があった。
キオを守るように、こちらを向いて両手を広げたジャンティオール。
いや、違う。
「………トビー?」
キオは、きょとんとした。
ジャンティオールと重なって見えたのは、トビークレイだった。




