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モノガリのユディ  作者: ササユリ ナツナ
最終章 うそつきリコリネ
114/137

03リルハープ

 ひゅうひゅうと、冷たい風が吹き抜ける塔の上。

 今この場には、五つの命があった。


 一つは、かつて少年だった、トビークレイ。

 一つは、かつてユディアールだった、モノノリュウ。

 一つは、かつてユディだった、キオ。

 一つは、キオの胸ポケットに居る妖精。

 そして最後に。

 かつてリコリネだった、アイネクライネの姿がある。


 キオとアイネクライネは見つめ合う。

 初対面ではない。

 だが、この関係を何と言えばいいのだろうか。


 事情を知らないトビークレイとユディアールは、睨み合ったままだ。

 トビークレイはゆらりと立ち上がり、モノノリュウへと突っ込んでいく。


「武器が、道具が使えないんだったら…。だったら、直接殴ってやるまでだ! 増進の精霊、ソッティノイよ!!」


「させるかよおおおおおッ!!」


 半透明のユディアールは忌々しげにそう叫ぶと、彼の背後に居る、左腕だけがないモノノリュウが、その巨体から繰り出したとは思えないスピードで動いた。


   ブオンッ!!


 体をひねると、モノノリュウの長い尻尾が、巨大な鞭のようにしなり、その場にいる者へと襲いかかってくる。


「! 主、危ない!!」


 アイネクライネは、ほとんど反射的にそう叫ぶと、茫然としているキオに向けてタックルを決めた。

 転がる二人の上を、物凄い勢いで、尻尾が通りすぎていく。


「がは…っ!!」


 無防備に突っ込んで行っていたトビークレイは、まともにその一撃を腹に食らっていた。

 ミシリとアバラが折れる音。

 トビークレイは、何度かボールのようにバウンドした後、ゴロリと力なく床を転がる。

 キオは倒れ込んだまま、青褪めてトビークレイの方を見た。


「トビー!!?」

「なんて無茶を…!」


 アイネクライネは慌てて立ち上がり、倒れているトビークレイの方に向かいながら、キオの方を振り返った。


「リルハープ殿! 後のことは頼みます!」


 ユディアールは八重歯が見えるくらい大口を開けて、腹を抱えてその様子を見ている。


「ハハハッ、ハハハハハハ!!! 弱い脆いザコいザコい!! 待ってろよ、全員まとめて踏みつぶしてやるからね!!」


 モノノリュウが、ずしんと一歩踏み出す。

 どうしてかユディアールは、やけにトビークレイを目の敵にしているように見える。


 その時、キオの胸ポケットから、ふわりと妖精が飛び出して、モノノリュウの方へと叫んだ。


「ユディアール~~! シグナディルのことも、そうやって踏みつぶしたのですか~~!!」


「………」


 ピタリと、ユディアールとモノノリュウの動きが凍り付く。


「……、………。………?」


 ユディアールは、その言葉を理解するまで、かなりの時間を要しているようだ。

 アイネクライネもキオも、今更、ハっと息をのんだ。

 シグナディルの使う精霊の祝福も、……トビークレイと同じ、増進の精霊のものだった。

 一体どれほどの間が空いただろう。


「―――ッ!!」


 ユディアールの瞳が揺れ、悲鳴のような叫び声が上がる。


「あ、あああああぁあああっ、ああああううあああああ!!! シグ、シグ!! どうして、忘れてた…!! そうだ、シグ、ダメだよ、オレがオマエを庇って死にたかったのに!! なんで、逆のことが……!!! あああぁああああっ!!」


 ユディアールは、ボロボロと涙を流しながら、頭をかきむしっている。

 キオたちは、胸が痛くなるほどに、何が起こったかを理解した。

 リルハープは、少し沈んだ顔をして、ユディアールの様子を見ている。


「ごめんなさいね、シグナディル~~…。あなたの名前を時間稼ぎのために使ってしまうなんて、リルちゃんは本当に悪い子です~~…」


 うつむいてから一拍置くと、リルハープは、アイネクライネの方を見て、頷いた。

 アイネクライネは、すぐに察してトビークレイの介抱に向かう。


 苦しむユディアールを背に、リルハープは、茫然自失のキオに向き直った。


「まったく~~、よりにもよって、この最悪のタイミングでバレますか~~! ご主人サマは本当に本当に、持っていらっしゃいますよね~~っ。間が悪いというか、運が悪いというか~~、まあ、らしいと言えばらしいのですが~~」


 キオは、頭の中では立ち上がらねばと思ってはいるのだが、力が入らないでいる。


「………。リルハープ……」


「………」


「リルハープ……。……リコリネは……?」


 リルハープは、一瞬、とてもつらそうな顔をした。

 すぐに何とか、その表情を押し込める。


「……死にました。とっくの昔に」


「…………」


「ご主人サマ。癒しの湯なんて都合のいい秘湯は、最初から存在しないんです」


「……。……は……」


「………」


「え……。どうしよう………」


「………」


 リルハープは、静かにキオを見守っている。

 キオは、ぐるぐると考え事をしているようで、その実何も考えられてはいなかった。

 明滅する星明りのように、思考が浮かんでは消えていく。


(じゃあ…。僕があの時キスしたあの子は……だれ?)


 やがて、リルハープは小さな声で話し始めた。


「あなたと旅をしたリコリネは、六人。リコリネからは、あなたがリコリネとのお別れに耐えられるくらい、心が強く育ったころに話してほしいと…そう言われました。ですが……。いつ、その日は来るのでしょうね。大切な誰かとのお別れに耐えられる日なんて。誰にだって、そんな日は来ないのに」


 リルハープは、困ったように微笑む。


「安心してください、ご主人サマ。あなたはそれぞれのリコリネと、ちゃんと向き合って、ちゃんとそれぞれに愛情を注いでいましたよ。それはリルちゃんが保証します。つまり……」


「………」


「フタマタどころか、六股でしたね~~! ほんと、史上最低の男です~~!!」


「言い方!!!?」


 リルハープは、きゃらきゃらと笑っている。

 鈴の転がるような音色は、いつもより悲しく聞こえた。


「さあご主人サマ、元気は出てきましたか~~? まだまだ、これからですよ~~!」


「まだまだって……、…無理だよ、リルハープ…、なんだか、力が入らないんだ……」


 キオの返事に、リルハープは一瞬よくわからないような顔をして、小首をかしげる。

 すぐに、「ああ、」と思い当たるように、ぽんと手を打った。


「なるほど、そう捉えましたか~~、安心しました~~! ご自分の都合のいいように受け取れる元気が、まだあるのですね~~!」


「……?」


 キオは、視線だけで疑問符を投げかける。

 リルハープは、とても…とても、優しい顔をしていた。


「リルちゃんが言っているのは……あなたの絶望は、まだまだこれからって意味ですよ~~」


「………」


 キオにはもう、驚く元気もなく、ただ、力なく妖精を見上げている。


「よくお聞きくださいご主人サマ。もう居ないのはリコリネだけではありません。テリオタークは、部下を庇って死にました。最期にあなたの名を呼んでいたそうです。執事のジイヤも、こちらにその知らせの手紙を送った後に。こちらは寿命でしょうね」


「………………」


「ライサスも、心血を注いだ自分の研究の集大成を、つい先日完成させてから、命を落としたそうです。もうそこそこ老齢でしたからね」


「……。……え……と……」


 キオは、自分が今、呼吸できているかどうか、自信がなくなってきた。


「死んだのも、初代リコリネだけではありません。二代目と、四代目も死にました。二代目は、闘技の街を滅ぼした時の無茶が原因で。ウェイスノーも、その時の怪我で果てました。四代目は、そもそも力の精霊の祝福の量が少なかったのです。ですが必死であなたの傍に居て、歴代のリコリネの中で、最も長く旅を続けました。ガッディーロから交代のための手紙が来ても、絶対にあなたから離れたくないと、何度も懇願の手紙を出していました」


 キオの脳裏に、連なりの諸島の旅で、ある日倒れこんだリコリネの姿が浮かぶ。

 名前も知らない、あの子の姿が。

 そんなにしてまで、傍に……。


「ギュギュもセエラも元気に年を経ていますが、あの子たちは歯に衣着せませんからね。もし今のあなたに会ったら、間違いなくこう言うでしょう。『どうしてあの頃と同じ姿なの?』と」


 リルハープは、優しげな表情のままだ。


「おわかりですか? つまりもう、……あなたが帰る場所なんて、どこにもないんです」


 ………。


「え……、……」


「………」


「……ダメだよ……そんなの……」


 キオは、なぜか、笑顔だった。

 笑うしかなかった。


「じゃあ、僕は……なんのために、戦うんだろうね……。……はは……」


 か細い声が出ただけだった。

 そのまま、キオは項垂れる。

 糸の切れた人形のように、動けない。


「…ご主人サマ。楽しい旅でしたね~~! たまたまこんなふうに長旅になってしまいましたが、もっと順調に行きそうだったら、リルちゃんは無理に引き延ばしていたと思います~~! だって、ずっと、ずっと、ご主人サマと、リコリネと、三人で、一緒に旅をしていたかったから」


 リルハープは、慈愛に満ちた笑顔を浮かべる。


「ご主人サマは、リルちゃんにとっての理想でしたよ~~! だって、年を取らずに、ずっとずーっと一緒に居られる人なんですから~~! リルちゃんが熱を出した時に、ずっと傍にと、そう言ってくださいましたね~~。あれがどんなに嬉しかったか、ご主人サマはきっと、おわかりにならないのでしょうね~~」


「………?」


 リルハープの意図がわからず、キオはようやく妖精を見上げた。


「あーあ、溜め込んでいたこと、ぜーんぶ話したらすっきりしました~~! もう思い残しはありません~~。今までの旅、すっごく、すっごく、楽しかったです~~! さて! そろそろリルちゃんは、夢を果たす時間が来てしまったようです~~」


「リルハープ……?」


 名を呼ぶ声に、どうしても力が入らない。


「まったく、なんですかその不思議そうなお顔は~~! ご主人サマは本当にぼんやりさんですね~~! リルちゃん、何度も何度も言ってきていたではないですか~~! …リルちゃんは、メガミサマになるって」


「メガミ……って……。ピノッキオの……?」


 リルハープは、夢見るようにうっとりと、赤い空を見上げた。


「妖精は、一生のうち一度だけ、自分の生命力と引き換えに、奇跡を起こせるのです~~。精霊の祝福は、『なんとなくコレができるんじゃないか』と思ったことだけができますよね~~。ですがリルちゃんたち妖精は、本当に、何だってできてしまうのですよ~~!」


「……、…リルハープ、何を、言ってるんだ……」


「ずっと前から、決めていました~~。リルちゃんの奇跡は、そう使うって。ご主人サマはリルちゃんの我儘に付き合わされるわけですが、まあそんなの、今に始まったことじゃありませんよね~~、観念してください~~!」


「リルハープ! ほら、もう、いいから……もう、降りておいで……?」


 キオは、優しく空に向けて手を差し伸べる。

 あんなに動けないと思っていたのに、すっと立ち上がることができた。

 妖精は、その手から逃れるように羽を震わせ、さらにふわりと高度を高くした。


「ご主人サマは、大好きな人間になれるのですよ、喜んでください~~! これからは、きちんと年を取って、きちんと眠って、きちんと夢を見て、きちんと…生きていくことができるんです~~! あなたの未来は、これからですよ~~!」


 一瞬だけ、視線がきちんと交わる。

 妖精の瞳は、真剣そのものだった。

 その瞬間、キオの中で、何かがはちきれる。


「―――! 無理、無理無理無理無理無理無理無理!!!! 無理だそんなのほら早く降りておいでよ!!! 君まで居なくなった世界で人間になってどうしろって言うんだ!!? リルハープ、リルハープ!!」


「まあ~~っ、リルちゃんのためにそんなに取り乱してくださるのですね~~っ、冥利に尽きます~~!」


 きゃらきゃらと、鈴のような妖精の笑い声が響く。

 だが、高度が高すぎて、妖精の表情が、月明かりによる逆光で見えない。


「やめ…! やめるんだリルハープ! 僕は思い出したんだ! 僕はあの日、あの森の中で、君の泣き声を聞いたから、自分になれた! あの時、あの瞬間に、僕の自我が確立したんだ! 君が居たから僕があるんだ!! 君が居ない世界なんて考えられない!!」


「お忘れですかご主人サマ~~、命を助けて頂いたご恩は、ちゃんと命を助けることで返すって、リルちゃんは一番最初に言ったはずですよ~~!」


 リルハープの表情が見えない。

 キオは初めて、あの月明かりが忌々しいと思った。

 大事な妖精の顔を隠さないでほしかった。


「わからずや!! 今、僕を殺そうとしているのは、君だって言ってるんだ!!」


「まあ~~っ、先程まで勝手に死にそうな顔をしておいて、よく言えますね~~!」


 リルハープは、集中を始めるように両手を広げた。

 だんだんと、妖精の体は輝きを増していく。

 あの小さな体のどこにあったのかと思えるほどの、まるで太陽のような、強い黄金の光。


「……っ!! くそ、こうなったら!!」


 キオは精霊道具の本を持ち直す。


「リルハープ、させない、絶対に、どんな手を使っても!!」


   ―――ヒュ、バシンッ!!


 キオが構えた本は、いきなり横合いから来た乱暴な力に吹っ飛ばされた。

 飛んできた何かが本に当たって、キオの手から、リルハープを邪魔できる手段を掻っ攫った。

 カランと、割れたリコリネの……いや、アイネクライネのフルフェイスが地面に落ちる。

 どうやらそれが、投げられたものだったらしい。


 一秒を争う状況なのに!

 キオは、咄嗟に、投げつけられた方向を睨みつける。


「なにするんだ!!!!!!」


 世界中の怒りを集めたかのような怒声を浴びせた。

 アイネクライネは、びくりと体を震わせる。

 そして、とてもショックを受けたことを隠しきれない表情を浮かべた。

 アイネクライネの足元には、頭を打ち付けたのだろう、朦朧としているトビークレイの姿がある。

 そんなことまで認識できるくらい、キオは妙に冷静にその光景を見た。


 なぜか、怒鳴りつけたキオが、泣きたくなった。


 どうして、あの女の子が、僕に怒鳴られないといけないんだろう。

 あの子は、こんなに頑張っているのに。

 見ず知らずの僕のために、こんな怖い思いをしてまで、竜と対峙して。

 そんな必要なんて、無かったはずなのに。


   パアアアアアアアアアアッ!


 周囲に満ちる黄金色の光で、キオは我に返った。

 リルハープを見上げる。

 跳んでも届かないくらい、高い場所に居る妖精を。


「リルハープ!! リルハープやめてくれ本当に勘弁してくれよ!! いやだ、いやだいやだいやだイヤだああああああああ!! !!! これ以上失ったら、僕は!! ダメだ本当に!! 君を失いたくないってわかってるはずだ!! どうして、どうしてこんな!!!! お願いだ、もう人間になんてなりたくないから!!! もう僕は十分だから!! たのむよリルハープ!!! 一緒に!!」


 恥も外聞もかなぐり捨てて、とにかく言葉の限りを尽くして手を伸ばし、懇願する。

 うまく言葉が組み立てられないくらい叫んだ。

 それなのに、妖精はキオに返事をしない。

 そして、高らかに宣言する。


「今、あなたを、人間に―――!!」


   カッ!!


 目を開けていられないほどのまばゆい光が、この場のすべてを覆い隠した。

 泣き叫ぶキオも、苦しむユディアールも、見守るアイネクライネも、倒れたトビークレイも、光に包まれた。

 一瞬、自分の形がわからなくなるくらいの光量。

 それも、すぐに収まっていく。




 ―――この場にある命は、五つから四つに減った。

 そして……。


 そして、キオには、何の変化もなかった。


 息がつまるくらいの沈黙の中で、ひゅるるる、と何かが落ちてくる。


「!!」


 キオは、咄嗟にそれを受け止める。

 なんとなく、リルハープは、光の中に消えてしまうのだと思っていた。

 それくらいの光に感じた。

 だが、ぽてっと手の平に落ちてきたのは、リルハープだった。

 リルハープの残骸。

 目を閉じたまま、風に揺らされるままの、物言わぬ死体だった。

 生々しいほどに、キオは死を手にしていた。


「……、リ、ル……ハ………プ」


 キオには、何の変化もなかった。

 例えば、風の匂いが前よりもよくわかるようになっていたりとか、地に足がついた感触がするとか、そういうことは一切ない。

 さっきのままの自分でいる。


 なのに。

 なのに、自分は今、本当に人間になったと、どこかの感覚が、そう言っている。

 つまり、リルハープが言いたかったのは、こういうことだ。


(ほら、人間でも、人間じゃなくっても、なんにも変わりはないんです。あなたは、あなたですよ~~!)


「……ッ、…そんな、……そんな、口で言えば済むようなことを、君は……命を賭けてまで……!!!」


 言葉の途中で、息がつまった。

 リルハープの目の端に、涙が輝いていた。

 妖精は、泣いていたのだ。


 今、キオは、どうしようもなく理解した。

 リルハープは、本当は死にたくなかったはずだ。

 当たり前だ、ずっと一緒に旅を続けたかったんだから。

 そもそも、臆病なこの子が、死を怖がらないはずがない。


 だからこそ、あんなに何度も何度も、ピノッキオの絵本をキオに読ませた。

 決意が揺るぎそうになるたびに、何度も何度も、決意を上書きするために。

 メガミになるために。


 キオの瞳からぼろぼろと涙がこぼれて、手の平の妖精の上に落ちていく。

 とめどなく涙が流れて、気が狂ってないのが不思議なくらい悲しい。


 旅の途中で、何度も泣いているリルハープを見てきた。

 数々の別れに、一人で耐えていたんだ。

 キオを守るために、耐えて。

 ずっとずっと、傍で、必死に、キオを大事にしていた。


 視界の端に、アイネクライネも涙を流しているのが見えた。

 すっかり失念していた。

 あの子だって、この妖精と仲が良かったのに。

 なのに、妖精が命を賭けるのを見届けようとした。


「ああああっ、…うあぁあああああああ……っ!!」


 嗚咽が抑え込めない。

 かくんと足から力が抜けて、その場にへたり込む。


 だが次の瞬間、激しい音が場に叩きつけられた。


   バツンッ!!


 その音は、モノノリュウの方からした。

 驚いて目を向ける。

 モノノリュウにも、外見上は全く変化がなかった。


   ギャアアアアアアアアア―――!


 だが、モノノリュウが、苦しみの声を上げている。

 ユディアールも、左腕を抑えて苦しんでいる。


 竜はこの瞬間、左腕を失ったのだ。


 ダメージを隠し切れないように、左腕からぽろぽろと、モノノリュウを構成するモノたちが落ち始める。

 ユディアールが叫ぶ。


「うああああああっ、あああああっ、なっ、よ、よくも…!!! よくも、奪ったな!!」


 皮肉なことに、この場で最も小さく、か弱い妖精の存在が、この場で最も大きく、強大なモノノリュウに、一番ダメージを与えていた。



 だが、もうキオは、取り返しがつかないほどに、何もかもを失ってしまった。

 一体どうすればよかったのだろうか。

 ぼんやりと考える。


(僕は、モノノリュウを倒しに行くよ。そうしたら、いろんな道が選べるってわかっているから。どんな場所でも暮らせるし、誰のところに行ってもいい)


 あの日、テリオタークに告げた言葉が浮かんだ。


 すべてが終わったら、みんなに会いに行こうと思っていた。

 テリオタークは、口では勘当だと言っていたが、会いに行ったらきっと迎え入れてくれると、なんとなく思っていた。

 心のどこかで、あの仮の兄に甘えていた。

 ジイヤさんの口添えで、仕方ないな…という感じになると思っていた。


 ウェイスノーにもライサスライガにも手紙を控えていた理由は、会って直接話したいことがたくさんあったからだ。

 夜を徹して話を弾ませるつもりだった。

 お酒にだって付き合う気だった。

 お土産をたくさん買って、トビークレイにも会いに行って、大きくなったねと、頭を撫でるつもりだった。

 どんなにトビーが嫌がっても、抱きしめるつもりだった。

 びっくりするほど熱を持った、子供特有の高い体温を、まだこの手が覚えている。


 すべてが終わったら、そんな日々が、笑顔が待っていると、信じて疑わなかったのに。

 気が付けば、全てが零れ落ちていた。

 せっかく掬い上げた水が、指の隙間から零れていくように。


「リコリネ……」


 キオは、うつろに呟いた。

 自分とリルハープに、どんなに会いたかっただろう。

 たった一人で、全部のことに耐えてきたリコリネを思うと、…言葉にならない。




 ユディアールは、燃えるような怒りに染まった顔を、キオに向ける。

 しかしすぐに、それは優しげな…そして邪悪な笑顔に変わる。


 キオは、抜け殻のようにへたり込んだまま、手の中の妖精を見つめているだけだ。

 瞳からは生気が失せ、もはや呼吸をするだけの肉の塊のようだった。


「ああ、ユディエル……かわいそうに。だから言っただろ、中途半端な希望なんて持つからそうなるんだ。もう、オマエとオレとは何の繋がりもない。オマエは本当に、たったひとりになったんだね」


 ユディアールは、優越感の混ざった憐憫の表情を浮かべる。

 ズシン、ズシンとモノノリュウがキオに迫ってきた。


「かわいそうに、かわいそうに! そうだよ、これが正しい道だ、だってシグの居ない世界なんて、こんなふうに残酷で当然なんだ! だから最後の情けだよ! オレが、今すぐに、楽にしてやるね!」


「主!! 主、何をしているのですか、お逃げください!!」


 アイネクライネが、慌てて駆け出す。

 キオの元には間に合わないと判断したのか、真っすぐにモノノリュウに向けて駆けた。


 キオは、ぼんやりと、ダメだよ…と思う。

 ダメだよアイネ、そんな軽装で、こんな危ない所に居ちゃ。

 早く逃げるんだ…と言いたいのだが、もう、どうしても、喋る気力がない。

 絶望という言葉では足りないくらい、からっぽだ。


 左腕のないモノノリュウが、キオの前で、右腕を大きく振り上げる。

 懐かしい光景だな…、と思いながら、キオはただそれを見上げた。

 左腕のないモノノリュウが、左腕を失ったキルゼムと重なる。

 あの時も、動けなかった。

 すべてが、スローモーションのように見える。

 まあいいか…と思う。

 だって、もう、生きる意味がないのだから。

 なのに、頭のどこかでは、ダメだ…とも思う。

 動けと、心のどこかが叫んでいる。

 生きる意味など、もうどこにもないはずなのに。

 あの子たちの傍に行く以外に、どんな道もないはずなのに。

 なぜだろう…と、ぼんやりと考えていた。


   ブオンッ!!


 モノノリュウが、鋭い爪を形作る右腕を、キオめがけて振り下ろす。

 キオは、目を閉じもせず、じっとそれを見つめていた。


   ドズッ!!


 鈍く、肉が斬り裂かれる音。


 その時、キオの目の前に、あの時と全く同じ光景があった。

 キオを守るように、こちらを向いて両手を広げたジャンティオール。

 いや、違う。


「………トビー?」


 キオは、きょとんとした。

 ジャンティオールと重なって見えたのは、トビークレイだった。

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